ちゅうと りある
ま、気軽に気軽に。
岩と砂を、大量の兵士達が隠す砂漠の真ん中で。
禿頭の男は、人の良い笑みを浮かべて言う。
「さて、人手が足りない場所はいくつもあるが……まずは名前だな。俺は百人長のアサルハだ。この辺り、第六隊の指揮をとっている」
そうして少し間が開いたのは、促しの合図なのだろう。
簡単に自己紹介をすると、アサルハはしきりに頷いて禿頭に映した太陽をあっちこっちへ乱反射させた。
「ではユウ。そこの配給所から水を受け取って、疲れた連中に渡してやってくれ。ん? どうしたそんな顔をして。早速戦闘だと思ったか? 安心しろ、新入りをいきなり前線になど放り込まんよ。さ、頼んだぞ」
大きな手に促されて歩き出す。
焼けるように熱い陽射し、むせかえる程の人の臭い。豪声と金属のぶつかり合う音、ひっきりなしに続く地面の揺れ。
戦場という実感に身体が震える。それを武者震いだと自分に言い聞かせ、今しがた示された配給所へと走る。
数十人の兵達が様々な物資を配っている。水は左端の数人が担当しているようだ。
「はいどうぞっ、兵隊さん達によろしくねっ!」
軽装の女性から水のビンが入ったカゴを受け取ると、視界がほんのりと彩度を落とす。白黒映画という程ではないが、ガーゼごしに物を見るような感覚だ。
思わず周囲を見回すと、いくらかの人々が赤い光をまとっているのに気付く。
その内の一人が水のビンをあおると光は弱く黄色いものへと変わり、もう一度あおると更に微かな青白いものになった。
どうやら、光の色で補給の必要性を表しているようだ。
そうと分かれば簡単だ。赤い光をまとった人の所に走り、一本一本ビンを手渡していく。
汗だくで、長弓から手を離した弓兵に。
「お、ありがとう!」
詠唱に疲れたのか、座り込んだ魔術兵に。
「サンクス」
息を切らせて前線から戻って来た重装歩兵に。
「ありー」
そうやって簡単なお礼を言われるだけだが、まあ、悪くない。曲がりなりにもここだって戦場の一部というのを感じられるし。
ともあれ。
あらかた水を配り終えると、さすがに喉が渇いた。
丁度カゴに一本のビンが残っていたので頂くことにする。
丁度それを飲み干した時だ。
「おーい」
と、誰かが呼ぶ。
視線を向けると、弓兵のお兄さんが弓を打ち続けながらこちらを見ていた。
「悪い補給さん、食い物持ってないか? 俺ぁちょっと手が離せないんだ」
確かに、戦争に必要なのは飲み物だけという訳じゃない。
少し待つように言って、もう一度補給所へ。幸い食料を配っている場所はすぐ近くだった。カゴ一杯に乾パンを貰って振り返る。
見ればやはり、先程のお兄さんがオレンジ色の光に包まれていて、そろそろ赤になりそうだ。
走って、手渡す。
「サンキューな!」
見回して、必要としている人を見付け、走り、配って回る。
簡単だから当たり前だが、慣れるのも早い。補給の才能とかあったらどうしよう。
乾パンも配り終えて、折角だから一枚貰う。バサバサしてそう美味しいものではないけれど、何というか、良い気分だ。
一瞬だけ前線に出ようかと思ったけれど自重する。
考えるまでもなく、武器も防具もなしにそんなことをしたら自殺行為だ。
もうしばらくは補給を担当して、戦場の空気に慣れた方が良い。
補給所に走って、今度は矢束を受け取る。これはちょっと重いので慎重に歩く。勿論水や乾パンと同じように、色で見分けて配っていくだけだ。
「ありがとさん」
「丁度足りなかったんだ」
「あんがとー」
その中にさっきの弓兵のお兄さんが居て、何となく笑顔で視線を交わして、こういうのも楽しさだなあ、なんて思う。
少ししてカゴが空になる。
それじゃ今度はまた水かな? と思った時だ。
視界の端に赤い光が見えた。彩度は標準に戻っているし、第一空のバスケットで出来ることなんてろくにない。
訝しんでそちらに向くと。どうも、ぶつかり合う音がえらく大きい。少しすると悲鳴や慌てた声が混ざりはじめた。
そこで――どうして、前に出ようと思ったのだろう?
