00-01(旧) 歪な関係
16/08/14 誤字修正、加筆修正、ルビ振り
18/01/08 サブタイトルの変更(旧の追加)
目覚めた時、目の前には乾いた血に塗れた右手と、石畳が広がっていた。
たしかボクは、魔術を維持するために、狂ったかのように魔力を操作し、制御し、手応えにほくそ笑んで、突然白い光が広がって、保養ケースが割れ、保養液ともども肉体が投げ出され、失敗したのかと焦り、狂うような苦痛に足掻き続け、耐え、それでも魔力の綱だけは手放すまいと必死に縋り――
そうだ、はやくゼミに行かないと。せっかく徹夜で用意した資料が無駄になる。
慌てて立ち上がろうと両手をつくと、ボロボロのどす黒く染まったシャツから控えめな胸が覗き、思わず顔をしかめる。妙な場所で眠っていたせいか、体の節々が痛い。
このまま休みたいという誘惑をぶんぶんと首を振って振り切る。自慢の金色の髪が首や背を撫でくすぐったい。
そして「んしょ…」と独り言を呟きながら立ち上がる。そうすると、ボロボロに擦り切れたサイズの合わないスニーカーとジーンズの違和感に気付く。
(あーあ、なんでこんなことに…)
とひとりぐちて替えをどうしようかと思いつつ一歩踏み出すと、裾を踏んでいたのか、ジーンズが引っ張られる。そしてするり、とジーンズが膝まで落ちた。
パンツごと。
あわててひきあげようと視線を向け手を伸ばし――
視界にはほっそりとした足。だぼだぼで地面を擦っているジーンズ。
そして、あるべきものが、そこには、股間にはなかった。
「――えええええええええええ!?」
思わずまるでボクの声じゃないみたいな声が口から飛び出し、なんで? 無い? いやそれ以前になんでこんなにつるつるしてるの? いやいや有る方がおかしいよね? え? なんだこれ? 何これ? 夢? こんなインパクトある夢なんていらなーいやあの苦痛に塗れた夢よりマシに決まってる? え、でもでも、ついてないよ? んええ?
「んあははは、なんだか面白いことになってるなー? 他人事じゃないけど。あははははは」
と、思わずわたしの声が口から漏れてしまった。
「え、なんで、何? どういうこと?」
思わずして、ボクの声も漏れてしまう。
「だとすると失敗だよねーこれ。せっかく何十年も準備してきたのに、妙なのが突然転移してきて、体が乗っ取られかけるわ、頑張って耐えたと思ったら魂が変に混ざってよく分からないことになったし。正直ぶち殺そうって気持ちしか湧かないはずなんだけど、いやー面白いことになったなー」
同じ口から、妙にかわいらしく感じる同じ声が、別々の意思によって発せられていた。
―――――
「まずは自己紹介からかなー。これから否が応でも一緒することになるからね。わたしはティエリア。性別は女。こうみえて吸血鬼族のフォンベルクの直系さー。ってこんな状態じゃ分からないか。あははは」
今、ボクは部屋の隅にあった机の椅子に座りつつ、同じ自分の体でそれぞれボクとわたしが言葉を交わす奇妙な光景を繰り広げている。
そして何やらツッコミたい単語が出てきたけど、いちいちつっこんでたら話が進まないと思い、言葉をぐっと飲み飲んでひとまず自己紹介に徹する。
「ボクは菱谷涼介? ええと、性別は男で、大学で三回生やってます」
記憶にある名前を答えたけれど、ものすごい違和感を感じる。まだ混乱してた影響が残っているのかな。いやいや、立て続けにこうも色々あると、混乱してないわけがない。
「ヒシア・リョースケ? 妙な名前だね。とりあえずヒシアって呼べばいいかな?」
さすがに救世主みたいな響きの呼び方はやめてほしい。
彼女は名乗ったティエリアって名前からしておそらく外国の人かなと考え、そして苗字と名前の順番が違う可能性があることを思い出す。
「ええと、菱谷が家名で、涼介が名前だよ、ティエリア…さん」
「そんな他人行儀な呼ばれ方はちょっと嫌かなー。そもそもこんななって他人なわけないし。親しい人はティアって呼ぶから、それでお願いしたいかな、リョースケ」
「うん、わかった。よろしくね、ティア。ボクのことも、気楽にリョウって呼んでくれないかな?」
「あいー、リョウ、ね。こちらこそよろしく。それで? 一体どうしてこんなところに転移してきたの?」
再び、日常生活では聞かない単語。だんだんと嫌な予感が鎌首をもたげてくる。
「転移…? よくわかんないけど、ボクは今日の分のゼミの資料を仕上げて、大学に行く途中だった。そして、気が付いたらこんなところに、こんなことに」
ほんと、ただ学生の日常を送っていたはずなんだけど、何でこんなよく分からないことになってるんだろう。
ちなみに混乱を巻き起こす原因になったジーンズは裾をめくり、ベルトを限界まで締めることでなんとか履くことに成功している。歩くとすこしずつずり下がっていくのには目を瞑ることにした。
シャツはボロ布のようになっていて、着ることは早々に諦めた。せめてささやかに膨らんでいる胸だけでも隠そうと、残骸を胸部に巻いている。
そう、なぜ残念な事件が起こるまで違和感を覚えなかったのかは不明だけれど、今のボクの体はどうみても女の子のものになっていた。鏡がないので細かい容姿は分からないけれど、ほっそりとした体つきを見るに小-中学生ぐらいの外見だと思う。そして、腰のあたりまでのびており、微弱な光でも艶やかさがわかる、金色の髪。ついさっきまで平凡な男子大学生20歳だったのに、ほんとどうしてこうなった。
