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仰せのままに、御主人様(7)

 流れ的に何処となく、しんみりとした空気が流れた。

 『両親の突然の死を前に、涙を堪えて明るく振舞う少女』という図式は、あまりにも健気過ぎてマデーラには似合わない。マデーラはむしろ、そうした障害をだからどうしたとばかりに無理にでも踏み越えようとするタイプだ。

 何となく騙しているような居たたまれない気持ちになり、ヴェネフは話題を探した。

「あの……。私は茶葉に関しては知識不足なのですが、ベネディス産の茶葉とはそれほど飲みづらいものなのですか?」

 ふと思いついての質問に、アルポイは我に返ったように瞬きした。

「あ、ああ……。まあ……、簡単に言うと香りの問題と言うべきだがね」

「香り、ですか?」

 アルポイの言葉に、リエナが淹れてくれた茶の事を思い出す。

 時々で違っていたような気もするが、どれも豊かで芳しい──何処かでほっとするような香りだったと思う。てっきり、茶葉は淹れればどれもあのような香りがするとばかり思っていたのだが。

「そうだよ。ベネディスの茶というのは、味より香りを重視する淹れ方だそうでね。産地によっても違うんだが、それだけじゃなくてわざわざ香りをつけたものまであるんだ」

 言いながらアルポイはベネディス産の茶葉の袋から茶葉を少しずつ小皿に取り出すと、それをヴェネフへ差し出した。

 視線に促されてそれぞれ茶葉の香りを確かめると、確かにどれも異なる香りがした。二種類を比べるとさほど違いは感じないのだが、三種類になるとより違いがはっきりする。意識しているからより感じ取りやすいのだろうが、正直驚いた。

「確かに……」

「他にもいろいろ理由はあるけども、組み合わせを考えずに適当に混ぜて淹れると香りはあるが味が単調という何とも不調和な状態になったり、味はしても香りと香りがぶつかり合ったりするんだ。高級品になれば単品でも飲めなくはないんだが、品質が下がると独特の癖が出て、大抵は不味い出来になる。だから素人には難しいんだよ」

「なるほど。それなら……、たとえば味が単調なら、砂糖等で味をつけてみれば……?」

「まあ、一般的にはそれが一番簡単だね。味の単調さならそれで多少は誤魔化せる。だが、お嬢ちゃんのあの様子だとそんな単純な方法ではなさそうだ」

「ですかね……?」

「ああ、持って行った茶葉はベネディス産としては安い部類のものでね。味はしっかりしているがその分癖も強い地方の物だったからね。知らずに選んだとは思えないよ」

 アルポイの何処となく楽しげな様子に対し、ヴェネフは益々不安になった。

 マデーラがどんな妙案を持っているのかわからないが、普段の様子を考えるに、アルポイほど期待は出来そうになかった。

 何しろ今まで覚えている限りでは、一度もマデーラの手料理など拝んだ事も口にした事もないのだ。

 ただでさえ勝手わからぬ他人の厨房である。うっかり薬缶やかんでも倒して火傷でもするのではないか、と心配でたまらない。一応、嫁入り前の大事なお嬢様である。

 やがてマデーラが厨房から戻ってきた頃には、ヴェネフの胃は穴が空く寸前だった。

「お待たせ……って、どうしたのヴェネフ。顔色があまり良くないけど……。寒いの?」

 こちらはそれほど心配していたと言うのに、当のマデーラと言えば胃に穴が開きそうな心労と戦い、顔色が冴えないヴェネフを一瞥いちべつしてのこの一言だ。

 ──使用人の心、主人知らず。

 そんな事をぼんやり思いながら、ヴェネフは思わず心の底からため息をついた。


+ + +


 コトン、と小さな音を立てて茶器が置かれる。

 アルポイとヴェネフ、そしてマデーラの三人分のそれは、寒い室内に温かそうな湯気と共に芳香を漂わせた。

「さ、どうぞ?」

 軽く首を傾げながら、自信ありげにマデーラが勧める。

「どれ……。うん、血は争えないもんだね。香りが良く出ている」

 カップを持ち上げて香りを確かめると、アルポイが満足そうに目を細めた。どうやらヴェネフの心配は杞憂に終わってくれたらしい。

 その指に火傷などがない事をさりげなく確かめ、ならうようにカップを持ち上げる。

(……おお……あ、暖かい……!)

 ふわり、とカップから湯気が漂う。両手で触れた器の表面から熱が伝わり、無意識にその口元が僅かに緩んだ。いくら暖かいと言えども、一般住宅ほど暖かさを重視されていない店内だ。

 冷え切った身体が暖まってきたせいか、じわじわと手足の先から滲んで来る寒さに辟易へきえきしていたヴェネフには、暖かいというだけで非常に魅惑的な飲み物である。思わずそのまま器に頬ずりしそうになるのを理性で耐える。

