02-01(旧) 久々の幻覚はもふもふから
修正内容:
00-06 魔物生息地として迷宮を追加
01-10 シェイムの森にあるのがダンジョン→迷宮に修正
18/01/08 サブタイトルの変更(旧の追加)
暖かな日差し。やわらかいおふとん。おひさまのかおり。
霧につつまれたみたいにかすんでぼんやりする頭は、とりあえず至福の時間を楽しむべしと結論をだした。ごろりと転がってうつ伏せになり、しきぶとんのやわらかさを堪能する。ボクはぼよぼよとはねるベッドのマットレスも、畳に敷くやわらかなしきぶとんのどちらも好き。つい飛びのってぼよんとしたり、ぼふぼふと叩いたりしてしまう。
今寝ているベッドはしきぶとんもかけぶとんも両方ふかふか。お日さまの匂いに全身を包まれながら、両手を動かしてふかふかのおふとんを堪能する。すてきにやわらかい。
「……もしかするとここは楽園かもしれない」
(ベッドの上を転がって何をしてるのかと思ってたら。頭大丈夫?)
頭の中に響くティアのことばではっと我にかえる。あぶない、おふとんの魔力にやられ二度寝してしまうところだった。身体をこてんと転がして仰向けになると、かけぶとんを巻き込んで身体を起こす。
しろい壁、ささやかに彫られた彫刻がすてきな洋服ダンス、つると花の意匠がささやかに施されている鏡台が視界にはいる。そして黒く塗りつぶされたようになっている視界の左端は、たぶんあの無茶な身体加速の影響だとおもう。
そのまま横へ視線を移動させると、カーテンの開かれた出窓があり、ピンク色の花が一輪ささやかに飾られていた。差し込んだ窓の光に照らされているのは花の形を模したテーブルと葉っぱを形取った椅子。
全体的に白を基調としているおしゃれな部屋だ。……うん、まったく記憶にない。どこだここ。
だんだんと頭がはっきりとしてきたので、確認の意味を込めて軽く手足を、関節を動かしてみる。一番無理をした左足首に痛みが残っている事以外は問題はなさそうだ。ベッドサイドへ白い素足を降ろし、傍に置かれていた茶色いパンプスを履く。その際に見慣れない淡いピンクのワンピースを着ている事に気づいた。
ノースリーブのシンプルなデザインながらも首元と裾にレースがあしらわれている事を確認すると、ため息がこぼれる。
「間違ってはない、現性別的に間違ってはないんだけれど……」
(アヤに女の子としての意識が芽生えてきて微笑ましい限りだよ)
ティアへ流路を使いジト目を向けるような感覚をプレゼントすると、裾に気を付けながら立ち上がる。そのままぐるりと部屋を一周し、痛みはあるけれど歩くのに支障がないことを確認する。
(うん、大丈夫そうだ。とはいえ、どうしたものかな)
(まずは場所と時間の把握をすべきじゃないかな。それと悪魔を倒してからどうなったのかを)
そこでドアがノックされる。
反射的に返してしまった言葉は「入ってます」。一体俺は何を言っているのだろうと内心頭を抱えていると、ノックをした人も困惑してしまったようで暫し無音の時が流れた。唯一頭の中で声を上げて笑っている奴がいるが、後で覚えておけとささやかな報復を誓う。
何とも言えない空白が数秒続いた後、失礼いたしますという声と共にドアが開かれる。何もなかったように繕う気づかいがただただありがたい。
「アヤ様、お目覚めになられたのですね!」
高い声でそう言ったノックの主は、黒を基調とした服に白色の前掛けをつけた女の子だった。いわゆるクラシカルなメイド服といった服装だ。単純に考えてこの屋敷で働いているメイドさんかな。
「……うん、先ほど目が覚めたところです。ところで此処は何処なのでしょうか」
「エガード王国の交易都市アルレヴァの、ノエル・アーヌルス様の御屋敷にございます。……ああ、アヤ様のお目覚めをお伝えしなければ! アヤ様、皆様をお連れいたしますのでしばらくお待ちくださいませ」
メイドさんは有無を言わせないような早口で告げるとそのままUターン。ドアの閉まる音と駆けていく靴音が響き、部屋には再び静寂が戻ってきた。
(……言葉は丁寧なのに、行動がせわしないね)
(そうかな? 完璧な侍女よりも、あんな風にどこか抜けてる子の方が可愛げがあると思うよ)
(……なんとなく、ティアが平常運転に戻った感じがする。平和、かぁ)
万感の思いを込めてほふう、と息をつく。あの魔物の軍勢に囲まれた状態でユッカちゃんの魔術で悪魔の止めを刺した記憶を最後に、こうして平和におふとんに精神を侵食されるまで意識が飛んでいたのだから、今のこの状況についての想像はつく。
(いきなりどうしたの? やっぱり頭でも打った?)
