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恋するクラウン2  作者: 川崎 春
1/3

ミルカとフラン

これは、「恋するクラウン」の続編その1です。

 ミルル・ロッソは、兄の結婚式に来ていた。

 ミルルは、かつてエスライン王国の王宮騎士団で副団長をしていた、バルトー・ロッソの娘で、二番目の子供である。兄であるアルカ・ロッソは、十七歳で、現在、婚約者と共に、エスライン王国の王宮に留まっている。

 母が十二年振りに、三人目の子供ある妹、リルカ・ロッソを出産したばかりで身動きが取れないので、家族を代表してミルカがやって来たのだ。

 ずっと二人で旅をしながら子供を産み育てた夫婦は、とても仲が良く、母の側から当然の様に父は離れなかった。

 両親が出席できるまで結婚式を延期しようと話し合っていたのに、母方の親族の強い意向を受け、ミルルが一人で出席しなくてはならなくなってしまった。

 ……ミルルの母親のユーリア・ロッソは、実はエスライン国王の妹で、非公式ではあるが王女である。だから、国王はミルルの叔父にあたるのだ。

 エスライン王国の王族と言うのは、天使の末裔で、半天と呼ばれており、国王や王太子など男児には必ず翼があり、鋼鉄の肉体を持っている。女性の王族は、国王や王太子などの伴侶である妃だけと言う歴史がある為、王女の存在は一般的に認められていない。過去、王族の女児は生まれても、ユーリアまで一人も育たなかったのだ。

 そんな事情もあって、国王は妹を溺愛しており、できれば王宮に囲い込みたいと思っていた。そんな事情があったので、ロッソ一家は、エスライン王国を避けていた。それなのに、アルカ・ロッソ……ミルルの兄がエスライン王国に足を踏み入れてしまったのだ。

 今回、兄であるアルカが、エスライン王国に行ったのは、自分達ではどうにもならない事案が発生して、エスライン大神殿へ助言を求めた為だった。……アルカの結婚に関する事だった。

 アルカは手紙で済ませようとしたけれど、大神官が手紙を読んで、どうしてもアルカの嫁を見たいと言い張ったらしい。

 結果、大神官から国王に情報が筒抜けになり、アルカは婚約者と共に捕らえられて、王宮に閉じ込められた挙句、結婚式まで取り仕切られる事になったのだった。

 結婚式をしたら、アルカ・ロッソとその妻、そしてミルルは、エスライン王国を必ず出られると言う約束を取り付けての挙式だった。そんな訳で、兄救出作戦を任された十二歳のミルルは、素敵な冒険になるとわくわくしていた。

 盛大な歓迎を受けて王宮に入った後、国王達の背中に翼がある事に驚いたものの、明るく優しい国王達は普通で紳士的に見えた。

 王族に翼があるのは有名な話だったので、それ程驚かなかったのだ。確かに巨大な翼だったけれど、それよりも兄の嫁になる人に驚いた。……紹介されたのは、何と頭に獣の耳のある女性だったのだ。

 しかも口が利けない女性で、ティアラと言うのも、兄が勝手に付けた名前だった。元々、名前は無かったらしいから、良いのかも知れないが……名前が無い?ミルルは、不思議に思ったけれど、兄はそれらの質問を完全に無視した。

 名前の由来は聞けた。頭の耳が可愛いティアラに見えたと言うのだから、ミルルからすれば兄が一目で彼女を気に入ったのが良く分かった。……単なるノロケだった。肝心な事は、何も教えてくれなかった。

 そもそもエスライン大神殿を頼ったのも、ティアラの事があったからなのは分かった。……大神官は獣耳が見たかったのだと言う事も、ミルルは納得した。

 話の出来ない相手と、どうやって気持ちを通い合わせたのかはよく分からないけれど、兄はティアラを他人の手に委ねず、自分の家族に迎える事にした。

 いつも余裕で何でもこなしてしまう兄は、ミルルの自慢だった。その兄が、得体の知れないケモミミ女性と結婚してしまうと言うのは、本当はちょっと面白くない。

 けれど、ティアラは文句なしの美人だ。見惚れる程綺麗だ。それなのに獣耳と言う異端で、音はちゃんと聞こえるのに、口が利けないと言う悲しい状態だ。そんな女性を虐めたら兄に嫌われてしまう。だから笑顔で祝福をした。ただ、滞在中、空いている兄の反対側の隣をいつも自分の指定席にする事だけは譲らないと決めた。

 そんな兄は、ミルルを酷く心配していた。

 絶対にエスライン国王の言う事を聞いてはいけない。結婚式が終わったらすぐ帰る事。約束なんかしても、あっちは絶対に破って来るからと。

 ミルルは家族の言葉を絶対的に信頼しているので、その通りにしようと思った。だが、そんな悪い人には見えないと言うと、それが曲者なのだとアルカは言った。悪意の無い善意の押し付けだとか、頭まで筋肉で出来ているとか言っていったが、ミルルにはよく分からなかった。ミルルはまだ子供だし、今の状態を受け入れるので精一杯だったのだ。

 そして、結婚式は行われた。

 王子様とお姫様の様な大々的な挙式に、ミルルは驚いた。確かに国王の甥ではあるけれど、アルカは王族では無い。しかも、新婦はケモミミだ。何故こんな事になっているのか、結婚する当事者も、出席した家族であるミルルも全く理解していない。……ミルルではなく、両親が来ていたら、この状況は阻止されていた筈だ。狙いはここにあったのだと、若い兄と子供の妹は後で気づいたのだった。

 一体誰の結婚式なのか分からないが、国王主催でありながら、夫婦の素性が全く不明と言う大規模結婚式の開催に、エスライン王国の有力者が、大勢集まって来ていた。完全な晒し者状態だ。ティアラの耳がヴェールで隠されているものの、見られたら大変だと新郎も新婦も強張った表情で立ち尽くしている。

 満足そうな国王と王太子。頭痛がすると言う様に眉間に指を押し当てている王妃。結婚するのが何者なのか分からないから、ヒソヒソする参列者達。呑気に式を取り仕切る大神官。

 ミルルは未だかつてない異様な空間に立ち尽くしていた。子供でも分かる異様さ。これはおかしい!けれど、言えない。一言でも何か言ったら、世界が崩壊しそうなこの空気。結婚式ってこんな感じなの?いや、絶対に違う。違う筈。……そして、一番幸せな筈の新郎新婦にとって、拷問の様な悪夢の結婚式は無事に終了した。

 懇意にしているエルハント商会の護衛と共に挨拶もせず、新郎新婦もミルルも、式用の礼服のまま、早々に馬車で出発した。誰も、一言も言葉を発しなかった。

 前にはミルルの馬車、後ろには、兄とティアラの乗った馬車が続いている。まるで夜逃げ状態だ。しかし、異様な空気から解放されて、ミルルはほっと息を吐いた。

「国王様に挨拶しなくて良かったの?」

 護衛のクロウがすぐに否定した。クロウは、ミルルの父が懇意にしている男で、四十代のマッチョだ。元はエスライン王国の王宮騎士で、引退した後、父の伝手でエルハント商会の護衛をしている人だ。

「ミルル、気にしなくていいよ。と言うか、気にしたら負け」

 冗談めかして言っているが、クロウからピリピリとした緊張感が漂っている。式は終わったのに、まだ終わりでは無いらしい。ミルルはじわじわと不安になってきていた。

 そして、アルカやクロウの言葉が、本当だと分かったのは、暫くしてからだった。

「スピードをあげろ!」

 クロウの声と共に、馬車のスピードがあがったので背後を見ると、翼のあるエスライン国王と王太子が、本当に空を飛んで追いかけて来ていたのだ。翼は飾りでは無く、本当に空を飛べる代物だったのだ。

「ミルルを守れ!」

「人聞きの悪い事言ってないで、もう少しここに居ればいいじゃないか」

 飛びながら話す国王は、半天……天使の末裔で、背中に翼を持っているだけでなく、鋼鉄の様な筋肉で覆われたマッチョだ。王太子も同じくマッチョだ。……翼のあるマッチョが二人、飛んでいる。

 クロウが容赦無く、馬車の窓から投げナイフを国王の顔面目掛けて投げたが、顔に命中しても刺さらず、何処かに行ってしまった。マッチョと刃物通らないの、全然関係ない!何でそんなにマッチョなのよ!ミルルは青ざめてパニックのまま、心の中で叫んだ。

 クロウは、持っている限りのナイフを投げ続ける。国王は笑顔で避けようともしない。

 国王様で、親戚で……敵?化け物?

 混乱してそんな様子を見ながら、ミルルは意識が遠のきそうになるのを何とか我慢する。気絶したら、終わりな気がしたのだ。

「こんなのに勝てるかぁ!くそったれ!」

 クロウは、ナイフが無くなって、入れていた小袋を国王に投げつけながらヤケになって叫んだ。

「国王に、くそったれはどうかと思うよ?」

 小袋も空しく何処かに行ってしまい、国王はニコニコして言った。

 クロウもミルルも全く不敬罪とか考えない。恐れ多いよりも……怖い。

「悪いけど、俺は騎士を辞めた時に、半天信仰捨てたんで、あんたが化け物にしか見えません」

 クロウが青ざめながら、吐き捨てる様に言っている。……ミルルに注意を向けない様に、クロウは命がけで時間稼ぎをしているのだ。

 ミルルは息を潜めて様子を見る事しか出来ない。こちらが何かをすれば、クロウのしてくれている事が無意味になってしまう。ミルルにはそれだけが分かった。

 しかし苦戦も空しく、クロウと国王の対話も途絶え、投げつけられるものが無くなってしまった。……すると突然、国王が馬車の中に手を突っ込んで、ミルルを引っ張り出そうとしたのだ。

「ミルル!」

 クロウが必死に腕を止めようとするが、全く歯が立たない。

 ゆっくりと、それでいて隙の無い動きで国王の手がミルルに触れた。

「ミルル、叔父さんの所においで」

 途端、バリっと音がして、肩の部分が破れる。国王の手がむしり取って行ったのだ。

「おっと、目測を誤った」

 ミルルは頭の中が真っ白になって、固まってしまった。

「しっかりしろ、反対側へ!」

 あまりの恐怖に、紙の様に白くなっているミルルにクロウは指示を出し、自分の背後に庇う。

 すると、今度は反対側の窓から手が伸びて来た。王太子だ。

 兄とほぼ同年代の王太子はいい笑顔で手を差し出してくる。……凄い勢いで飛びながら。

 ミルルの見開いた目には、伸ばされる手が映っていた。

「従妹殿、こちらへ」

 そして、反対側の袖も破れ、服は服として意味をなさない状態になってしまった。しかも王太子の掴んだ方の肩には、赤い指の後が残っている。痛い筈なのに、恐怖が先行して痛みを感じない。

 その瞬間、心が決壊して、ミルルから人の声とは思えない音が溢れ出した。何処から出ているのか、どうやって出しているのか、ミルル自身でも分からない音が出ていた気がする。……発狂すると言うのはこういう事なのだと、後のミルルは知る事になる。

