01-27(旧) 私のできること
17/05/08 お待たせしました、完成版差し替えです。
18/01/08 サブタイトルの変更(旧の追加)
右手。
――痛みはあるけどしっかりと剣は握りしめている。
左手。
――動かない、感覚もない。
右足。
――痛みはあるけどなんとか動く。
左足。
――動くが足先の感覚がない。
痛み体の軋みを訴える身体を無視して身を起こすと、直後に濃密な魔力が首のあった場所を走り抜けた。
(アヤ!)
「アヤちゃん! 誰か、回収を!」
「オーギュスト!」
「腹立たしい程に運のいい小娘ですねぇ」
「がはっ、はあっ、はあっ」
咳をするように息があふれる。頭から垂れてきた血が睫毛に引っかかり、右手の袖でぬぐう。ふらつく身体で何とか立ち上がろうとすると、駆けよってきた騎士二人掛かりで抱え上げられた。息も絶え絶えにお礼を言いつつ大人しく運ばれていると、オーギュストさんも別の騎士に肩を貸されて歩いているのが視界に入った。
「回収完了いたしました!」
「回収って……もっと別の、言い方……なかったの……」
文句をいいつつも再び地面に寝かされて手当をうける。
一番傷が酷いのは左腕。二の腕はおおきく抉れ傷口から覗くほねはかんぜんに折れていて、ぷらぷらと繋がっている状態。足首の傷はそうおおきくないけれどこちらもほねが折れているようだ。そして全身にわたる切り傷。
どうやら、大量の黒い刃から急所は守りきれたようだ。
「状況は……?」
「攻性結界の破壊は成功。オーギュストさんは命に別状はなくて、アヤさんはそのまんま重症。悪魔にはファルクスとフォルツが当たってる」
ほっと息を吐いて表情をすこし崩したユッカちゃんがおしえてくれる。
出血はずっと続いているけど事前にのんだ薬が効いているのか、もう凝固が始まっている。魔術師の女性によりぱっくりと斬られたブーツが脱がされ、ローブを捲り上げられる。傷口に薬らしき液体をふりかけられると、添え木と共に包帯のように細長い布でぐるぐると巻かれ固定された。
脱がされたブーツを履かされつつ、これはもう戦闘復帰はむりかなあ、とせめて回復だけでも早めようと一抹の望みをかけてティア特製ビスケットを求めバッグをあさる。片手ではビスケットの入った袋をなかなかあけられないのを見かねたのか、ユッカちゃんが開いてくれた。そのうえ食べさせようとしてくれたので、気恥ずかしさを感じながらも甘えてビスケットをかじる。
こうしている間にも激しい剣戟の音が絶え間なく鳴り響き、ファルクスさんとフォルツさんが必死に応戦している様子がありありと想像できる。
全身に渡りじんじんと体を苛む傷と、ぼんやりするあたまも相まってか、側にいる魔術師さんに、ユッカちゃんに、周囲の人達に、悪魔と対峙していることに、唐突に現実感を感じられなくなった。
俺を含めた周り全てを俺自身が後ろから眺めているような、全ての物事が他人事のように思える不思議な感覚。身近なはずの世界に、あまりにも隔絶した距離を感じる。まるで遠く遠く、俺自身の意識が切り離されてしまったかのよう。
一際大きな金属同士がぶつかるような音と共に、激しく打ち合う音が鳴り止む。
「このまま無駄な攻防を続けてもよいのですが、さすがに単調過ぎて飽きてまいりました」
久々の感覚に怠惰に身を委ねていると、耳にはいっている不快なこえを感じる。そして悪魔から再びあの魔力の気配を感じた。確証はないけれど、もう一度攻性結界を構築しようとしているのだとおもった。
「大勝負の結果を白紙に戻すようで大変心苦しいのですが。無駄ぁーな努力、ご苦労様でした」
(攻性結界がくる)
念話を送るのも、まるで自分の身体を紐かなにかで外から操作しているような感覚だった。元の世界では魔術なんて存在しなかっただけに、その新たな感覚に少しだけ戸惑った。
(それは不味い、ユッカちゃん妨害を!)
