00-07(旧) ドライアドの少女
16/09/10 誤字修正
16/09/24 加筆修正(キャロットが森から離れられない理由)
18/01/08 サブタイトルの変更(旧の追加)
心地よい眠りから目が覚める。そしてぼんやりとした思考のまま掛け布団を抱き寄せ、身体にかかる髪と気持ちよいおふとんの感覚に幸せを感じる。身をよじるとおふとんの柔らかさがより際立ち、「ふひゃー」とだらしのない声が漏れてしまった。そんな幸せをかみしめつつ、おふとんを抱えなおすと俺は再びまどろみへと落ちていく。二度寝は至福なのだ。
(おーい? 二度寝するなー! 起きろ起きろ!)
脳内に響くティアの声によりまどろみから引き戻され、リョウは少し不機嫌になりながらぼんやりする頭をひきずるように身を起こした。
「んー………あぁぁ」
そのまま両手と上半身で伸びをする。そしてリョウの視界に入る、白い肌をした下着姿の少女の身体。そんな犯罪的な光景にやっぱり夢じゃなかったんだなーとぼんやり考えながら、おふとんの吸引力から脱出し素足を下ろしてベッドに腰掛ける。
(おあよー、てぃーあ)
普段リョウが脳内で会話するときは、身体から実際に発せられる声質よりも少し低い少年のような声質なのだが、頭がぼんやりしているせいなのか間抜けな可愛らしい声が脳内に響いた。
(ぶっ、なにその声、超絶可愛い。もうちょっと聞かせて? もっとなんか言って?)
(んええ? どゆこと?)
舌ったらずな声が脳内に響く。ティアは寝ぼけたリョウという思わぬ可愛らしいものを発見したことに興奮し、そしてリョウが覚醒するまでその可愛らしさを堪能し悶えるのであった。
―――――
(それにしても、吸血鬼の体ってすごいんだな)
覚醒した俺は、ビスケットをうまうまと食べながらしみじみと左上腕を眺めてつぶやいた。包帯替わりに巻いていた布は既に外しており、そこには一切の傷痕のないみずみずしい肌が露わになっている。まるで昨日受けた傷が夢だったかのように錯覚しそうになる。左手自体も問題なく動くようになっていて、これで昨日のような苦労が減りそうだと思う。実際、片手が使えなかったのには相当不便を強いられたのである。
(吸血鬼の技能のおかげ、ってのもあるだろうけど、今食べてるビスケットのおかげでもあるのさ)
ん? どういうことだろう? 感じた疑問に答えるかのように、のんびりとティアが言葉を続ける。
(そのわたしお手製のビスケットは、なんと傷と魔力の持続回復効果があるのだ。めずらしい回復薬の材料を混ぜ込んだ甲斐があったものだなあ)
見た目がきつね色じゃなくて黒色だったのは混ぜ物をしていたのが原因だったのか。ビスケットの特異さを知った途端怪しいものに思えてきたけど、そのおかげで左手が完治したので素直に感謝しておこう。
そして五枚分食べると、ビスケットをカバンに仕舞い、森を抜ける準備をする。といっても荷物はカバンと杖、あとはブーツと外に干してある下着衣類だけなのだが。
ブーツに手を突っ込んでみるとまだ湿っていた。やっぱり一晩じゃ乾かないよなあ、とため息をつきながら仕方なくそのブーツを履いた。少し歩いてみるとぐぽぐぽと音がして感触が気持ち悪い。
そしてカバンの紐を左肩にかける。短剣はカバンの右ポケットに入れてあるので、魔物に遭遇したときにはすぐに取り出せるという寸法だ。そして左手に杖を持つとベッドの部屋から移動し、遺跡の外に出た。
日が昇って時間が経っていないのか、空の低い位置から太陽が覗いていた。まだ早朝くらいの時間かな、と思いながらあくびがこぼれる。そして周囲を警戒しながら、昨日の物干しの場所へと向かった。
一晩干した結果は、下着は乾いていたが、ローブは両方ともまだ少し湿り気があるという状態だった。ボロボロのローブと見栄えのよいローブのどちらを着ようかと考えたところ、森を抜けるまでに汚しそうだったのでボロボロの方のローブを着た。森を抜ける辺りで、改めて見栄えのよい方に着替えようと思った。
(あはは、汚れるのを嫌うなんて、あっちのローブを気に入ってくれたみたいだね)
(せっかくボロボロのおあつらえ向きなローブがあるんだし、有効活用しないとな)
物干しにしていた紐を回収すると、湖へと立ち寄り、顔をぱしゃぱしゃと洗った。冷たくない水なので頭がすっきりすることはなかったが、気分的にはすっきりである。そしてローブの袖で濡れた顔を拭うと、太陽と逆の方角へと足を向けた。
(ん? 森を抜けるなら西だよ? なんで南に向かってるの?)