 前の馬車から洩れた音を聞いてか、アルカが後の馬車から身を乗り出した。

 そして怒鳴る。

「叔父さん、ミルルに何かしたら、母さんは二度とエスラインに来ませんよ!」

 国王が失速する。そう言えばミルルは、母にとても似ている。そのせいで執着されていたらしいが、母には負けるらしい。

「レイノス!てめぇ、妹に手出ししたら、二度と会いに来ないからな!」

 王太子も失速する。レイノスとは王太子の名前だ。どうやら、アルカと友達になったらしい。

「アルカ、もっと早く助けてくれよ……死ぬかと思った。おい、ミルル、ミルル!」

 こうしてエスライン王族は無事に撃退されたかに見えたが、彼らは立ち直りが早いので、急いだ方が良い。状況は変わらない。だから、おかしな音を出続けるミルルをとにかく上着でくるみ、クロウは抱きしめてそのまま馬車を進め続ける事になった。

 ここで、せめて身内であるアルカの馬車にミルル乗せ換えていたら、多少は落ち着いたのかも知れないが、そんな判断も余裕も無かったのだ。

 こうして、馬車は手配していた宿で、頻繁に馬を代えながら進んで、エスライン王国を一晩で脱出したのだった。エスライン王国は道の舗装がいい上に町が多い。だから出来る荒業だった。

 ミルルからの音は暫くして止まったが、ミルルはクロウの声かけに一切反応せず、一睡もしなかった。……聞こえていなかったのだ。

「国境が一番近い場所を選んだんだが、バルトーは……今この辺だから、ここからだと、ミルルを送るのは遠回りだ」

 クロウの声がする。ぼんやりと思ったのは、翌朝の事だった。

「ああ、そうだな。俺とティアラはこのまま北に行くけど、ミルルを預けても大丈夫か?」

 兄の声も聞こえる。……ああ、ここでお別れなんだ。それも何だか感情が伴わない。ぼんやりと思うだけだ。

 ミルルは、兄とクロウの声を聞きながら、今までどうしていたのか、朧気ながら思い出す。

 二人は、ミルルの替えの服が無いので、国外に出たら調達する話や、肩の怪我の具合の事なども話している。そうだ、叔父さんと従兄に拉致されそうになったんだっけ……。

 確か、兄も一年くらいエスライン王国に居て会えなかった。あそこで馬車から引きずり出されたら、自分はどうなっていたんだろう?お父さんにもお母さんにも、会えなくなってた?体がガクガクと震え始める。

 すると、人の気配がした。気づけば、細い腕に抱きしめられていた。いい匂いもする。ピコピコと揺れるケモミミを見て、誰か分かった。ティアラだ。

 多分、アルカよりも年上だ。綺麗な人だと思ったけれど、恐怖体験の後のせいか、まるで女神様の様だった。

「ティアラさん」

 何?と言う様に、小首を傾げる姿が綺麗なのに可愛い。耳がまっすぐこちらを向いている。

「王様達がああ言う人達だって知っていたの?」

 ティアラは少し困った顔をしてから、小さく頷いた。

 アルカは話してくれないが、聞こえるのに話せないのは変な事だと思う。いつも首にチョーカーを巻いているのもそのせいだろう。……生まれつき声が出ないと言う訳ではないのだろう。

 ティアラは、ミルルの手に自分の手をそっと重ねて笑った。何となく、もう大丈夫だと言っている気がする。更に頭をなでなでされて、ミルルはようやく感情が心にストンと落ちた気がした。

 目から一気に涙が溢れ出た。

「怖かったよ~」

 抱きつくと、ティアラはミルルを抱きしめて、頭を更になでなでしてくれた。

 本当に怖い体験だったけれど、兄が良いお嫁さんをもらったのは嬉しかった。お兄ちゃんを取られた気がして、二人きりになるのを邪魔してごめんなさい。もっと、あなたとお茶したりすれば良かった。文字も書けるのだから、手紙でお話すれば良かった。そう途切れ途切れに言いながら抱き着くと、ティアラは優しく笑って首を横に振ると、泣き止むまでずっと側に居てくれた。

 それが、ミルル史上最も恐ろしい経験の、ちょっとだけ良かった結末だった。


「ティアラさん……ごめんなさい」

 ミル『カ』・ロッソは十二歳の悪夢を久々に見て目を覚ました。気持ち悪い汗をびっしょりかいている。

 この夢を見る時には、決まって良くないことが起こる。十八歳になった彼女にとって、この夢はある種の予知夢である。

 結婚式の後、精神的なものなのか痩せてしまい、頭に小さな脱毛が数か所見られた。娘を酷く心配した両親は、神殿に密かに神託を依頼した。

 結果、『ミルル』と名付けられた名前を捨て去り、新たに『ミルカ』と言う名前にし、襲われたのは別人だと思い込ませて過ごさせる様にとの答えが返って来た。

 両親はその通りにした。お前はミルカ・ロッソだ。ミルル・ロッソは翼の怪物とどっかに行ってしまった。もう居ない。両親は繰り返しそう言う事で、ミルルに暗示をかけた。

 神託による助言は的確だったらしく、ミルル改め、ミルカは健康を取り戻していった。

 二年程するとすっかり回復し、ミルルとミルカの境界は失われ、終わった過去としてミルカはミルルの存在を受け入れる様になった。しかし、自分をミルルに戻すのは怖かったので、そのままミルカと名乗っている。両親もそれでいいと言ってくれた。

 そんな経緯もあって、アルカが独り立ちした十五歳を過ぎても、ミルカは両親の元で年の離れた妹の世話をしながら暮らしていた。

 しかし、その妹もだいぶ手がかからなくなったと言う事で、独り立ちする事になった。

 女の場合、嫁に行くのが家族との別れである事が多いのだが、ミルカの場合は、そうならなかった。恋人が出来なかったのだ。

 これはミルカにとって結構な死活問題だった。ロッソ家の人間は普通ではないのだ。

 普通じゃない、の意味が、王家と親戚関係にあると言う意味で無い事は、自分でも良く分かっている。

 かつて、天使の魂のかけらを持った聖者がこの地上世界には大勢居た。彼らは悪魔の手下である半魔を倒せる勇者を生み出す存在だったが、悪魔によって彼らはことごとく囚われ、滅びてしまった。

 地上は悪魔の手下である半魔が大量発生する異常事態となっていた。

 そこで神様が新たに世界に送り出した聖者と言うのが、ミルカの母親で、ミルカはその娘と言う事になる。

 聖女であった母と、その力を分け合った勇者の父は、二人で一つの力を使う事で安定している。しかし、その子供世代であるアルカ、ミルカ、リルカは、力を持っていながらうまく制御できない。

 聖勇者とエスライン神殿の大神官が名付けたミルカ達、第二世代は、内包する力が聖者と勇者の両方で非常に大きい為、両親の様に伴侶を得て、その力を分け与えるまで安定しない可能性を示唆された。

 アルカもミルカも、両親と違って一人で半魔を狩れる。しかし、狩った際に酷い状態に陥ってしまう。……暫くは、使い物にならないのだ。

 兄であるアルカは、伴侶のティアラを得て力が確かに安定した。良い事だった。

 ……ただ、アルカの家系で生まれる子供は、男女を問わず、代々獣耳になると決まってしまったそうだ。この不吉な予言は、ロッソ家では大変不評だったが……神様の決めた事らしいので、どうにも出来ない。

 神様と言うのは、たまに地上の人間に話しかけるのだとか。それを天啓と言うそうで、父も母も兄も聞いたと言う。

 そんな事もあって、兄の家系の不幸と同じ事を想定し、両親はミルカには絶対に、不必要なものが付いていない伴侶を探すように言った。

 不必要なもの。それはティアラの獣耳だったり、エスライン王族の翼だったりするのだが、王族に怖い目に遭わされたミルカは、両親に勿論賛成したし、絶対にそうしようと思った。

 ティアラには申し訳ないけれど、確かに聖勇者の一族が目立つと言うのはいただけない。

 こっそり半魔を狩るのが仕事な訳だから、アルカはどうするつもりなのかと思う。

 一昨年生まれたアルカの子供は双子で、女の子二人だった。可愛い女の子達で、獣耳もよく似合う。……天啓は見事に的中していた。この子達の子供も獣耳なのだと考えたらしく、父も兄も、可愛いのでデレデレしつつ、眉間に深い皺を寄せると言う変な顔をしていた。

 兄は帽子を被せた幼い双子を連れ歩きながら、結構苦労しているらしい。

 子供はかわいいと思う。力の安定の為にも、素敵な旦那様が欲しい。

 ミルカは、そう思いながらも恋を知らないままだった。

 十二歳の恐怖体験以来、彼女はおしゃれを恐怖の象徴に据えたのだ。

 可愛いドレス、化粧、装飾品。それら全てを施した状態で初めて人前に出たのが、あの時だったのだ。女らしくする事で、あの恐怖が蘇る気がしたのだ。

 軽装備の皮鎧にダボダボのズボン。化粧もしない。装飾品を付けない。そういう姿になってしまったのだ。

 この服装に、両親も兄も良い顔をしなかった。もっと違う恰好をする様にすすめられたけれど、結局この恰好を止められなかった。

 自分でも可愛くないと思う。けれど、落ち着く恰好をするとこうなってしまうのだ。

 しかもミルカは強い。半魔を狩る聖勇者として、元騎士の父にがっつりと鍛え上げられたから。

 男が守りたいと思う要素はゼロだろう。

 更に、華奢で愛らしい顔をしている母に、顔立ちだけ似ているものの、がっしりしていて背が高くなってしまったのだ。

 背が伸びるにつれ、愛らしさは失われ、鍛え上げられた肉体では、男の庇護欲をそそらない。しかも、眼差しは父に似て鋭い。

 両親は、自分達のそれぞれ良い所を取った美人だと言ってくれるが、全然そんな気がしない。

 十二歳の頃は、こんなになってしまうとは思ってもみなかった。あの頃の自分は、可愛かったのにと思う。あれからすっかり変わってしまった。ミルル・ロッソはかわいい少女だったが、背の高い、ダサくて可愛げの無い女剣士。それがミルカ・ロッソだった。

 ここ最近、聖勇者として仕事を依頼されて留まっているのは、エルハント商会から仕入れた雑貨を扱っている店だった。

 フランシーヌと言う年齢不詳の美女が店主なのだが、とても人気の高い店だ。

 ミルカは、ここの護衛をしたくない。本気で嫌だと思っている。

 何故なら、イチャイチャカップルや、綺麗に着飾った娘を口説く若い男性が頻繁に出入りしているからだ。……女性向けの贈り物などが主な取引商品なのだ。

 彼らはミルカに見向きもしない。まるで景色と同じ扱いである。女性だとも思っていない可能性がある。

 そして、美貌の店主、フランシーヌ。彼女の周囲には、いつも信奉者とおぼしき男性が群がっている。

 見ていると、何故かとてもイライラしてくるのだ。これが同性に嫉妬する不細工と言うものなのかも知れないが、本当に嫌な気分だった。

 しかし、ここを離れる訳にはいかない。何故ならフランシーヌは、本当に半魔に狙われているらしいのだ。

 その美しさ故なのか、半魔は幾度も現れて、フランシーヌを攫おうとしたらしい。

 過去には、両親が成敗していたらしい。アルカも護衛をしていた時期があるとか。それで、今回はミルカに依頼が来たのだ。

 そんなに長い間、半魔に狙われるフランシーヌは謎の人だ。

 確かに美しい。ちょっと人間離れしている気もする。年齢もよく分からないし。

 ミルカは、あまりフランシーヌには関わらない事にしていた。何だか嫌な予感がするのだ。そう、物凄くいやな予感が。

 気のせいだと思いたいが、たまに視線を感じるのだ。フランシーヌから強い視線を。……背筋がぞくっとするので、悪意があるのではないかと思うのだが、頭上を見てみるが、クラウンが見えない。