寝起きからぼんやりしていた思考がようやくまとまってくる。うん、やっぱりティアはいつものティアであるのがいい。そんなことを感じていると無性に笑みがこぼれてきた。
ますます本気で心配してくれるティアには申し訳ないけれど、俺はドアが再度ノックされるまでの少しの間、胸がぽかぽかとあたたかいのを感じながらゆったりとした時間を過ごしたのだった。
「アヤさん!」
「アヤお姉ちゃん!」
「んげふっ」
ティアとのんびりとした時間を過ごしていたところ、突如部屋に飛び込んできたのは二つの影。その突進をもろに受けてしまい、口から奇声が洩れた。特に幼女さん、おなかにダイレクトアタックはやめて。
強烈な一撃に咳き込みつつも、二人の無事な姿を確認できて口元が緩むのは仕方ないと思う。
「三日も目を覚まさなかったんですよ! ……ほんとう、よかった……」
「ん。目を覚ましてくれて、本当に、良かった」
ユッカちゃんが目を潤ませながら、キャロに至っては涙を浮かべながらそんなことを言われてしまっては、飛び込んできた文句なんて言えやしない。
「三日、かあ。……心配をおかけしました」
「……ん。アヤさんの疾風迅雷の一撃のおかげで悪魔を討てたけれど、こんな無茶、二度とやっちゃダメ」
「アヤお姉ちゃんなら、勝つと思ってたけど……うえぇぇ、無事で良かった、本当に無事でよかったよぉぉぉ……うぁぁぁん――!」
二人から向けられる言葉に感情に、心臓がきゅうっと締めつけられる。一番高い可能性を手繰り寄せてそれに賭けた結果勝てた、ただそれだけなのに。
「……ごめんね。キャロ、ユッカちゃん、ありがとう」
私なんかのために心配をかけてしまったことが悔やまれる。あの時は選択肢自体ほぼ存在しなかったのだ。
例えば魔術が使えてたら。例えば身体加速の仕様を事前に確認していたなら。心配をかけない結果になる選択肢も存在したかもしれなかった。
――ああ、私はあの時からまだ一歩も動けてなかったんだ。
あれほど力を渇望していたのに、行動に移せていなかった。妹が死んだことから何も学べておらず、また繰り返してしまうところだった。私は何をやっているのだろうと自嘲の笑みがこぼれそうになる。これなら自分の存在を見失っていた、廃人同然だったあの頃と変わらないじゃないか。
幸い今回は上手く事が運んだ。けれど次はないかもしれない。
私は確固たる力を手に入れる。幸い身体は頑丈であり、魔術という手段もある。不条理をものともしない力があれば、今度こそ平穏無事に暮らせるだろう。
心の中で決意を固めている間、私はキャロとユッカちゃんにされるがまま抱き着かれていた。
「ええと、そろそろ離れてほしいんだけれど……」
決意を新たにした後、十分に時間を見計らい声をかけると二人はしぶしぶといった様子で抱き着いていた身体を離してくれた。
二人ともいつものローブ姿ではなく、キャロは白いブラウスと青と白のチェック柄のエプロンドレス姿で髪を右サイドにまとめている。一方ユッカちゃんは胸元から裾までタックの入ったベージュ色のデコルテのドレス姿で、髪はいつもの両サイドにまとめた髪型ではなく、バレッタで前髪を整えているだけだ。……あ、よく見ると毛先にカールかけてた。
ローブ姿って本当に地味なんだなあと再認識しつつ、可愛いらしくまとまったキャロと気品漂うユッカちゃんの姿になにやらもやもやしたものを感じる。ぐぬぬ。
「ってあれ、キャロのその服……」
「アヤお姉ちゃんの服を買いに行くときに一緒に買ってもらいました!」
ユッカちゃんと目を合わせ、にこにこ顔を浮かべるキャロ。なるほど、今着ている見慣れないフェミニンなワンピースは新しく揃えたものだったのか。
「……というか支払いは!? 支払いはどうしたの!?」