そしてティアからストップの声がかかる。んん? 太陽は東から昇るから、逆側が西で合ってるよな、うん。
(太陽が昇るのは東からだろ? だからこっちの方角だと思ったんだけど)
(え、太陽は北から昇るじゃん。……ああそうか、リョウの世界だと東から昇るんだね。この世界では、太陽は北から昇って南に沈むから、西はこっちの方向だよ)
ティアは太陽から左の方向を指差す。思えばここは異世界。太陽の動きが地球違っても不思議じゃないんだよな。
(うーん、こういう常識も違うんだなあ……。ありがとう、おかげで迷わずに済みそうだ)
そうして、今度こそ森を抜けるべく歩き出すのであった。
―――――
(止まって。この先に魔物がいるよ)
道なき道を三十分くらい歩いたところでティアから警戒を促す声がかかり、立ち止まる。それを合図にカバンから短剣を抜き放ち、先の方向をじっと見つめる。奥の茂みがガサガサと揺れ、俺にも何かがいるのが分かった。
ティアはどうやって気配を感じているのだろうと不思議に思っていると、茂みから二体の角が生えているウサギが飛び出してきた。体長は30センチくらいだろうか。ウサギもどき達は警戒するかのように一瞬立ち止まると、そのままこちらへと走り寄ってきた。
(ホーンラビットっていう魔物だよ。危険度は4。冒険者見習いレベルの強さだからさくっと倒せちゃうと思うよ)
二列になって同じタイミングで駆けてくるホーンラビットを軽々と右に避け、すれ違うところを右側の一体目がけて短剣を振るってみる。流石に動いている魔物に当てるのは骨が折れるだろうな、と思ったのだがあっさりと胴体に命中し、斬り裂かれたホーンラビットはそのまま地面へと転がった。
あまりのあっけなさに少し立ち止まっていると、もう一体が突っ込んできたので先ほどと同じように斬りつけると、同様に胴体を斬り裂かれたホーンラビットは地面へ転がった。
(え、あれ…? あっけなさすぎないか?)
走っているウサギもどきを斬りつけることができた事実に頭が追い付かない。レッドボアを相手にしたときは立ち止まったタイミングや身体加速状態のときに斬りつけたので、俺のような素人でも問題なく攻撃を当てることができた。
しかし今回はレッドボアほど動きが早くないにしても、動いているところを、身体加速なしに斬りつけ、命中させたのである。動いている獲物は攻撃を当てるのが難しく、腕が良くないと当てられないと聞いたことがある。弓然り、剣も然り。素人の俺にはとてもできない芸当のはずだった。
あれから少し進んだところで再びホーンラビットが一体現れたので、今度は身体加速を試してみる。ホーンラビットを避けながら身体加速を発動させようと、俺以外の動きがスローになるのをイメージしたり、心の中で身体加速と念じてみたりと試行錯誤した結果、自分の体が加速するのをイメージしながら心の中で身体加速と念じることでレッドボアの時のように自分以外がスローモーションの世界になった。そしてゆっくりと走り抜けるホーンラビットの首を狙って斬りつけると、狙い通りに剣身は首へと吸い込まれ、首が飛び、絶命した。おそらくゆっくりと狙いを定められたからこそできた鮮やかな一撃だった。
その後もホーンラビットやゴブリンに遭遇した時に何度も試したところ、ほぼ同様の結果になった。ほぼ、というのは、ごく稀に身体加速なしで首を落とせることが数回あったからだ。
そしてそれらの実戦の結果、どうやら吸血鬼の身体能力でなんとか無理矢理斬撃を当てており、剣は異世界転移前と同様に素人の腕前。異世界転移による不可思議実戦知識はないと結論に至った。
(たしかゴブリンが危険度9って言ってたっけ。このくらいなら余裕って分かったけど、こんな力任せな戦い方じゃ先が思いやられるなあ)
(アドバイスをしてあげたいところだけど、わたしは魔術しか使えないからなー。とりあえず実戦経験を積むことしか思いつかないや)
どうやらティアは剣とかの武器はからっきしのようだった。おそらく魔術一筋とかそんな感じだったのだろう。知らないものは教えられないよな、うん。