 聖勇者は、人の抱いている悪意や殺意を、黒い色の王冠の様な形で視覚的に見る事が出来る。しかも、それに干渉する事も可能なのだ。

 ロッソ家では、それをクラウンと呼んでいるが、基本的には、ただ黒いだけのクラウンは放置している。……際限が無くなってしまうからだ。

 殺意の様に、人を害してしまう様な強い害意だけは見えたら干渉して破壊すると言うのが、現在のロッソ家のルールだ。殺意がある場合、黒いクラウンから黒い霧が出ているのですぐ分かる。

 半魔は、クラウンどころか、真っ黒になって姿が見えない程の霧に覆われている。聖勇者は、これを見て半魔を特定して狩っているのだ。

 アルカやミルカが生まれる前、両親は黒いクラウンを見つけると破壊していた様だが、すぐに止めたのだそうだ。……単に疲れただけだったかららしい。永遠に終わらない気がしたのだとか。

 人参が嫌いで、人参入りのシチューの皿を見ている人の頭にうっすらとクラウンが出ているのを見た事のあるミルカとしても全く異論はない。

 そんな基準で見張っている訳だが、雑貨屋に殺意を持った者も今の所は現れず、凄く平和だ。妹も居るし、平和なこの場所の護衛を両親に代わって欲しいと頼む手紙を何度も出しているのだが、何故か返事が来ない。

 そして今朝、最悪の事が起こる時に見る、兄の結婚式の夢を見た。

 今日は何かある……。嫌な感覚のまま、ミルカは部屋を出たのだった。

 エルハント商会加盟の宿屋の食堂で、食を取っていると、朝から見たくない人物の一人が近づいて来るのが分かった。

 フランシーヌの信奉者の中でも金持ちで貴族の男だ。確か名前はナシアス伯爵だった筈だ。

 ナシアスはご機嫌だった。

「やあ、ミルカさん、気持ちのいい朝だね」

「はぁ」

 一気に清々しくなくなったんですが。

「実は君に頼みがある」

「何でしょう?」

「フランシーヌの屋敷は小さいのだが、警備が万全とは言い難い」

 じゃあ、あなたがご自分の私兵を使って護衛すればいいじゃないですか。と言おうとしたが、言わせてもらえなかった。

 口を開くと、すぐに手を前に出して止められたのだ。

「ああ!君の言いたい事は分かるよ。私も自分の力で守りたい。けれどね。フランシーヌは美しすぎるんだよ」

 何が言いたいのか、要点を言え!腹を立てながら、ミルカが持っていたスプーンをスープ皿に置くと、ナシアスは続けた。

「私の雇った兵士が、フランシーヌを襲うかも知れない。それを考えると、君にしか頼めないんだよ」

「つまり、私は女だからフランシーヌさんの護衛にうってつけだと言いたいのですか?」

「そう!そうなんだよ」

「父も兄もフランシーヌさんの護衛はしていましたが、何もありませんでしたよ」

「それは君の家族が紳士的だからだよ!どこにケダモノが隠れているか分からないからね」

 ケダモノはあなたですよ。伯爵。

「とにかく、今日からフランシーヌの屋敷に移り住んでくれないか。金なら、言い値を出す」

 とりあえず断らなくては。ミルカは速攻で言い返した。

「お金の問題では無いんです。困ります。住所が変わると手紙が受け取れません」

「エルハント商会には話を付けておくから。それにフランシーヌだってエルハント商会の加盟店の店主だ。大丈夫」

「父に話をしないと。勝手に嫁入り前の娘が違う場所に住むなんて叱られます」

 絶対にそんな事は無いのだが、今はそういう事にしておく。

「まぁ、そう言わずに。相手は同じ未婚の女性じゃないか。心配せずに住み込んでくれないか」

「そもそも、フランシーヌさんから話を聞いていないので何とも言えません」

 ミルカがそう言い返すと、ナシアスはそのまま考え込む。

「じゃあ、フランシーヌ本人から頼まれれば、屋敷に住み込んでくれるんだね?」

「話は聞きますよ。とりあえず伯爵からの話だけで了承していい事じゃありませんので、それだけです」

「君の言う事は最もだ」

 ナシアスはそう言うと、そのまま去って行った。

 ほっとして食事を再開すると、厨房から世話になっている宿のおばさんが出て来た。

「ミルカさん、どうなさいました?」

 さっきの話をすると、おばさんは苦笑した。

「フランシーヌさん本人はそんなに悪い人じゃありませんよ。エルハント商会では、フランシーヌさんを小さい頃から知っていますから」

「え?そうなんですか?」

「ええ、お母さんの代から雑貨屋さんで、お母さんも半魔によく狙われていましたから。半魔絡みで店を移してもらう事も何度もありました。ここ何年かは、こちらにお住まいですが……辛くても、大人しく言う事を聞くお人形の様なお嬢さんでしたね」

 定住出来ない辛さは分かる……。ミルカも旅をしながら成長した。町に居られない絶望は、幼い頃には堪えた。

「フランシーヌさんのご両親は?」

「お亡くなりになられています。お父さんは居ませんでしたね。お母さんはまだお若かったのに酷くやつれて亡くなられました……。ここぞとばかりに引き取ると言う男性が居ましたが、フランシーヌさんは全部断られてしまいました」

 全然モテないミルカにとっては羨ましい話だ。しかし、ずっと半魔に狙われていたのなら、当然の対応とも言える。うっかり半魔と結婚しても困るし、半魔に伴侶や子供が殺される可能性もある。フランシーヌの母親の死因も何となくその辺の事情が関係しているに違いない。

「半魔に狙われている事を除けば、フランシーヌさんに怪しい所は無いって事ですよね?」

 ミルカは最終確認をすべく、恐る恐る聞く。

「ええ、確か今年で二十五歳でしたかね。お母さんのやっていたお店を引き継いで……一人で立派に切り盛りされていますよ。男のあしらいもお上手ですし、半魔に狙われる以外は特に問題も起こさない、優良な商人ですよ」

「ふぅん」

 まぁ、フランシーヌ自ら一緒に住んでくれ、なんて話、してくるとは思えない。そもそも護衛についてから一か月になるけれど、全然話なんてしていない。

 もうここの護衛をして三日くらいでミルカは両親に手紙を書いた。ここの護衛を辞めたいと。男に取り囲まれた美女を見ていると、イライラする上に、酷く惨めだから。

 護衛対象なので見ていなくてはならない。いつもは誰であろうと平気だったのに、フランシーヌはとにかく嫌だったのだ。

 絶対一緒に住むなんて無理!などと思いながら、身支度をしていつも通りフランシーヌの雑貨屋に向かった。

 フランシーヌは、今日は淡い黄色のドレスで雑貨屋の中を動き回っていた。

 木箱から何やら出して店の中に飾っている。

 二十五歳か。思っていたよりも若いなぁと思う。妖艶な部分もあるので、もっと年上なのかと思っていた。

 動きは上品で優雅だ。決してドレスが翻らない様に動いている。ああいう女性らしい動きに、男は弱いのだろう。

 両親は、エスライン王国で暮らしていただけあって、優雅な所作と言うのを一通りやってのける。

 だから、貴族相手でも物怖じしないし、晩餐会やパーティなども必要なら出席する。

 けれど、ミルカはそう言うものを一切拒否した。十二歳のあの日以来きらびやかな世界は怖いと言う認識になってしまったのだ。

 ドレスも着なくなって、ズボンばかりはく様になった。かれこれ六年、スカートをはいていない。

 それでも、フランシーヌの様になりたいとは思わなかった。彼女は決して善人ではないからだ。見る限りでは、群がって来る男を……上手く使っている気がする。

 先日も、男共にこれが流行ると言って、青い小鳥のブローチやネックレス、髪飾りなどを見せていた。

 そして、一週間も経たない内に、町の若い娘から年配のご婦人まで、青い小鳥のアクセサリーだらけになったのだ。

 金を搾り取っておきながら、男達にお預け状態を続けさせるテクニックは凄いものがある。商人としては一流なのだろう。しかし、モテない女からすれば、明らかに酷い女である。何故、商才も美貌もあんな女に与えてしまうのだ!と、ミルカは理不尽さに身もだえする。