「それなら私が出した。気にしなくていい」
「気にするよ、気にしちゃうから! 金策して返すからね!」
ユッカちゃんの心遣いだったみたいだけれど、さすがにお金を出してもらうのは心苦しい。
「大丈夫、格の問題があったから。ここにアヤさんを連れてきた私の責任」
「……格の問題?」
何やら嫌な予感のする単語である。あまり聞きたくはないけれど、聞かないなら聞かないで問題がある気がする。すーはーすーはー。心を落ち着かせて、何が飛び出してきても平常心を保てるように。
「ノエル・アーヌルス魔術師爵に食客待遇をお願いしたから。貴族と正式に会するための服装が必要だった」
そういえば、とユッカちゃんは思い出したように、宿は引き払って荷物は既に運び込んでいることを付け加えるように言った。対する俺は貴族という単語に固まっていた。関わらないようにしようと心に決めていたのにどうしてこうなったのかと自問自答する。
結論は直ぐ出た。そもそもからして、ユッカちゃん自体、貴族だったや。だってユッカちゃんから高貴さというか、貴族らしさを殆ど感じなかったもの。油断しても仕方ない、はず。
そんな俺の目へと焼き付けろと言わんばかりに今のユッカちゃんの姿からは思いっ切り気品が混じったご令嬢オーラが溢れ出ている。擬態恐ろしい、ローブ擬態恐い。
「ええと、食客待遇って何」
「ん。暫くアルレヴァの貴族からお誘いがあると思う。だから立場上しばらくアーヌルス家に厄介になることにした。勝手に決めてしまってごめんなさい」
声を小さくしながら頭を下げるユッカちゃんにあわてて大丈夫だから、問題ないから、気にしないからと頭を下げる。貴族であるユッカちゃんが必要だったと判断したのだから、俺に口をはさむ余地はない。
そうしてお互いへこへこと頭を下げる姿に、どちらからともなく笑い声が洩れるのだった。
―――――
あの後も暫くユッカちゃんとキャロの三人でいろいろと話していたのだけれど、夕食の時間ということでこの屋敷の持ち主、ノエル・アーヌルス魔術師爵様と会食という流れになった。なってしまった。
アーヌルス家はフォンベルクやスノウラインと関係があるとは聞いているけど、緊張するものは緊張してしまうのだ、しかたない。
今の俺の恰好は白いブラウスに黒のフレアスカートだ。持っているおしゃれ着の中では一番まともなものであり、この品質だと問題ないとメイドさんとユッカちゃんに太鼓判を押されたものである。次点がゴスロリ調のワンピースということで察してお願い。
フレアスカートは少し動いても下に履いているドロワーズは見えないことを確認している。ドロワーズとはいえ、下着を晒す趣味なんてないもん。
髪型はユッカちゃんとメイドさんが頷き合うのを合図に、みるみるうちに整えられた。長さをそのまま残しつつもアップにされた髪型に思わず心が跳ねて、鏡台の前で口元を緩めながらくるくると回る姿に生暖かい目を向けられたのは黒歴史である。最近どうも感情と行動が直結することが多くなっていて、なんとかしたいところだ。
ユッカちゃんは黒のイブニングドレスに着替えていた。時間帯、どんな集まりであるのか、相手との格などによって服装を決めなければいけないらしい。貴族って本当に面倒くさいんだね。
メイドさんに先導されて食堂まで進む。順番はなぜか俺が一番前、次にキャロ、最後にユッカちゃん。並び順これでいいんだよね、大丈夫だよね。
ちなみにこのメイドさんはニーナさんという名前で、十年前からノエル様付きをしているらしい。
広いお屋敷、様々な調度品、メイドさん。住む世界が違うなあ、とぼんやり考えながら揺れるシュシュで纏めたこげ茶色の髪と腰の後ろで結ばれた蝶々を追いかける。