(今はできるだけ実戦を経験するくらいしかできることがなさそうだな)
力任せに戦うだけなら、どこかできっと行き詰ることになるだろう。おそらくこの世界で重要なのは、技能と技術と力。圧倒的に足りない技術をなんとかしようとする方針を定めた。
力任せに斬るのではなく、たとえば魔物の弱点を狙い、一点を突いて絶命させるとか。我ながら良い特訓方法を思いついたかもしれない。
その考えをティアに伝えると、(いい考えだと思うよ。それにしても特訓かー、なんだか燃えるね)という言葉を頂いた。相変わらずどこか外れた発言をはさむのだが、その能天気さが緊張を解してくれるのでありがたい。思い返せば、今日だけで既に二桁の魔物を屠っている。それがいくら格下とはいえ、ついこの間まで戦いとは無縁の世界で平和に過ごしていた身だ。精神的な疲労が蓄積しないはずがない。
それでも、当初の目標である森を抜け街に行くことは変えられない。それに、吸血鬼の身体のおかげで、肉体的な疲れはまだまだ感じないのだ。
戦い方を変えると決めてから最初に現れたのはゴブリンだった。体長は一メートルと少しくらい。ちょうど俺と頭一つ分くらい背が低い感じの人型の魔物だ。緑がかった肌とボロ布を纏い、そしてこの個体は棍棒らしきものを持っていて、それを引きずり地面に跡を残しながらこちらに近づいてきた。今回狙うのはピンポイントの突きによる頸椎の破壊。これは特訓なのだから失敗しても大丈夫なのだ。気を楽にして、キッとゴブリンを鋭い眼光でにらみつける。
ゴブリンは棍棒を右腕で振り上げると、そのまま間合いに踏み込み、俺の脳天目がけて振り下ろしてきた。もちろんそんな見え見えな動きを避けられないはずがなく、ゴブリンの左後方へ一気に踏み込みそのまま体をひねる勢いを乗せてゴブリンの後頸部を狙い剣先を突き刺す。
(はずれー)
短剣は狙っていた箇所よりも横に命中し、ゴブリンの首を切り裂いただけだった。ゴブリンが苦悶の声を上げ、こちらを振り向きながら棍棒を振り回す。俺はその一撃をバックステップで躱す。
(まあ、一回目だしこんなもんだよなあ。手早く成仏させてあげようか)
棍棒をめちゃくちゃに振り回すゴブリンの攻撃を回避しながら、その動きを観察する。そして棍棒を振り下ろしきった隙に踏み込み、棍棒を靴底で蹴り飛ばす。ゴブリンが棍棒を手放すことはなかったが、それでもバランスを崩してしまう。そのタイミングで首を目がけて一閃。なるべく血が服につかないように離れるのと、ゴブリンの首が落ち、体が崩れるのは同時だった。
(これは難しいなあ。まだまだ練習が必要だ)
(なんて言いつつ、首を落とすのにはなんだか慣れてきてるよね。……恐ろしい子ッ!)
(言われてみれば、確かに慣れてきたような感じがするな)
首を落とすなどと、はたから聞けば物騒でしかない会話をしている事実に気付かないまま、ゴブリン討伐の証拠となる耳を切り落として袋に突っ込むと、再び西へと歩き出した。日は既に天頂近くまで昇っている。
その後、ゴブリンとブルーウルフ(危険度12)を屠り(もちろん急所を狙った突きは失敗した)、そろそろ小腹が空いてきたところで上部がそこそこ平らになっている大岩を発見したので、その上で一旦休憩をとることにした。カバンを下ろし、裾の長いローブを下敷きがわりにして胡坐をかいて座る。裾の長さに余裕があるので中が見える心配もない。そしてあまり期待はしていなかったが、このローブはそこそこ厚手ものだったので思ったよりお尻が楽だった。
(まったく、女の子の身体なのにそんな座り方して……。そのうち仕込まないと……)
例のティアお手製ビスケットをかじっていると、ティアが何やら小声でぶつぶつと言っているのが聞こえてきた。そしてその内容に嫌な予感を覚えたので、考えを逸らそうと別の話題を振ってみる。
(ホーンラビットが危険度4、ゴブリンが9、ブルーウルフが12だっけ。数はこなしてるから、このくらいの危険度帯なら問題はなさそうに思ったけど、どう思う?)