 私は一人だけでいいのに、何故誰も見向きもしないんだ。誰も選ばない女に男が群がっているなんて、世の中おかしい。

 イライラと考え込んでいると、店の扉が開く音がした。

 顔を上げると、フランシーヌがこちらに歩いて来ていた。

「ミルカちゃん」

 鈴を転がすような声でそう言われると、何故か背筋がぞっとする。

「な、何でしょう?」

 いつ見ても美しい銀色の真っ直ぐでサラサラな髪。深い青の瞳。

 元の素材からして、全く勝負にならない……。神様はどうしてこんなに不公平なのか。

「これ、あげるわ」

 そう言って手渡されたのは、小さな花がモチーフになった銀色のイヤリングだった。

 彼女の店で扱っているものよりも数段地味で、客受けの良さそうな品では無い。

 アクセサリーに強い拒否感情を持っているミルカにすれば、珍しく好印象な品だが。

 迷わず突き返す。

「私、こういうの付けないので」

「いいから。……あ、付けてあげる」

 普通の笑顔だと思うのに、何故か、にやあと薄ら笑いを浮かべている様に見える。まずいかも知れない。

「え?ちょっと、待ってください」

「形のいい耳ね」

 フランシーヌはそう言うと、有無を言わさず、ミルカの耳に触れて来た。

 払いのける事は出来たし、逃げられたと思う。けれど人の手前、あまり極端な反応をしたくなかったので、手を握りしめて体を強張らせて動きを止める。

 親切な雑貨屋の女性を、護衛の女が突き飛ばしたなんて事にはなりたくない。……美人は何をしても有利だと思う。

 アクセサリーは地味で良かったと本当に思う。もしこれが宝石のあしらわれた物だったり、彩色の施された物だったら、突き飛ばして逃げ出していた筈だから。

 くすぐったくて思わず首を竦めると、くすっと笑う声がした。

 フランシーヌは案外背が高い。初めての顔合わせの際にも思ったけれど、女としても大柄なミルカより少し高いかも知れない。

「フランシーヌさん、背が高いですね」

「……ヒールを履けば、あなたももっと高くなるわよ」

 そう言いながら耳にイヤリングを付け終わったフランシーヌは満足そうに言った。

「可愛い。良く似合うわ」

「おいくらですか?お金を……」

「いいのよ、あげる。あなたには、私の家に住んでもらうなんて、我が儘を聞いてもらうんだから」

「へ?」

「ナシアス伯爵から、私からお願いすれば大丈夫だって聞いたんだけど、ダメかしら?」

「あの、伯爵が勝手にフランシーヌさんを守りたいだけなのでは?」

「違うわ」

 フランシーヌは深刻な表情になった。

「実は、夜に屋敷に人が入ってこようとするのよ。どうやら下着を狙っているみたいで」

 下着泥棒……。聞いた事はあるが実在するとは。庶民的過ぎる犯罪にはあまり関わらないので、よく知らない。

「それで、是非とも女性で腕の立つ人に屋敷に来て欲しいのよ」

 確かにそれは男性には頼み辛いだろう。

「屋敷に来ている家政婦さんは夜には帰ってしまうし、心細くって……お願い。ミルカちゃんなら捕まえてくれるでしょ?」

「まぁ、そういう話なら」

「良かった。伯爵には、泥棒の事は言ったけれど、下着の話は内緒にしてあるの。お願い、黙っておいてね」

「分かりました」

 フランシーヌはそれだけ言うと、また店の中に引っ込んでしまった。そして、はっと気づく。……丸め込まれた。

 完全にフランシーヌのペースに巻き込まれてしまった。

 事情が事情なだけに仕方ない。ミルルはフランシーヌの屋敷に移る事になったのだった。


 夕方、フランシーヌの家に行く前に、宿で風呂に入っている最中、イヤリングを付けたままだった事に気づいた。

 せっかくのアクセサリーを無くしたくなくて、慌てて取ろうとしたけれど、イヤリングは取れなかった。

 濡れているせいかも知れないので、頭を拭いてから、再度取ろうとする。しかし、イヤリングは取れない。

 鏡でじっと観察する。詳しくないので分からないが銀製だろうか?金具も特に複雑では無く、普通に見える。

 金具を止めたのはフランシーヌだ。特殊なものだったのかも知れない。聞いてみなくては。

 ミルカは早速荷物をまとめると、フランシーヌの所に行く事にした。

 町の外れにある小さな屋敷が、フランシーヌの住処だった。庭の花壇には花が植えられていて、綺麗に低木が刈り込まれている。

 すぐに玄関に辿り着き、ドアをノックする。

「こんばんは」

 声をかけると、おばあさんが出て来た。

「今日からこちらに住まれる方ですね」

「はい。ミルカ・ロッソと言います」

「私はこの家の家政婦をしているマーサ・ケイトンと言います。ちょうど今から帰る所でしたのよ」

 マーサは手に籠を下げて玄関から出て来た。

「では、私は帰りますね。お食事は二人分ご用意してありますので」

「ありがとうございます」

 マーサはそれだけ言って帰って行った。

 扉を開けると、中は静まり返っていた。フランシーヌはまだ帰っていないらしい。

 雑貨屋を出ていくのは見たので、どこかに寄っているのかも知れない。

 暫く玄関で待ったけれど、帰って来ないので、家に入る事にした。

「おじゃまします……」

 一応声をかけて、中に入る。

 パタンと扉が閉まると同時に、屋敷の奥から不満そうな声が聞こえて来た。

 ……男の声だ。

「遅い!」

 見上げると二階から黒いロングコートを着た男が階段を下りてくる所だった。

「泥棒?」

 ミルカが呟くと、男の眉間に皺が寄った。

「こんな格好良い泥棒が居るか!」

 自分で言うんだ。確かに格好いいね。

 ミルカは嫌味混じりに思ったけれど、そのまま剣に手をかけて男を見据えた。

「下着泥棒?」

「もっと悪い!二度と言うな」

「じゃあ、誰ですか?」

 ミルカは再度問いかける。

 すると、蔑む様な表情で男は言った。

「分からないとは。聖勇者など、大した事無いのだな」

 聖勇者って、何で知ってるの?なんて言ったら、自ら正体をばらす事になるので絶対に言わない。これ基本。誘導尋問には引っかからない。

 けれど腹が立つ。どっかで見た様な気がするのだが、どうしても分からない。

 髪の毛はサラサラの銀色、瞳が深い青。この色合いだとフランシーヌと同じなのだが。

 そこで、あ!と納得する。そこで剣から自然に手が離れた。

「フランシーヌさんの御兄弟ですか?」

 男は黙ったまま口をへの字にした。凄く不満そうだ。

「どうかしました?お兄さん」

「兄ではない」

「じゃあ、弟さん?」

「違う!」

 男は、階段を下りて来た。

 綺麗ではあるが、何だか偉そうな男である。嫌な感じだが、ミルカはあえて丁寧に言った。こういうタイプは、機嫌を損ねると、後々厄介だから。

「何にしても、私がこの家に住む必要は無さそうですね。じゃあ、私はこれで……」

 じりじりとさがって行くミルカを男が呼び止める。

「待て」

「でも今日はあなたがフランシーヌさんと一緒に居るんですよね?」

「ちょっと、待て」

「いえいえ、お構いなく」

 ミルカはドアを背にして立つ。

「待て。ミルカ・ロッソ」

 扉を開けたいのに、手が動かない。

「ここまで言わないとダメか。さすが聖勇者と言うべきか」

「何のお話でしょう?」

「追々話してやる。来い」

 男の言葉に、ミルカは大人しく従う。

「フランシーヌさんは?」

 男は完全に無視して屋敷の奥へ向かっていく。これは……フランシーヌは既にこの世に居ないパターン?いやいや、そんな筈は。さっきマーサは普通だった。

 そんな事をミルカが考えている内に、奥に辿り着いた。そこは食堂になっていて、食事が準備されていた。向かい合わせに二人分。マーサの言った通りだ。

「座れ。そっちだ」

 言われて席に着くと男も席に座る。

「食べろ」

 いちいち命令しないでよ!と思いながら、ミルカは食事を口にする。

 男も食べ始める。

 それ、フランシーヌの分じゃないの?とか思うのだが、何となく聞きづらい。

 男も口を利かないので、ただ食べる。

 食事はごく普通の家庭料理だった。正直、宿の料理の方がおいしい。……ただ、マーサが作ったのが良く分かる感じだった。野菜も肉もクタクタに煮てあるのは、彼女が老人で歯が悪いせいだろう。若者には不向きな超薄味だし。

 食べ終わると、男が食器を片づけてお茶を出してくれた。

「おいしい」

 さわやかなミントのお茶は濃さも絶妙で、とてもおいしかった。食事がおいしくなかった分、際立っていった。

 男は満更でもない様子で、同じお茶を飲んでいる。

「当たり前だ。俺の煎れた茶がまずかったら、客が逃げるからな」

「お店でも開いているんですか?」

「……雑貨屋だ」

「フランシーヌさんと一緒だ」

「俺がフランシーヌだ!」

 ミルカはかなり間抜けた表情をしていたと思う。

「ちょっと、無理があると言うか……」

「お前は聖勇者なのに、法術が見抜けないんだな。バルトーさんもアルカも、俺が男だと分かっていたぞ」

「嘘だぁ。法術ってそんな魔法みたいな……って、もしかして半魔?」

 魔法は、悪魔の手下である半魔にしか使えない。それがロッソ家の認識だ。

 青くなって立ち上がったミルカに自称フランシーヌは言った。

「座れ」

 気付くと、ミルカは大人しく座っていた。男がくすくす笑う。あ、その表情はちょっと見覚えあるかも。

「お前は父親や兄よりも、素直なんだな」

「そんな事よりも、半魔なの?」

「違う。俺が半魔なら、何で半魔に狙われるんだ」

「まぁ……そうね」

「とりあえず聞け」

 自称フランシーヌは続けた。

「昼間の俺は、フランシーヌとして店に出て働いている。法術で女の姿はしているが、実際にはこの通り男だ。本当の名前はフランだ」

「フラン」

 ミルカがそう呟くと、嬉しそうに笑った。

「そうだ。今度からそう呼べ。お前には特別に許す」

 何が特別なのか。相変わらず偉そうだ。その姿でフランシーヌの方が気持ち悪い。だからフランと呼ぶだけだ。

「ところで、法術って何?」

「俺達に代々伝わる能力だ。人に望む姿を見せるまやかしだったり、他にも色々ある」

「フランシーヌさんの姿はまやかしで、あなたが本当って事なの?」

「そうだ。俺の法術には制限があって、日が沈むと効力が一気に弱くなる」

「家政婦さんを返してしまうのは、その姿を見られない為?」

「そうだな」

 聞きたくないが、聞かなくてはなるまい。

 ミルカは勇気を出して聞いた。

「どうして……私には見せたの?」

「お前が聖勇者だからだ。半魔を斬ってくれるのだろう?」

「ええ、まぁ」

「だったら、俺にとっては便利だからな。ずっとここに置いてやる」

「結構です。あなたにばかり構っていられないんです」

 すると、フランは凄く悪い顔で笑った。

「お前さ、何でそんな恰好してるの?」

 そんな恰好。ダボダボの服、野暮ったい皮鎧……確かにそう言われても仕方の無い恰好だとは思う。不格好だから。

 でも、理由なんて教えてやらない。

「……秘密」

「俺がいい女にしてやるよ」

「無理、私、可愛くないから」

「可愛いぞ」

 即答されて、ミルカは聞き間違いかと思ってきょとんとする。

「だから、お前は可愛い」

 聞き慣れない言葉に、周囲を見回す。

「俺とお前しかいない」

「な、何て事言うのよ!そんなにチョロくないんだから」

 耳まで真っ赤になって裏声で叫ぶミルカにフランは噴き出した。

「チョロいだろう。そう言う所も含めて可愛いぞ」

 低い笑い声を聞きながら、ミルカは頭を抱える。何、言ってるの?この人。

「とにかく、半魔は斬るから、宿に返して」

「それはだめだ」

「どうして?」

「夜の方が狙われやすい。俺はゆっくり眠りたいんだ」

「お父さんに手紙書くから、それからにして」

 するとフランは、机の上にパサっと何かを放り投げた。

「あ、私の手紙!」

 今までこの町で書いた、父、バルトー・ロッソ宛の手紙だ。

「悪いが止めさせてもらった」

「どうしてこんな事するのよ!」

「そりゃ、お前に居なくなられたら困るから」

 両親に護衛を交代して欲しいと書いた事まで分かっているらしい。

「人の手紙を読むなんて最低だわ!」

「別に恋文を読んだ訳でもあるまい。そう怒るな」

「帰る!」

 ミルカが立ち上がると、フランはまた強い口調で言った。

「座れ、ミルカ・ロッソ」

 すると、ストンと足から力が抜けて座ってしまった。

「あれ?」

 ミルカは自分が座っている事に驚いて自分を見回す。

 フランは満足そうにミルカを見ている。

「なんで?」

「俺が、昼間にくれてやっただろう」

 何を、と聞く前にはっとして耳に手を当てた。そこには金属の感触がある。

「それは俺が法術を込めて作った。身に着けると決して外せず、俺の命令を聞く、特別な法術装身具だ」

 呪いのアクセサリーだ!そんな物、いらない。ミルカは慌ててイヤリングを引っ張ってみたが、全然外れない。

「耳たぶがちぎれるぞ」

「無くても生きていける!」

 とは言ったものの、凄く痛い。

 ミルカが涙目でようやく諦めると、フランは言った。

「せっかく似合っているのだから、着けておけ。心配しなくても、短い命令しか届かないから」

「最低!」

「何を言おうが、ここには居てもらう」

 とんでも無い事になってしまった。

 呪いのイヤリングをプレゼントされて謎の男と同居しなくてはならなくなってしまった。

 ミルカは思い切りフランを睨みつけた。

 すると、満足そうにフランは笑った。

「お前、チョロいよ。本当にチョロい」

 言うに事欠いてそれか!言わないでよ、今自分でもそう思っているんだから!