そして広間を抜けて両開きのドアを開いた先には、ショタがいた。
「ようこそ、アヤ様、キャロット様、ユッカ様。僕はノエル・アーヌルスと申します」
ノエル・アーヌルス魔術師爵様。エガード王国の魔術師の名門一族であり、アルレヴァの魔術師団団長を務める十七歳の男の子。
人懐こそうな笑みを浮かべる少年を見つめる。儚さを感じるようなプラチナブルーの髪に碧眼。思春期の境をうろついているような、いや、やや幼い方向に傾いた顔つきは庇護欲をそそるような愛らしさがある。そして変声期前のような透き通るような声音に思わず息が漏れた。
人間の間では成人は十五歳からなので、ノエル様はれっきとした成人である。実は吸血鬼族もある条件を満たせば肉体年齢の成長が止まるらしいので、種族にもよるけどこの世界の人々の外見と年齢はあまり結びつかない。ノエル様はれっきとした人間なので例外だと思うけれど。
さっきから頭の中で興奮しているティアを無視して口を開く。
「アヤ、ヒシタニです。ノエル様、この度はありがとうございました」
ぺこりと頭を下げる。マナーは知らないけれど、その事はノエル様も分かっているだろう。重要なのは心がこもっているかだと思う。
「ほら、キャロちゃんも、挨拶」
ユッカちゃんがキャロに小声で促すと、くりっとした蒼色の目をノエル様へ向ける。愛らしさでいえばこの幼女も負けていない。
「キャロット・シュレスです。アヤお姉ちゃんを助けてくれてありがとうございました」
「あはは、そんなに改まらないでください。防衛戦の英雄である上、ユッカ様にも頼まれた事ですから」
ノエル様がユッカちゃんへと目線を向けると、ユッカちゃんは感謝します、と頭を下げた。……俺が寝ている間にいろいろとやり取りがあったみたいだ。
それにしても三人とも様づけ、かあ。フォンベルクの立場が高いとしたら俺につけるのはわかる、妹という設定のキャロもだ。そしてユッカちゃんにつけるのはスノウライン家が本家のようなものだからということなのだろうか。ああもう面倒くさい、どちらも魔術師爵なのだから対等ってことでいいじゃん。
ちなみに国によって異なるらしいけど、大まかに爵位は上から公爵>侯爵>伯爵>子爵>男爵>騎士爵=魔術師爵。貴族によっては複数の爵位を持っていたりと中々に身分制度は複雑そうである。
その下は平民、奴隷、犯罪奴隷と続く。そう、この世界には奴隷制度があるのだ。
奴隷制度は国によっていろいろと異なるらしい。一般の奴隷が禁止されている国、奴隷が自分自身を買い取ることができる国、一切の権利が保障されない国など様々である。一方犯罪奴隷はその名の通り犯罪を犯した者が落とされるものであり、ほぼどの国も同様の制度ということだ。そして人攫い等で無理やり奴隷にされた違法奴隷という存在もいるらしい。ぶるぶるぶる。
「細かい話は後にして、先に晩餐にしようか。……トーマス」
「はっ、ただ今」
執事のような男性が丁寧な動作で頭を下げると、部屋の外へと出ていく。こうした自然な使用人とのやり取りを見ると、改めて生まれの差というものを感じてしまう。
「こちらにかけてください。……ああ、貴族の会食ではないのですから、マナーを気にすることはないですよ」
ノエル様は手のひらを上に向け向かいの席を示す。その所作に合わせて彼の着ているシャツの袖にあしらわれたフリルがふわりと揺れた。中世を舞台にした映画とかでフリル付きの服を男性が着ているのは見たことあるけれど、実際目の前にしてみるとあまり違和感を感じない。お高くとまっているように見えるわけでなく、あくまで可愛らしいのだ。
……先ほどからなんとなく思考がおかしい気がする。……すわっ、もしかして他人を魅了するような能力を持ってるのかっ。