ティアとは声を出さなくても会話できるので、こうやってビスケットを頬張っていながらでも支障はないのだ。我ながら割りとどうでもいい利点に気が付いてしまった。そして相変わらず美味しいなこのビスケット。
(そうだね、今のリョウだと、危険度20くらいまでは身体加速を使わずにさくさくと倒せるんじゃないかな。見てるとかなり動きが良くなってるように感じるよ。身体加速込みで考えると、さすがに予想がつかないなあ。レッドボアなら余裕だと思うけど、搦め手とか魔術使う相手との経験がないのがネックだからね)
(うーん、やっぱり先は長そうだなあ)
そんな会話をしながら、のんびりとした休憩時間を過ごす。胡坐をかいたとはいえ窮屈だった足は既に伸ばしてくつろぎモードだ。木漏れ日のあたたかさと木々の間を吹き抜ける風を心地よく感じながら、水筒の水を飲む。まさに大自然に包まれ癒されるという感覚。
(ん、あっちから何か近づいてきてる)
短剣を手に取りつつ、ティアが指した方向を見る。そして数秒の後、幼女が姿を現した。
小豆色の髪に蒼色の目、そしてシンプルな萌葱色のワンピース。そんな姿をした幼女が森の奥から現れ、何かから逃げるかのように一心不乱に走ってくる。そして彼女を追うように、三匹の灰色の毛をもつオオカミらしきものが駆けてきた。
そして近くまで走ってきた幼女がリョウの存在に気付くと、「おねがいします、助けてください!」と泣きそうな表情で助けを求めてきた。
当然ながら見殺しにするわけにはいかない。リョウは立ち上がると大岩の上から飛び降りた。木漏れ日を受けてきらきらと輝く金色の髪が躍るのに思わず見とれてしまった幼女は、オオカミから守るように間に可憐な少女が立っていることに遅れて気づいた。
(うん、任された)
(それ脳内会話だから彼女に聞こえてないよ!?)
ティアとの脳内会話に慣れ過ぎたせいで、とっさに口から言葉が出てこなかった。
仕切り直し。TAKE2。
「うん、任された」
短剣を抜き放ち、こちらを警戒するように左右正面に分かれた体長一メートル程のオオカミ三匹に鋭い視線を向ける。
(ティア、こいつらはどんな魔物だ?)
(トライウルフって呼ばれてる魔物。常に三匹一緒に行動し、連携して襲ってくるのが特徴だよ。一体なら危険度13ってところなんだけど、三体セットだから危険度17ってところかな)
ありがとうティア先生!
そして、初めての連携をしてくる魔物に緊張が走る。そんな状況なのに、不思議と高揚感を感じる。
「そこの女の子! 危ないから、あの大きな岩のところまで離れてて!」
幼女が頷き、大岩へと駆けていくのを確認すると、トライウルフの一匹に近接するために力を溜める。
――先手必勝。連携をとられる前に、数を減らせばいいはずだ。
地面を爆砕させるほど蹴り、一足で右側のトライウルフへと肉薄する。驚きに硬直したトライウルフの首を一閃。首が離れるのを確認すると、飛びのいて血しぶきを躱す。
一瞬にして仲間をやられたトライウルフに動揺が走った気がした。しかし奴らは、仇を取るかのように二方向から同時に駆けてきた。走る相手には先ほどのような奇襲は使えない。俺は短剣を構え直すと、先行する一体へと駆けだした。そしてもう少しで踏み込みによる間合いに入ろうかというタイミングで、先行するトライウルフが跳躍した。
「は?」
思ってもいなかった行動に、慌ててサイドステップを踏み、覆い被ろうとしていたトライウルフを回避する。あの勢いのまま飛びかかられ、引き倒されマウントを取られ食いちぎられる光景がありありと想像でき、背筋がぶるりと震えた。
思考を切り替え、跳躍してきたトライウルフの身体に斬りかかったが、体勢を整える隙を与えてしまったせいで軽い傷を与えるにとどまってしまった。
そして警戒を強めたのか、後ろに跳び間合いを取るトライウルフ。さてどうしたものかと思うと、その様子を見ていた幼女から「お姉ちゃん危ない!」と必死な声が聞こえた。素早く周りに視線を巡らせると、背後はに既に跳躍したもう一体のトライウルフがいた。
「ぐっ――」
回避のために横へ跳ぶ。そこへ、軽い傷のついた方のトライウルフが駆けてくる。着地と同時にその鋭い牙が体に食い込むことになるだろう。
(ああ、これは本当に厄介だな)