「 理 よ、我ユッカ・スノウラインが御す!」
ユッカちゃんが攻性結界の妨害しようと詠唱を始めたけれど間に合わない。悪魔の術式は既に辺り一面へと展開されている。
その術式を見ているとふとユッカちゃんが術式を書き換えていたみたいに、壊すことができないかとおもいたった。術式を構成する記号へと右手を伸ばすと、術式はするりと右手を透け通り抜けた。術式には肉体では干渉できないようだ。それならば魔力には魔力をと魔術の訓練と同様に右手に魔力を纏わせる。
(アヤ? 一体何を?)
(……わるあがき、ってやつ)
再び術式へと手を伸ばし、握り込むとあっさりと手の内に納めることができたが、それと同時に焼け付くような激しい痛みに襲われ声がこぼれる。まるで悪意そのものを存在の根幹に刻み込まれるような、耐え難い感覚。
「あぐううううっ、こ、なくそおおおお!」
得体のしれない痛みに強張る体を鞭打ち、思い切り力を込めて術式を引きちぎる。直後に術式は魔力を帯び霧散すると、効果を発動するべく頭上から濃紫色をした結界が水平に広がっていった。そして結界は半球を形取ることなく、そもそも形を維持することなくそのまま砕け散った。
その様子を見た悪魔が目を剥き、直後にユッカちゃんの詠唱が完成する。
「絶凍の概念よ、世界を書き換え永遠をもたらせ!」
ティアがユッカちゃんに伝授したものは絶凍の理術と名付けられた術。既存の魔術とは微妙に異なる体系なので、理という言葉から理術と名付けたらしい。
その理術は悪魔から抵抗を受けることなく発動し、瞬時にして足元から氷結していき、目を見開いた表情そのままに氷漬けになった。
展開に失敗した攻性結界がはらはらと舞い落ち消えていく幻想的な光景の中、好機だと見たファルクスさんが悪魔へと斬撃を放ったようで、まともに受けた身体が氷の細かな結晶と一緒にきらきらと光を乱反射しながら砕け散った。
(……アヤ、一体何をしたの?)
(攻性結界の術式をひきちぎってみた)
我ながらあたま悪そうな回答だけどあたま回ってないからしかたない。
(アヤさん、もしかして悪魔の術式が見えて、干渉できるの?)
(ユッカちゃんの術式書換の練習をながめてたらみえるようになった。手に魔力をまとわせたら術式にさわれた)
(……魔力には個人個人で違う波長があって、自分の魔力しか詳細が分からないものなの。だから自分自身の術式は見えても他人の術式はぼんやりと魔力があることしか感知できないんだよ?)
(みんなみえてるものだとおもってた)
(アヤ、後でじっくりその話聞かせてもらうからね)
適当に返事をしつつ、剣帯から魔鋼の剣を取り外し、制止するユッカちゃんたちを必要なことだから、と押しとどめ、それを杖替わりにして立ち上がった。こうすることですわっているよりもたくさんの情報がはいってくる。ちんまい身体のおかげで細かくはわからないけれど。
左手と左足の状態は芳しくない。動く必要が出てきたとき、左足はつぶすしかないんだろうなあ。
ぼんやりとかんがえをめぐらせていると、悪魔の身体がバラバラに砕けた場所にまるでヘドロのようにどろりと重みのある醜悪な気配が発生した。そこには黒い靄を伴いながら何事もなかったかのように肉体を再生させた悪魔の姿があった。ただしその表情は赤く激昂に染まっている。
「忌々しい小娘がっ!」
悪魔は声を荒げユッカちゃんの方向へと腕を振るう。おそらく守りについた騎士ごと斬るつもりだったのだろう。空間がゆらぎ放たれた瞬速の攻撃は、まるで見切ったと言わんばかりにカイさんによって甲高い音を伴いながら鈍色の剣身に叩き落された。