 とにかく宿に帰ろうと思ったのに、

「帰るな。ミルカ・ロッソ」

 の一言で、ミルカは帰れなくなってしまった。一室を宛がわれて、腹を立てながら一夜を明かした。ムカムカしてなかなか寝付けなかった。

 フランシーヌもとい、フランの家に泊まった翌朝、起きるとマーサが台所で食事を作っていた。

「おはようございます。マーサさん」

「おはようございます。ミルカさん」

 これが正しい日常会話だと、ミルカはしみじみ思う。

 命令されてただ従う様な関係は、絶対にダメだと思うのだ。

「おはよう。マーサ、ミルカちゃん」

「おはようございます。フランシーヌ様」

「お、おはようございます……」

 振り向くと、そこには絶世の美女が立っていた。今日は淡い青のドレスを着ている。

「おいしそうな匂いね。今日の朝ご飯は何かしら?」

 この美しい声まで偽物かと思うと信じられないが、こちらを見て一瞬だけ、意地の悪い笑みを浮かべたので、昨日の命令男と同一人物だと認識する。

 一体どうなっているのか分からないが、法術と言うのは、凄すぎる気がした。聖勇者より強くない?護衛って必要なの?もしかして、半魔に狙われるのってこれのせい?

 助言が欲しいけれど、どうやってか手紙を止められた挙句、命令されると逆らえない。

 そもそも、何故自分が聖勇者である事が伝わっているのだろう。半魔に対する護衛とは知らされていても、そこまでは伝わっていない筈なのだ。

 エルハント商会でも、かなり極秘の部類に入ると思うのだが、フランは知っていた。

 半魔に対抗できるのは、確かに聖勇者である自分と兄か、勇者の父、聖女の母だけだ。

 過去に父や兄に護衛されていたのだから、その時に知ったのかも知れない。

 まぁ、あのフランシーヌ姿なら、だれでもたらし込んで聞けてしまいそうだ。

 耳たぶを引っ張る。やっぱりイヤリングは取れない。

「あ~~~~もう!」

 ミルカがムカムカして歩いていると、背後から笑い声がした。

「そんな歩き方では殿方が怯えてしまいますわ」

「うるさい、オカマ」

「法術ですわよ。法術」

 あくまでもおっとりと返してくるフラン(女の時でもそう呼ぶことにする)は笑顔のままだ。……目は笑っていないが。

「今日から、私が淑女としての教育をしてあげる」

「そんなのいらない!」

「遠慮しなくていいわよ。それとも、その無粋な皮鎧が好きなのかしら?」

「好きとか嫌いじゃなくて、護衛の嗜み!」

 心を守る為の大切な鎧だと、心の中で叫ぶ。

「バルトーさんもアルカも私服でしたわよ。あの方達より弱いのなら仕方ないわね」

 挑発には乗らない。ミルカはぷいっと顔を横に向ける。

「何とでも言えばいいわ。私は、これを脱がない。絶対にね」

「ああ、胸が無いのね」

「違う!」

 正確に言えば逆だ。どういう遺伝なのか不明だが、ミルカは胸が大きかった。

 大きくなる胸に不安を覚えたのは、妹が生まれて暫く経った頃だ。

 母乳が出るから大きく張っていた母の胸よりも、自分の胸の方が大きくなってきたのだ。

 妹の世話に四苦八苦している上に、胸にコンプレックスを持っている母に相談できず、毎日サラシで巻いていた。

 それも苦しくなって、皮鎧の胸当てで隠すと言う方法を思いついたのだ。

 兄のお古のブラウスを着て、皮鎧を装着すれば、胸の大きさは全く分からない。……不格好ではあるけれど。とにかく、この胸を人に見せるのは嫌だったのだ。

「まぁ、いいわ。今はマーサも居るしね」

 フランはそう言って去って行った。

 あああ、最悪な事しか思い浮かばない。ミルカは頭を抱えてうずくまった。

 マーサの作った食事をして、ミルカはフランと雑貨屋に向かう。すると、待ち構えていた様にナシアスが寄って来た。

「おはよう、フランシーヌ。私の贈り物は受け取ってくれたかい?」

「あら、贈り物って?」

「君の横を進む勇敢な女剣士だよ」

 何時から私は贈り物になったのよ!とりあえず、ギロリとナシアスを睨む。

 ナシアスは一瞬ビクっとしたが、すぐに笑顔になってフランを見つめた。

 見事な騙されっぷりだと思う。

 フランシーヌとは、俺様男、フランが法術と言う得体の知れない術で作り上げた、化けの皮だ。とんでも無く出来の良い。……私も出来るなら、本当はそんな化けの皮が欲しい。そうすれば、男の一人や二人……。

 どうでもいい事に考えが流れたので、はっとしていると、フランが言った。

「お口添え頂いたみたいで感謝いたしますわ」

「君の為なら、何でもやるさ」

 そこで、フランはとっておきの笑顔を見せた。

「ところでナシアス伯爵、奥様のお加減は如何ですか?」

 ミルカはぎょっとしてフランとナシアスを見つめた。

「先日、男の子をご出産になったとか。私もお祝いの品を差し上げたいのですが、何が良いでしょうか?」

「か、家内と知り合いだったのかね?」

「ええ、私はこう見えても一応、ロレンシア公国の爵位を持っていますの」

 ナシアスの顔が真っ青になる。

「奥様、ロレンシアの方ですわよね。昔お見かけした事があって、存じ上げておりましたの。あの方のお父様は確か……」

「用事を思い出したので、失礼するよ」

 ナシアスは、速足で二人の前から消えてしまった。

「あんた、伯爵の奥さんと知り合いなの?」

「そんな訳ないじゃない。嘘」

 ふふんと鼻で笑うフランに、ミルカは呆れた視線を向けた。

「じゃあ、爵位とか」

「そんな物、持ってたら売るわよ」

 うわ、根っからの商売人だよ。この人!

 ミルカを横目に見ながら、フランは言った。

「あの男は、愛人が欲しかったのよ。だから適度な所で追い払うつもりだったの」

「愛人……」

 ミルカは急に悲しくなってしまった。

「奥さん、可哀そう」

「そんな事無いわよ。跡継ぎを産んだのだから、浮気はしても離婚は無いわ。一生食うには困らないのよ」

 その言葉に、ミルカは思わず呟いていた。

「可哀そうな、フラン」

「私の何処が可哀そうなのかしら?」

「お金は頑張ればいくらでも稼げるけれど、買えない物は一杯あるよ」

 お金さえあれば幸せなんて、なんて偏った考え方なのかと思ったら、するりと口から暴言が飛び出ていた。そう、これは暴言だ。

「……何言ってるんだ。お前」

 フランは、綺麗な女の顔で、鈴の様な声だけれど、元の男口調で言う。

「ごめんなさい」

 フランの返事を待たずに、ミルカはそのまま雑貨屋まで先に歩き出した。

 ミルカは自分の言った事を後悔していた。綺麗な理想と言う名の暴言だ。理想通りに生きられるなら、皆苦労しない。

 実際、ミルカは皮鎧を外さないし、ドレスを着ない。女なのだから、そんな物脱いで、ドレスを着ろと言われたら、お前には私の気持ちなど分かるまいと思ってしまう。相手が正しくても従う気にはならない。

 だから、人に意見する権利など無いのだ。心配になり、ちらりと背後を振り返る。

 汚い言葉遣い程度では、法術は解けないらしい、振り返ると、大股で歩けないフランは、しずしずと歩いている。はっきりとこちらを睨んでいる。

 きっと、待てとか言いたいんだろうけれど、さすがに往来でそれも出来まい。

 人を命令で縛るし、お金で物事を判断するし、人を平気で騙すし……とにかく良い所が全く無いと言っても良い。暴言は反省したが、それはそれ、これはこれ。

 心の中で、べーと舌を出す。この程度の仕返しはしないとやっていられなかった。


 あの後、特に話をしなかったフランは朝の話を忘れていると思っていた。よもや夜になって小言を言われるとは思っていなかった。

 ミルカが屋敷に入ると、フランが仁王立ちで待っていた。

「よくも俺を憐れんでくれたなぁ?」

「え!ああ、朝の話?いや、そう言うつもりじゃなくて。ごめんなさいって言ったよ?」

「金で買えない物があるなんて、真顔で言う奴初めて見たわ。それで……愛か?若さか?健康か?生憎、俺のこの性格も生まれつきで買った物じゃない。買い替える気も無い。それがどうした?可哀そうか?おかしいか?それで、お前はそんなに凄いのか?」

 酷く怒っているし、見下げられている。悲しいし、恥かしい。……青臭い理想論を言った事を、心底後悔した。

「お前はその皮鎧を金で買って、金では買えない立派なものを入れているんだろうなぁ……あ?」

「チンピラみたいな話し方しないでよ」

「俺が貴族だろうがチンピラだろうが、お前のご主人様なのは間違いないんだよ!」

「ご主人様って……何よ、それ!」

 フランは目を細めた。そして衝撃の一言を言い放ったのだ。

「脱げ」

 手が動き出す。一生懸命抵抗して腕に力を入れて必死に抵抗する。

「脱げ。ミルカ・ロッソ」

「やだやだやだ!」

 声を出して必死に抵抗するけれど、全く役に立たない。手が、鎧の金具を外していく。

 パチン、パチン……

 自分の意思に反して、慣れた手つきで金具が外されて、皮の胸当てがボトリと床に落ちた。

 目の前で、フランが息を呑むのが聞こえた。

 皮鎧の下から、だぶついたブラウスと供に、ボリュームのある胸がこぼれ落ちたのだ。尻も腰もしまって細いのに、胸だけが大きいと言う大勢にとって理想のスタイルだと言うのに、ミルカはそれを知らない。