なるべく腰を落とし、姿勢を低くした状態で着地する。そして、体の動きに付いてこれずに頭上を舞った髪を、飛びかかってきたトライウルフの顎門が喰らいつく。今度こそ隙を逃すまいと、トライウルフの下から喉を斬り裂き、ついでに下顎を短剣で突き上げ、そのまま上顎の途中まで貫通したことを確認すると抜き放ち、予想に備えてサイドステップでボロボロのトライウルフから距離を取る。
我ながら自慢の髪を噛まれたまま思い切り距離を取ったので、ぶちぶちと千切れて痛み、思わず涙目になってしまう。そして、最後のトライウルフが突っ込んでくる光景が見えた
「ここまできたら、もう消化試合だなあ」
仮に、初めから三匹が連携して攻撃してきたならば、大怪我と引き換えになんとか屠ることはできただろう。もちろん、身体加速を使うという手もあった。
だが、後方には、こんな俺に助けを求めてきた女の子。おいそれと上級の剣士が使うという身体加速なんて技能は見せたくないし、かといってボロボロになる醜態をこんな小さな女の子にはとても見せられない。なんだかんだ言って俺も男の子なんだなあ、と苦笑する。ゆえに、勝つためには、最初に奇襲して一匹を屠るというこの手しかなかったのだ。
既に二体屠られても尚も諦めずに突っ込んでくるトライウルフに対し、何が彼をそうさせるんだろう、なんて考えながら、ギリギリのタイミングで身体の位置を小さくずらし、そして突っ込んでくるトライウルフへと短剣の刃を突きだした。そのまま突撃の速度とトライウルフの質量が突きだした短剣へと乗り、結果口から臀部まですっぱりと斬り裂かれることになった。そしてそのままの勢いで地面へと転がっていき、止まった時にはピクリとも動かなかった。
「あー、結局血まみれになっちゃったよ」
(その分、命を救えたのだからいいじゃない)
髪とローブを調べながら、俺はせっかく綺麗に洗ったのにとため息をついた。そして短剣をウルフの毛皮で軽く拭い鞘にしまうと、大岩の近くへと避難していた幼女の方へと足を向けた。
「助けてくれて、ありがとうございました!」
俺が声をかける前に、可愛らしい笑みと共に幼女のお礼の言葉が先に響いた。必死に逃げていたのか、肩まである髪は乱れ、着ているワンピースは袖や裾がボロボロになっている。
「いや、あれくらいどうってことないよ。それよりも怪我とかしていない? 距離を詰めるために思いっきり地面を粉砕したんだけど、当たってない? 大丈夫?」
「はい、傷ひとつないです。本当にありがとうございました。」
元の世界で形だけのお礼を受けたことは何度もあるが、こうやって屈託のないお礼を受けると、妙にむずがゆいものがあった。右手で髪をいじりながら、何を話そうかと思案する。
「ひとまず、何でさっきの魔物――トライウルフに追いかけられてたのか、聞いていいかな?」
「まず、私の種族は、ドライアドなのです」
聞き覚えのない種族名に、思わず頭をひねる。
「ドライアドは森を管理し、森の木々や生物が住みやすい環境を維持するのがおしごとです」
(なあ、ティア。ドライアドは、人族とか魔族とか魔物とか、どれに分類されるんだ?)
(今の世の中だと、魔物に分類されるね。ただちゃんと知性を持っていて、森を管理してくれたり、敵対しない限り友好的だったりするの。それに長寿の種族でもあるからいろんな知識を持ってることが多くて、私も何度も相談させてもらったかな。そういう理由で、わたし個人としては魔物とは違う存在じゃないかな、って思ってたり)
どうやら、魔物=敵、と単純なものではないようだ。
(なんというか、この世界では分類学が全然発達してなさそうだな。よくわからない存在な上、森に生息しているから無理やり魔物に分類されたような気がしてならないな)
(分類学――そうかなるほど、そういう体系的なアプローチがあれば! 今度バル会ったときにでも持ちかけてみよう。いやあ、専門分野は違うけど心が躍るようだね)
ティアが暴走しかけたので放置することにし、再びドライアドの女の子と話を続ける。
「おっと、ごめん。ちょっと頭の中を整理してた。話を続けてもらってもいいかな?」
「はい。私達はそういう森の調和を保つ仕事をするのですが、私には少々問題があったのです。私が生まれたのは、つい二十日ほど前。生まれ落ちた時は、それはもう右も左もわかりませんでした。ただ、やるべきことといいますか、使命が頭の中にあったので、それに沿って必死にこの森の維持をしていました」