そして初めて見えない攻撃の正体が露わになった。飛来していたのは、攻性結界が放っていたような黒い刃。刃は地面を転がり残滓を振り撒きながら分解され、すぐに消え失せる。
「魔力による斬撃……? 魔術、いや魔法によるものなら防御結界を破壊したのも納得できる」
「……タネが早々に割れるなどと、不愉快でございますねえっ!」
悪魔が腕、いや爪を振るい空間がゆらぐと同時に甲高い音が響く。再び攻撃を防げたと思うや否や、ずるり、と騎士の二人の身体がずれた。鮮血の華を飛び散らせながら、ぐちゃり、と身体が崩れ落ちる。
――どうして鮮血はまっかでとてもきれいなのに、臓物はこんなにけがらわしいのだろう。
そんな唐突な思考と共に失っていた現実感が、まるでピントが合うように急速に戻ってくる。感覚が、思考が地に足のついた状態に戻り、こんな時に再発するなよと心の中で悪態をつきながら、くらり香る血の匂いに酔いそうになるのを抑えるように体を支える魔鋼の剣の柄をぐっとにぎりしめた。
覚悟は決めていたのだけれど、いざ他人の惨殺死体を目の前にして心の動揺どころか体の強張りすらなかった。血の匂いで頭がくらくらしているのも原因のひとつかもしれないが、おそらくそれだけではない。元の世界に居た時点であたまが破綻していたのは自覚していたのだから。
「おい、同時攻撃なんて聞いてねえぞ!」
「初めてお披露めいたしましたからに、当然でございます」
悪魔の攻撃を防いだのは、ファルクスさん、フォルツさん、カイさんの三人。そして防ぎきれなかったのは、二回分の斬撃。それは二人分の命を無慈悲に惨たらしく刈り取った。
(……アヤ、あの魔法の斬撃は妨害できる?)
(無理。空間が揺らいでるようには見えるんだけど、全く術式は見えないよ)
(簡単に事は運ばないかあ。ああいや、魔法が術式を必要していない可能性があるって分かっただけでも収穫だね)
(空間が揺らいでいるように見える? アヤさん、詳しく)
気になるところがあったのか、ユッカちゃんにせっつかれて悪魔の魔法の斬撃について感じるところを伝える。キャロの時みたいに魔力をそのまま放出しているように見えること、その直後に魔法が発動していること。
その話を聞いたユッカちゃんは目を閉じて少しの時間考え込む。
(……私の【境界の魔眼】で確認してみる)
そう言うとユッカちゃんの灰色の瞳が紅色に染まった。片やまるで心の底が見透かされているように寒気を感じる、色素の薄い紅色の瞳。片や宝石のように綺麗に整い、見つめていると取り込まれそうな錯覚を覚える青色の瞳。
単純にオッドアイという単語で表現すると安っぽく感じてしまう、深い深い深淵感じさせる二色それぞれの瞳に感嘆の吐息が洩れる。
(ユッカちゃんって【魔眼】持ちだったの!?)
(……そういえば伝えるのを忘れてた)
ユッカちゃんがばつの悪そうな表情を浮かべる。手札はできれば伏せておくべきものだし気にすることはないよ、と伝えたけれどユッカちゃんの表情はあまり晴れなかった。
……俺自身、隠し事ばかりなので地味に胸が痛いや。
ファルクスさん、フォルツさんと何度か斬り結んだ悪魔は鋭く重い一撃を放ち防がせると、その隙に指を鳴らして悪魔の気配を広く拡散させた。それを合図としたかのように、これまで戦いを観戦するように円状に空間をつくっていた魔物たちが行動を開始する。
さらに悪魔がもう一撃とばかりに右腕を振り上げたタイミングで、ファルクスさんとフォルツさんが懐に潜り込み刃を走らせる。悪魔はやむなくその攻撃を防御することで魔法による斬撃は放たれなかった。
