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伊山玄太のリアル(3)

 「美月、私のことを殺して」


 奈津美の発した言葉には真実味が感じられなかった。


 しかし、奈津美の立場に立って考えれば、その嘱託が冗談ではないことを感じ取れたはずだ。


 奈津美は日々のいじめに病んでいた。もはや奈津美は入学当初の溌剌とした様子ではなかった。学校では誰にも話しかけることはないことは当然として、誰とも目を合わせようとしなかった。


 それにも関わらず、クラスメイトは奈津美にちょっかいを出し続けた。彼女は皆のストレスの捌け口だった。


 人間には攻撃欲求というものがあるらしい。ルールに縛られた現代社会では満たし難いこの生物的な欲求を、俺たちは奈津美をいじめることによって満たしていたのかもしれない。

 

 奈津美はクラスで一人の人間として扱われていなかった。ただの道具として、俺たちのストレス発散に利用されるだけの存在だった。


 殺して欲しい、と奈津美が本気で思ったとしても不思議じゃない。俺が彼女だったら、とっくに生きることに絶望している。


 でも、あのときの俺には分からなかった。奈津美が本当で死を考えていたことが。


 奈津美が死ぬまで彼女の気持ちを想像することができなかった。しようとも思わなかった。


 だから、あのとき、奈津美が花瓶を持って美月に迫っている様子を眺めていた俺は、軽い気持ちで言ってしまった。



 「殺しちゃえよ」


 奈津美は俺の方を振り返った。


 色素の薄い髪がふわりと舞い、その残像が飛び散る涙と重なった。


 そして、目が合った。



 奈津美は美少女だ。俺は今まで彼女よりも容姿端麗な女性に出会ったことがない。


 奈津美の顔のパーツはどれをとっても美しいが、中でも目は一番美しい。長いまつげにはっきりとした二重まぶた。大きな黒目は人懐っこい印象を与える。


 そんな奈津美の愛らしいはずの目が、このときは憎しみで尖っていた。


 殺される、そう思った。



 しかし、奈津美が殺したのは俺ではなかった。


 奈津美は目を閉じると、花瓶を振り上げ、自分自身の頭を目がけてそれを振り下ろした。


 奈津美が殺したのは奈津美自身だった。




 最期の瞬間、奈津美が憎しみを向けていたのは誰なのか。


 美月、と考えるのが自然かもしれない。


 奈津美のいじめを開始したのは美月であるし、奈津美の最期の質問に残酷な回答を突きつけたのも美月だ。


 奈津美には生きている価値がない、美月ははっきりとそう言った。


 しかし、最期に奈津美の網膜に映ったのはこの俺だ。


 最期に奈津美が聞いた音も、俺の心無い一言だ。

 

 だとしたら、奈津美が自殺する直前に憎しみを向けていたのは、俺なのではないだろうか。


 奈津美に死を決意させてしまったのは俺なのではないだろうか。



 たしかに今までのいじめの積み重ねと、美月との最期のやり取りは奈津美を限界まで追いやっていたのであろう。コップの水は今にも溢れそうになっていた。


 しかし、最後の一滴を注ぎ、実際にコップの水を溢れさせてしまったのは、俺だったのではないか。



 「殺しちゃえよ」


 この一言を聞いて、奈津美は何を感じたのか。


 俺はクラスでも目立たない存在であるし、奈津美と個人的な親交もなかった。


 奈津美にとって、俺は単なるクラスメイトCに過ぎないだろう。


 とすれば、俺の一言なんて奈津美にとって取るに足りないものだったのではないか。


 ―いや、逆だ。


 クラスメイトCの発言だからこそ、奈津美にとっては残酷だ。


 無個性なクラスメイトは、クラスメイトを代表し、象徴してしまう。


 奈津美は、俺の発言をクラスメイトの総意だと捉えられたのだろう。俺の発言によって、彼女はクラスメイト全体に失望したのだ。



だとしたら、奈津美が自殺する直前に憎しみを向けていた対象は、クラスメイト全員ではないだろうか。


 俺の発言によって、奈津美のクラスメイト全員に対する憎しみが惹起され、彼女は衝動的に死を選択した。


 とすると、奈津美を殺したのはやはり俺だ。



 結局のところ、奈津美の真意は奈津美にしか分からない。


 その奈津美はもうこの世にいないのであるから、本当のところは誰にも分からない。


 もしも、あのとき、俺が「殺しちゃえよ」という野次を飛ばしていなかったら、奈津美は今も生きていたのか。それとも俺の言葉がなくても自殺していたのか、それを知る由はどこにもない。


 だとしたら、俺はどう責任を取るべきなのか。


 奈津美を殺した唯一の殺人犯としての責任なのか。


 それとも、事件の目撃者の一人として、無責任なのか。


 

 この点、廣田先生の裁きは俺にとって都合の良い解決を与えるものであった。


 廣田先生の論理に従えば、俺は唯一の殺人犯でもなければ、ただの目撃者でもない。殺人者の一人、共犯の一人だ。


 だから、責任はイチかゼロかの問題ではない。程度の問題となる。


 俺が奈津美を殺したことには間違いない。


 とはいえ、全ての責任を俺が負わなければならないわけではない。


 悩みが少し晴れた気がした。



 俺は教卓に向かい、目に入った中で二番目に大きな欠片を手にした。既に美月が一番大きな欠片を引き取っていたので、全体の中では三番目に大きな欠片となる。


 誰が二番目に大きな欠片を預かるべきなのかは分からない。だが、俺の責任は間をとってこれくらいだろうな、と思った。


 最終的に、二番目に大きな欠片を手にしたのは川崎愛未だった。彼女がいじめに関与しているところを見たことがないので、俺は少し不思議に思った。


 

 全ての生徒に花瓶の破片が行き渡ったのを確認すると、廣田先生はゴホンと咳払いをし、先程までとは打って変わったことを言い始めた。


 「実は先生は宮前がいじめられていることになんとなく気付いていた。それにも関わらず、八田と比べてもいじめを容易に止められる立場にあったにも関わらず、それをしなかった。自分の担任するクラスでいじめが横行しているという事実を認めたくがないために、見て見ぬふりをしていた。自己保身のために、取り返しのつかないことをしてしまった。今まではお前ら生徒を責めていたが、実は宮前の死に対して一番責任を負うべきなのは先生だ」


 俺たちのクラスが初担任だという若い教師の目には涙が浮かんでいた。


 「だから、先生が一番大きな責任を負おうと思う。宮前の死体は先生が引き取らせてもらう」



 たしかに、世間に奈津美の死を隠すとすれば、奈津美の死体をどう処理するのかが一番の問題だった。


 廣田先生は奈津美の死体をどうするつもりだろうか。捨てるのか、隠すのか、埋めるのか。


 とにかく、そのいずれの方法を採ったとしても、警察に捕まるリスクが非常に高いことだけは間違いない。そのリスクは凶器である花瓶の破片の処分の比ではない。



 無論、死体を引き取りたがる生徒などいなかったので、異論は唱えられなかった。

 

 こうして裁きのホームルームは幕を閉じた。人生で最も長い朝だった。


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