俺は後悔なんてしない
俺は今、猛烈に後悔している。
昨日のうちに宿題やっておけばよかった。
気になるドラマの続きを見ておけばよかった。
横着しないで漫画雑誌買っておけばよかった。
スーパーで醤油買うの忘れた。
部屋を掃除しておけばよかった。
頭の中を駆け巡る後悔の嵐に、涙がちょちょぎれそうになる。
なぜなら、俺はもう何もできくなってしまったからだ。
地面を踏みしめるはずの足は動かないし、ページをめくるはずの手も動かない。
テレビを見るはずの目は見えないし、音楽を聴くはずの耳だって聞こえなくなった。
俺に残されたものは何があるというのか、やりたい事は何一つなくなったしまったのに、心臓は動いて俺を生かし続けるのだ。
腹だって空くが、生憎と美味いも不味いもわからない、究極の味音痴に成り下がった俺を笑ってくれ。
自分では笑えないんだよ、だって表情筋がピクリともいうことを聞いてくれないんだ。
だから、こうして考え続けるしかないんだよ。
考えることが、今の俺にできる唯一のことなのだ。
学問は暇から生まれたという話は、きっと本当だったに違いないと確信している。
いまなら、宇宙の真理について延々と考えていられると思う。
暇だから。
ああ、昨日の俺に戻りたいなぁ。
気になっていたあの子と一回くらいデートしてみたかった。
普通に高校を卒業して、大学にでも行って、サークルとか入って、気楽な学生生活を謳歌してみたかった。
そこそこの会社にでも勤めて、そこそこ可愛い嫁さんもらって、子供は三人くらいのにぎやかな家族になって、普通に生きてみたかった。
こんな状態になって、そんなことばかりが頭の中をぐるぐると駆け巡るのだ。
後悔なんてしないほうがいい。
後悔ばかりの人生を生きていくなんて、つらいよ。
しかし、現実は俺には優しくないのだ。
どんなに後悔して、どんなに悲しくなっても、どんなに腸が煮えくり返りそうなほどおこっても、何もできやしないのだ。
泣くことも、笑うことも、叫ぶことも、なぁんにもできない。
後悔ってやつを売ることができるなら、俺は億万長者になっていることだろう。
今日から自分が自分の意志でできることは、ただ考えることと、眠ること。
夢を見ている。
『あなたの後悔買います』という、かなりふざけた看板の前に、俺はいる。
夢の中では目も耳も手も足も、思ったように動いたし、むしろ昨日までの自分よりも軽快に走り出せそうな気がした。
夢は重力さえも操ってみせるらしい。
しかし……ふうむ。
『あなたの後悔買います』とはこれ如何に。
確かに俺は、眠る前に“後悔ってやつを売ることができるなら、俺は億万長者になっていることだろう”とか思ったような気はするが、こういう直接的な表現はどうかと思うのだ。
だって、まるで俺には想像力が皆無であるかのような気になってしまうではないか。
件の看板を掲げた店は、占いの館とでも表現したらいいのだろうか、テント張りの暗室だった。
勇気を出して、中に入る。
どうせ夢なのだし、ここで臆していても新しい展開にはなりそうにない。
暖簾をくぐるように、ぴらっと幕をめくって中に入ってみたら、中にはいかにも“魔女です!”という格好をした老婆? がいた。
老婆であってるよな……まさか男ってことは……とか考えていたら、老婆(暫定)が口を開いた。
「あんたも、大きな後悔抱えているようだね」
「ひょあああ!! い、いきなり声掛けんでくださいよ。驚くじゃないですか!」
「ひっひっひ。驚かせたかい?」
笑い方も魔女そのものである。
これは、俺の想像力の貧弱さを露呈してしまっている気がする。
もっとひねりが欲しいなあ、老婆(暫定)じゃなくてセクシーなおねぇさんとか、などとくだらないことを考えていたら老婆(暫定)が煙に包まれた。