補給の繰り返しで赤い光には近付かなきゃ、とすり込まれたのか。或いは簡単な好奇心からか。もしかしたら、何かを期待したのかも知れない。
いずれにしても、踏み出した足は止まらない。
届くかどうか、ギリギリの所で――人の壁が、弾けた。
人垣でぎっしりの後列で、一カ所だけぽかりと開いた空間。
その中心に、荒い息を吐くライオン頭のケモノが居た。
鎧は半ばまで割れ剥がれ、盾も槍も無くし、手にしたのは一本の曲剣だけ。それだって随分と刃が欠けている。
だが、周りの皆は遠巻きに恐る恐る見ているだけだ。
仕方がない。この距離で弓や魔術を撃ったら味方に当たるばかりなのだし。
それで、気が付いた。
赤い光に包まれたライオン頭は、こちらを全く見ていない。しかもおあつらえ向きに手元には、どこかから飛んできたボロボロの槍。
そっと見れば、どうやら何回かは使用に耐えそうだ。
一度だけ息を飲み込んで、それで決めた。
気付かれやしない、と分かっていても、手元は狂わぬよう慎重に。
拾い上げ。身体に密着させて深呼吸。
走る。
ぞっとするほど大きな足音に、ライオン頭が気付いたその瞬間。
槍の穂先がその腹に刺さり、腹筋に邪魔されたのか体内で逸れて背中、肩胛骨の辺りから飛び出した。
生臭く荒い息が首筋を撫でる。
獰猛な唸りと強く輝く目にぞっとして飛び退くと、ライオン頭は一歩、二歩と足を進めて右手に持った剣を振り上げ、しかしそのまま倒れ込んだ。
勝った――らしい。
今更ながらに身体が震える。
と、馬の駆ける音がして、人垣が割れた。
「おぉ、打ち洩らしが逃れたと思って来て見れば……これまた勇敢な少年が居たようだな」
巨大な馬に跨って、笑う顔すら勇ましい。それは先程、全軍の先陣を切っていた男だ。
「って、ボクは」
思わず言い返そうとするが、男はまるで聞いていない。
「新兵でありながら敵に挑みかかろうというその心掛け、気に入ったぞ少年。勇ましい者を正しく遇するのも英雄たるの務め。さあ、このギルガメシュと共に戦場を見るが良い」
そこには嫌も応もない。
ただ当然のように手を伸ばし、こちらの身体を持ち上げて、馬に乗せた。
一気に視点が高くなる。
それまで人垣の向こうだった砂漠の景色、そして敵軍の姿がまた見えた。
兵と兵がぶつかり合い、矢が飛び交う。
ここにあるのは大きな波だ。
感心している暇も無く、男、ギルガメシュが馬を駆けさせる。
風を切る。ギルガメシュが笑う。
呆然と見ているこちらの手に何かを握らせて。
「秘蔵の宝槍だ。武器に負けぬだけの力を示せよ」
持ってみると、なるほど、重すぎず軽すぎず持ちやすい。
そして前線に辿り着くまではすぐだ。
ケモノ達の目がこちらを見る。
槍を振るう。
切り裂いて、突き割って。
きっとギルガメシュは何倍ものケモノを倒しているのだろう。後ろから聞こえる音は普通じゃない。
紙や木の葉の様に千切り進んで、ついに。
「居たぞ、ハヤブサ頭だ!」
無我夢中で槍を突き出す。その切っ先はハヤブサ頭の杖に阻まれ、止まり、
「これで終いだ」
ギルガメシュの震った槍が、ハヤブサ頭を貫いた。
ハヤブサ頭は両目を驚愕に見開いて、二、三度けいれんし、だらりと力を抜いた。
気配だけで、ギルガメシュが笑っていると分かる。
「見よ! 敵将は我らバビロニアの前に倒れたり!」
耳がおかしくなるような大声に、
「Aaaaalalalalalalalala----i!」
同じくらい大きな歓声が帰る。
身体に、これまで感じたことのない熱が宿っているのが分かる。
戦争で――殺し合いの中で、戦って、生き延びた。
ここにあるのは興奮であり、緊張からの解放であり、その他の熱いモノ色々だ。
「さあ、戦は終わりだ。いざや我が街に帰るとしようか」
微かに聞こえるギルガメシュの言葉もまだどこか現実感がなく――
結局、ぼーっとしたまま馬に揺られるのだった。