生まれた時から使命によって縛られ、自由のない女の子。そんなのが、当然であっていいはずがないと思う。この世界にそんな存在がいるというのは、必要だからなのかもしれないけれど、それでももやもやしたものが頭に残ってしまう。
「そんな日々の中、あのトライウルフさんたちの情報が入ってきました。彼らは、獲物を追い詰めて惨殺することを楽しんでいるようだったのです。そんな悪行を見かねて、どうにかしようと接触したところで、気がついたらあんな状況に。結局、生まれたてのこんな身体じゃ、まだまだ力不足で何にもできないんです」
(――リョウ)
ここまで事情を聞いてしまったら、見て見ぬふりなんてとてもじゃないけどできない。一応魔物だとはいえ、どうみても善良な存在にしか見えないから。
それに、もしかしたらドライアドは精霊に近い存在なんじゃないだろうか。もちろん、ただの勘である。そもそも精霊というものがどういうものか知らないんだから。ふとレッドボアのときのあの精霊の輝きを思い出す。あの時は本当にありがとうございました。
「俺は、この森を抜けて、このままアルレヴァの街へ行く予定だ」
目に見えて幼女がしょんぼりとした表情を浮かべる。そんな様子を見て、やっぱり放っておけないなあ、と思ってしまう。これは、リョウの善意から既に出た結論だった。
「そして、そのまましばらく滞在する予定だよ。
具体的には、冒険者になって、依頼をこなしたり、この森の魔物を狩ったりして、しばらくの間旅をするためのお金を稼ぐ」
その言葉に、はっとした表情を浮かべる女の子。もしかして、このお姉ちゃんは――
ふと、そんな想像をしてしまって、思わず顔を赤らめてしまう女の子。そんな様子を微笑ましく感じながら、俺は言葉を続ける。
「それで、もしキミがよかったら、キミの仕事を手伝わせてくれないかな? もちろん、冒険者組合の仕事もあるから頻繁には手伝えないと思うし、いつかは俺もその街を離れることになるから、それまでの間、ってことになるんだけど」
その直後、頭の中をガンと殴られるような感覚に襲われ、その痛みに頭を押さえながら涙目になる。
(女の子の身体なんだから、他の人と話すときはせめて一人称は『私』にしようね)
(ぐぬぬぬ…俺は男なのに…)
(もう一回やられたい? それに、リョウの世界でも、一人称が私っていう男は居たでしょ)
(正論過ぎて言い返せない…。わかったよ……)
「あの、突然苦しみだしたかのように見えたのですが…大丈夫ですか?」
顔を上げると、心配そうに女の子が声をかけてくれていた。こんな世界に転移してから、裏表のないやさしさというものに初めて触れられた気がする。異世界に来て、はじめてちゃんと出会った子、っていうことも大きいんだろうけど、そういう小難しいこと抜きにたとしても、癒されるんだよなあ。
「うん、大丈夫。ちょっと加減の知らないバカが暴走しかけただけだから…」
そして、数秒時間を置いて、彼女に俺はお願いをする。
「それで、キミの名前を教えてくれないかな? 私の名前は――」
そこで、女の子の身体なのに、リョウスケという名前を名乗るべきなのか葛藤が生じた。こんな体で男の本名を名乗るのはまずい気がする。何か、この身体用のよい名前はないか。
涼介、リョウスケ、リョウ、涼、綾、アヤ。焦りながら考えたがすぐに思いついてしまった。そしてなかなか気に入ってしまったのでこの名前でいくことにする。初めての偽名なのでちょっとドキドキだ。
「――私の名前は、アヤ。アヤ・ヒシタニ」
ヒシタニがどこから出てきたのかというと、単純に菱谷の別の名字の読みである菱谷からだった。こっちは何のひねりもなくて、逆にもっと考えればよかったかと後悔してしまった。
そして、幼女は微笑みを浮かべながら、自身の名前を口に出す。
「私は、キャロット・シュレス。この、シェイムの森の管理を任されたドライアド」
「キミの名前が聞けて良かった。よろしくな、キャロット……むー、呼びづらい。キャロって呼んでいいかな?」
「もちろん大歓迎です。愛称で呼ばれるの初めてだからか、なんかちょっとどきどきしますね。お姉ちゃんのことは、アヤお姉ちゃんって呼んでもいいですか?」
そういえば生後二十日ぐらいって言っていたっけ。なんだか微笑ましい感じのやり取りだ。そして聞き慣れない単語が聞こえてきた。なんかこう、他人(身体の同居人は含まない)から女の子として呼ばれるとちょっとくるものがある。
