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すれ違い続ける彼女たちについて

無表情な夫の恋心について

作者: しきみ彰

「ワガママ王女の婚約について」の後の話であり、シリル視点でお送りしています。

お先に上記の作品を読んでからこちらを読むことを、オススメします。

 婚約者が、事故で死んだ。


 その話を聞いたとき、シリルの頭は真っ白になった。

 昔から、とても仲の良い少女だったのだ。侯爵家の娘で、彼女は彼にとって初恋の人だった。

 十二歳の彼にとって、彼女の死は想像以上に重たく彼の心を蝕んだのだ。


 その事実を認めたくないあまり、シリルの意識は塞ぎ込んでゆく。世界に色がなくなり、すべてがモノクロに見えた。

 誰と話すにも、無機質で。すべてがどうでもよく見えてしまう。


 いっそのこと死ねば、彼女に会えるかもしれない。


 そう思っていた、そんなときだった。


『あなた、わたしの婚約者になりなさい!!』


 高飛車に、傲慢に。

 自分よりも年下の少女が、彼を呼びつけそう言い放つ。

 その瞬間シリルの視界に、『ディートリンデ』と言う存在が、唯一色を帯びて見えた――



 ***



 第一王女、ディートリンデ。

 それが、シリルの新しい婚約者の名前だった。

 彼女はことあるごとに彼を連れ出し、様々な場所へと向かった。


『もう、何しているの! 早くしなさいシリル!』


 幼い少女にそのようなことを言われれば、誰だって腹を立てる。しかし今のシリルは、それに腹を立てることすらなかった。

 ただひたすらに、虚無だったのだ。

 それでも、唯一色を帯びている彼女はとても鮮明に、彼の記憶を支配した。


 赤みを帯びた、柔らかな長髪。

 つり目がちな翡翠色の瞳。

 ふっくらとした色白の肌。


 着てくるドレスは季節ごとに違っており、それがまた彼の目を楽しませた。

 一年、二年……と月日を重ねていくうちに、ディートリンデはみるみるうちに乙女から成熟した女性へと変化していく。


 固く閉ざされていた蕾から、誰もが視線を向ける大輪の花へ。


 それとともに、シリルのなかに独占欲が生まれるのは、ある意味当然のことであった。

 なんせ、多くの男たちが彼女に好意を抱いているのである。そのための露払いを何度かおこなったのは、今となっては遠い昔の話だ。


 シリルは、ディートリンデが目をつり上げ怒るのが好きだ。

 満面の笑みを浮かべて、子どもたちと戯れるのが好きだ。


 そんな感情を抱くものの、なぜか表情に出ない。どうやらあの日以来、表情に出なくなってしまったようだった。それでも、彼女の経歴に傷がついたらまずいと、外では出来る限り感情を出すように努めた。気を許している彼女の前でだけ、彼は心を開ける。


 彼の記憶がディートリンデという存在で塗りつぶされていくのに、そう時間はかからなかった。











 ふ、と。目が覚める。

 ぼんやりとした意識の中視線を彷徨わせると、穏やかに寝息を立てるディートリンデの姿が映った。


 彼女を優しく抱きかかえ、その温度を確かめてからようやく息を吐く。どうやら夢だったらしい。

 その証拠に、彼女は確かにここにいる。

 ふたりは挙式を終えた後、同じ屋敷で暮らし始めたのだ。


 ディートリンデは第一王女、そしてシリルは、公爵家次男である。彼女は彼のもとに嫁ぐ形で、城下へと下った。


 王族が、穏健派貴族のもとに嫁ぐ。


 これは、それ相応に先進派貴族に打撃を与えた。

 ディートリンデも以前より動きやすくなり、シリルとしてはすべてが上手くいっていると思っている。


 まぁ、今のところは。

 もし先進派貴族の矛先がこちらに向くのだとしたら、それをディートリンデに悟られる前に対処するだけだ。何、やることは婚約時と大して変わりないのだ。


 シリルはそんなことを思いながら、ディートリンデの寝顔を見つめていた。


「結婚した直後は、あんなにも固まっていたんですけどね……」


 婚姻を結び、初夜を迎えた日。ディートリンデは緊張のあまりガチガチに固まっていた。そんな彼女を抱くのは本望でないため、彼は未だに手を出していない。子どもはもう少し先でも良いと、そう思ったからだ。


 が、寝室も寝台も同じものを使っている。はじめのうちは抵抗していたディートリンデも、今では無防備な寝顔を晒せるほどに気を許してくれていた。

 それがたまらなく嬉しく、思わず体が動く。


 少しばかり開いた唇をそっと吸えば、ディートリンデがかすかに震えた。


「……ん、しり、る……?」


 かすれた声でそうぼやき、ディートリンデが瞼を開く。そこから現れる翡翠色の瞳が見開かれるのが、彼が一番好きな朝のひとときだった。


「おはようございます、ディートリンデ」


 そう声をかければ、ディートリンデは口をぱくぱくと開閉させ顔を真っ赤に染めてゆく。

 それがたまらなく美味しそうで。

 シリルは思わず、再度口づけを落としてしまった。

 それに対し、彼女は声を上げることすらないまま耳まで赤く染めている。


 それが、シリルとディートリンデの朝の日課となっていた。



 ***



 今日も今日とて、ふたりで朝食をとった後。

 ふたりは外に出ていた。


 以前はディートリンデが率先してシリルを連れ出していたが、最近では逆だ。むしろ公務として孤児院に行く機会を減らしたためか、別の用事で外に出ることが増えていた。


 シリルがディートリンデを連れて向かったのは、観劇だ。兄に相談をして決めたそこに、ディートリンデは目を輝かせ興味を示している。


(……可愛らしい)


