フリージア
ずっと前の作品「あめ玉・ガラス玉」の続きになるお話です。
これを読まなくても分かるようにはしたつもりですが、
(分かんなかったらごめんなさい)
前作品も合わせて読んでいただけると嬉し恥ずかしです。
壁に吊るされているガラス玉。レジ横に置いてあるあめ玉。
どちらも、今私が経営している花屋の前にあった、ガラス雑貨店の名残だ。
「にしても、」
と私はガラス玉を磨きながらレジ横のあめ玉に目をやる。
ガラス玉を残しておいてほしいという店主の気持ちは分かる、でもどうしてあめ玉を置いておくように彼は頼んだのだろう。
子供のお客に好評だから、別に悪いことではないのだけれど。
綺麗になったガラス玉を見つめ、満足して私は頷いた。店を閉めた後にこれらを磨くのは開店当初からの習慣だ。
「──あ」
また見えた。店内の花を綺麗に映すこのガラス玉は、たまに私の知らない景色を映し出す。ガラス雑貨店の店主と、小さな女の子の姿。これが何なのかはよく分からないけど、ガラス玉の中の二人は小さなガラス玉とあめ玉を交換して笑っているから、おそらく店主があめ玉にこだわる理由にも関連しているのだろう。
二人の様子を見ていると私の顔まで綻んでくる。時々しか見ることができないけれど、
この時間は私にとって至福の時となっていた。二人につられて私もあめ玉を一つ、口に入れる。優しく溶けていくあめ玉を舌で転がすのもまた、至福。あめ玉が好きなこの子も同じように感じていたのかな。そう思って一人笑うと、同じタイミングでガラス玉の中の少女が琴を手にして笑っていた。
やがてガラス玉には私の笑った顔が映り、楽しい時間が終わる。さっきの景色の余韻に浸りながら、磨き終わったガラス玉たちを元の場所へと吊るし直した。電灯の光を受けて静かに輝くガラス玉にしばらく見惚れる。いつもならここで仕事は終わり、電気を消して店を出るのだけれど、ふと思い出して奥からある袋を取り出した。中身は見ていないけど、店主からの預かりものだ。いつか女の子が店にやってきたら渡してくれ、と彼は言っていた。きっとガラス玉の中の少女のことだろう。まだ彼女は現れていないが、いつでも渡せるように、すぐ取り出せる場所へしまってある。
「早く来ないかな」
ガラス玉越しにささやかな幸せをくれる彼女に、早く会ってみたかった。
それから数日が経った頃、慌てた様子の女の子がやって来た。
明らかに花を買いに来た様子ではない女の子。何か、おそらくあめ玉を、口の中に入れている女の子。
「いらっしゃいませ」
いつもどおりに出したはずの声が震える。なぜか緊張してきた。テレビの向こうの人と対面するような、
そんな感覚だ。
戸惑ったように店内を見渡した彼女は、ふと壁のガラス玉に目を向けた。
「……これ」
きっと見覚えがあるものなのだろう、彼女はしばらくそれを眺めて、私の方を振り返った。
「お花屋さんの前って、どんなお店だったんですか」
この困惑振りからして、彼女はお店がなくなったことを知らなかったのだろうか。
「ガラスの雑貨を取り扱っていたお店でしたよ。あのガラス玉も、前の店長さんがくださったもので」
私がそう言うと、彼女の目の色が暗くなった。
「その人、今どこにいるか分かりますか」
一段と小さくなった声での問いに、私は首を横に振る。
「行き先は何も。ただ、もうお店はやめるって」
営業を続けるのが難しかったのだろうな。去り際の店主の様子を思い返して、そう思った。私の考えが口に出ていたことに気付いたのは、うつむいた少女を見てからのことだ。しまった。取り繕うように、慌てて言う。
「ものすごく、寂しがっておられました。もしかしたら女の子が来るかもしれないって。そうそう、預かり物もあって」
すぐ取り出せる場所に置いてあったあの袋を少女に握らせる。
「これを、渡してほしいって」
虚ろな目で彼女は袋を眺めて、ありがとう、とつぶやくように言った。そんな顔にさせるつもりなんてなかったのに、ごめんなさい。いくら胸中で謝っても彼女には伝わらない。
軽く頭を下げて、少女は出て行った。そういえば、レジ横のあめ玉を渡すことができなかった。私が渡さなくても、彼女はたくさん持っているだろうけど。
その日の店じまいの後も、ガラス玉を磨いた。なかなか、綺麗にならなかったけど。
急な来客があったのは、それから更に数日後のことだった。
「お久しぶりです」