「……うん、それはもちろんいいんだけど。こうやって愛称とかで呼び合うんだから、そんな固い言葉じゃなくて、もうちょっとくだけた言葉で話せないかな?」
そう、最初からキャロの言葉はどこか固くて、話しかけづらい雰囲気があったのだ。
「わかりました…了解しました…了解です…分かった? ――砕けた言葉で話せるように、努力します」
混乱するキャロを前に、がんばるにしてもほどほどにね、と一応くぎを刺しておく。
そして、大岩の上にアヤとキャロ、ふたりでぼんやりと風景を眺めていた。キャロの着ているワンピースはあまり厚みがなかったせいか、座っていると痛かったようなので、今キャロはアヤ《・・》の膝の上に座っている。リョウはそんなキャロを微笑ましく思いながら、髪を撫で、手櫛で髪を梳きながらのんびりと過ごしていた。
(うおお、眼福眼福。ロリコンというか、リョウは先に母性に目覚めた感じがあるね)
(残念発言と共に現れるのはもはやデフォルトなのか…)
(それはそうと、この世界で名乗る名前をついに決めたみたいじゃないか。私に相談してくれなかったのはちょっと寂しかったけど、アヤって名前は私も気に入ったし、リョウはいい仕事するなあ。それにしても、これで一歩前進だね。おめでとう! どんどんぱふぱふ)
(ん? 名前くらいでそんな騒ぐものじゃないだろ? どうせ偽名なんだし)
ティアの態度に何か違和感を感じる。よくわからないが、取り返しのつかないことをしてしまったような、そんな感じ。
(身体と精神、そして名前が揃うことに特別な意味があるんだよ。
(うーん、よくわからないなあ…)
そんなとりとめのない会話を脳内で繰り広げている中、いろいろと考えを巡らせていたキャロが決意の表情を浮かべてアヤの身体から立ち上がると、そのままアヤの方を向いた。
「あの、アヤお姉ちゃん、ご迷惑でしょうが、空いてる時間だけで構わないので、手伝っていただけ…くれると、とてもありがたいのです。なので、よろしくおねがいします!」
そうしてキャロは頭を下げた。もちろんリョウは手伝う気満々だったし、こうやって正式にキャロからお願いされたことで正式に契約完了である。
「ああ、こちらこそ、よろしくな」
そして、アヤとキャロとの間に握手が交わされた。
―――――
さっきまで慣れない森の中を吸血鬼パワーで無理やり進んでいたのだが、今は案内人がいることでスムーズに森の中を進むことができている。案内人――キャロは、アヤに肩車をされた状態で次々と指示を出しつつ、魔術を使い、道を切り開いていく。身長130センチくらいの年端もいかない少女が身長100センチくらいの幼女を肩車して進んでいく異様な光景。そして道中、キャロは高値で売れる草や食べられる木の実などを見つけては存在を指さし、それをいそいそと回収しながら進む。
キャロがドライアド固有の魔術を使い魔物や障害を回避してすいすい進んでいるのだか、それでも現れる魔物もいる。
「なんだー、ゴブリン三体かー。…あれ、なんか雰囲気が違うな。手前のはなんか武装してるし、奥の刃ローブと杖なんてつけてるし」
キャロを肩車から下ろし、短剣を抜き放つ。
(ティア先生の魔物講座ー。あれはゴブリンの上位種、ゴブリンウォーリアとゴブリンメイジだね。
ゴブリンウォーリアは危険度12、ゴブリンメイジは危険度15。三体とも合わせて、危険度19ってところかな。トライウルフみたいなえぐい連携はないけど、ゴブリンメイジが魔術を使うから、初級冒険者の最初の壁のような存在だよ)
ゴブリン達を見れば、メイジはにやにやといやらしい笑みを浮かべ、ウォーリアはそれぞれ斧と長剣を持っている。リーチがあるってうらやましい。
「んじゃま、ぱぱっと片づけてくるね」
とくに緊張した様子もなく、アヤがキャロとの間に立つ。
キャロはこれまでに数度アヤの戦いを見てきたが、それは鮮やかなものだった。常に傷一つ負うことなく魔物を殲滅するアヤの姿。おそらく彼女は、相当な腕前を持っているのだろう。そんな彼女の戦いを後ろから見ていると、どくどくと胸の鼓動が高まる。彼女の強さに陶酔しているのか、それとも別の――
ちなみにキャロがこの違和感の正体をはっきりと自覚するのは、まだまだ先の話である。