 フランは喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。

「すげぇ……マジすげぇ」

「見ないで!」

 ミルカは叫ぶ。腕は、まだ命令を実行中で服を脱ごうとしている。自分の手が、ブラウスのボタンにかかる。

「いや、もうダメ!」

 半泣きのミルカを見て満足したのか、フランは言った。

「じゃあ、俺の言う事聞くか?」

 悔しい……本当は聞きたくない。しかし、このままでは裸になってしまう。

「き、聞く!」

 フランは少し残念そうにしながら、パチンと指を鳴らした。

 すると腕がパタリと落ちて、足からも力が抜けて座り込んでしまった。

 慌てて胸元を両手で覆って、ミルカはフランを睨む。ちゃんと服も下着も着ているのだから、裸ではないのに、裸な気分だった。

「ううう……」

「鎧脱いだだけじゃないか」

 フランは満足そうに落ちている皮鎧を拾い上げた。

「これは俺が預かる」

「返して」

 ミルカが手を伸ばして立ち上がると、フランはそれを高々と持ち上げた。

 フランの方が、やはり少し背が高い。だから届かない。

「やだね。こんな無粋な物いらねぇ」

「私には必要なの」

 必死なミルカの様子を見て、フランは不思議そうにしている。

「ごめん。俺、分かんないわ」

「分かんなくていいから、返して!」

 ミルカは泣きそうになりながら言った。

 フランは、首を傾げてミルカの顔を覗き込んだ。

「なぁ、お前さ、勘違いしてないか?」

 何が勘違いなのだろうか。

「細いのに、胸ばっかり大きくなって、病気じゃないかとか、そういう事考えてないか?」

 何で分かったのだろう。ミルカは驚いてフランを見た。

「図星か。ちゃんと母親居たんだろうに。何で相談しないんだよ」

「お母さん……ぺったんこだったの」

 この言葉で、フランは全てを察したらしい。苦笑して、ミルカの皮の胸当てをくるくると指で回した。

「こんなでかい胸してるのって、太ったおばちゃんくらいだっただろう。母親にも言えなくて困った挙句のこれか?」

 ミルカは素直に頷く。

「あのなぁ、貴族だったら、わざわざお前みたいな体形にする為に、コルセットって言う矯正下着を付けるんだぞ。いい体だ」

「え?そうなの?」

「コルセット無しでその体形って凄い事だぞ」

「どう……凄いの?」

「女に羨ましがられて、男にモテモテ」

 そんな事いきなり言われても、全然そんな気がしない。

「私の事、騙してない?」

 この人すぐ嘘つくしなぁ……。ミルカはくるくる回されている胸当てとフランを交互に見る。

「じゃあ、ドレス着てみろ。すぐ分かるから」

 顔から血の気が引いて行く。

「やだ!ドレスは嫌」

「まさかドレスも胸を気にして着ないのか?」

「ドレスは、違う」

 空飛ぶ叔父さんと従兄、破れたドレス……。

 あまりに非現実的な出来事過ぎて、ドレスのトラウマについては説明できる気がしない。

「とにかく、嫌なものは嫌。絶対に無理」

 フランは暫く考えて、にやっと笑った。

「じゃあさ、とりあえず皮鎧はやめようぜ」

「ええ!」

「ズボンならいいんだろう?もっといい服選んでやるよ。俺の言う事、聞くんだろう?」

 フランはこれでも譲歩していると言いたいらしい。これ以上ごねるとかえって無理難題を言われそうだ。

 相手は命令権を持っている。だったら、うまく取引しないとドレスを着せられてしまう。

 ミルカは悔しさに唇を噛み締めた後言った。

「いやらしい恰好だったら、絶対に許さないから!」

「任せておけ」

 フランは鼻歌混じりに屋敷の一角にある部屋へ入って行った。

 ほっとしていると、その部屋から、ちょいちょいと手招きする手が見える。

 また命令されては困るので、ミルカは部屋に入った。

「わぁ……」

 そこは色の洪水だった。女性用の服が沢山吊るされていたのだ。

「ついでだから、下着もこれに代えろ」

 そう言って、投げ寄越されたのは、薄い滑らかな肌触りの下着だった。着け方は分かるが、サイズが分からず、買った事が無いから名前は知らない。……正真正銘、大人の女性下着だと言う事は分かる。

「これ、どうしたの?」

「雑貨屋の二階は女の衣類もあるんだが、お前は興味ないし、店に入って来ないから知らなかったか」

 そこで聞き流せなくて、ミルカは慌てて言った。

「あんたまさか、女性の裸を見たりしてるの?」

「まぁ、寸法は測る」

 フランシーヌの姿に騙されて、皆この男の前で下着姿になっているのだ。

「変態!痴漢!」

「仕方ないだろう。仕事だ」

「仕方ないって……」

 ミルカが、呆れているのに、気にした様子も無く、フランは奥でがさごそしている。

「俺の母親がやっていた店で、俺は引き継いだんだから仕方ない」

「そもそも、何で女の恰好をしているのよ」

「母親が俺を女として育てたんだ。十五までは、幻術使わずに女の恰好してたし、今更男に戻ったら、あの店では商売が出来ない」

「何でそんな事をあんたのお母さんは……。女の方が狙われるでしょうに」

 フランは、綺麗な顔をしている。男としても少し華奢だと思う。

 すると、フランが奥から出て来た。

「俺の法術は一日中使えない。日没から次の朝まで弱くて使い物にならない」

 前にも、言っていたのを思い出す。

「俺には性別以外にも隠したいものがある」

 フランは凄く悪い顔をしている。あ、やばい。聞いたら逃げられなくなる。

 ミルカは思わず耳に手を当てた。

「何してる?」

「教えなくていい」

「聞こえてるじゃねぇか」

 耳に手を当てていても声が聞こえていると分かると、ミルカは声を出した。

「あーあー、聞こえない。聞こえない」

「お前は子供か!」

 フランはいつも着ているロングコートを脱いだ。そして、くるりと背を向ける。

 一目見て、ミルカは声を出すのを止めた。というか、勝手に声が出なくなった。手も耳から離れてしまった。

 フランは気にした様子も無く、何かを物色している。

「このブラウスとベストなら、ちょっと調整すれば着られる。着てみろ」

 そう言いながら、白いブラウスと濃紺のベストを持ってくる。

「おい、大丈夫か?」

「……大丈夫じゃない」

 フランは少し寂しそうな顔になった。

「さすがの聖勇者も引くか」

「そんな人、世界に何人も居るのね」

 ミルカの言葉に、フランが反応する。

「どういう意味だ」

「何か、余分な物がついている人って意味」

 ミルカの前に居るフランには、ふわんとした巨大なしっぽが付いていたのだ。白いしっぽ。人間に付いているのは初めて見た。

「お前、他にも見た事あるのか?」

 フランが詰め寄って来る。

「エスライン王国の王族」

「あれは鳥だ。俺は獣。系統が違う」

 がっくりしたフランに、ミルカは頷く。

「そうだね」

 でも、ティアラとはまるでセットの様にぴったりだと思う。あの耳とフランのしっぽが一緒になれば、それは見事な獣人間が出来上がる。そこではっとする。……系統が一緒って事?もしかして、同族とか?

 でも、ティアラの事はうかつに口に出来ない。口外を禁止している兄の許可が無いからだ。得体の知れない男に話すべきではない。

「お前は鳥の仲間だったな」

 鳥の仲間……エスラインの王族の事だ。一応親戚ではある。

 フランはミルカに服を渡して、別の物を物色しに奥に行ってしまった。

「お前は聖勇者だから話すんだ」

 そう言いながらフランは言った。

「俺は、旧世代の聖者の子孫だ」

「え!半天なの?」

「違う。記憶や術は受け継いでいるが、ほぼ人間だ。……お前の母親より遥か昔の聖者が、天使の魂を細かく砕いたものを魂に内包していたのは知っているか?」

「知ってる。そのせいで、半魔に狙われて悪魔の生贄にされたって……」

「そうだ。俺は悪魔から逃れて生き残った聖者の末裔って訳だ」

 だから、フランは半魔に狙われるのだ。大きな疑問が一つ消えた。

 フランは自嘲気味に言った。

「お前達の魂は、すごく聖性が高いのに、上手く人間に隠れているよな。アルカもバルトーさんもそうだった」

「見えるの?」

「見える。一応聖者だからな。俺の魂なんて、お前の十分の一も聖性が無いって言うのに、半魔を引き付けてしまう。天使の聖性と、人間用に用意された聖性がこうも違うとは思わなかった」

 ……聖勇者である事は、分からないなりに、魂を見て常人では無い事に気付いていたのだろう。

 そこではっとする。

「クラウン、見えるの?」

「クラウン?」

「感情よ!ほら、頭の上に王冠みたいになって人の感情がどうなっているか、とか」

「見える」

 ミルカは恥ずかしくなって頭の上で手を振った。

「そんなのずっと見えている。今更だろうに。そんなに恥ずかしいか?お前も見えるんだろうが」

 片眉を上げて、おかしな物を見る様な視線を向けてくるので、ミルカは慌てて言った。

「害意しか見えないのよ!他の感情は見えないの!だから、普段の感情なんて見えない」

「ふぅん。聖勇者はそうなっているんだ。それは知らなかった。バルトーさんにもアルカにも、てっきり見られていると思っていた。なんだ、そうだったのか。……そこから男だってばれた訳じゃないんだな。だったら、何からばれたんだろうなぁ」

 一人で納得しながらつぶやくと、再びミルカに背を向けて、服を選り分ける作業を始める。

 しっぽがある、感情が見える。旧時代の聖者の末裔として、フランは敵を作らない様に、商売をしながら性別も偽って暮らしてきたのだ。その部分の事情はよく分かった。

「ところで、あんた、私達が聖勇者だってどこから聞いたのよ」

「普通じゃないのは分かっていたけど、はっきりしたのは、天啓」

「え!神様の声聞いたの?」

「冗談かと思ったが、そうじゃないのはすぐ分かった。出来れば今でも冗談だと思いたい」

 がっくりと落ちた肩がその衝撃を物語っている。

「うちの家族も天啓の経験者が居る。何か……酷いらしいね」

「酷いなんて言葉で言い表せない。悪夢だな」

 寝ている間に神様が一方的に語り掛ける天啓。両親も、かつて天啓を聞いたと言う。解釈が難しい分かり辛い内容を、神様本人が軽い調子で伝えて来ると聞いている。

 ミルカは聞いた事が無いが……天啓と言うのは、誰に対しても酷い内容の様だ。

「神がさ、突然夢に出て来て言ったんだよ。お前は聖勇者だから、正直に話して守ってもらえって」

「それで、今この状態な訳?」

「本当は嫌で抵抗した。でも逆らったせいか、法術が昼間でも弱くなってきて、まずいから従う事にした。でも、俺としては保険をかけておきたかった。旧世代の俺達に代わる存在だと分かっていても、聖勇者が何者なのか、全く分からなかったからな。だから、法術装身具をつけさせてもらった」

「最悪、自分の思い通りにしようって思ったのね」

「まぁ、そういう事だな。お前がどれだけの知識があるか知らないが……旧世代の聖者は勇者が居なければ、半魔からは逃げる事しか出来ない。法術では半魔の魂を浄化出来ない。……人に戻せずに破壊してしまう」

「殺してしまうって事?」

「そうだ。天使の聖性は悪魔を憎んでも、殺生を強く拒む。だから、俺達は逃げる事しか出来ない」

 旧時代の聖者は、勇者に守られるだけの存在だったと言う。天使の魂は、人に知識を与え育てる為に地上に来たと言う。どんなに細かく魂が砕けようと、そんな使命を背負って地上に来たのなら、人間を殺せる訳がないのだ。半分人間である半魔は、正に旧聖者の天敵だったのだ。

「黒い霧から身を守れるの?」

「殺意の事か?」

「そう」

 殺意は、黒い霧と言う形で目の前に現れる、悪意の最も危険な形だ。

 聖者にとっては完全な毒で、触れれば倒れてしまう代物だ。聖勇者は意思の力でこれを跳ね返し、斬ってしまう事が出来る。

「まぁ、法術で側から離れるまで誤魔化す程度だな。これでも足は速い。逃げるのは得意だ。神が初代の天使に獣の姿を与えたのは、逃げ足を早くする為だ」

 よどみなく断定的に話す言葉に何となく違和感を覚える。まるで見て来たみたいに……。

「何でそんなに色々知っているの?私は両親に聞いたけど、そんなに詳しい話は知らないよ」

 フランは、一瞬動きを止める。背を向けているから表情は分からないが、聞いてはいけない事だったのだと、何となく雰囲気で分かった。

 暫くして、フランはため息交じりに言った。

「記憶を受け継ぐんだよ。始祖は知恵の天使だから、生まれた子供は皆一様に天使の記憶と法術の使い方を知っている。祖先の記憶も受け継ぐから、危険回避も結構出来る。しかも、出会った聖者とも情報交換可能だ」

 何て便利な!

