00-05(旧) 初戦闘
16/09/10 誤字修正
18/01/08 サブタイトルの変更(旧の追加)
(レッドボアかー。初戦闘にしてはいいの引き当てたね)
なんてのんきな言葉が脳内に響いたタイミングで、レッドボアと呼ばれた奴がこちらに向かって走ってきた。その圧倒的な迫力を前にし、無我夢中で立ち上がり、向かってくる方向からちょうど直角の方向へ駆ける。直後、巨体が背後を通り抜け、その風圧で長い髪が靡いた。
間一髪だといったところだろうか。二メートルを超すであろう巨体と、口の端から飛び出した凶悪なフォルムの二本の牙。そんな暴力の塊のような存在から放たれる突進に、冷や汗が流れる。あの突進を受けるとひとたまりもなくあの世行きだろう。
突然襲ってきた死の恐怖になんとか歯を食いしばって耐え、少しでも足掻こうとレッドボアが走った方向へ体を向ける。ちょうど奴は少し離れたところで止まり、再びこちらを向くように動いたところだった。
(おいいい!運良く躱せたけど、アレって当たったら一発で死ぬだろ!?)
(大丈夫だって。吸血鬼族は軽い傷なんてすぐ治っちゃうんだから)
こんな状況でも全く慌てることなく、のんびりとしたティアの声。もしかしてこんなのがこの世界では日常的な光景だったりするのだろうか。勘弁してくれ。
(あんなのに突撃されたら軽い傷どころじゃないだろ!?)
さっきから心臓がばくばくと鳴っているのだが、凶悪な獣の姿に不思議と足がすくむことはなかった。動けないと確実に死ぬ。なら、動くしかないのは当然だから。
再び突進してくるレッドボア。今度は奴から視線を外さないようにしたまま、先ほどと同じ動きで避ける。前より初動が早かったおかげか、今度は余裕を持って避けられた。
そしてもう一度突進してきた巨体もあっさりと躱すことに成功する。
一度目はともかく、二度目、三度目のあっけのなさ。そしてお互い同じような動き。
(……なあ、もしかしてこいつって、一度走り出したら真っ直ぐにしか走れないの?)
(そうだよー。だから躱せさえすれば、戦闘経験なしのリョウでもボコれると思うよ)
予測が当たり、しばらくは躱し続けられるだろうと少しだけ安堵し、そしてさらりと恐ろしい事を言うティア。アレを素手でボコるとは正気の沙汰とは思えない。
(せめて武器、武器ぷりーず!……そういえば杖があったな!)
転がっている杖へ近づくためにレッドボアの様子を伺い、立ち位置を調節する。直進しかしてこないのだから、上手く立ち回ることで安全に拾うことができるはずだ。
(あれは魔術の補助具だから殴りかかるものじゃないよ。カバンの外ポケットに短剣を入れてあるから、それを使いなよ)
そこそこリーチのあるあの杖なら、比較的安全に殴れると思ったのに。しぶしぶとティアの言う短剣とやらにターゲットを変更し、カバンに近づくために位置を調整する。
再び突進してきたレッドボアを横っ飛びに避け、カバンを置いてある方向へ駆ける。そこで驚くほど体が軽いことに気づいた。これは吸血鬼の身体のおかげなのだろうか。
レッドボアの動きに注意しながら、急いでカバンから短剣を取り出す。特に目立った装飾もないシンプルな外見をしている。鞘を取ると、15センチほどの綺麗な剣身が陽の光を反射した。
(思ったより短い…)
(だから短剣って言ったでしょ? 切れ味は一級品だから、気をつけて扱ってね)
この長さだと、かなり接近しないと切りつけることはできないだろう。アレに近づく?冗談じゃない。仮に切りつけることができても、直後に牙で突かれて終わりだ。
しかしこのまま逃げ続けても、いつかはミスをしたり、体力がなくなったりで殺されるだけだろう。
殺されないためには、殺さなくてはいけない。
田舎の祖父の家で鶏を絞めたことを思い出す。吊るし、首を刈り取り、血を抜き、羽をむしり、解体された肉の塊。そんなほぼ無抵抗の相手と違い、今回は俺を殺そうとしている存在。それを殺すことに、罪悪感を覚える必要なんてない。
思考を切り替える。アイツを殺し、生き残る方法を考えろ。
カバンを巻き込まないように位置を変え、ふたたびレッドボアを躱す。
漫画とかでこういうシチュエーションの場合、すれ違いざまに剣を入れたりするのだろうが、んな恐ろしいことできるわけ無いので却下。
現実的には速度が乗る前に切りつけるしかないだろう。
(……そういえば、こう魔術でドーンってやってくれれば一発なんじゃね?)
