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2・螺子と零司

 ネジが巻かれる。ぜんまいが回る。くるくると回る。


 ヴゥゥーン


――ゼンマイ稼働確認。駆動オン。時刻ヲ合ワセマス。市徒歴六十七年四月三日。午前八時二十八分四十秒。前回停止時ヨリ一二三三日ト八時間十四分五十六秒経過。思考経路……正常。電算経路……正常。関節部……潤滑液が七%減少シテイマス。動作ニ影響ナシ。


 約三年半ぶりの稼働に際し、体内ボディが出来うる限りの現状の確認を始める。多少すり減っている部分もあるようだが、稼動に際して問題はないようだ。 


――生産番号NR―1981、『螺子』ノ新シイ所有者ノ氏名ノ登録ヲシテ下サイ。名前ノ確認ヲ行ッテ下サイ。名前ノ……


――新しい所有者……。


 視覚野が起動する。久方ぶりの陽の光に、螺子は眩しいと感じた。



[螺子と零司]



 昭和の香り漂う町の片隅、一件の白壁の木造家屋の前で一人の男が佇んでいる。青地のボストンバッグを肩から下げ、少しばかり伸びた染めない黒の髪をがしがしと引っ掻いて心を決めたように男は玄関の鍵を開けた。


 零司れいじは二十八になって会社を辞めた。

 彼がここに来たのは、とある人間関係について追い込まれた結果である。会社を解雇という形になって腕に抱えられる程の段ボールを持って自宅へ戻ってきた零司に、両親が遠い親戚が暮らしていたという田舎町のこの家に住まわせることにしたのだ。

 言いたいことは山ほどあっただろうに、零司の疲れ切った顔に「今は養生してこい」とこの家の鍵を手渡したのは両親の愛情ゆえのことだったのだろう。

 元気になればまた戻ってこいと言われたものの、果たしてそんな時が来るのだろうか。そう思いながら空中線路を走る機関車を乗り付いで零司はここまでやって来た。


 家の中は当然のごとく人気ひとけはなく、だが綺麗に整理がなされていた。

 この家に住んでいたのは、機械人形制作では第一人者と呼ばれたあの螺子巻 礼次郎だ。彼の名前は同じ技師として零司もよく知っていた。

 零司もまた礼次郎と同じく機械人形技師であった。けれど人形を手ずから作り上げる程の技量はなく、せいぜいが少々の不調を直すくらいの整備士としての技量しか持ち合わせてはいない。

 いつか自分の手で人形を製作してみたいと思っていたが、今のところそれはできていない。日々の忙しさにかまけて持ち得る知識以上を増やす時間を持てなかったのだと自分で言い訳している。


 礼次郎とは一度は会って話をしてみたいと思っていたが、その思いが叶わぬうちにこの世の人ではなくなってしまった。そんな彼が同じ苗字ではあるなと思っていたがまさか親戚だったとは。

 礼次郎に残された親戚も零司の家くらいのもので、町の役場から連絡が来るまで零司はおろか両親でさえ彼が親戚であることを認識していなかった。それくらい礼次郎とは遠く離れた親戚であった。

 一応は受け取った鍵を零司の両親は使っていなかった。

 亡くなった者への礼儀として年に一、二度人を雇って掃除をさせるくらいで、まだまだ若い両親はニューシティでの暮らしのほうが好ましいと、いずれ自分の息子に引き渡す土地としてこの家を所持していた。


 木の板の廊下を抜け台所、洗面所、風呂場、寝室を見て回る。部屋のどれもが、いつかの近代史の教科書で見たような光景ばかりだった。

(これはまた古風な……)

 居間にはダイヤル式の黒電話が置かれていた。なんとなく使い方は分かるが、使えるのだろうかと受話器を持ち上げる。耳に当てると、ツーツーという待機音が鳴っていた。

 黒電話のそばには電話帳が置かれている。五十音順に並んでいるページをたぐると、苗字の後ろにカッコ書きで記された町内会長という文字を見つけた。

 いつまでここにいることになるかは分からないが、しばらくここで暮らすこになるならば連絡を取っておいたほうが良いだろう。礼次郎が死んでから三年半が経過しているので町内会長が変更している可能性もないことはない。けれどとりあえずはこの番号にかけてみれば現町内会長が誰なのかくらいは分かるだろう。そう頭に置いて、零司は家の探索を続けた。