 でも、結局は悪魔に捕らえられてしまったのだから、便利でも何かがダメなのだろう。

 自分は彼らの犠牲の上に生まれた聖勇者だ。はっきり言えば、そんなに改良されているとは思えない。色々、問題を抱えているから。……けれど、彼らの教訓を生かし、魔界から聖性の高い魂の存在を隠す事が出来て、半魔を斬れる存在なのは確かだ。

 きっかけが何であれ、縁があってここに居る以上、守りたいとは思う。相手は凄く微細かも知れないが、天使様の一部でもあるのだし。

「私、あんたを守る」

「あ?」

 チンピラの様な表情で天使の魂を内包した聖者がこちらを振り向く。美形が台無しだ。一瞬、黒っぽい物がフランの頭上に見えた気がした。

「怒ってるの?」

「お前は、何怯えてるんだよ」

 フランの視線がミルカの頭上を見据えている。

「見ないで!」

 ミルカが頭の上に手を当てると、フランは苦笑する。クラウンが丸見えだと思うと恥ずかしい。

「見えるものは仕方ないだろうが」

「と、とにかく、あんたの事は守るわ」

 ミルカが再度言うと、フランは渋い表情になった。

「本当に半魔斬れるのか?」

「失礼ね!斬れるわよ。ちゃんと人間に戻るんだから」

 斬った後、自分自身がどうなるかに関しては、あえて言わない。不安になるだけの情報は与えない事にする。

 言ったところで、フランに解決できる問題では無いのだ。

「分かった。……じゃあ、寸法を測らせてもらおうか」

「へ?」

 いきなり何の話をしだしたのか……。

「ズボンだよ。もっと体に合ったものにしないと格好悪い」

 体形が見えない様に少し大きめにしているのを恰好悪いと言われ、ミルカはむっとした。

「ドレスなら足は見えないぜ。俺のしっぽもすっぽりと隠れる様なのが一杯ある」

「あんた、昼間女装してるの?」

 憮然としてフランは答えた。

「声を変えるとか、性別を変えて見せるとか小細工しているから、服まで変えるのは面倒なんだよ。それに限界まで力を使って、夜眠る訳には行かない」

「どうして?」

「半魔が来るからな。法術無しじゃ逃げ切れない。弱くてもあれば役立つ」

「その為に私が居るんだから心配しないで」

 そう言うと、胡散臭そうにフランはミルカを眺めた。

「頼りない」

 きっぱり言われてしまった事に心が痛む。

「た、確かにお兄ちゃんやお父さんみたいには上手くいかないかも知れないけれど、大丈夫よ」

 半魔は過去にかなりの数斬っている。……いつも家族が一緒で、一人で斬った事が一度も無いのは黙っておく。

「本当か?」

「うん……」

 とりあえず、斬るときは問題ないのだ。あるとすれば、その後だ。それも、ある程度は隠せるから大丈夫だと自ら言い聞かせる。

 伴侶が居れば、こんな心配いらないのに。

 なんてちょっと考えている間に、寸法を測ろうとするフランが忍び寄っていて、危うくズボンを脱がされる所だった。それで、考えはみるみる消えてしまった。

 結局、近いサイズのズボンを試着して補正してもらう事で話がまとまった。

 別室で下着を試着した所、大きさがぴったりだった事に、ミルカは絶句する。

「若い内に慣れておかないと、年取って後悔する。それは必ず着けろ」

 男からアドバイスをもらって着た下着は、不本意だが、確かに皮鎧に押し込んだりするよりも肩や背中が楽だった。商売で売っているプロのアドバイスだと言われてしまうと、無知識のミルカは反論出来ない。

 そうして、ミルカの下着を何着も選んだ後、洗濯など、手入れの仕方を説明したフランは、一晩でミルカの服を何着も仕上げてしまった。


 翌朝、ミルカを見たマーサは凄く喜んだ。

「年頃の娘さんなのに、おしゃれに興味が無いのかと、ちょっと心配していたんです」

「そうだったんですか」

 ミルカはぴったりとしたズボンにブラウス、その上にベストと言う恰好をしている。男装の麗人風に仕上げたと言うフランの言う通り、ミルカ自身も鏡の前で驚いた。

 とても上品で、似合っていたのだ。ドレスと違って拒否反応が起きなかった。着ていられるのがただ嬉しい。

「私の護衛が野暮ったいなんて、許せないから服を見立ててあげたの」

 フランシーヌ姿のフランが上品に笑う。

 夜の高飛車な男の姿を知っているだけに、もう綺麗な女性だとは思わなくなった。

 声を変えたり、女装したりするよりも、男としてしっぽを消す方が楽だと思ったが、どうやら素人の浅はかな考えであったらしい。

 見えているものを認識させない法術と言うのは、複雑で難しいので、あまり使わないのだそうだ。

 いっそ、しっぽを切り落としてしまえば済むのでは?とか、フランの下着にはしっぽの通る穴が開いているのだろうか、など、言葉に出来ない疑問が一杯頭に沸いたが、どれも怒られる事間違いなしだったので、言わなかった。

 二人で家を出て雑貨屋に到着する。

 いつも通り、ミルカは店の外に立っていて、フランは店の中に居た。

 変化があったのは、男性の客がミルカに話しかけてくる事だった。

「エルハント商会から来ている護衛の方でしたよね?お名前は?」

「フランシーヌさんの護衛はお昼もするのですか?もしよければ、一緒にご飯でも」

「いえいえ、僕と一緒にどうでしょう?」

「夜はお暇ですか?」

 ナンパなんてされた事が無いが、これは間違いなくナンパだ。

 今着ている服が似合い、フランの言っていた体形の話が本当だった事を裏付けるには十分な効果だった。

 嬉しく思うものの、フランのついでだと思うと気分が悪い。こいつらを袖にしてやったら気分がいいだろうなぁ……と、思い、実行に移す。

「ごめんなさい。フランシーヌさんの許可がないとここを離れられないし、夜はだめなんです。先約があるので」

 とりあえず、きっぱりと断っておく。

 残念だ。今度はいつ空いてしますか?など、しつこい人間が居る場合、フランを呼ぶ。あなたの信者がよそ見をしていますよ、なんて言って。そう言うと、慌てて男共は逃げていく。フランにもいい顔をしたいのだ。やはりフランの女装には勝てないらしい。

 少し悔しいけれど、妙にウキウキするのは何故だろう?何だか楽しい。女だって認識されているのって、凄く嬉しい。

 ミルカはご機嫌でその日を終えた。

 ミルカの様子と正反対に、凄く不機嫌そうなのは、フランだった。

 帰りの道で、にこにこしているミルカをフランは不機嫌そうに見た。

「ご機嫌ね」

「うん。生まれて初めてナンパされた」

「哀れね」

「何ですって!」

「まぁ、いいわ。おしゃれは奥が深いの。あんな虫ケラみたいな男共で満足されたら困るわ」

「虫ケラ!」

「教育するって言ったでしょう?」

 確か、言っていた気がする。

「王侯貴族が求婚する様ないい女にしてあげるわ」

 そこまで望んでいない。そんなに目立ったら困るのだ。

「いい。そこまでしなくて」

「血統が途絶えたらどうなるか……知らないとは言わせない」

 フランシーヌの声で、フランの言葉が飛び出る。

「そ、それはそうだけど」

「半魔を地上にのさばらせた結果、地上がどうなってしまったか、知っているだろうに」

「……うん」

 国は長続きせず、人々は混乱していた。この目で幼い頃から見て来た。

 半魔の殺意は半端ない。まるで生きている者全てを憎む様な姿は、見ていて辛いし、放ってはおけない。放って置けば、間違いなく人が死ぬのだから。

 世界で、彼らを救えるのは自分達の家族しか居ないのだ。

「だったら、お前は綺麗になって、権力のある男と結婚して子供を沢山産むんだよ。それが次に繋がる」

 それはそうだが、正直そこまで役目に徹する事は出来ない。ミルカにも心がある。

 フランは、そう考えないのだろうか?ミルカが何か言う前に、フランはさっさと屋敷に入っていった。

 中に入ると、既にマーサは帰った後で、夕食の支度がされていた。

 ミルカはさっきまで浮かれていた気分が一気にしぼんでしまったのを感じた。

 何故フランが正体を明かして、自分を側に置いているのか?半魔を斬るから側に置くなんて言っていたが、嘘つきなので信用できない。

 彼は天啓に従ってミルカを側に置き、淑女として教育して、誰かと結婚させるつもりなのでは?とふと思った。

 ミルカの結婚のお膳立てを、過去の記憶を持つ旧時代の聖者としての義務の様に思っているのかも知れない。

 確かに伴侶は欲しい。しかし、あんたに仕組まれるなんてごめんだ。素直にそう思う。

 もしこれが両親やアルカの紹介なら、喜んだだろう。しかし、耳には法術装身具がある。短い命令しか出来ないと言ったけれど、結婚しろと命令されたら、ミルカの意思は無視されてしまうかも知れないのだ。

 ミルカは食事の際にフランに言った。

「さっき、帰りに話していた事だけど」

 目の前にはいつも通り、黒いロングコートを着たフランが座っていた。いつもの俺様状態だ。

「何だ」

「私は、あんたを守るけれど、思い通りにはならないよ」

「じゃあ、みっともない恰好で独り身のまま死ぬか?」

「そこまで言ってない!」

 確かに、あの皮鎧にダボダボのズボンは恰好悪かった。認める。

「私が言いたいのは、私は人間だって事よ」

「違う。神の道具だ」

 フランの言葉に、一瞬硬直する。

「俺もお前も、ただ生きているのは間違っている」

「それ、どういう事?」

「俺の母も、その前の代も……ただ法術で必死に生き延びて、より良い容姿の血を繫いで来た。何故だと思う?皆、過去を悔いて来たからだ」

「過去を悔いる?」

「聖者が悪魔に捕まった最初の理由は何だと思う?」

 全然分からない。そんな話は聞いていないからだ。知らない。

「聖者自身が、自分を差し出したんだよ。悪魔に」

「嘘……」

「本当だ。聖者達は、いつも自分が選ぶ側に居ると思い込んでいた。だから、自分の望んだ相手に望まれなかった時、どうしたら良いのか分からなくなったんだ。そして、自殺して魂は魔界に行ってしまった」