(魔力が枯渇寸前だから止めておいた方がいいよ)
ぐぬぬ…あの便利魔術の裏にこんな罠が潜んでたなんて。
辺りを見回してなるべく太い木を探す。そしてレッドボアと俺、木が直線状になるように移動し、木の近くへ陣取る。
そう、レッドボアが近くで停止するように誘導すれば、切りつけられる距離に簡単に持ち込める。相手が単純な動きしかしないからこそ可能である手段だった。
さあ、来い――!
そして駆けてくるレッドボアを引きつけ、横に飛んで躱す。そのまま流れるように身体の向きを変え、レッドボアへ近づこうと腰を落とし、身体をバネのようにして思い切り地面を蹴る。地面がえぐれ、俺は一足の踏み込みでレッドボアに肉薄していた。
吸血鬼の身体スペックに戦慄を覚えながら、立ち止まりかけたレッドボアの胴体を短剣で斬り下ろす。
大した抵抗もなく刃は背らから腹部にかけてすっと通り、鮮血が溢れ、腹部からは臓物がはみ出す。あまりの切れ味に驚いてしまった一瞬が隙となり、俺はレッドボアの後ろ足での蹴りを腹部に叩き込まれ、少しの浮遊感と共に地面へ背を叩きつけられた。
背と腹部の痛みに息を吐き出す。背中よりもお腹の方は鈍痛がひどいが動けないほどではない。深呼吸し、痛みをこらえながら上半身を起こすと、こちらを向き、俺に狙いを定めたレッドボアがいた。短い距離、体の痛み、座り込んだ状況。回避は期待できない。短剣はレッドボアの側に転がっている。
レッドボアが駆け出した。俺はヤツを睨みながら、鈍痛に耐え立ち上がる。既に目前まで迫ったレッドボアを目前に、せめて致命傷を避られることを期待し、右側へ跳ぶ。
予測した通りに、右の牙は避けきれなかった。
より加速するように突進したレッドボアの牙が、リョウの左上腕に深く突き刺さった。そして突進の勢いが乗り、そのまま牙が上腕を抉り飛ばしたのは幸いというべきだろう。牙がリョウの腕から外れたことで、レッドボアに引きずられその巨体に押しつぶされる事態を回避できたのである。リョウはそのまま跳ね飛ばされ、今度はお尻が地面に叩きつけられ、悶絶することになった。
リョウは生存本能からか、左腕を左胸の前に構え、肉壁とすることで致命傷を避けたのであった。しかし、その代償は大きかった。
(やべえ…血が、止まらない…)
厚手のローブは裂け、深く抉れた左上腕から血が溢れてくる。左手はだらりと下がり、まるで麻痺してしまったかのように指先の感覚はなく、ぴくりとも動かない。止血のため、そして傷口の焼けるような痛みをごまかすために右手で傷口を抑えてはいるが、この出血は処置をしないと止まらないだろう。鮮血に無意識に喉を鳴らし、荒い呼吸を繰り返す。
(たしか、血液の三分の一がなくなると、人間は死ぬんだっけ)
なんてことを考えたけど、そういえば今は吸血鬼だったと思い出し、こういうのは同じなのかなあ、とどうでもいいことが脳内にちらつく。
レッドボアに大きな一撃を入れたとはいえ、ヤツが倒れるまでどれだけ粘ればいいかわからない上に、こちらも大怪我を負っている。持久戦は分が悪いだろう。
(次避けられなかったら終わりだろうなあ)
なんとかふらつきながら立ち上がるのと、レッドボアがこちらを向き、鋭い眼光を放ちながら再び突進してくるのは同時だった。
痛みを意思の力でねじ伏せて、左肩を身体の内側に寄せながら右側へ跳ぶ。なんとか直撃は避けようとしようとしての行動だったが、あっけなくレッドボアはリョウのすぐ左側を走り抜け、回避することに成功する。
勝利条件は変わらない。殺されないこと、レッドボアを殺すこと。
左手は相変わらずピクリとも動かないが、右腕は動く。痛みを度外視すれば十分に短剣は振れるが、その短剣は探し出す必要がある。
(おー、その様子だと、覚悟は決まったかな?)