ファルクスさんは流れるようなステップと共に二刀による目にもとまらぬ連撃を、フォルツさんは大剣で一撃一撃が重い連撃を放ち、魔法による斬撃を放つ隙を与えない。
悪魔は苛立たしげな表情を浮かべると、防御一辺倒だった近接戦闘に攻撃を織り交ぜ始めた。黒色を纏わせた爪による斬撃はファルクスさんの黒い刀の刃を欠けさせ、黒く禍々しい尾を引き始めた剣による斬撃は不可解な軌道でフォルツさんを捉え始める。タイミングを見計らった魔術の援護攻撃は下級魔術であればあっさりと霧散させられ、中級以上の魔術であれば対抗魔術により相殺させられた。
楔から解き放たれたかのように殺到する魔物と騎士たちも交戦を開始する。悪魔へと向かってひたすら群れを突っ切っていたときと違う、ほぼ全方位からの襲撃。密度も今までの比ではなく、まるでこちらを押しつぶす勢い。
「火属性を解禁する! 右側に『火炎柱』を展開、魔物と交戦する領域を絞れ! 騎士は五歩前進、なるべくその戦線を維持するように交戦しろ!」
浮足立つ騎士と魔術師たちに治療を終えたガーランドさんが大声で激を飛ばす。その声に押されるように各々が行動し、 火炎柱 ――広範囲に激しく噴き上がる炎の魔術が行使されトロルが皮膚を、喉を、肺を焼かれながら倒れ伏す。トロルが焼かれすさまじく臭いという欠点はあるが、それはまさに炎の防壁と呼べるものであった。その熱はこちらまで伝わり、身体にじわりと汗が浮かぶ。
魔術で方向を絞ったとはいえ、こちらへ来る魔物の密度は防衛戦の時とは比べ物にならない程濃い。トロルが剣を振るい同族を巻き込もうが歯牙にもかけずにこちらを圧殺しようとする様子は、狂気と恐怖を孕んでいる。圧倒的なまでの数と質量の暴力によりこちらの戦線は耐えきれず、じわり、じわりと下がっていく。
そんな状況の中で一際奮戦しているのがカイさんとオーギュストさんである。どちらも一閃一殺。鉄さえも切断する斬撃が、敵を噛み殺さんをばかりに鋭い刺突がトロルの首へと、頭部へと吸い込まれ、瞬く間に死骸が積み重なっていく。しかし数が多すぎる、死骸の山は魔物にとって障害にならずむしろこちらをじわじわと押し潰す壁と化している。
時折悪魔から飛んでくる魔法の斬撃は、不思議なことに魔物には一切影響を及ぼさず直接こちらへと向かってくる。さらに三人の騎士が身体を真っ二つにされ、魔術師が一人右腕を切断された。
ああ、血の匂いがくらくらと脳髄を刺激する。
(振られた腕の辺りに境界を観測できた。物質界とエーテル界の繋がりみたい)
(魔術と魔法は根本的に違うってのは分かってたけど、魔法はエーテル界と直接関係している……?)
(アヤさんのあの術式を破壊する方法を使えない、って話も納得できる)
ティアとユッカちゃんが悪魔が使う魔法について話を重ねてるけれど主目的から逸れている。倒すための道順を模索するべきだろうに。倒すための最後の一撃は決まっているのだから、如何に悪魔を消耗させるのかが一番重要だろう。
「オーギュストさん、これ以上押し込まれるのはまずい」
「ちいっ、もっと粘れるかと思ったが……。暴走中隊長殿、戦術級魔術の残回数は何回だ?」
「何でそのあだ名魔術師団外に広がってるんですかっ! ああもうっ、ユッカさんの分を抜いて四回こっきりですよっ!」
暴走中隊長――たしかリィナさんだっけ――が声を荒げながらも投げやりに答える。たしか魔術師団って騎士団みたいに由緒あるものなんじゃなかったっけ。大丈夫か人事。
「火属性のものを頼む、この密度はもう限界だ」
