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テヌフが生まれ育った地は、緑豊かな山々に囲まれた小さな田舎村であった。都からは馬で南西へ二日ほどの離れた辺境に存在し、豊かとは言い難かったが、それでも皆は笑みを絶やさず平和に暮らしていた。
夏を終えると村人は春先まで山へとこもり、炭作りをした。男たちが木を伐り出して組み上げ、女たちが火を灯し、土をかけ、木炭を作る。熱も持った土からはうっすらと煙が上空へと昇り、村に残った者たちに居場所を教えてくれたものである。木炭は数少ない村の収入源であり、質が良いと評判で、税の代わりにもなったのだ。
テヌフが十一の頃、もともと身体の弱かった母がはやり病により亡くなり、その年の秋より山に登るようになった。まだ山に入る年頃ではなかったが、子一人村に残すよりは、少し早いが山ですごした方が良いだろう、との父からの言葉であったためだ。
とはいってもしょせんは子供、最初から斧を振ることもなく、女たちの手伝いをするだけであった。テヌフの父はそれも学ぶべきことだ、といい、来る日も来る日も煙の上がる土を眺める日々が続いた。
早く斧を振りたかったテヌフであったが、冬の山はとても寒く、かじかんだ手を温めるには赤黒くなった土の塊よりでる熱が丁度よく、このときは火の番で良かったと何度も思ったものである。
女たちはそのなかに芋をいれて、男らの知らぬ間に腹を満たしていたが、テヌフも男たちには喋らない、との女たちとの契約を守り続け、芋を貰っていた。
やがて毎日同じように見えた様子にも、ときが経つにつれ、違いを見分けることができるようになった。これは良いものができあがる、これは失敗だ。女たちが土を掘るまでわからぬものを、テヌフは天気の具合や、煙の上がり具合、土の温度、木材の質感などで理解できるようになっていたのだ。
理解というよりも、なんとなくというほうが正しい。理由を説明しろと言われても、うまく言葉にする自信が無く、だから、女たちには何も言わず、完成した炭を見て、やっぱり、と心のなかで自己の満足に浸る。それがテヌフのわずかな楽しみであった。
一通り女たちの仕事を覚え、テヌフの声がかすれ始めたころ、ようやく斧を手にすることになった。父の許しを得たのである。
男たちは調子を刻むように、心地よい音を山に響かせるのに対し、テヌフは一振り一振り、倍以上の時間をかけ、ようやく一本伐り終わる頃には、全身の力を使い切ってしまうほどであった。その様子を男たちは笑い、父も笑っていた。
身体が子供より大人へと変化し始めたからか、か細かった腕がたくましくなっていく様を自ら感じていたが、それでも父や他の男たちに比べるとただの枝きれにしか見えなく、ただ追い付けるように懸命に斧を振り、汗したものである。
ときには亡くなった母を想い、夜空を眺めたり、木々に触れては、その静かな呼吸を感じ、寝そべっては目を閉じ、山と一つとなった。
そんな生活が四年ほど続き、テヌフは十五となったころ、戦が始まった。
南部の国より戦火が上がり、そのままテヌフらの国まで押し寄せたのである。
そして、悪いことにテヌフらの村がその戦地となったのだ。
敵国の勢力に対し、母国軍が一旦引き、地の利を得るため、テヌフの村周辺を本陣として戦を仕切り直したのである。そのため、村は母国軍の支援所と代わり、次々と怪我人が運びこまれては、掘られた穴に死体が積み上げられた。
生活は一変し、村の男たちは戦場に狩り出され、女たちは無数の兵たちの世話をするために、どこかへと連れていかれた。子供や老人たちはいつ押し寄せてくるかわからぬ敵に怯え、笑みを見せることも無くなった。
テヌフはじっと我慢をした。どうすることもできなかったからだ。
ただ、憎くて、憎くてしょうがなかった。
平穏な日々を返して欲しかった。同じ国の者同士であるにも関わらず、見下しているその視線が腹立たしかった。
だが、睨めば兵から殴られてしまう。だから、下を向き、村人以外とは目も合わせなかった。やがては、言葉も少なくなった。
戦はひと月経とうが、終えることはなかった。見覚えのある兵も数日経てば、帰ってこなくなる。どれほど人間が死んだかわからない。
やがて戦況は傾き、地の利を得たにも関わらず母国軍は敗戦した。もともと小さな国であったため、自力に差があったのだろう。残ったのは同じ人間とは思えぬほどの残虐極まりない殺戮の光景だけであった。
女子供は捕えられ、荷馬車に詰め込まれるとまた別の場所へと運ばれていった。残された村の老人や男らは一つの小屋に詰め込まれ、まるで殺すのも面倒かのように火を放たれた。テヌフは燃え盛る炎の熱さに気を失った。
そして、火が燃え尽きるころテヌフは気を取り戻し、一人生き残っていることに気が付いた。いくつもの焼けただれた死体がテヌフを覆うように被さっており、それは父であり、共に過ごした大人たちでもあった。
生き地獄を過ごすより、このまま死を選んだほうがよっぽど楽なのだろう、テヌフはそう思った。だが、人は簡単に死ねるようで、死ねないものである。大人たちより生かされた命であったからだ。
そして、テヌフは故郷を捨てた。消えぬ戦火から逃げるように、西へ西へと旅を続けてきたのだ。
「――その目は」
ウペルの問いにテヌフは頷き、開かぬ左目を抑えた。
「そうか……だが、命があって良かったな」
ウペルはそれ以上何も訊くことはなかった。テヌフも口を閉ざし、ただ炎だけを見つめ続けていくうちに、消えた荷や馬のことなど、昨夜の出来事もなにもかも、どうでも良くなっていった。あのときの炎に比べるほどのことでもないのだから。