そうして、あっけなくゴブリン達は全滅した。リョウのいつもの踏み込みからの不意打ちにより一番厄介そうなメイジの首を刎ね、斧を持った鈍重なゴブリンを無視し、先に長剣をもったゴブリンを狙う。そしてゴブリンが武器に振られているかのよう感じたリョウは、大きすぎる隙に合わせて腕を切り落とし、返す剣身でその首を刎ねた。そして鈍重なやつは難なく後ろに回り込むと、後頸部に突きを入れた。その一撃は頸椎を貫き、最後のゴブリンは一撃で地面へ転がった。
(なるほど、弱点を一点狙ったこの突きを決めれるようになると、ずっと戦闘が楽になるな)
「すごいです、アヤお姉ちゃん! やっかいなメイジを速攻の一撃で倒し、後の二体も一撃で軽々と倒してしまうなんて…感激です」
褒め殺しされるのになれていないリョウは、ごまかすように髪をくるくるといじるのであった。
ちなみに、ゴブリンウォーリアが使っていた長剣は一応回収しておいた。
―――――
そしてついに、森の端へと到着した。木々の間から見える景色では草原が広がり、そして遠くに高い石壁で囲まれた建造物をみつけた。おそらくあそこに見えるのがアルレヴァの街なのだろう。
「キャロは森の管理があるから、ここでひとまずお別れかな」
肩車からキャロを下ろし、木の後ろに回り込んで見栄えのいい方のローブに着替える。先ほど来ていた真っ黒のローブよりも丈が長く、裾がくるぶしのあたりまでを隠している。
当然袖に関してもぶかぶかで、引っ張り上げないと手が外に出ないのだが、アヤが「なるほど、これが萌え袖ってやつか…」とつぶやきながら、袖をぱたぱたさせていると、どうやらキャロもその可愛らしさに気付いたようで、なごやかな目でアヤを見ていた。
「そういえば、ずっと着ていた真っ黒いローブと違って、こちらのローブは主張しすぎない可愛らしさがありますね」
可愛らしいものに興味を示すキャロを生暖かい目で見つめていると、
「そう、そうなのさ! ちょっと事情があってあまり目立った格好ができなかったからさ、せめてつつましい可愛らしさ、っていうのを表現しようとお願いして作ってもらった力作なんだよ! ふふふ、この主張しすぎない可愛らしさこそこのローブのポイントなのさ! キャロはなんだか見込みがありそうだね? 今後も合うことになりそうだし、折角だらそのときにはお姉さんがいろいろレクチャーしてあげよう!」
ティアが暴走してしまった。とりあえず身体感覚の流路を繋いで、罰代わりに俺は自身の頭を思いっきりゲンコツした。そして悶絶するアヤとその中のリョウとティア。
いきなり突拍子のない行動に出るアヤに、若干の不安を覚えるキャロなのであった。
そして何事もなかったかのように取り繕い、キャロへと向き直る。ティアはどことなく寂しそうな雰囲気を浮かべていた。
「でも、本当に一人で大丈夫? よければ街まで送っていくよ?」
「その提案はとっても嬉しいのですが、どうやら私は森の外へは出られないみたいです」
(うーん、どこか引っかかるような引っかからないような話だね)
キャロと、その言葉を考え込むようにしているティアに向けてちょっとした思い付きを込めて言う。
「ドライアドやら、管理者やら、そういうのが影響してるせいなのかなあ。……まあ、またそんなに時間の経たないうちにここに来ることになると思うから、無理はしないで待っててな」
「はい、分かりました! あの、アヤお姉ちゃん、私からのプレゼントです」
キャロからそっと何かを握らされる。手を開いてみると、そこにはすこし鈍く銀色に輝く鈴。手首に巻くらいの長さの革紐がついている。
「……これは?」
「これは、この森内に私が居る時に使うと、私に使った位置を教えてくれる魔道具です。またこの森にいらしたときに、それを使っていただくとすぐに飛んでいきます!」
腰に手を当て、自慢げにする幼女。その愛くるしさに頭を思わず撫でてしまう。うん、間違いない。きっと数日もしないうちに会うことになるだろう。不思議とそんな予感がする。
「じゃあ、アヤお姉ちゃん、元気でね!」
「キャロも、無理しすぎるなよ! 危ないと思ったら早めに逃げるんだぞ!」
そんなこんなで、アルレヴァの街へと歩みを進め、そして頻繁に後ろを振り向きながら、まだ見送りをしているキャロにむかってぶんぶんと手を振るリョウであった。
やっと新キャラクターの登場です。
次回は土曜日~月曜日の間の投稿の予定です。
0章を読みやすく改訂した後、書きだめをつくりつつ投稿する予定だよ。
せっかくのお盆なのにペース上がらなくてごめんなさい。