 一通り部屋を見て回ったところで、零司は屋根裏へと続く狭い階段を見つけた。

 ギシギシと踏み鳴らしてのぼっていく。

 どうやら物置場としているらしい。段ボールやら木箱やらがところ狭しと積み上げられている。小窓から入り込む光に浮いたほこりがふわふわと漂っていた。

 外は花が少しずつ開いていき春の賑わいを見せ始めているというのに、ここだけはときを止めているようだった。

 少し奥まったところにわずかな空間があるのを零司は見つけた。

 荷物の山など後で整理すれば良いのに、なぜだか酷く気になって、積まれた隙間をぬって近付いていく。


 そこにあったのは一体の機械人形であった。


 機械人形は座して荷物の避けられた空間の中で動きを止めて眠っていた。 

 元来生物でない機械人形に対して、眠っているという表現もどうかしているが、眠っているという表現が一番その目を閉じる人形にふさわしいものだと零司は思った。


 眠る機械人形はとても美しかった。


 黒髪はさらさらと下に流れ、白磁の肌が薄暗闇に陶器のように浮かび上がっている。赤い実の唇は薄く開けられ、稼働していないのに呼吸をしているようだった。

 穏やかに動きを止めている人形は、起こされることを拒絶しているように見えた。だが、機械人形技師として動いているさまを見てみたい。

 零司は人形の首を自分のほうに傾けさせ、流れる黒髪を横に避けた。

 さわさわと首筋に触れるのは、零司が人形偏愛者というわけではなく、人形の起動スイッチの大抵が首後ろに取り付けられているためだ。


「ネジ……?」


 触れる異物に零司は首を傾げた。

 パチパチと切り替えるスイッチを意識して探していたはずが、探り当てたのはオルゴールを奏でるために回すような小さなネジ。

「これが起動スイッチなのか?」

 なんとも変わった人形だ。製作者はおそらく礼次郎だろう。何を思ってこんな仕掛けを施したのだろう。


 興味のままに零司はネジを回した。

 くるくる。くるくると。

 やがてカチンとネジの限界を迎えて手を離す。

 

 指に伝わる起動振動。

 触れる人形に生気が宿っていくのが分かった。零司は機械人形の整備を行う中で、再起動の度に人形に生気が宿る瞬間を見てきた。

 けれど、これまでのどんな機械人形より生き物に近い息吹きを零司はその機械人形に感じた。

 ゆっくりと顔を上げる機械人形は、瞬きをして零司の顔を見つめてきた。とても懐かしいものを見るように、やわらかに目を細めて微笑む。恋人が愛しい者を見つめるような熱を持っていた。それは情熱というほどには若々しい熱でなく、長年を過ごしてきた信頼を抱く相手に向ける瞳のようであった。


「おや旦那様、随分とお顔立ちが若くなりましたね。若返り術でも受けられましたか?」


 頓狂な言葉に零司は瞠目する。その様子に人形は「失礼、御髪が」と乱れる髪を梳いた。

 にこりと再び笑ったときには、人形の目に宿っていたはずの熱は消え去っていた。


「はじめまして、新しき所有者様。私は螺子ねじこ。ネジの字に当てて螺子と申します。お名前を伺ってもよろしいですか?」

「れいじ。漢数字の零に司ると書いて零司。螺子巻 零司」

「螺子巻、零……司……。れいじ…」

 螺子が確認するように名前を呟く。終いの言葉は音にならず、かたどられた形はローマ字で表すなら「ou:オウ」か。苗字も下の名もローマ字ならば「i:アイ」なのに不思議だと思った。

 けれどその疑問を口に乗せる前に螺子のほうから話を始めたものだから、零司はその疑問をすぐに忘れ去ってしまった。

「なんとも奇妙な縁ですこと。零司さんはこちらにお住まいになられるのですか?」

「あ、あぁ。まあそうなるかな」

「でしたら私は長いことこの土地で暮らしてまいりましたから、良き手助けができると思います。私を見つけたのは運が良かったですね。

 あぁ、所有者様のことは零司さんとお呼びしても構いませんか? 見かけとしても私とそう変わりなさそうですし、様と付けて呼ばれるのはお嫌でしょう? それともマスターとお呼びいたしましょうか?」

 大概の機械人形は自分の主のことをマスターと呼ぶ。中には主らしく様と付けて呼ばれることに喜びを感じる部類の者もいるようだが、自分の卑小さを自覚している零司はそう呼ばれることには抵抗があった。

 だとしてもそれを一目会ったばかりの人形に指摘されるのは気分の良いものではない。

「お前はずいぶんと機械人形らしくない人形だな」

 そう皮肉を言うと、螺子は嬉しそうに「お褒めにあずかり光栄です」と笑って言った。




 それからは螺子に慌ただしく近所中を引き回された。

 住人たちへの挨拶周りに町の並びや景観の説明、果てはどこそこの店が安くて美味いと観光案内のようなていとなり、しばらく外歩きを控えていた零司には少々苦となる行程に、家に戻る頃にはぜいぜいと息が切れていた。