「分かりましたよー、ええと、ブラウンさんとシェラさん、お願いします、適当に合唱魔術合わせて 火炎嵐 ぶっ放してください!」
「いくらなんでもその命令はないだろうよ……」
「了解したけど後で団長に伝えておくからね」
魔術師の二人がリィナさんにやれやれといった目を向けながらも詠唱を開始する。ふぁいあすとーむ……うっ、頭が……。
「風よ、風よ、炎よ、炎よ。我らブラウン・ディクレイ及びシェラ・モーデスト・ヘイムスフェルドが重奏重ね奉る。風は風に、炎は炎に。ああ暴虐的たる御身は己が意志がままに荒むれば、豪炎たる御身が追従し灼熱の嵐となる。御腕よ全てを平等に包み縦横無尽に踊る豪炎を顕現せよ!」
術式が前線から離れた位置の地面と上空に広がり粒子となって霧散すると、豪と風が舞い上がった。風はこちらにまで及び、思わず激しく靡く髪を右手で押さえつける。風は強風、暴風へと徐々に強くなり、雨の代わりにと炎が風に乗りトロル達へと降り注ぐ。風に乗った炎は規則的に不規則的に空間に激しく吹き荒れ、まさに炎が縦横無尽に魔物を蹂躙している。
……うん、適当に想像していたふぁいあすとーむよりも実物は遥かにヤバい。想像していた範囲の何倍も広く、暴風は魔物を吹き飛ばすのではなく炎を満遍なく循環させ蹂躙している。風は全て魔物側へと吹いているにも関わらず 火炎嵐 の余熱が伝わって 火炎柱 と合わさりさらに温度が上がる。汗が体中に滲み、ない胸のささやかな谷間に汗が伝う感覚が地味に不快に感じる。
「根性で戦線を維持しろっ! 暫く粘れば魔物の数が減る!」
騎士たちが気合の入った声で応え、力を振り絞る。勢いの増した戦線は魔物に押し込まれた分を徐々に押し戻している。
一方、悪魔とファルクスさん、フォルツさんの攻防は芳しくない様子だ。元々攻め手に欠けていたところを剣で、爪で縦横無尽に苛烈な攻勢をかけられ、攻防が完全に反転し防戦一方になっている。さらに魔物まで攻勢に加わるとなると全てを防御することができず、二人とも鎧は至る所が破損し、服は細かく斬り裂かれ血が滲んでいた。
思考を巡らせろ。自分自身がどう動くのかが悪魔を倒すのに最善となるのか。ボロボロの身体だけれど、ここで動かないと全滅するのは明白だ。
暫し考えた上で、結論を出す。
「……悪魔退治の加勢に行きます」
「却下。その傷では足手まといになる」
即座にユッカちゃんに切り捨てられ、周囲からも同意する声が上がる。
多少賭けは入るけれど、説得するための材料は既に持ち合わせている。杖替わりにしていた魔鋼の剣を剣帯に納めると、ふらつきそうになるのをぐっと堪えて口で右手のローブの袖を捲り上げる。まずは一つ目のカードを切る。
「急速回復持ちなんですよ、私」
傷一つない右腕が露わになる。欲を言うとこびりついた凝固した血をこそぎ取りたいところだけれど、左腕は相変わらず動かない。
「細かい傷は治ってるとしても、左足と左腕はそうはいかないはず」
「左腕はまだ動きませんが、左足は問題ありません」
カードとは言えない二つ目。痛みが表情に出ないように堪えながら軽くステップを踏む。ぶっちゃけると添え木任せである。思い切り踏み込むと添え木はすぐに折れるだろう。
「行かせてやれっ、嬢ちゃんの実力なら大丈夫だ。冒険者組合としてはっ、無謀な行動は咎めるところなんだが、今はそんな甘い事を言っている状態じゃねえっ」
交戦しつつもこちらの話に耳を傾けていたオーギュストさんの援護も加わり、なんとか皆を納得させられた。ほっとしながらカバンから痛み止めを取り出して飲み下す。
(それでアヤさん、本当の状態は?)