微妙に警戒しながらも、勧められるがままノエル様と対面する位置につく。左手側にはキャロ、右手側にはユッカちゃんという配置だ。……だからなんで俺が三人の中心人物みたいになっているの。
メイドさんがワゴンで運んできた食事は、やわからいパンにスープ、サラダ、香り高いソースとお魚のソテー、さっぱりとした味わいのテリーヌ、様々な果物にいちごっぽい味のシャーベットなど。コース料理みたいな形式でなかったことに俺の小市民な部分がほっとする。緊張して味が分からないとか勿体ないもの。
宿で食べた豪快な食事とは明らかに異なる上品に盛り付けられた品々に舌鼓をうつ。見た目といい味といい量といい大満足だ。人間の三大欲求の一つが食欲なのだ、その食を楽しまないのは文化への冒涜だと思う。ただし美味しいものに限る。あと吸血鬼に当てはまるのかは怪しい。キャロも満足したようで口元が緩んでいた。ユッカちゃんは平常運転。同じ席で延々と芋を食べた仲だけれど、こういうのも食べなれてるんだろうなあ。
食事は終始和やかな雰囲気で進んだ。ノエル様の何気ない話が案外面白く、キャロやユッカちゃんも耳を傾けていた。ただし三日後に領主様主催の下で戦勝会があるなんて話題は出してほしくなかった。当然のように俺も招待されているらしい。聞きたくなかった、知りませんでしたで押し通したかった。あーあーあー。
ぴこぴこ。ぱた、ぱた。
「病み上がりだから胃に優しいものを用意したんだけれど、お口に合いましたか」
「はい、いつもは粗雑な料理ばかりだったのですが、見た目といい、味といいとても素敵な晩餐でした」
ノエル様の言う通り、油でぎとぎとしたような品や肉、という感じの品はなくて、全体的に口当たりがよいあっさりとしたメニューだった。
「初めて食べるものばっかりで、とても美味しかったです!」
ぱたぱたぱたぱた。
「気に入ってくれたようで何よりです。料理人にも伝えておきましょう」
にこり、とノエル様がやわらかい笑みを浮かべる。
……先ほどから身体がそわそわしてしかたがない。
無意識にノエル様の頭に手を伸ばしそうになるのをぐっと我慢する。食卓が間にあって助かった、彼のスマイルに当てられていると頭を無性に撫でたくなるのだ。先ほどからあるはずのない耳や尻尾をぱたぱたさせている幻覚も見えるし、いや幻覚じゃなくて本物? 耳や尻尾の生えた人族も居たし。
(人間だよね? 本当にこの子、人間だよね?)
(アヤお姉ちゃん、このおにーちゃんに抱き着いてみたい)
(キャロ、ストーップ! 仮にでも貴族様なんだから、お友達から始めなさい)
(はーい)
(うへへ……アヤ、この子お持ち帰りしなさい)
(アヤさんはいきなり何を言ってるの。ティアさんは落ち着いて)
ティアが性的な意味での捕食者みたいになってて怖い。身体を乗っ取られないようにと密かに決意を固める。どうやって防げばいいのか分かんないんだけども。……ああ、すれてないキャロとユッカちゃんに癒されるよう。
ちなみに今の念話の通信網は俺・ティア・ユッカちゃんと俺(・ティア)・キャロの二系統あり、ややこしい事この上ない。……ティアはさっさとキャロに存在を明かせよ、面倒くさい。
それから場所を変え、談話室のようなところに俺、ノエル様、ユッカちゃん、キャロが集まっていた。皆の前に紅茶を用意した後、執事さんやメイドさんたちは部屋の外へ退出している。
「この部屋は盗聴防止の結界を施しています。さて、本題にかかりましょうか」
ノエル様が言った通り、部屋を覆うように魔力の気配を感じた。ユッカちゃんの時のような本格的な話が始まるのだと気を引き締める。
(アーヌルスには私の存在を隠す方向でよろしくねー)
(へ?)