 ただ分かったのは、螺子は住人たちに愛されているということ。挨拶に訪れる家々で螺子は帰還を歓待された。中には涙ぐんで抱擁する婦人さえいた。

 なにもない自分とはえらい違いだ。自分にはなにも残っていない。愛する人も。仕事も。すべてを失った。


「お前は愛されているんだな」


 夕食時、ぽろりとこぼした言葉に螺子は薄く微笑んだ。

「ここに住むみなさんは人の良い方々ばかりですから、零司さんもきっと受け入れてもらえますよ」

 機械人形の螺子に食事はいらない。けれど零司が食事を終えるまで、昼食時もそうであったが螺子は楽しそうに笑って席を共にするのだった。

「おかわりはいかがですか。若いんですから、しっかり食べてください」

 差し出す手は茶碗を渡せとせっついている。

「お前は俺の母親か」

 零司は久しぶりに白飯を二杯食べた。喉を通る白飯の味に甘みを感じたのもまた久しぶりのことだった。


 ※ ※ ※


 昭和の風景の残るこの町での暮らしは固く凍った零司の心を穏やかにほぐしていった。

 螺子は家に引きこもりがちの零司の腕を取って、頻繁に外に連れ出した。

 初めは散る桜の下で弁当を持参して長い時間落ちる花びらを共に見つめた。

 花が散って青々とした緑の葉が成り、げじげじとした棘を持つ毛虫が出てくるようになると、少しずつ眩しくなる日差しの下で日傘をさして小道の散策を行なった。


 日々移ろう季節の中で、一度は通ったはずの道は通るたびに顔色を変えて零司を迎えた。

 馴染みの店で声を掛けられるようになり、懐いた犬の頭を撫でるようになる頃には、日傘をさすのは零司の役目となっていた。

 陽に触れても螺子の肌が焼けることなどありなしないのに、零司は熱い日差しが螺子に降り注がないように日傘を傾けた。

 

 二度目の夏が来て、縁側で涼むために桶に水を張って足を浸す頃になると、零司はすっかり町の住人と化していた。

 スイッチ一つでたくさんの物を得られる生活と比べるとまったく雲泥の差の生活ではあるが、零司はここでの生活をすっかり気に入るようになっていた。 

 ここで暮らしていると、自分が正常になっていくのを感じる。 

 日々その日の天気を気にし、何をしようか考える。無駄を省いたニューシティの生活こそが無駄に満ちていたのではないかとさえ思えてくる。


「零司にーちゃんっ。あーそーぼっ」


 近所の住人の孫たちが連れだって門をくぐって入ってくる。夏休みに入り祖父母の家に預けられている子供たちだ。昨年近くの公園で知り合ったのだが、どうしてだか懐いてきて長休みになるとこうしてみんなで揃って連日遊びにやってくるのだ。

「いいけど、今日は何をするんだ」

「川に行って飛び込みー!」

「オレ、二段岩から飛び込めるよ」

「ボク……まだ一段岩から」

 一段岩、二段岩というのは川に面してある大きな平たい岩のことだ。一枚岩は川面から一メートルほどの高さがあり、二段岩はそこからさらに一・五メートルほど上からせり出している。

 二つの岩は、夏休みの子供たちの格好の飛び込み場なのだ。 


 洗濯物を干す螺子に声をかけると「後でみんなで食べられるものを持って見に行きますね」と返事が返ってきた。

 この人形らしくない機械人形と暮らすようになって一年以上が過ぎた。

 初めの頃はことあるごとに「お前は機械人形らしくない」と言っていた零司も近頃ではそのようなことを言わなくなった。

 なにしろ螺子はたいそう人間らしく、時にはぷうと頬をふくらませさえするのだ。

 最後に言ったのはいつだったか。不機嫌な零司に優しく諭すように話し掛ける螺子に「まったくお前は機械人形らしくない」と言ったときだ。

「私に機械らしくあれと。それは命令ですか」

 そう返したのは螺子だった。しゅんと項垂れる姿に、すぐに発してしまった言葉への罪悪感に捕らわれる。

 けれど素直に謝れない零司は、「ただのぼやきだ。聞き流せ」と耳を赤くして言うのだった。

 零司の素直でない謝罪に螺子は笑う。嬉しそうに笑って身を寄せる。

 それからか。

 零司は螺子に向かって「機械人形らしくない」と言わなくなった。

 

 せり出した岩から水柱をあげて子供たちが飛び込んでいく。

 年長の慣れた子供は二段岩から身を捻って勢いよく飛び、そうでない子供は一段岩から鼻をつまんで「えいっ」と飛び込んだ。

 零司はその様子を川に足を浸しながら眺める。


「零司にーちゃんもやろうよ」

 先に何度も飛び込んでいた年長の子供が腕を引く。子供たちにとって川に飛び込まないのは臆病者のあかしだ。昨年もこうして飛び込まされた。 

 彼らよりずっと年は上だが、遊び相手の兄として零司は飛び込まないわけにはいかなかった。


 飛び込み台はもちろん二段岩から。

 二、三回屈伸を行なって勢いよく岩を蹴る。

 跳躍は見事成功した。水柱をあげて体が川底に沈んでいく。

 けれど人知の及ばぬところで自然はその姿を変える。

 川底を蹴り上面へと戻ろうと踏み出した足は、しかし岩の苔につるりと滑り、あっと思う間もなく水流に飲み込まれてしまった。

 ばたばたともがくが、回転する体にどちらが上か下か分からなくなる。透明な水に零司の口から漏れ出た空気が泡となって流れていく。川の水流によるものと自身の口から漏れ出たものとが混在した気泡が重なり合って目の前に広がっていく。


「零司さんっ!」


 螺子の澄んだ声が聞こえた気がした。

 続けて白い魚の飛び込む音が鳴り、零司は意識を失った。




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