 ディートリンデは勘違いしていたが、彼は彼女に連れ出されるのが好きだった。彼女の表情や声色から、彼女の感情を共有することができたからだ。それは世界から色をなくしたシリルにとって、何より楽しいものだった。


 しかしそれを、シリルは誰にも告げたことはない。別に困ったこともないし、何よりディートリンデが悲しい顔をすることがわかったからだ。


(ディートリンデが悲しい顔をするのは、もう見たくないですし)


 以前、婚約破棄を告げたときの彼女は、本当に悲しそうな顔をしていた。


 それは本当に些細な違いであったが、誰よりもディートリンデを見ていたシリルには、それが分かってしまったのだ。


(ディートリンデには、笑顔が似合いますからね)


 そう思いながら、ふたりは人混みに紛れて会場に入った。

 シリルは人混みに慣れていないディートリンデの腰に手を添え、率先して彼女を守る。

 正直、彼女以外の者に対してやる気はない。面倒臭いからだ。


 が、他の男がディートリンデに触れるのは我慢ならない。そのためかなり距離が近かった。

 それに緊張しているのか、彼女の頬がほんのりと赤く染まっている。


(……可愛らしい)


 そのまま、食べてしまいたいくらいには可愛かった。

 最近そういった欲が増えてきて、少しばかり困る。触れていればいるほど、彼女という存在がより鮮やかになるのだ。


 観劇の席についても、隣りに座っている彼女の色彩ばかり気になってしまう。


 他に、視線が向けられない。それくらい、シリルはディートリンデに夢中だった。


(わたしと同じくらい、ディートリンデもわたしのことを好きならば良いのに)


 見え隠れする独占欲を抑えつけながら。

 シリルはそっと、視線を逸らした。



 ***



「あー楽しかったわ! シリル、連れてきてくれてありがとう!」

「……いえ」


 観劇を見終わり、ディートリンデはとても満足そうにシリルに礼を告げた。

 一方のシリルは、観劇の記憶はあまりない。ただ彼女が、とても楽しそうだったという記憶だけがあった。


 彼女が楽しいならば、自分も嬉しい。


 そんなことを思いながら、彼女の肩に上着をかけてやる。外は少し肌寒かったのだ。黄昏色の空が広がり、みるみるうちに夜が近づいてくる。


「ありがとう、シリル」

「いえ。さあ、帰りましょうか」

「ええ」


 あらかじめ用意してあった馬車に乗り込めば、ディートリンデがぽつりとつぶやいた。


「まさかシリルと、こんなふうなことができるなんて思ってもみなかったわ」

「……それは、どういう意味でしょうか?」


 シリルは首をかしげた。するとディートリンデは幸せそうに微笑む。そして彼の手を取った。


「あなたと、家族になれるなんて。思ってもみなかった」

「……それ、は」

「あなたが立ち直ったなら、わたしの役目はもう終わりだと思ってたの」


 その日のディートリンデは、妙にシリルに絡んできた。指を絡め、シリルの肩に頭を乗せる。

 不覚にも、心臓が跳ねた。

 彼のそんな動揺など知りもせず。彼女は頬をほのかに染める。


「だから今、とても幸せなの……大好きよ、シリル」


 普段は決して愛の言葉を言わないディートリンデが、顔を赤らめながらもそう言ってくれた。その事実が、シリルの心を揺らす。


(このまま、)


 このまま、彼女をとらえて檻に閉じ込めて、自分だけのものにしてしまいたい。

 そしたら、彼女はずっとそばにいてくれるのではないだろうか。


 そう。死んでしまった、元婚約者のように。

 自分を置いていったりはしないのではないかと。

 そんなことを考える。


 しかしそれはおそらく、いけないのであろうとも思った。

 ディートリンデは、外で自由に飛び立つからこそ、とても美しく笑うのだ。シリルはそれを見守れさえすれば良いと思う。


 それに、彼女の気持ちが変わりさえしなければ良いのだ。手段はいくらでもある。

 そのためには愛想を尽かされないように、口下手ながらも愛を囁き、行動に移さねばならない。


 改めてそう決心したシリルは、繋がった手を握り返し目をつむる。


「わたしも。わたしも、ディートリンデのことを愛しています」


 繋がっている彼女の手が、先ほどよりもあたたかくなった気がした。

 そのことに愛おしさを募らせながら、シリルは空いた手でディートリンデの顎をつかみ、そっと口づけを落とす。

 彼女はそれに恥じらいながらも、応えてくれた。


 からからという音を立てながら、馬車が走る。

 夜が近づき、空を一面の闇に染めた。美しい星々が、眼下を見下ろしている。


 屋敷についたふたりはその日初めて、身も心も重ね合った――











 それから二人の間には、五人の子どもが生まれた。

 五人の子どもたちはそれぞれ自らの役目をしっかりと果たし、母親同様民に愛される貴族に成長を遂げたという。


 その一方でシリルは相変わらず、ディートリンデに連れ回される形で外へ出向き、国を豊かにしていった。

 その仲睦まじい姿を見た民は、のちにこんな言葉を残している。


 ――かの方々ほど、理想的な夫婦はいない、と。

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