そこへ俺とユッカちゃんに伝えられる能天気な声。頭の中で思いっ切りツッコミを入れつつユッカちゃんへ目線を向けると、ユッカちゃんはこくりと頷いていた。
(当主ではなくその三男、しかも爵位を得て分家になってるから、ある程度情報は伏せるべき)
ユッカちゃんの説明で納得する。ティアの発言は説明が足りていないのか、それとも俺の理解力が足りていないのか。おそらく後者が大きいのだろうけど、この世界の常識や貴族事情を俺に求められても困る。
さて、戦士は剣などを武器に戦うけれども、貴族は言葉を武器に会話で戦うという話がある。社交界なんて貴族の戦場であると聞く。貴族云々はともかく、今までの経験――悪魔との会話や、ユッカちゃんのやり取り――から会話は戦いでもあるということは実感している。
見せていい情報、伏せるべき情報、それを表情や仕草に出さないようにする努力、その上で相手から情報を引き出す手腕。……難易度が高すぎやしないかな。そして何故身に着けておいた方がいいという勘が働いているのかな、腹の探り合いは嫌いなのに。
言葉の剣の柄を握りつつ席に着くはスノウライン家、アーヌルス家、そしてフォンベルク家。キャロはフォンベルクに含めてしまおう。
この中でフォンベルクは唯一魔族側なので、まずはこちらから話すのが筋だろう。
「……改めまして。私はアヤ・ヒシタニです。母はティエリア・フォンベルク。家名は異なりますが、フォンベルクの血族です」
「今回の防衛戦では、盟約の下彼女の力を借り受けていました」
「ユッカ様からフォンベルクの血族とは聞いていましたが、まさか『魔女』のご息女でしたとは」
俺の言葉に、ノエル様の背筋が元々以上にぴんと張った。心なしか尻尾もぴんと張っているようだ。もふりたい。
……ごほん。早速聞き逃せない単語が出てきた。思い返せばユッカちゃんとの話し合いの時に既に出てきていたっけ。あの時はスルーしたけれども。
「……もしかして、その『魔女』っていうのは、ティエリア……お母さんのことでしょうか」
「はい。『魔女』ティエリア・フォンベルク。ありとあらゆる魔術に精通している凄腕の魔術師と聞いています」
「戦術級どころか戦略級に匹敵するという話もある」
(いやー、そんな言われると照れ……こほん、友人として誇らしいねー)
前々からティアのことはただ者ではないと思っていたけど、開始早々にとんでもない話が飛び出してきた。戦略と戦術という言葉の違いは何となく分かる。戦略は物事の全体を見据えた上での方針、戦術は物事を局地的に見据えた方針。
防衛戦で広範囲の魔物を殲滅した魔術が戦術級と呼ばれていたのを基に考えると、魔物の軍勢や悪魔そのもの、敵国に致命的な破壊を巻き起こし、局地戦ではなく戦争そのものへの勝利へ至る手段が戦略級である。
……え、あの残念吸血鬼のティアが? 一番そんな力を持たせたらいけないと思う人、いや吸血鬼だよね? どうせロクなことをしないんだし。
「……初耳です。すごい魔術師であるとは思っていましたが、そんなに」
「ちなみに、ティエリア様は今どちらに? 一度お会いしてみたいです」
ぱたぱたぱたぱた。
こっちに身を乗り出したノエル様の尻尾が素早く左右に揺れる。幻覚だよねこれ、幻覚で合っているよねこれ本当に。
興奮するノエル様にティア育児放棄設定を伝える。顔を少し伏せ、なるべく無表情をつくって特殊な事情があるように見えるように。
「残念ながら、蒸発して行方不明です」
へにょり。耳が垂れ下がり、しょんぼりとした表情になる。
「そうですか……心中お察しします」
「……いえ。話の腰を折ってしまいすみません。ええと……彼女はキャロット・シュレス。血のつながらない私の妹です」
ティアへと逸れてしまった話を元に戻し、なぜか俺をじっと見つめているキャロの紹介をする。キャロは視線を戻すと、ぺこりと頭を下げた。
「ええと……はじめまして。アヤお姉ちゃんに命を救われてから、一緒に旅をしています」
「うん、こちらこそよろしくお願いします」
キャロの無邪気さに当てられたのか、ノエル様は口元を緩ませて尻尾をふりふりしつつキャロと同じように頭を下げる。……本当、正しい作法が分からない。この頭を下げるのも、謝罪の意味があるのは知ったけれど、敬礼、敬服の意味はあるのか、挨拶の意味はあるのか、それともキャロに合わせてくれたのか。後でユッカちゃんに教えてもらおう。
ともかくこれで話のテーブルは整った。魔術のスペシャリストであるティアがいて、直接悪魔と戦った以上、こちらが得られる情報は殆どないだろう。重要なのは余計な情報を漏らさないこと、この一点。……やることを纏めると途端に面倒に思えてきた。だってこっちが得るものが殆どないもの。ぱたぱたと揺れる尻尾は堪能できるけど。
よし、良いような悪いようなどちらともとれるようなタイミングだけれど、ちょうどいい機会だ、暴投をかまそう。……ユッカちゃんに。
(ちなみにキャロはドライアドです。ノエル様には内緒にしておきましょう)
(ふぁ?)
