ちゅうと りある・2
焼けるように強い陽射しの下、ゆるゆると流れる二本の川がある。
それらの狭間。どこまでも続く黒い土の上に、巨大な門と、そこから続く長い長い城壁がある。
形状は、おおよそ正方形といったところだろうか。仮に一周しようとしたら、寝ずに一日かかるだろう。
しかし何よりも目立つのは、街から飛び出した天を突く塔だ。
エ・テメン・アン・キ、或いはカ・ディンギル。後にバベルと呼ばれることになるそれは、この街、この国のシンボルとなる神殿だ。
バビロニアの首都バビロンは今、兵達の帰還に沸いている。
街道を埋める人、人、人。巨大な城門の前から続くそれは、誰もが笑顔だ。
「良い街だろう」
と、背後から太い声が響く。
呆気に取られたまま、反射的に頷くことしか出来ないこちらを見て、ギルガメシュは豪快に笑う。
全く気にしていなかったけれど、彼、ギルガメシュはバビロニアの王だ。
つまり彼と共に乗馬しているというのは王の位置に居るという事で――凄い数の視線が向けられる。
「どうした少年。もっと胸を張るが良い。何しろお前は立派なことをしたのだからな。初陣で敵を討ち取るなど、そうそう出来ることではない」
「っ、だからボクは――」
思わず振り向き反論しようとするが、ギルガメシュはもう聞いていない。民衆に槍を掲げてみせるのにどうやら夢中だ。
仕方無いなと溜息を吐いて、心なし肩を落としてしまう。
実際問題、仕方無い。多分だが――そういうのには対応していないのだろうし。
深い溜息を吐きながら、今はとにかく、成り行きに任せようと思った。
「ダメです」
素っ気ないが力強い。言ったからには一歩も譲る気が無い、そんな声音だ。
「いかんのか」
不服そうな唸り声は、まるでお菓子をねだる子供のようだ。
「ええ、いかんのです」
「一人でもダメか」
「一人でもダメです」
「王命でもか」
「王命でもです」
しかしとかだがとか繰り返し、なおも言おうとするギルガメシュに、黒髪で細面の青年は強く言う。
「ですから。規則におかしな例外を認めだしたらキリがないと何時も言っているでしょう。そもそも、現状の構成人口だって色々とギリギリなんです。それを破滅に向かって突っ走らせる王がどこに居ますか。大体エンキドゥ様をお連れになった時も――」
くどくどと続ける青年。
むう、とギルガメシュはまた唸り、何事か言い返そうとしたが、青年が懐から粘土板を取り出すのを見て首を振った。
「やれやれ。悪いな少年。頭の硬い副官がおるばかりに。アウィールとして取り立てるのはできんようだ」
「頭の硬さは無関係です。そう簡単にアウィールは増やせないんですよ」
よく分からない単語だった。
思わず問いかけようとすると、視界の端、大理石の壁にぼんやりとした何かが見える。
視線を向けるとはっきりした。文字だ。
『アウィール : 自由民の中で特に権力や財産を持つ者を指す。主に王侯貴族』
『自由民』の文字が緑色に強調表示されている。そこを注視してみると、全体の文字列が変化した。
『自由民 : 一般的な国民を指す。アウィールとムシュケーヌに分けられる』
今度も『アウィール』や『ムシュケーヌ』が強調されているが、今はスルーしておく。あまり長く余録にかかずらっていても仕方がない。
「……ま、そんな訳だ。不便だろうが、少年にはまずワルドゥとして生活して貰うことになる」
また知らない単語だ。一応、チェックする。
『ワルドゥ : 自由民より劣った地位の隷属民。家畜や土地などの私有、立ち入れる区画に制限がある』
つまり、奴隷とかそういうものだろうか。強制労働とかがあるわけではなさそうだが、なんとなく嫌な響である。
「では少年、貴方にはバビロニアの国民証を与えます。今はワルドゥですが、今後の働きによってムシュケーヌへの道も開けています。以後、バビロニア国民として王と神に恥じぬ振る舞いを期待します」
少し不服そうに読み上げて、青年は薄い粘土板を差し出した。
象形文字の並んだそれは、読めないクセに意味は分かる。
どうやらこちらの名前と、ワルドゥの地位、そしてこのバビロニアで活動することを王であるギルガメシュが認める、という内容らしい。
「あの、今後の働きっていうのは?」
「色々ありますが、基本的には戦場での武勲と神への捧げ物が評価の対象となります。簡単に達成出来るものではありませんがね」
そりゃまあ、簡単なことだったら態々分ける意味は薄いだろう。
さもありなんと頷いた辺りで、ギルガメシュが口を挟む。
「まあ、後はカネだな、カネ。人の世というのはどうにも生々しく出来ているものよ」
いつでもどこでもカネの力に嘘は無い、ということらしい。
「では、日々の生活に励むが良い。異邦人の身、来たばかりでは戸惑うこともあろうが、まずはここを出てすぐの所にある職業斡旋所で仕事を探すのが良かろう。ここへはまた困った事があったら来るが良い。何せウチには優秀な副官共がおるからな」
にやりと笑うギルガメシュと、嫌そうに眉をひそめる副官に見送られ、城を出る。
周囲を見て、果物や肉の焼ける香りを感じつつ――アスファルト敷きの道に、足を進めることにした。
とりあえず、この街における最初の一歩を。