しばらく反応がなかったティアの声が響いた。こんな状況になったのも元はといえば彼女のせいではあるのだが、今はそんなことを言っている場合ではない。あまりにタイミングが良すぎるにしてもだ。
(ティア、短剣を探せるような魔術を使えないか?)
(探知の魔術があるけど、それはどういうことか分かって言ってるんだよね)
(……ああ。もし魔力が切れたら意識を失うことになるから、死ぬだろうな。そして、このまま現状維持をするにしても確実に死ぬだろうな)
落とした短剣を満身創痍の体で探すリスクをとるか、魔術で探し魔力切れになるかもしれないのリスクをとるか。
もちろん俺が殺さなくても、ティアに攻撃の魔術を使ってもらえば確実にレッドボアは屠れるだろう。しかし、魔術のことは全く分からない身ながら、この状態で攻撃魔術を使えば確実に魔力切れになるという不思議な予感がある。
こんな場所で意識を失えば、俺はもれなく他の怪物の腹の中行きだろう。
そして予想だが、攻撃の魔術よりも探知の魔術とやらの方が、魔力の消費量が少ないのではないだろうか。
(うん、分かってるのならいい。それじゃ、使うよ?)
今までにない、ティアの真剣な声。その声につられるかのように、レッドボアの動きに注視する。
――わたしは、こんなところで死ぬわけにはいかないから
ふと、幻聴が聞こえた気がした。
レッドボアがこちらを向き、突進してきた。
「精霊よ、精霊よ、集え、集え、集え―」
口から呪文が紡がれながら、俺はレッドボアを回避する。相変わらず一瞬でも遅れれば牙の餌食となるような、ギリギリの攻防が続く。
「我、ティエリア・フォンベルクが血脈に命ずる。その荒れ狂う御身を解き放て―」
何かが吹き荒れる感覚。それは凶悪な程に荒れ狂い、まるで暴風のように俺の辺りを踊るのだが、不思議とそれに安心感を感じてしまう。
レッドボアがそれに反応したのかは分からないが、先ほどよりも速度を乗せて突進する。今の俺の身体では間に合わないと直感が働く。避けるのと同時に左手での防御を行おうとしたが、何故かレッドボアの速度が直前で落ちたので、無傷で回避することに成功する。
「ああ精霊よ、導となりて我を誘え!」
そして、呪文が完成する。吹き荒れる何かが終わると同時に、少し離れた場所に白いぽわぽわしたものが飛びながら集まっていく。
(あの白い光の集まり――精霊さんたちのところに、短剣があるはずだよ)
そう聞くなり、俺はわき目も振らずにその方向へ駆ける。頭の中からレッドボアのことがすっかり消えてしまったかのように、精霊の方へと誘われるかのように。
そして、精霊たちの元には、レッドボアの反撃を受けた時に落としてしまった短剣が転がっていた。すぐさま短剣を拾い上げると、精霊たちは何事もなかったかのように方々へ散っていった。
(よし、もう大丈夫なはず。あとはまかせたよ!)
