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海が凪ぐ  作者: 西原詩絵
6/8

秘密

 路線バスに乗り、海辺を目指す。笠岡市街地の海沿いは漁港で、降りられる海岸はほとんどない。


 神島までやって来た。昔はこの島も離島だったらしいけれど、今は橋が取り付けられ陸続きになっている。この島には遍路道のようなものがあり、八十八ヶ所詣り場所が存在しているようだ。海岸沿いにはカブトガニが繁殖している為遊泳禁止になっている。

 和哉の電話の後町中を彷徨っていると、続いて壮佑から電話が掛かってきた。自宅に、佐久間(さくま)という男性から電話があったらしい。話を聞けば、その老人が大地を呼び付けたとのことだった。家族には何も伝えていないと知って、非常に心配し、申し訳ないとひたすら謝って下さったらしい。大地はそこにいるというので、住所を尋ね母がそちらに向かいます、と伝えて電話を切った後、壮佑は直ぐに明海に連絡をして来たようだ。

 太陽の光がキラキラと水面に反射し、とても美しい。近くに大小の島々が見える。瀬戸内海は、元々川だったのだ。


 バス停で下車するとすぐ近くに佐久間の家はあった。白い壁の小さな民家には朝顔が植えられたプランターが並び、これから日除けになる予定のようだ。海がすぐそこにある。ほんのりと潮の香りが漂うこの町はとても静かで、波音と、微かに船の音が耳に心地よく触れていく。〝佐久間〟という手書きの表札が掛かった玄関にインターホンは無く、明海は「ごめんください」と声を上げた。

 中から出てきたのは小柄で優しそうな老人だった。明海の顔を見ると、納得したように頷いて「まぁ、上がりねぇ」と家の中に招き入れた。

「ようおい出て下さった。今ダイちゃんは、出掛けとるけぇ、お茶でも飲んでお待ち下せぇ。」

 冷たい麦茶を湯呑みに入れ、奥から運んできてくれた。ありがとうございます、と丁寧に頭を下げ、一口ずつ大切に飲んだ。

「こがん辺鄙なとこ、道中大変じゃったろうに。男の一人暮しじゃろくなもんありゃせんで、申し訳ねぇ。」


 年の頃は、恐らく七十代。水口の姑よりも少し若いぐらいだろう。こんなところに一人きりで生活していたら寂しくはないだろうか。それにしても、何故。この老人が大地を呼び寄せたのか。どういう繋がりがあるのか明海には全く想像できなかった。

「明海さん、言うたかな。私、佐久間邦(さくまくに)(ひろ)

、言います。この度は大地君を突然に呼び寄せて、勝手なことをしていけんかった。申し訳ありませんでした。」

 佐久間が頭を畳に擦り付けるので、明海は慌てて彼に頭を上げて貰うように言った。

「大地君にここへ来てもろうたのは、深い訳があるんじゃ。」

 生温い空気が窓から流れ込んだ。私が知ってしまっていいのだろうか……。明海は、膝の上で拳を握りしめた。




 産まれたばかりの赤ん坊は小さくて、直ぐに乳に吸い付いてきた。陣痛は、死ぬかと思うほど痛かったけれど、すっかりそれを忘れるほど、我が子は可愛らしい。私の全てをこの子にやりたい。いとおしい。幸せ。


 屋敷を追い出され行く宛のない私を、邦さんは拾ってくれた。父と約束したと言っていた。私が水口の家に貰われてからも邦さんは時々、東京へやって来た。苦労はないか、寂しくはないかと、いつも気にかけてくれていた。今思えば、この人は結婚もせず、私を見守って下さっていたのだから、彼の人生を縛り青春を奪ってしまったようなものだ。これからは少しでも、邦さんに恩返ししなくてはならない。……この名前は、どうしようか。広く、大きな心に育って欲しい。ねぇ、邦さん。どうしよう。

 赤ん坊が男の子だと聞き付けて水口の奥方の使いの者がやって来た。あの家には子供がないから、この子を養子にして、跡目を継がせるつもりだ。酷い。ごみのように私を棄てたくせに、涼しい顔をして人拐いにやって来るのだ。どうしてもこの子だけは渡したくない。せっかく、せっかく私の元にやって来てくれたのに。


 それから三日後、赤ん坊を渡さなければ邦さんの命はないと奥方に言われた。あの人ならやりかねない。私は恐ろしくて、身が強ばった。奥方は私から無理矢理赤ん坊をもぎ取るようにして連れ去って行った。もう、どうしていいかわからない。こんなに辛いのは、産まれて初めてだ。こんなことなら、もっと早く……。




 恐ろしくて身震いが止まらない。これは、本当に事実なのだろうか。明海は今にも飛び出しそうな心臓を右手で押さえた。

「お嬢さんは、小夜子奥様に生き写しでした。じゃけぇ、水口の旦那様は、ついついそのお嬢さんに手を出してしもうたんでしょうな。小夜子奥様に好意を持っとられるんは、一目瞭然でしたけぇ。初めは、可哀想にと思うてお嬢さんを引き取られたと思います。しかし、年頃になられたお嬢さんを愛でるうちに、辛抱がきかんようになってしもうたんでしょう。男とはそんなものかもしれません。」


 明海は、固く目を閉じた。あの舅が犯した大罪とは、このことだったのか。しかしどうして舅は和哉に話したのだろう。こんな話、外に漏れたら、会社が立ち行かなくなるのに。そして、何故実際に跡を継がせることをしなかったのだろう。

「水口の旦那様は、お嬢さんを心底好いとられたんじゃなかろうか。お嬢さんは、本当に小夜子奥さんに似とられた。」

 明海の心を読み取るように、佐久間は言った。

「じゃけぇ、お亡くなりになる前、大地君に手紙をお渡し下さったんでしょう。」

「手紙?」

「ええ。あなたに会いたがっている人がいるから、一度笠岡へおいでなすって下さいと書き認めて、パンフレットを一枚同封したんです。十年ほど前の事です。それを、やっと渡して下さった。」

 あの電話のところに置いてあったパンフレットは、佐久間から届いたものだったのか。

「あ、ダイちゃん、帰って来たんか。」

 佐久間につられて部屋の入り口に視線をやると、そこには、驚いて目を真ん丸にした夫が立っていた。明海は、じろりと彼を睨んだ。

「どうして……。」

 夫がそれだけ溢した後、無言で見つめあう二人に佐久間が気を遣い、どうかダイちゃんを叱らんで下せぇ、と海岸沿いを歩いて来るように勧めた。


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