「ふむー? いまいち要領を得ないなあ。とりあえず少しずつ外堀を埋めていこうか。ここは人族領で、具体的にはエガード王国領の東の端っこにあるシェイムの森の、古代文明の遺跡の中。キミはここに来る前はどこにいたの?」
聞き覚えのない国名、地名。人族領、古代文明という単語。もくもくと生じる嫌などころか悪い予感をごまかすように、右手人差し指でちょうど耳の後ろ辺りで髪を弄ぶ。髪が背を撫でる感覚は少しくすぐったい。
しばらくそうやって髪をいじりながら考えをまとめ、そして、その予感を確実に確かめるように、ゆっくりと言葉を組み立てた。
「ボクは、日本という国の、東京という都市に居ました。ボク達はその世界のことを地球と呼んでいました。ティアの言った、エガード王国という国は初めて聞きました」
「…ちょっとまって。もしかして渡り人…? え、それだけでも珍しいのに、こんなタイミングで渡ってきて、こんな事態に? 長くないとはいっても、それなりの時を過ごしてきたけど、こんな話、初めて聞いたよ…」
わたしがぶつぶつと小声でつぶやく。その内容を聞いて、ボクはわたしに心当たりがあると確信してしまった。そして、おそらくボクの考えた悪い予感も遠からずだと確信する。
わたしはがんばって考えをまとめているので、ボクその間、手持ち無沙汰に辺りを見回した。
部屋の中はどういう理屈なのかはわからないけど、一面ぼんやりと光っており、そのおかげでぶつかったり転んだりする心配はなかった。
床は石畳のように均一に石が埋め込まれ、ボクが眠っていた場所辺りだけはどす黒い血が広がっていて、すさまじいことになっている。
そのすぐ隣には、元筒状のケースみたいなものの残骸が横たわり、辺りにはガラスの破片のようなものが散らばっている。
それらを眺めていると、つーっと冷たいものが背を撫でた気がした。何があったのかは分からないけど、辺りの惨状、そして全く怪我らしきものはなかったけど、ズタボロだった体。関係を疑わない方がおかしいよね。
そうこうしているうちに、考えがまとまったのか、わたしが口を開いた。
「…この世界は、フォアグリムって呼ばれてて、リョウがいたところとは、別の世界。リョウは、何かが起こって、こっちの世界に転移してきた。リョウみたいな別の世界から来たひとはごく稀にいて、『渡り人』って呼ばれてるんだよ」
そう。いわゆる異世界転移。ありえない事態や、普通聞かない単語とかがぽんぽん出てきたからこそ、真っ先にここはボクが暮らしていた場所とは違うんじゃないかという考えが浮かんだ。
「やっぱり、そんなことだろうと思ったよ…。ええとそれで、何でこんなことに? ボクは飛んでくる前は男だったはずだし、年ももう何年かはとってたはず。そもそも、同じ頭の中にティアはいなかった」
「転移してきたタイミングが悪かったんだよ。ちょうどわたしは、新しい体に魂を移すために、儀式魔術を行使してた。そして、実際に魂を移す段階になって、リョウが転移してきた。しかも、魂を移す予定の肉体があった保養ケースの中に。
そこからは残念ながらわたしの記憶もはっきりしないのさー。気がつけばリョウの肉体と魂の転移先の肉体は混ざりあって、わたしの魂もリョウの魂に吸収されるところだったしね。必死に抵抗してなんとか自我は守ったけど、今、リョウの魂とわたしの魂は半分くらい混ざりあって、歪にくっついてる状態。
肉体の方は、結局転移先の肉体になっちゃったみたいだね。まあ、命あっての物種っていうらしいし、歪だけどこうやってリョウもわたしもなんとか存在できてて、よかったんじゃないかな。うん、この言葉、よい言葉だ」
とんでもない内容がたくさん飛び出してきた気がする。それも、想像していた何倍もタチの悪いようなものが。それでもなんとか、わたしの言葉を頭の中で反芻しながら、ボクは考えを整理していく。
「ええと、整理させてね。まず、ボクは何故だかわからないけど、別の世界に転移してきた。そしてこの体は、ティアが用意していた女の子の体になってしまった。さらに、ボクの魂とやらとティアの魂が混ざって一緒になってるから、ひとつの体にボクとティアが共存している…これで合ってる?」
「おー、微妙にはちがうけど、合格だよー。渡り人ってことで通じるか不安だったけど、この分なら大丈夫そうだね。あと私と魂が混ざってる影響もあるのかな?」
「混ざってる影響?」
「うん、リョウの考えてることや知識、感覚とかに違和感はなかった? わたしはたくさんあったよ」
そう言われてみれば、この短時間の間に、何回もあった。
血の痕とズタボロの服装に対し、妙に冷静だったこと。
長い金髪の髪や、少し膨らみのある胸に違和感を覚えず、残念な事故があってからようやく性別の変化に気付いたこと。
胸が見えたままでいることに恥ずかしさを感じて、シャツで覆ったこと。
自己紹介で吸血鬼とかいう単語が出てきても、冷静に流したこと。
異世界に転移してきたことをすんなりと受け入れていること。
トンデモ話が飛び出してきて、その内容がすとんと胸に落ちたこと。
「そして、異世界のはずなのに、わたしが日本語を話していること。当然だけど、ここの世界では日本語なんて使われてないよ」
そう、ボク達は、最初から日本語で会話をしていた。