ユッカちゃんへこっそりとキャロの種族を伝えると、ぶんっとキャロへ顔を向けて見つめるという劇的な反応をみせた。……不謹慎だけれど、ちょっと面白いと思ってしまった。
(……なるほど、シェイムの森での見たこともない魔術、納得がいった)
(魔術だけじゃなくて固有魔法もですけどね)
(え、あれ? アヤお姉ちゃんの声だけでなくてユッカさんの声も聞こえる?)
(うん、ユッカちゃんとも念話を繋いでみたんだよ。皆で秘密の会話をするなら便利でしょ?)
(なるほど、さすがアヤお姉ちゃんです! ユッカさん、こっちでもよろしくお願いします)
(ん、よろしく)
ユッカちゃんとキャロが念話でこっそりとあいさつを交わす一方、音を介した会話では悪魔についての情報の共有を行っていた。
アルレヴァを覆っていた結界の正体。
南部隊の戦局の推移と悪魔の行動。
悪魔が行使した攻性結界の魔術の効果と空間切断で破壊できるという情報。
目視できない程速い斬撃の魔法。
Sランク二人とAランク一人と近接戦を行える戦闘能力。
そして悪魔の最後。
やはりと言うべきか、殆どが見知った情報ではあったけれど、ノエル様はティアとユッカちゃんによる考察に目を輝かせていた。尻尾はそれに合わせて激しくぱたぱたと振れている。
「数に任せた稚拙な攻めと数々の重ねるような嫌がらせ、そして結界。悪魔の目的は感情と魂を集めることにあったと推測できる」
その言葉に四人で頷く。元々予想はしていたことではあるし、防衛戦での証拠を重ねていってもこの内容しか導き出せない。……キャロだけはどこまで理解できているのかという別の心配事はあるけれど、もうちょっとだけ我慢してほしい。
「では、ここに新たな情報を混ぜてみましょうか。これで違うものが見えてくるはずです」
「新しい情報、ですか……」
「はい、悪魔の裏にいる存在について、です。まずはシェイムの森で悪魔と直接会話したという情報からいきましょうか」
ここまでは上に提供していた嘘の混じった情報と防衛戦での情報を元にしたお話。人族と魔族の戦争に関わるかもしれないので開示すると決めたはいいけれど吉と出るか凶と出るか。
空気がぴりりと切り替わったのを感じたのか、自然と皆の表情が引き締まる。
まずは悪魔との会話で候補に挙げられたフドラクの存在。それにティア提供の百年以上前の『ベイグラントの悪夢』の詳細な情報が付け加えられる。今回のアルレヴァ防衛戦での悪魔の行動はあまりにもベイグラントの時と重なりすぎている。
「つまり、表面上は悪魔がアルレヴァに攻め入ったように見えるけれど、これはれっきとした魔族……というよりフドラクが仕掛けてきた戦争なんです」
俺が言った内容を受けて、ノエル様が頭を抱えながらぶつぶつと言葉を呟く。耳もへんにょりと下がっている。
「アルレヴァが落ちていたら、人族連合軍は間違いなく瓦解する。挟脈交易路とロールス川を押さえられると、残るのは流通量の少ない海路だけになっていた。……改めてお礼を申し上げます、アヤ様、キャロット様、ユッカ様」
事の重大さを認識し、トリップしていたノエル様が戻ってきたけれど、これはもう過ぎたこと、切り抜けたことでしかない。最後にティア曰く爆弾が残っているのだから。
「……最後に。アルレヴァの東にシェイムの森がありますよね」
「はい、悪魔が姿を現した場所ですね」
「悪魔によって森にあった地脈口が破壊された上、シェイムの森が死にました」