 マデーラだけでなくアルポイが横にいる状況でそのような事をすれば、ヴェネフが恥ずかしいだけでなく、主人であるマデーラの恥になる。

 すでに着こむだけ着こんだ姿を晒しているので今さらかもしれないが、それはそれである。

 余程壊滅的な味でない限り、口にすればさぞ身体の内から温まる事だろう。想像するだけで幸せになれる。我ながら安いと思うが、本当に寒さだけはどうしようもないのだ。

 けれど、すぐに口にはせずにヴェネフもまず香りを楽しむ事にした。先程、アルポイが言っていた事を思い出したからだ。

 ベネディスの茶文化は、味よりも香りを重視している、と。

 アルポイが口にする前に香りを確かめたのも、おそらくそうした事が理由だろうし、リエナからは特に言われた事はないが、そうするのが一種の作法なのかもしれない。ならばそれに従うべきだろう。

 よく出来た使用人には、時としてそうしたやせ我慢、もとい、自制が必要なのだ。

 湯気と共に届くのは甘く、それでいて清々しさのある果実めいた芳香。元々茶葉につけられていた香りなのかもしれないが、先程の茶葉を直接嗅いだものとはまったく違う気がする。

 茶の知識などないが、確かにその香りは心地よく、かつて口にしたリエナの淹れた茶を彷彿ほうふつとさせる。

「どう? ヴェネフ」

 マデーラの期待を込めた視線を受け止め、ヴェネフは頷いた。

「はい、よい香りだと思います。正直、お嬢様に茶が淹れられるとは思いもしませんでしたが、見事だと思いますよ」

 ヴェネフの正直な感想に少々複雑な顔をしたものの、それが褒め言葉だった為か、マデーラは怒りはしなかった。すぐに表情を改めると挑むようにアルポイに向き直る。

「でも、問題は味よね? アルポイさん、試してみて」

 確かに今回は香りではなく味が問題だ。『素人でも簡単に、ベネディス産の茶葉単品で美味しく飲め』なければ意味がない。

「ああ、そうだね。では頂こう」

 頷いてアルポイが器を傾けた。

 まず一口含み、味を確かめるように味わう。その様子をいささか緊張した面持ちでマデーラが見つめる。自信ありげな様子だったが、多少は虚勢もあったようだ。

 マデーラが手ずからいれた茶の味も気になったものの、アルポイから一体どんな感想が返ってくるのかがともかく気になり、ヴェネフも思わずじっと反応を見守った。

 やがて、二人の前で最後まで飲み干したアルポイが驚いたように呟いた。

「……美味い」

 その言葉にマデーラの顔がぱっと輝いた。

「美味しい? 本当に? 合格?」

「……本当に驚いた。美味しいよ。ベネディス産の茶葉独特の癖が気にならないし、微かに甘みもある。そう言えば香りも本来の物と違ったような……。何か、入れたのかい?」

 アルポイの言葉に釣られたように、ヴェネフも持ったままの茶に口をつけた。

 熱いそれに舌を焼きかけながらも、含んだ途端に口内に広がったのは熱と香り、そして──。

「これは……」

 口を押さえて呟いたヴェネフに、マデーラがまるで悪戯でも見つかったような顔をした。

 アルポイの言葉は嘘ではなく、それは確かに美味しいと言えるものだった。普段飲みつけていないので、癖が気にならないというのは良くわからなかったものの、微かな甘みがあるのはわかる。だが、それは砂糖の類ではない。

 あまりに微かで味という味ではないのでアルポイにはわからなかったようだが、ヴェネフにはそれが何かわかった。

 ──何しろそれは彼の好物で、しかもつい先程目にしたばかりで記憶に新しいのだから。

「『冬林檎』、ですね? お嬢様」

 北方に属するスタラの冬は厳しく、国土の大半が凍りつく。その寒い時期でも一定の日照条件を有した、極限られた土地で採れる赤い果実。

 それは通常の林檎より香り高く、甘みが強い。その代わり、価格的に割高。

 そう、マデーラが先程、果物売りの呼び込みに引っかかった揚句に購入したものだ。

「林檎だって?」

「あー、もう。もっと悩んでくれると思ったのに!」

 予想外だったのか、目を丸くするアルポイの横で、マデーラが少し悔しげに唇を尖らせる。だがその言葉自体がヴェネフの言葉を肯定していた。

「果汁を入れたのか? いや……、それならこんなに水色が綺麗なはずがないし……」

 腑に落ちないのか、アルポイがぶつぶつと呟くのに、マデーラが軽く首を傾げて問いかける。

「結局、合格って事でいいの? 合格なら、種明かしするけど」

 心なしか確認する言葉が楽しげなのは、おそらく『合格』の自信があるからで、本当は話したくて堪らないのだろう。その程度なら表情を見ずともわかる。

 それはアルポイにも伝わったのだろう。それ以前にどうやってこの茶を淹れたのか、気になって仕方がなかったのかもしれないが、アルポイはあっさりと『合格』を告げ、マデーラに種明かしを求めた。

「一体どうやってこの茶を淹れたんだい?」

「簡単な事よ。……とは言っても、わたしも母様に教えてもらった方法なんだけど」

 淹れたのはマデーラでも、方法自体は自力ではないからか、少しだけ気恥ずかしそうな顔で頬を搔く。

「実際に見た方が早いと思うから、ちょっと二人ともこっちに来てくれる?」

 そう言ってマデーラが二人を手招きしたのは、先程までマデーラがこもっていた厨房に向かう扉だった。

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