 望んだ相手に望まれない。つまり、聖者は勇者に振られたのだ。

 神は自殺を罪としている。天使の魂も自殺すれば天界へ行けなくなってしまう。罪に穢れた魂は、そのまま魔界に行ったのだ。

「結局、自ら魔界に下った魂から、聖者の情報はあっさり漏洩した。その聖者の持っている記憶を悪魔も共有する事になった。後は狩られるばかりだったのは、言うまでも無い」

「でも、それはあんたのせいじゃないわ」

 過去の失敗を自分の事の様に言うフランに違和感を覚える。

「過去の記憶を引き継ぐって事は、罪も一緒に引き継ぐんだよ」

「そんな風に考えたらダメだよ」

 頭がおかしくなってしまう。遠い昔の先祖の罪まで背負うなんて、あってはならない。

「気にしなかった奴らは、皆魔界行きだ」

「……もう助けられたのに」

 魔界に堕ちた魂は、エスライン王国の始祖の天使によって救出されている。もう、魔界に魂は無い。

「俺が地上に居る以上、旧世代の聖者の役目はまだ終わっていない」

「私の世話が役目だと思っているの?」

 フランは答えない。沈黙は……この場合、肯定だ。

「あんたのお世話なんていらない」

 フランは暗い目でミルカを見た。

「俺は、お前を新しい神の道具だと認めた。古い道具は最後の役目を果たすんだよ」

「それが、私を立派な男と結婚させるって事なの?」

「そうだ。お前は、より子孫を多く残しやすい相手と結婚して、聖勇者を増やすべきだ」

「私の意思は?」

「俺にもお前にも、選ぶ権利なんて無い。いらない力や記憶がある、神が話しかけてくる。……そんな狂った家系に意思もへったくれもあるものか」

 吐き捨てるようなフランの言葉は、心に突き刺さった。返す言葉が見つからなかった。

 ミルカは食器を片づけて、さっさと宛がわれた部屋に戻った。

 扉を閉めると、ちょっと泣きそうだった。

 恰好が変わっただけで男性の視線が変わった。

 そんな風に自分を変えてくれたフランに少し感謝をしていたのだ。しかし、それもこれも、全部善意や好意では無かったのだ。

 吐き捨てる言葉と共に、フランの頭上に黒く濃く浮かび上がるクラウン。天使の魂を内包しているのに、神を強く憎んでいるのだ。

 彼は、ミルカと言う一個人を、全く見ていなかったのだ。聖勇者の家系の娘。ただそれだけだったのだ。

「馬鹿みたい」

 ミルカは、悲しくて仕方なかった。本当は、あんなに傲慢な態度でも、色合いを考えて、似合う服を何着も作ってくれた。とても嬉しかったのだ。本当に遠慮のいらない友達が出来たかも知れないと思ったのだ。……とんでもない勘違いをしていた。情けないし、恥かしい。逃げ出したかった。

 しかし守ると言ってしまった。事実、フランは半魔に狙われているのだ。天啓もあった以上、フランから離れる訳にはいかない。

 ミルカが逃げてしまえば、フランは弱い法術しか使えなくなって、半魔に抵抗も出来ないまま殺されてしまうのだ。

 ミルカは自分のプライドと道徳観念の板挟みになって、酷く苦しむ事になった。結果、ミルカに男が言い寄る現象は一日で収束してしまった。

 相変わらずミルカは、洒落た男装をしている。しかし、表情が完全に死んでいた。怖くて誰も声をかけられなくなったのだ。

 フランはそれを和らげようと、化粧の仕方を教えた。

 本当は凄く嫌だったけれど、意地でミルカは受け入れた。命令されて無理矢理覚えさせられるのだけは避けたかったのだ。……人間としての心が死んでしまう気がしたのだ。

 ミルカはすぐに覚え、器用に化粧をしたが、それで綺麗になっても、誰も声をかけなかった。

 今や、ミルカは町の誰もが認める美人だった。周囲が振り返る程の美女が出来上がったのに、人を遮断する雰囲気で周囲を寄せ付けない。これではどんなに美しくなっても、誰も寄って来ない。

 フランは、女性に必要な教育をミルカに施した。話術、季節ごとの服の組み合わせ、綺麗に見える歩き方……。ミルカは不平不満を一切言わずにそれらを吸収した。別に覚えたかった訳では無い。長い会話をする事さえ嫌だったから、素直に従っただけだった。

 フランもそれを感じ取っている様子だったが、何も言わなかった。ただ、ミルカを上品で綺麗な女にする助言だけを続けた。ミルカが従うので、命令もしなくなった。

 そうしている内に、季節が移ろうとしていた。

「そろそろ寒くなる。新しい服を作る」

 夕食の時、フランが言う。

「そう」

 ミルカはそう応じただけだった。

 食事のマナーも、以前より格段に良くなった。母に一通り教えられていたけれど、ガサツな部分があったのだ。それも指摘されるとすぐに直した。

「いい加減、笑えよ」

「それは命令?」

 ミルカは視線をまっすぐにフランに向ける。

「違う」

「じゃあ、笑わない」

 ミルカは再び食事に視線を落とす。

 フランはため息を吐く。

「俺には長い先祖の記憶がある。それを背負っているのに、お前に謝罪するのは無理だ」

「別に謝ってほしくない」

 ミルカは続ける。

「悪いと思ってないのに、謝られても嬉しくない」

 そうなのだ。結局、フランは自分のしている事を悪い事だと思っていない。正しいと思っている。

 ミルカが美しくなって、いい男を射止める事が出来るなら、それが良いとしか思っていないのだ。何度言っても、言葉が通じない。ミルカは酷く疲れていた。

「野暮ったいままが良かったとでも言うつもりか?」

「別に……もうどうでもいいの」

 フランが何かすればする程、ミルカは人形にでもされた気分になるのだ。それを伝えた所で、フランにはきっと分からない。金で何でも計算し、自分すら、道具の様に扱う。

 ミルカは話をしたくなくて、途中だった食事を中断した。

 部屋に戻ろうとすると、背後から腕を掴まれた。

「離して」

「服を作ると言っただろう」

「明日にして」

 本当に疲れてしまったのだ。色々な事に。

「疲れてるの」

「俺のせいか?」

 そうだとは言ってやらない。言っても分からないのだから。

「何故、黙るんだ。言いたい事を言えばいい」

「疲れてるから、休みたい」

「違う。お前の言いたい事はそれじゃない」

 腹が立つ。何処までも人の事を決めつけて来る。

「そんなに腹が立つなら言えばいいじゃないか」

 クラウンを見ているのだと思うと、我慢できない。

「じゃあ、言うわよ。私はあんたみたいな傲慢な男は嫌いなの!」

 腕を引きはがしてミルカは部屋に戻った。

 母は言っていた。喧嘩をしても仲直りをすれば、何度でもやり直せると。けれど、ミルカはフランとは無理だと思うのだ。

 とうとう言ってしまった……。後悔の念にかられる。

 フランは聖者だ。悪意に弱いのに、酷い事を言ってしまった。けれど、焚き付けたのはフラン本人だ。

 もう、嫌だ。ミルカは、ソファーに座り込み、大きく息を吐きだした。

 すると、扉をノックする音がした。

「ミルカ、入るぞ」

 すぐにフランの声がして扉が開いた。

「勝手に入って来ないで」

 ソファーに座ったままのミルカの言葉も無視して、フランはミルカの所まで歩いて来る。そして、あろうことか、隣に座った。

 ミルカはフランを睨みつけた。

「お前の目つきが怖いと言う奴も居るが、俺は全然怖くないからな」

「何か用?」

「俺にはお前の感情が見える」

 そんな事知っている。

「何で嫌いだと言いながら、そんなに悲しんでいるんだ?」

 え?悲しんでいる?ミルカは驚く。

「……黒く見えないの?」

「見えない。何がそんなに悲しいんだ」

 フランを害していない事が分かってほっとすると同時に、するりと言葉が出た。

「私は意思があるの。確かに綺麗になって嬉しかった。けれど、あんたはそれを私の義務だと言ったのよ。男を選んで子供を産むまで全部」

「それの何が悲しい?」

 ミルカは自分でも気づいていなかった気持ちを叫んでいた。

「悲しいに決まっているでしょ!あんた、私を道具だって言った!」

「まぁ、道具だからな」

 平然と言うフランに、更に頭にくる。

「あんたがどう思おうと、私は人間!あんたが優しさから私を綺麗にしてくれたと思ったのに、裏切られたって気持ちは消えないの!」

 ミルカははっとして自分の口を押える。

 私……フランに優しくされたかったの?

 フランは目を丸くしている。

「なし。今のなし」

 ミルカが立ち上がろうとすると、腕を引っ張られた。バランスを崩した所で、フランに抱き止められる。

 全然鍛えていないのに、自分より硬いと思う。それに力も思ったよりある。

「お前、チョロ過ぎ」

「チョロくない!」

 ミルカが飛び退くと、フランはクスクス笑った。

「優しくしてやろうか?」

「していらない!」

 真っ赤になって叫ぶ顔を、フランは心底嬉しそうに見つめた。

「やっぱり、可愛いな」

「なっ!」

 何を言うんだ!ミルカは更に赤くなった。

「俺は、こうやって話がしたかったんだ。でも、距離も置きたかった。……行動がちぐはぐで悪かった。それは謝る」

「どういう事?」

「お前とは、恋愛感情で付き合いたくなかったんだ。俺もお前も酷い有様だろうに。これ以上は、いらんだろう」

 何がいらないのか。……神の与えた秘密と、それを受け継ぐ子供だ。フランの言葉は重い。ミルカは反論出来なかった。

 ミルカがフランに惚れてはいけないから、けん制されていたのだ。それにようやく思い至る。

「俺は伴侶はいらないんだ」

「どうして?」

「お前達の子孫に任すから。俺の魂は、お役御免で天に帰るだけだ。それで旧聖女の役目は終わりだ」

「好きな人が出来たらどうするの?諦められるの?」

 天使に備わっている伴侶に対する執着の性質は、とても強いと言う。欠片とは言え、天使の魂を持っているのに、それを抑えて生きていられるのだろうか?

 フランの目が少し揺れた。

「……そうするしかない」

 フランは立ち上がると、まるで何事も無かったかの様に、にっこりと笑った。

「じゃあ、新しい服を作るか」

「私、疲れてるって言ったでしょ!」

「大丈夫だ。サイズが変わっていないか確かめるだけだから、お前は寝ていればいい」

「変態!」

 結局、その夜フランは新しい秋冬用の衣類を一気に仕上げてしまった。……まるで、この町でミルカが冬を越すのを決めている様だった。

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