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仰せのままに、御主人様(9)

「おっと、大丈夫かい?」

「げほっ、は、はい……」

 自分の背後で潰れたヴェネフに気付き、マデーラを引き離すようにして慌ててアルポイが自分の身体を動かす。

 涙目で咳き込みながらヴェネフはマデーラに目を向けた。最後の最後で圧死しかけて涙目状態というのは何とも締まらないが、これだけは言っておかねばならない。

「……お嬢様」

「何?」

「お見事です」

 いろいろな意味を含めた褒め言葉に、マデーラは驚いたように目を丸くし、次いで照れたようにうつむいた。

「か、母様のお陰だけどね」

 当然でしょ! と胸を張るかと思えば、以外にも殊勝しゅしょうにそんな事を言う。

 実際、元々はリエナがやっていた事を踏襲とうしゅうしただけなのだろうから、そういう意味ではマデーラ自身の実力ではない。けれどヴェネフは首を振り、もう一度繰り返した。

「いいえ、お見事でした。知識は確かに奥様譲りでしょうが、交渉そのものを成功させたのはお嬢様の力ですよ。自信をお持ち下さい」

「ヴェネフ……」

 正直な事を言えば、今回のやり取りは商談の内には入らないだろう。だが、今までひたすら庇護すべき存在として捉えていたヴェネフの考えを払拭するには十分な出来事だった。

 マデーラはまだ幼く世間知らずだが──守られるばかりの子供ではない。自分の意志で物事を動かす力も、その方法を考える頭もある。そして、思い切りの良さも。


『わたし達の手で店を取り戻すのよ!』

 

 冬の港で宣言したあの言葉。ひょっとすると、それが現実になる事もあるかもしれない。耳にした時はまた無謀な事をと呆れたものだが、今はその考えが少し改まりつつあった。

 マデーラは自分が思う程、愚かでも無謀でもないのかもしれない、と。

 もちろん、少し交渉めいた事が出来ただけで、簡単に一人前と認める事は出来ない。だが、少なくとも『亡き主人の忘れ形見』という立ち位置からは一歩離れた事は事実だ。

 まだまだ先だろうと思っていたけれど、もしかするとマデーラが自分の手を必要としなくなるのはそう遠くない日の事かもしれない。

 そんな事をしみじみと思っていると、彼等のやり取りを横で見ていたアルポイが改まった様子で口を開いた。 

「……なあ、嬢ちゃん」

「何? アルポイさん」

「ユーディンさん達の話をこの兄さんから聞いたよ」

 アルポイの言葉に、マデーラの笑顔が凍った。

「……そうなの」

 すぐに取り繕うように表情を和らげたものの、それは何処かぎこちないもので──。

 彼等の訃報を聞いてから、まだ数日しか経っていない。すっかり元通りのようでいて、やはり両親の死はマデーラにとっては深い傷だったのだと思い知る。

「何でも特に身よりもいないそうだね。不躾な質問かもしれないが……、二人きりでこれからどうするつもりなんだね?」

 おそらくマデーラの年齢やその背景から、現在どんな状況に置かれているのか想像がついたのだろう。

 心配が滲むその問いかけにマデーラは少しだけ言葉に迷う素振りを見せた。流石にアルポイにまで堂々と『店を自分達で取り戻す』と言えるほど、マデーラも子供ではなかったようだ。

 港での宣言はヴェネフに無茶振りをしたように見せかけて、もしかすると実際はたった一人残された自分自身を鼓舞する為の物だったのかもしれない。

「それは……」

 言い淀んだマデーラに、そんな反応を予想していたのかアルポイがふと笑みを深くした。

「君達が良ければ、だが。……うちの店を手伝わないか?」

「え?」

「……!!」

 やがてアルポイの口から飛び出した思いがけない言葉に、マデーラのみならずヴェネフも驚きを隠せなかった。

 傍目にはそっくりな表情──目を見開いてぽかんと口を開いている少し間抜けな顔──に、小さく吹き出しながらアルポイは言葉を重ねる。

「嬢ちゃんにはリエナさん仕込みの知識があるし、兄さんは今までユーディンさんの仕事を手伝っていたのなら店の切り盛りの仕方や接客は大体わかるだろう?」

「わ、わかりますが、でも、その──宜しいのですか?」

 その言葉は、現在特に決まった職のない二人にとっては願ってもない申し出だ。かと言って、渡りに船とばかりに簡単に頷けるような事でもない。

 一人雇うのもそれなりの負担が生じる。それが二人となれば、言わずもがなだ。親切心はありがたいが、それに付け込むような事は避けねばとヴェネフが確認すれば、アルポイはしっかりと頷いた。

「誤解しないで欲しいんだが、人を雇う事は薄々考えていた事なんだ」

「そうなんですか?」

「ああ。私も年だし、何より独り身で家族もいない。嬢ちゃんは知らない仲ではないし、正直手伝ってもらえると助かる。……まあ、この通りさして大きくはない店だから、賃金をあまり期待されると困るけどね」

 苦笑混じりのアルポイの言葉を受け、ヴェネフはマデーラに目を向けた。

 ヴェネフはあくまでも使用人だ。その行動の決定権は主人にある。それが、いかに幼い少女であっても。

 この申し出はマデーラにとっても、そしてヴェネフにとっても、悪い話ではないと思う。雇い主となるアルポイはマデーラとは顔見知りな上にこちらの身の上に同情的だし、何より自分の仕事に対して真摯さが伺える。小売商店とは多少の勝手は違うかもしれないが、彼から学ぶ事は多いだろう。

 けれど、その話を受けるか否かはマデーラが決める事だ。

 二つ返事で受けるかと思いきや、マデーラはしばらく何やら考え込んでいた。

 やがてその琥珀の瞳がヴェネフに向けられる。何か言いたい事でもあるのかと言葉を待ってみたが、特にマデーラは口を開かない。

 一体何だろうとヴェネフが疑問に思っていると、何かを決心したように小さく頷き、マデーラは返事を待つアルポイに向き直った。

「あの、一つだけ条件があるんだけれど」

「何だい?」

「わたし達、いつか父様達の店を取り戻したいの」

 その言葉に、アルポイは少し驚いたようにその細い目を見開いた。

「取り戻す、だって? だが──」

「ええ、わかってるわ。店の権利を買い取るにはとってもお金がかかるし、後からあの店を買い取った人が動きたくないって言ったら相当揉めるわよね」

 頷くマデーラは、先程までとはまた違う、何処か大人びた表情で話を続けた。

「そうしたら、国とのやり取りとかも絡んで来る。ちゃんと、それが言うよりもずっと難しい事はわかってるわ。でも──あの店は父様と母様が今までずっと守ってきた場所なのよ」

 十三歳は世間一般的にもまだまだ子供だ。それは事実である。

 けれど続く言葉で、ヴェネフはマデーラに対しての自分の考えを完全に改める事になった。

「だからちゃんとわたしが引き継ぎたいの。そうしたら……、何も遺さなかった父様や母様が、そこで頑張っていた証は残るでしょう?」

 『店を取り戻す』──その言葉の裏で、まさかそんな事を考えているとは思ってもみなかった。

 マデーラは突如襲った不幸に酔うようなタイプではない。障害が立ち塞がった時は、無謀にも後先考えずに体当たりで突っ込んで、痛い目に遭う方だ。

 それはおそらく変わっていない。現に、マデーラは具体的な方策まではまだ考えてはいないようだ。

 けれど──もしかしたらあの半日泣き通していた間に──マデーラは考えたのだろう。そして自分なりに結論を出したのだ。

 亡くなった両親の為に、自分が出来る事は何かを。

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