9
翌日、太陽が空の真ん中に昇る頃、テヌフは目を覚ました。これほど熟睡したのはいつぶりだろうか、いくら天井が壊れていようとも、屋根のあるなかでの眠りはテヌフに安心感を与えてくれたようである。
雲一つない青い空であった。霧もかかっておらず、昨日のどんよりとした雰囲気は無い。足元には蟻が行列を成していた。
どうも、腹が減っており、喉も乾いている。よく考えると、昨日は牛の肉だけしか食べていなかった、とテヌフは納得した。
仕方なく、ウペルがいることを期待しつつ、中央の建物へ食べ物を恵んでもらいにいくと、タミルスと昨日は姿の無かった男と女がいた。
「おお、ちょうどよかった」
タミルスがいった。
他の二人の様子を伺いながら、テヌフは訊いた。
「少し腹が減って……、すまないが、なにか分けてもらえないだろうか」
訊いたあとで、ウペルの言葉を思いだした。黙っていろと。しかし、タミルスの反応は昨日とはうって変わって軽いものであった。
「それは構わないが、その前に紹介しておく。ハザメとアリンナだ」
ハザメは髭を蓄えており、眼光が鋭い。年齢でいけば、テヌフの父くらいであろうか。逆にアリンナは幼く、テヌフと同じくらいのように見えた。
テヌフは軽く頭を下げた。
「ガカロは?」
「森にウペルと一緒にいかれたぞ。なにか欲しいものがあるらしくてな」
ハザメが一歩前に出た。
「テヌフよ。昨日は挨拶もせずに失礼した。改めて、ハザメだ。聞いたところ旅をしておるらしいな」
「ええ、まあ……」
「腹をすかしているところ申し訳ないが、少しだけ話しをよいかな?」
テヌフは頷いた。
「着いてきてくれたまえ」
とハザメはいって、岩壁の布をあげた。昨日通さない、と立ちふさがれた奥へと着いてこいという。タミルスを見ると腕を組み、あごでいけと指示している。
奥へと進んだが、タミルスらは着いてこないようで、布が下ろされた。
床に四角い穴があった。
「この下には、ぬしに会わせたい方がおられる。ただし、あまり近づかないでもらいたい」
そういって、ハザメは降りていった。
テヌフも続いて降りると、地下は天井が低いものの広い空間であった。松明の明かりが正面の祭壇らしきものを照らしており、腕が六本生えた像がある。乳房があり、どうやら女をかたどったものらしい。その下に身体を倒している人の姿があった。薄暗く、その表情は見えないが、苦しそうな息遣いで男だとわかる。
ハザメがそのものに耳打ちすると、小声で何かを伝えているようだ。
「あるじはこのように申しておられる。ぬしが我のもとへと現れたのは、天からの導きであろう、感謝している、と」
ハザメはいった。
「あるじは対話を所望された。しかし、病をわずらわれておられるため、代わりに私があるじの意志を伝えさせてもらう」
「俺と?」
「ああ、そうだ。座って話しをしよう」
ハザメが腰をおろし、あぐらをかいたので、テヌフもそれに習った。
「これは、ぬしのものらしいな」
と、差し出したのは両刃の斧であった。
「昨晩タミルスが話しを聞いたらしく、悪いが、確かめさせてもらった」
ガカロとの話しを聞かれたのであろうか、テヌフは斧を受け取った。
「別にかまわない。返してさえもらえれば。あと衣の礼をいってなかった、すまない」
テヌフは頭を下げた。
「頭をあげてくれ。別に大したことでもないし、恩を売ろうなどとも我々は思っていない。それはあるじも同じ考えである。ただ、話しというのは、単刀直入に申すと、我々に力を貸してほしい」
「……力って」
テヌフは斧を見た。
「察しが良くて話しが早い。その鉄というものの製造方法を、我々に教示してもらいたいのだ」
「拒否すれば?」
「それは、まだ考えておらん。と申すより、拒否されるわけにはいかないのだ」
「すまない、話しが急すぎて。そもそも、あんたらはここで何をしているんだ。ガカロも連れてこられたといっていたが、詳しいことを教えてくれない。仮に俺が製造の方法を知っていたとしても、あんたらに教える理由がない」
「わかっておる、都合の良い話しだということは。しかし……」
「だったら、すまないが、話しは終わりだ」
テヌフが立ち上がろうとすると、ハザメが手をあげた。
「……わかった。待ってくれ。我らの話しをしよう。だから、座ってくれ」
テヌフは再び、腰を下ろした。
「ハトゥシャという国の名を耳にしたことはあるだろうか」
テヌフは首を振った。
「そうか。ではやはり、ぬしは別の大陸から流れてきたものであろうな。この大陸には多くの国がある。規模は様々であるが、そのなかの一つである。あるじはその国の王であらされるのだ」
「王……その人が」
ハザメは頷いた。
「ついふた月ほど前、あるじに異変が起こった。原因不明のあざと、高熱だ。いかなる治療を施しても、いっこうに回復へと向かわれない。そんなときに宮にて謀反が起きた。我らはなんとか、あるじと共に都を離れることができたが、王を討ったなどと虚言が触れ回り、いまでは都に偽王が座についたということだ。なんとも許しがたきことだ」
「謀反とは、裏切りということか」
「そうだ。王に忠実であったものだったが、あろうことか、あるじに刃を向けるなどとは。だが、こうも不自然にことが続くとなると、やはりこれは周到に練られた策であったと考えられる。この病も人為的なものと思われ、ガカロ殿を呼んだというわけだ。ガカロ殿に看てもらうと、予想通りであったというわけだ」
「そんな病を操るような真似を人ができるのか?」
「ああ、呪詛と呼ばれるもので、私も詳しくは知らぬのだが、遠く離れたものに手を触れずとも災いをもたらず術らしい。ガカロ殿はそれを払う術を知っておられる」
「へえ、あの爺さんがね」
「ガカロ殿は準備に取り掛かられたそうだ。となれば、あとはあるじが回復されるのを待つのみ。我々も都を取り戻すために動かねばならんのだ」
「取り戻す……戦をするということか?」
「それはわからん。だが、備えるべきではある。だから、ぬしに力を貸してほしいと頼んでいる。鉄の軽さと強度。量産できれば、これまでの戦とはまったく変わるのだ」
とハザメはいった。
「俺は戦が嫌いだ。故郷を奪われたからな。だから、悪いが、あんたらの力にはなれそうもない」
「我らはどうしても勝たなくてはならない。それには強い武力が必要なのだ」
「だったら、諦めればいい。なぜ、血を流そうとする。あんたらは怖くないのか。家族や仲間がもしかしたら、死ぬかもしれないんだぞ。戦とはそんなもんなんだろ」
「そのとおりかもしれん。だが、王には叶えたい未来がある。それを実現させるためには、やむ得ないこともあるのだ」
「そんな未来、俺には関係ない」
そういうと立ちあがり、その場を後にした。