……前言撤回、ユッカちゃんだけは騙し切ることが出来なかったようだ。ティアとの念話の関係もあるし仕方ないかと偽りなく状態を伝えることにする。
(左足首もまだ治ってないけれど、ここで私が打って出ないと確実に負けるから)
(ならせめてオーギュストさんと交代しては。魔物を相手にする方が危険が少ない)
(私が魔物を相手にすると全滅が早まると思う。例えばリビングアーマーを相手することになって殲滅速度が落ちると一気に押し込まれることになります。ファルクスさんかフォルツさんがやられた時点でも詰みだから、私が出るしかありません)
最後、三つ目のカード。
ユッカちゃんが居るから、ここの守りは何としても維持する必要がある。ユッカちゃんが殺されるのは敗北条件だし、何より彼女には関心がある。
(……残念だけれど、アヤの言っていることは正しいよ。悪魔と渡り合える投入可能戦力は、アヤしかいない)
俺とティアの言葉にユッカちゃんが押し黙る。数秒の空白の後、ユッカちゃんは絞り出すように言った。
「戦神様のご加護がありますように」
「……うん、行ってきます」
返事は万感の思いを込めて。命がけだからこそ言葉にあやかった。くるりと髪を靡かせ悪魔へと体を向ける。紺色に輝くの相棒を抜き放つ。死地へと赴くのはこれで三度目である。
一度目は初めて魔物と交戦した時。
二度目は死地というよりも逃げ切る算段をつけてのものだったが、トライラントとユッカちゃんの助けに飛び込んだ時。
そして三度目、この世界の歴史にすら刻まれている、正真正銘の死地。救出が目的だった二度目とは全く異なる、悪魔を倒すという目的。
ただただ腹を括る。今までの経験で得た、死地を潜り抜けるための経験則だ。
身体加速と共に地面を蹴り飛び上がる。添え木にはみしりと力が加わったがまだ折れてはいない。トロルを足場にして眼孔への一突きを置き土産にしつつ身体加速を強めてから蹴り、魔物の頭上を飛び越えて一気に悪魔へと肉薄し魔鋼の剣を喉元へと叩き込む。その一撃は禍々しい剣によって防がれ、まだ慣性の残っていた身体を駆使して悪魔の後方へと着地し右足を軸に反転する。
「アヤ嬢!」
「嬢ちゃん!」
思わぬ援軍に声を上げる二人の無事そうな様子にほっとしながら身体加速を弱める。
「さて、あの時の、そして今のお礼をするとしようかな」
「ああ、丁度良い時に来てくださいましたな。歯ごたえがなさすぎて退屈していたところでした」
ゆらりと前方に体を傾けると、身体加速を強めて思い切り地面を蹴り、踏み込みと同時に悪魔へと魔鋼の剣を叩き込む。悪魔は身体加速で緩急つけた動きにもきちんと対応して剣で受け止めるが、こちらの一撃の方が僅かに重く押す形となった。そのまま剣身が触れ合い、鍔迫り合いとなる。
「渇望の呪縛すら抵抗できないザコかと思っておりましたが、こぉーれは楽しめそうですな」
戯言を聞き流しながら崩しにかかる。一瞬だけ力を弱めて押し込まれるのに合わせて剣の位置をずらし、剣身を滑らせながら姿勢を下げ突きを見舞う。左腕は浅く斬られ、突きは唐突に出現した魔力を帯びた壁によって防がれた。思わぬ防御手段に驚き、このまま追撃されるとまずいと思いあわてて後方へと飛ぶと、ファルクスさんとフォルツさんが斬り込みフォローしてくれた。悪魔がその攻撃を防ぐ隙に体勢を整え再び斬りかかるも、軽々と防がれる。
偶然成った波状攻撃だったけれど、全て防がれてしまった。ならば次に試すのは同時攻撃。
再び距離を取ると、地面を蹴り斬撃が同時になるタイミングで悪魔の斜め後ろから剣を薙ぐ。ばきりと添え木が折れる音が耳に入る。
悪魔は一番攻撃範囲の広い俺の一撃だけを剣で防ぎつつ、包囲の甘くなった左後方へと滑るように動きファルクスさんとフォルツさんの攻撃を回避した。
「三対一なら押せそうだなっ!」
「散開してもう一度だ!」
ファルクスさんが悪魔へ斬りかかるのを合図に俺とフォルツさんは逆回りに分かれ、三方向からタイミングを合わせて斬りかかる。悪魔は細かく位置を変え、さらに黒い矢を放つ魔術を交えて攻撃のタイミングをずらして対応する。
ひたすらに斬りかかり、防がれ、位置取りを調整し、魔物を捌き、魔術を防ぎ避ける攻防が続き、こちらも悪魔も一歩も引かないまま戦況が拮抗する。
(ああもう、いつもみたいに動けないのがもどかしい……!)