「きいいいいえええ!! 何! どうしたの!」
我ながらリアクションはそれなりに上手かったと思うのだが、残念なことにここにいるのは俺と老婆(暫定)だけだった。
煙の中から出てきたのは、俺がまさについ先ほどこうだったらなぁとか思っていたおねぇさんだった。
はっ! そうか、ここは俺の夢の中なのだから、俺の願望が反映されているに違いない。
キレイなおねぃさんは、にこっと笑うと俺に話しかけた。
「ねぇボク? 私のお話、聞いてくれない?」
「はい! もちろんですとも! 一時間だって二時間だってお付き合いしますとも!」
目覚めたって良い事ないんだから、いつまでだって夢の中にいたい。
「私ね、人の感情を買って、その分の願い事を叶える仕事をしているの。あなたが初めてのお客さんだから、とっても張り切ってきたのよ」
「ハァ……感情を買う、というと? どういうことですか?」
「例えば、そうね。悲しいという感情を売ってしまえば、自分の家族が死のうが恋人が死のうが、決して悲しくなることはないし、まあ泣くこともできなくなるわね」
「それって、感情に欠陥があるってこと?」
「そう言えなくもないかしら。でも、どんなに辛いことがあっても悲しくなんてないんだから、立ち直りは早いわよ? 余計な時間を浪費しなくて済むわ」
「そう、なのかな……悲しいのは時間の無駄?」
「ええ、だってネガティブな感情なんて、人生に必要なんてないじゃない? 憎いと思わなければ、人を殺そうなんて思わないし、嫌いなんて思わなければ、人付き合いも随分と円滑になるでしょう?」
そうかもしれない、と思った。
俺には後悔なんていらない、悲しくてつらいばかりで、そのくせ起きてしまったことを変えることもできない。
「あなたの場合は後悔、ね。とても強い感情だったわ。……これなら、あなたの人生分の後悔の感情を売ってくれたなら、大きな願い事を叶えてあげられるわよ」
「え? じゃあ、昨日に時間を巻き戻してって言ったら、できるの?」
「もちろん」
「記憶を持ったままで? そうじゃなきゃ意味がないよ」
「それくらいお安い御用ね」
俺は迷わず即答した。
「売る! 売ります! 俺は後悔なんてしたくない!! こんな状態で生きてくなんてまっぴらだ!」
俺があのままなら、残りそう長くはない人生を後悔しながら生きていくことになる。
どうしようもない今の自分に憤って、もう戻らない昨日までの自分を思いながら。
「ふふ。わかりました。これで契約は成立よ。私はあなたの時間を戻す、記憶はそのままに。その代りあなたは私に一生分の後悔を売る」
おねぇさんは、再び煙に包まれて消えてしまった。
ぽかんとしていたら、それまで暗かった視界が急に明るくなって、俺は目を開けていられないほどの閃光に包まれた。
はっと、目が覚める。
見慣れた天井が見えた。
手をにぎにぎしてみると、思うように力が入る。
足だってエアーサイクリングだってできそうだ。
机の上にあった携帯電話に慌てて飛びつくと、日付は昨日のものになっていた。
やった、やったのだ俺は!
あの悪夢は、やはり悪夢でしかなかったのだ。
やけにリアルだったから、明日は家にとじこもっていたい。
掃除でもしようか。
俺は上機嫌だった。
なぜだか俺は同じ失敗を繰り返してしまう。
恋人に振られる理由も、上司に怒られる理由もいつもいつも一緒で、ダチには進歩ねぇなと呆れられる。
だが仕方ないのだ。
これが俺だから。
別に悪いとは思わないし、人にはお前はいつも楽しそうだといわれる。
いいじゃないか。
あんまりにもうるさく俺を叱る上司を埋めたって、いつも俺を捨てる恋人たちを埋めたって、後悔なんてしない。
もう埋める場所がなくなって、面倒だからそこいらに捨てたら捕まってしまったが、別にいい。
俺は後悔なんてしないのだ。