なにやらお墨付きをもらってしまった。しかし、こうして武器が手元にあるのと無いのとでは肩に掛かる重さがずいぶんと違うことが分かった今は、その言葉に納得できてしまった。
そういえば魔術を使ったのに身体のだるさがあまり変わらなかった。痛みのせいで感覚が麻痺しているのかもしれない。
―――――
「さてと。いい加減、終わりにしようか」
そして俺は、レッドボアと相対していた。
左上腕はえぐれた傷口から相変わず血が流れているが、その勢いはだいぶ収まっている。こればかりは吸血鬼の身体に感謝が浮かぶ。しかし相変わらず左手はぴくりとも動かない。
レッドボアに蹴り飛ばされたお腹はまだ鈍痛があるものの、他はほぼ痛みはなくなっている。さすがに血を失いすぎたのか、ふらふらはしているが、武器がある今、不思議と負ける気はしなかった。
そして、レッドボアが突進してくる。こいつは本当にこれしか脳がないんだな。
俺は横に跳び、その突進を悠々と躱した。そしてイメージするのは、最初に近接したときの動き。腰を落とし、身体をバネのようにして地面を蹴り、踏み込むという、ごくシンプルもの。それをできるだけ力を溜め、できるだけ遠くに踏み込めるようにイメージする。
そのとき、レッドボアの動きがスローモーションのようになった。
そして、地面が爆砕し、俺はレッドボアまでの距離――十メートル程の距離を一足の踏み込みで詰めていた。踏み込みと同時に今度はその身体を斬り上げる。相変わらず手ごたえもなく、腹部から背までがぱっくりと開く。それは偶然にも最初に斬った傷と並び、二本の爪で切り裂かれたかのような見た目になった。
二の轍は踏むまいと、即座にバックステップで後退し、少し距離をとる。
レッドボアは再び斬られた痛みからか鳴き声をあげ、こちらへ牙を突きたてようとした。だが、ヤツの動きを遅く感じるこの状態では、それを躱すのは容易であった。そしてレッドボアの喉を狙い、頭の下に短剣を持った手を突き入れ、喉を引裂こうと――
その瞬間、悪寒が走った。レッドボアはその凶悪な牙をもつ顔を大きく旋回させ、喉を掻き切るために最接近したリョウを叩き潰そうとしていた。
俺は悪寒から逃げるように喉を掻き切ることを諦め、即座にレッドボアから距離をとる。直後、俺が居た位置に、首をぶん回したレッドボアの牙が叩きつけられた。
その迫力に思わず冷や汗が出る。このような相手がスローになっている有利な状況においても一歩間違えたら死んでいたのだ。しっかり考えてから攻撃するようにしよう、と固く心に決める。
そして俺は剣を逆手に持つと、首がの動きのタイミングに合わせて一気に踏み込み、同時にレッドボアの左目に短剣を力の限り突き刺す。身体に遅れるかのように金色の髪が靡く。念のため中をかき回すように手首をひねると、短剣を引き抜き、距離をとる。そして、靡いた髪が元のように戻る。まさに電光石火のような一撃。
レッドボアは数秒のたうち回った後に倒れ、体がビクンと跳ね、そして動かなくなった。
そして、スローモーションが解除された。
(あれ、倒した…?)
俺は自分で何をしたのか把握できないまま、地面に伏すレッドボアの巨体を目前にへなへなと脱力し、その場に座り込んだ。
(うおお、何、今の? 身体加速? すごーい、こんなになるんだ。ね、ね、魔物探し出すからさ、もう一度やって見せて、ね?)
興奮気味に語るティアの声を聞きながら、俺はしばらく呆然としていた。
次話は16/08/11 18:00予定です。残業はくたばるがよい