左足の足首の骨が折れていることで踵で身体を支えているような状態にある。バランスを取りづらく、踏み込みにも制限がかかり思い通りの動きができない。そして左足に力がかかる度に折れた骨が食い込み、痛みが神経に響き流血が止まらない。血はブーツへと染み動く度に飛び散り、土を、草を点々と染めている。
技量が足りない。満足に動けない。痛みで頭が痺れる。一撃すら通せない。
だけれど、こんなところで諦める訳にはいかない。
(私は、私のできることを――)
考えろ、考えろ。今できることで最善を導き出せ。
身体加速、既に使用中。その上で拮抗状態。
魔術、未収得。ティアは使用不可。
空間魔法。詳細不明。
術式の破壊。戦局に影響なし。
吸血。論外。
突如新しい能力に目覚める。神様の気まぐれでしかない。
(【血操術】なら扱えるよ)
血操術は吸血鬼族に伝わる術であり、ティアがシェイムの森で血を操って悪魔に一撃入れた攻撃が一例だ。悪魔の防御を破った実績があるのだけれど――
(人目が多すぎる、できれば最終手段にしたい)
(そうは言っても限界が近いのは自覚しているよね? いざという時はわたしが無理矢理にでも代わるからね)
(うん、いざという時は頼りにしてるから)
(……う、うん! わたしが出るときは大船にでも乗った気分になることね!)
ティアとの久々のやり取りになんだか心が暖かくなる。そしてこの短期間で完全な他人だった存在にここまで心を開いていることに気づいて驚いた。キャロについては妹と重ねてしまっている部分があるのを自覚しているからまだ分かるのだけれど。一体何なのだろうこの残念吸血鬼は。
そんなティアの残念な言動を思い返していると、脳裏に閃くものがあった。防衛戦での戦闘時、身体加速は強く念じることで加速の度合いが上がった。ならばもっと強く念じ、もっと速く、速く、悪魔が反応できない程加速できれば。
そんなことを考えながら悪魔と攻防を繰り広げていると、袈裟斬りを防がれるのに合わせて術式が展開され、慌てて後ろへ下がりつつ飛来する黒い矢を打ち払った。
(ティア、悪魔を消耗させてからユッカちゃんの魔術を叩き込む、って話だったけど、身体を再構成するのに意識を割いてる状態なら効果はある?)
(……うん、事前に消耗させるって作戦の理由は隔界の接続維持の余裕を削るためだからね、再構成中でも隔界連結を切断するのは可能だよ)
自身の考えが正しかったことがティアによって保証される。ならば、俺は俺自身の努力を。あとはユッカちゃんに――
(……ユッカちゃん、私が全力全開の一撃を入れる。 滅凍の理 の準備をお願い)
(……了解。気をつけて)
(アヤのことだから何か考えあってのことなんだろうけど、無茶はしないでね)
二人の言葉を受け、特にティアの言葉にそれは無理だよ、と内心苦笑いを浮かべながら精神を集中する。ユッカちゃんの詠唱が紡がれる。
「永遠は理を以って成るが故に我はそれを御す!」
……身体加速。
周りの動きがより緩やかになる。まだ足りない。
「絶凍の意思よその大いなる御力を研ぎ澄ませよ!」
身体加速。
頭がガンガンと痛む。悪魔の動きを追えるようになる。まだ足りない。
「ああ意思は集い全てを超越する!」
身体加速!
あたまが割れるように激しく痛み、視界の一部が黒くぬりつぶされる。悪魔の動きが緩慢に感じる。――もっと速くッ!
「息吹は息吹たる汝が理を示せ!」
身体加速――ッ!
