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海が凪ぐ  作者: 西原詩絵
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再会

 海岸は砂浜というより、大き目な砂利の浜だった。そこら辺に海草や無数の貝殻が打ち上げられている。歩くたび、ジャリジャリと音が鳴る。その合間に、ザブン、ザブン、と波が押し寄せる。向こう側には大小の島々が浮かんでいて、遠くに四国を結ぶ瀬戸大橋が見える。その白が青空に映えて、美しい。ねぇ、どうして何も話してくれなかったの?

――声にならない。結婚して二十年。こんなにも彼を遠く感じるのは初めてだった。

 突然大地が立ち止まった。明海は躓いてふらりと倒れかけたが、何とか踏みとどまる。数秒の沈黙の後、大地がやっと口を開いた。

「怒ってるよな。」


 約二日ぶりに交わす会話のあまりの軽さに、出すべき言葉を失った。当たり前だ。怒っていないわけがない。けれど、もう、それを通り越している。あなたを見失いそうで、どれだけ不安だったか。どれだけ悲しかったか。今まで押し込めていた感情が、一気に熱い涙となって噴き出してくる。馬鹿。一人で抱え込むなんて、こんな大事なこと。何年あなたの妻をやって来たと思う?私達は何のために二十年も連れ添って来たのよ。夫婦っていったい何なの。

「いずれ、話そうと思ってた。でも、俺自身、気持ちの整理がつかなくて。何だか逃げるようになってしまったけど、一人でこの地を踏んでみたかったんだ。自分の中で飲み込んで消化出来たら、お前にも上手く話せるだろうと思ってさ。……心配かけて、ごめん。」

 フェリーが、すぐ近くを進んでいく。波が、少し大きくなる。

「大学生の頃、脚の手術をした時、血液型が違ったんだ。」


 靭帯を痛め選手生命を失ったとき、大地は大きな手術をしている。それは二人が出会う少し前の出来事だ。


「今までBだと思ってたのに、A型だったんだよ。親父はO型、お袋はB型。二人の間に、A型の子供が産まれるわけがない。そういえば昔から、親に似ていると言われたことがなかったし、何となく感じてはいたんだけど、それは確信になった。親父の古いアルバムを探し出して開くと、他人とは思えない少女が写ってたんだ。目元や鼻の形、眉の生え方までそっくりだった。その人は恐らく使用人のようだった。昼ドラで起きてしまいそうなスキャンダルが、まさか我が家に起きていたなんて思いもしなかったよ。それから調べに調べて、この、笠岡に辿り着いたんだ。俺はお袋の本当の子供じゃない。本当の母親は……。」


 明海は、大地の哀しそうで、温かな瞳を見つめた。そんな早くに、気が付いていたなんて。私には何も見せなかった。――あの両親は、そのことに感付いていたんだろうか。

「親父がすんなりと、やりたいことをやらせてくれたのも、恐らく罪滅ぼしのようなものだと思う。お袋は激怒していたけどね。親父が倒れて、もういよいよとなった時、お袋に内緒で、佐久間さんからの手紙を渡してくれた。それはもう、それは、十年も前に届いたものだった。自分自信で見て来いってことだったんだろうな。謝りはしなかったよ。頑固だから、自分の過ちを認めたりはしない人間だったしね。親父が亡くなって、佐久間さんに返信をした。それからちょくちょく連絡を取るようになって。……それでもここに来ることをかなり悩んだ。お袋に気兼ねもあるし。ここに来れば、何だか壊れてしまいそうな気がしたんだ。人生、家庭、自分自身。だから、周りを巻き込まず、一人きりで、静かに見つめてみたかった。」


 大地らしい、と、明海は思った。きっと彼の中にある少年の部分は、ずっと揺らめいていたのだ。冷静でいることで精神の均衡を保っていたのだろう。それに気が付けなかった自らが、酷く悔やまれた。

「母は子供を拐われた後、この海に入って死のうとしたそうだ。それを佐久間さんは引き止め、ずっと彼女の面倒を見て暮らしてきたらしい。お互い想い合っていたのに夫婦にはならなかった。あくまで、尊敬していた元町工場の社長の恩を裏切りたくなくて、親代わりとして身を通したんだって。母は精神を病み、辛い記憶を封じ込めるようにして、若年性アルツハイマーに罹った。佐久間さんのことも、分からなくなってしまったらしい。それでも時々、思い出したように、この神島の海で、幼い頃に父母と仲良く海水浴場した話や、将来は邦さんのお嫁さんになる、なんて言っていたそうだ。」


 彼女は、遠く離れた水口の屋敷から凪いでいる海を眺め、故郷の瀬戸内海を思っていたのだ。今はもう綺麗に建て替わっていて全く気付かなかったが、あれは、あの屋敷での出来事だったのだ。両親を幼くして失い、頼みの養父である主に手込めにされ、その子を身籠ったせいで屋敷を追い出され、あげく産まれた最愛の息子を連れ去られ、故郷の思い出いっぱいの海に身を投げようとした。二十歳にもならない少女には、どれだけ辛いことだっただろう。

「大地という名前は、お母さんが付けてくれたのよ。」

「え?」

「佐久間さんと二人、考えて、広く、大きな心になって欲しいと、付けてくれたのよ。お義父様たち、名前だけは残してくれたのね。」

 大地は、不思議そうな顔をして明海を見た。明海はゆっくりと頷いて、大地を背後から抱き締めた。

「怖かったわよね。みんな、辛い思いをして来られたんでしょうね。分かってあげられなくてごめんなさい。あなたの妻なのに。――お母さん、きっと喜んでるわよ。あなたが立派に育って、可愛い孫達まで産まれてあんなに大きくなって。遠く離れていたって、親子ですもの。一日もあなたを忘れたことなどないはずよ。いつだって愛してた。こうして抱き締めたいと思っていた。私には分かる。だって、あなたの息子の母親なんですもの。」


 大地は、子供のように声を上げて泣いた。静かな波の音が、それを包み込むように何度も繰り返した。


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