帽子をとって礼儀正しく頭を下げていたのは、ガラス屋の店主だ。
「お久しぶりです、どうされたんですか」
少女の時みたいに余計なことを言わないようにと、慎重に言葉を選ぶ。
「少し懐かしくなりまして。まだガラス玉、飾ってくださっているんですね」
店主が嬉しそうに壁へ目を向けて言った。
「気に入ってるんです。それに、」
私はたまに見えていた二人の話をした。店主は驚いたような顔をした後、優しく微笑む。
「ガラス玉の、過去の記憶なんでしょうね」
私が受け取る前も、このガラス玉たちは店の壁に吊るされていたのだという。彼らが眺めていた、店主と少女の可愛いやり取り。
「琴ちゃん、──あ、その女の子はこちらには来ましたか」
店主が聞くので、私は先日のことを話した。傷つけてしまった話はしないようにして。彼女の悲しげは様子を伝えると、やはり店主も寂しそうに笑った。申し訳ないことをしました、とレジ横のあめ玉に目をやる。
「どうして、お店をたたむって言ってあげなかったんですか。ちゃんとお別れしなきゃ、いつまでも悲しいままでしょう」
困惑していた少女の姿を思い出す。ガラスのお店がなくなっているのを見たとき、彼女は何と思ったのだろう。
「ちゃんと言おうと思っていたのですが。理由を聞かれたときの答えがなくて。あんな小さい女の子に、経営難なんて言えないし。最後に来たときだったかな、彼女にガラスの琴をプレゼントして。あの琴の音で思い出してくれたらいいのですが」
最後のほうは独り言のように、店主はつぶやいていた。見ていられない。何か私にできることはないものか。ガラス玉の外から眺めていただけだけど、私が介入するようなことではないのかもしれないけど、それでも二人にもう一度繋がってほしかった。私の幸せであるガラス玉の景色を、過去のものにはしたくなかったのだ。
「すみません、こんな話を」
店主の声で我に返る。と、そこであの袋のことを思い出した。あれの中身は何だったのだろう。気になって聞いてみると、照れくさそうに店主は笑った。
「いや、ただのガラス玉ですよ。琴ちゃんはあめ玉をよくくれたから、小さいガラス玉をあめ玉みたいに包んで。あの子の好きなあめ玉と、私の好きなガラス玉と。喜んでくれてると、いいのですが」
その言葉を聞いて、私は思い直した。やっぱりこの二人の間には入ってはいけない。そのガラス玉キャンディで二人は繋がっているのだ。
「喜んでくれますよ、きっと。伝わります」
そうですね、と店主が笑ったとき、ドアの開く音がした。
「あの、お花を選んでほしくて」
ドアが開くと同時にそう言った少女から、ほんのり、あめ玉の匂いがした。
しばらく時が止まったような、そんな感覚に陥った。多分、その場にいた全員がそうだったと思う。
「琴ちゃん?」
最初に口を開いたのは店主だった。おじさん、と少女も消え入りそうな声で応える。
その後の二人の会話は聞いていない。とにかく、私は少女の為に花を選らばなくては。これが私に出来る唯一のことだ。
「どんな花にしますか?」
私が聞くと、少女は店主のほうを振り返った。
「おじさん何色が好き?」
しばらく考えた後、店主は笑って聞き返す。
「琴ちゃんの今日のあめ玉は、何色なの?」
なんだったかな、と味を確かめるように少女はあめ玉を口で転がした。
「レモンだから、黄色だね」
「じゃあ黄色がいいな」
そんな決め方でいいの、と少女は不服そうだったけど、おじさんらしいね、と笑う。黄色い花、黄色い花、とつぶやきながら、私は何輪か取り出した。
「どれがいいかな」
少女は一つ一つを眺めて、「これ」とフリージアの花を指差した。
「かしこまりました」
二人にはぴったりの花のように思えた。確か花言葉は、「友情」とか「親愛」とか。
カスミソウも添えてラッピングした花束を少女に手渡す。
「ありがとう」
少女は代金と、ポケットから出したあめ玉を私に差し出した。
「じゃあこれお返しに」
と、私もレジ横からとったあめ玉を一つ、少女の手に乗せる。
「わぁ、やった。もらえないかなぁってさっきから思ってたんだよね」
嬉しそうに琴ちゃんは笑い、
「琴ちゃんは本当にあめ玉が好きだね」
と、おじさんも笑った。
ちらりと壁のほうに目を向けると、微かに揺れるガラス玉は、ほんのりと黄色く輝いていた。
あと一応前作品も見ながら書きましたが、細かい相違点はあるかと思います。
思い立った勢いで書いたものなのでそこらへんはご容赦ください。。