あたまがひっかきまわされるようにこわれる。いろがにんしきできない。からだのかんかくがかんじられない。
――せかいが、とまっている
けんをかまえる。
ねらうは、くび。
かんかくのないふたしかなじょうたいで。
けがのことはあたまからおいやって。
このいちげきにすべてをかけて。
みぎあしでじめんをける
でーもんのくびへけんをむけ、からだのいきおいをのせる。
でーもんのそばをとおりぬける、ひだりあしでちゃくちする。
ばらんすがくずれる。
――勢いを殺しきれず転倒し、身体の至る所を擦り、ぶつけ、しばらく地面の上を転げた後ようやく止まる。
身体加速は既に解除されているが、頭がくらくらする。視界は白黒で欠けたままだ。感覚は戻っており、体中に痛みが走っている。
つう、と目から、鼻から、耳から伝う何かを手の甲で拭うと、赤い赤い血だった。
首を傾け悪魔へと視線を向けると、まるでタイミングを見計らったかのようにごとりと首が落ちた。
「今ここに理たる永遠は顕現し、世界は書き換えられる――!」
そして詠唱の完成を以って術式と共に空間が揺らぐ。
それは物質が冷却され氷結する魔術ともユッカちゃんが放った理術とも全くもって異なる効果だった。例えるなら、悪魔の肉体そのものがもともと氷漬けであったかのように、呪文の言葉通りに書き換えられるような。
みしみしと、まるで木材が荷重に耐えきれないような音が鳴り響く。そしてガラスが割れるような、聞き覚えのある音と共に、視界の端を覆う、アルレヴァを包み込むようにして展開されていた結界が天頂部から崩壊していく。
はらはら、きらきら。
悪魔がつくった結界の効果そのものは悪辣極まりないのに、どれも崩壊時は目を引くような綺麗さがある。その刹那の光景に、ふと脳裏に元の世界の花火が描かれた。刹那のきらめき。人々の喧騒。終わった後の少しの物悲しさ。
それとこれとは全然別物だと首を振ろうとしたが、あいにく力が入らなかった。
「境界の存在は確認できず、隔界連結の切断を確認。……ユッカ・スノウラインがここに悪魔の討伐を完了したことを宣言する!」
ユッカちゃんの宣言により、ファルクスさんが、フォルツさんが、ガーランドさんが、カイさんが、騎士団の人が、魔術師団の人が、一斉に勝鬨を上げる。
(なんとか、やり遂げられた、かな)
(アヤさんのあの渾身の一撃、金色と黒色の残像しか見えなかった)
(なんつー一撃を……。アヤ、後でお説教だからね)
こうしている間にも魔物は歩を進めているが、悪魔の討伐に成功した影響か動きが鈍くなっている。興奮の渦中にいる討伐隊には何の障害にもなっていない。
悪魔との決着はついた。まだまだ大量に魔物は残っているけれど、防衛線はまだ保つだろうし、結界が壊れたことで援軍にも期待ができる。
この様子なら、キャロとユッカちゃんも無事に生き延びることができるだろう。結果としては上々。自然と口元に笑みが浮かぶのを感じながら、久々の青空へと右手を伸ばす。
ぼんやりと青空を眺めんながらはう、と息を吐く。ぼろぼろの身体の痛みそのものを吐き出すような吐息。挙げた右手から力が抜け、どさりと地面に落ちる。そんな体ながらもやり遂げたという充足感で胸が満たされるのを感じる。
(アヤ!)
「アヤさん!」
「……誰か、嬢ちゃんを……ッ!」
身体加速の勢いそのまま転げ突っ込んだ先は、トロルが集まっていた場所の近くだった。俺はみんな思っていたより気づくのが時間かかったなあ、なんてまるで他人事のように考えながら、トロルが鈍色に光る大剣を振りかぶるのをぼんやりと眺めていた。
リョウの症状については経験ある方もそれなりにいるかも(離人症)。
デーモンの術式は当然汚染された魔力が使われています。なのでそれに直接触れたアヤにはあのような影響が出てしまっています。
結局アヤの働きは終始力づくになってしまったので、引きが前話と似たようになったのが悩みどころです。むむう。