言葉を聞いたキャロはため息を零しながら遠い目をしていた。在りし日のシェイムの森を思っているのだろうか。そんなキャロの手を握りしめる。……状況が落ち着いたら、キャロを連れてシェイムの森に行こう。
そんなキャロとは対照的に何か感じているのか、ノエル様は手を強く組み、ユッカちゃんはお腹を抱えるように身を縮めていた。俺も森を抜けるときのキャロの言葉を不吉に感じていた。
シェイムの森が死んだのがどういうことであるのかを当然のように理解していない俺は、ティアの説明をほぼそのまま口にして皆へと伝える。
森は大きく二種類に分けることができる。一種類目はただ木々が生い茂るだけの何の変哲もない森。二種類目は地脈口が存在する森。地脈口から放出する魔力は森に様々な恵みを与え、動植物が豊かな森を形成する。
「この森の地脈口が魔力を放出しなくなると、魔力に依存していた森の植物は――例えるなら呼吸ができなくなって死滅します。これが森の死です。……アルレヴァは防衛戦に勝ちましたが、潤沢な資源の宝庫であったシェイムの森は奪われました。そして魔力で成長した植物の死骸は瘴気を生みます。死骸を取り除く等の対策を打たなければ、数年のうちに新たな【深淵の森】が生まれるでしょう。私の情報は、以上です」
嫌な予感しかしない言葉を吐き出し終えると、ノエル様とユッカちゃんは顔を真っ青にしていた。二人の反応を見るに深淵の森というものは相当にヤバい代物みたいだ。
「……辺境や 聖域 に存在するあの深淵の森が、挟脈交易路近くに……?」
「フォンベルクの盟友よ、情報感謝します! 申し訳ありませんが、直ちに対策を立てなければならないので領主様の下へと向かいます。このお詫びは後日に!」
ユッカちゃんは呆然と言葉を呟き、ノエル様は青い顔色のまま尻尾をぴんと立てて慌ただしく部屋から退出していった。あの様子をみるに尋常じゃない案件だぞこれ……。
(……ティア。深淵の森って何?)
(森を覆う瘴気のせいでまともに足を踏み入れる事ができない、災害級の魔物が跋扈する人外魔境、かな。深淵の森の魔物が一体森の外へ出るだけで幾つもの街が滅びるだろうね)
ティアのその不吉極まりない言葉に、この街にゆっくりと滞在しようと思っていた俺はその考えを綺麗さっぱり消去する。そもそも俺が悪いのではないし、事前に危険が発生することが決まっているのなら逃げるが吉だ。
ユッカちゃんは紅茶を口にしながら、きゅっと胸を押さえつけている。まるで心を落ち着かせるような行動の後、意を決したかのような表情を浮かべた。
(ティアさん、防衛戦の時この情報は提示されなかった。なぜ?)
(その反応が答えの一つだよ。悪魔討伐直前にこんな大事を告げられて平常心を保てたと自信はある? それともう一点、)
実際に殺されたシェイムの森を調べてみないと確証は得られないけれど、と前置きをした上で、ティアはさらに言葉を続ける。
(現魔王様だけではなく、【悪しき神】が噛んでいる可能性がある。……やっぱりね、その様子だと後で伝えて正解だったみたいだよ)
悪しき神、という言葉に反応したユッカちゃんが手にしていたティーカップを取り落とし、陶器が割れる音が響いた。その音にびくりと反応したキャロの頭を撫でながら、俺は今までの情報を自分なりに頭の中で纏めていた。
Q:リョウが妙に女物の服に詳しいのはなぜ?
A:だいたい沙耶(妹、故人)のせい
本編に並行してちまちまと序章の改稿作業を進めています。終わり次第一気に差し替える予定です。
次話は17/06/02予定です。