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仰せのままに、御主人様(6)

「どうしましたか?」

 何となく嫌な予感がして口を挟むと、アルポイがすがるような目を向けてきた。

「ええと、ヴェネフ君だったかね。君も言ってくれないか」

「あの、うちのお嬢様が何か失礼な事でも……?」

 益々嫌な予感が募る中、当のマデーラが唇を尖らせつつ説明する。

「失礼な事って何よ! 『ベネディス産の茶葉をいくつか一緒に買うから、レサイア産の方を半額にまけて頂戴』って言っただけよ」

「……。ちなみに、そのベネディス産の茶葉というのは……」

「あれよ」

 マデーラが指差したのは、埃りこそ被ってはいないが見るからに売れていなさそうな茶葉の袋だった。ただし扱いはまったく違うらしく、勧められたレサイア産の茶葉は台に大雑把に積んであるのに、こちらは棚に大事に並べられている。

 もしやと値札を見ると、量は半分より少ない位なのに値段はレサイア産の二倍はする代物である。ヴェネフは頭痛を覚えた。

「……お嬢様、それは無茶です」

「あら、どうして? なかなか売れない物を買い取る代わりに、値引きしやすい方を値引きしてもらうのって悪くないと思うんだけど」

「だからって半額というのはやり過ぎです!」

 茶葉は嗜好品で日常的に口にするものではない。つまり売れない時は売れないのだ。卸商とすれば、少しでも利益が出るものをそう簡単に値下げなど出来るはずもないだろう。

「レサイア産は飲みやすいし、余計な手間がいらないから比較的売れやすいのは確かだけどもね。ベネディス産と違って知名度がまだないから、思い切って下げるのも難しいんだよ」

 アルポイはヴェネフが味方になった事で安心したのか、幾分落ち着きを取り戻した様子で説明してくれる。

「かと言って、ベネディス産の茶葉はスタラの人間には扱いが難しいみたいでね。これがもう少し売れるなら、半額は無理だけども少しはまけられるんだが……」

「そんなに茶葉によって扱いが違うんですか?」

 ヴェネフの目には量以外はどちらもさして違いはなさそうに見える。

 てっきり値段の違いは陸続きのレサイア産と異なり、ベネディス産の方がはるばる海を越えて運ばれてきたものだからだと思っていたのだが、その質問にアルポイとマデーラは同時にとんでもないという顔をした。

「全然違うよ!」

「違うに決まってるじゃない!」

「そ、そうなんですか……」

「そうだよ。元々、茶の文化はベネディスが本場だからね。ここに置いてあるものはほんの一部で、実際はこれの数倍はある茶葉を時と場合で配合比率を変えて淹れる物なんだ。当然、金もかかるからそこまでやるのはベネディスでも王侯貴族くらいなものだけどもね」

「レサイアの方はそこまで加工されてないのよ。だから誰にでも簡単に淹れられるけど、その分味が単調みたい。初心者向けなのね」

「わ、わかりました」

 アルポイのみならず、マデーラにまで薀蓄うんちくをかまされて、ヴェネフは素直に白旗を揚げた。市場ではあれは何これは何、だったのに今ではまるで立場が逆である。

「……あの、ところでお嬢様」

「何よ?」

「家で飲むのにこんな高価な茶葉を買ってどうするのですか」

「高いけど、ベネディスのお茶の方がずっと美味しいんだもの。流石に毎日飲むには贅沢だから、レサイア産のと混ぜたらいいかと思ったのよ。ヴェネフだって飲むなら美味しい方がいいでしょう?」

 ヴェネフの問いに対し、少しだけばつが悪そうな顔でマデーラは答えた。物の良し悪しを見る目だけでなく、どうやら舌も肥えてしまったらしい。

 妥協するだけ現実は見えているようなので、この事は不問にする事にした。ヴェネフも同じ金額を払うのなら出来るだけ美味しいものがいいに決まっている。

 それに彼が心配したのは、金銭的な事ではなかった。

「それはいいのですが、その茶葉は扱いが難しいのでしょう? そんな物を買って、その、大丈夫なんですか……?」

 正直な話、マデーラが厨房に立つ姿が想像出来ない。おそらくリエナが淹れる横で見てはいたのだろうが、知識はあっても実際淹れられるかどうかは別問題だろう。

 その不安が正直に表情に出ていたのだろう。マデーラの目が釣りあがった。

「失礼ね! ……ああ、そうだわ」

 そのまま怒り狂うかと思いきや、唐突にマデーラは何かを思いついたように手を叩いた。

「ねえ、アルポイさん。ベネディスのお茶が売りやすくなればいいんでしょう?」

「へ? ……ああ、そうなれば品質的にベネディスの方がずっと上だから、買い手も増えると思うが……」

 でも、どうやって。

 視線で尋ねられたマデーラは、ふふんと胸を反らした。

「本式に淹れようとするから難しいのよ。単品でそれなりに美味しく飲めればいいんだわ。レサイア産のと一緒に試して貰えば違いはわかるはずだもの」

「それはそうだが……。しかしだね、いろいろ混ぜてそれぞれ足りない部分を補い合うのが普通だろう。知ってはいるだろうけれども、一つだけを普通に淹れると不味くて飲めない物になってしまうよ」

 アルポイが言い募った瞬間、マデーラの瞳が待ってましたとばかりにきらりと光った──ようにヴェネフには見えた。

 こういう時、大抵マデーラはろくな事を考えていない訳で、そして案の定マデーラは挑むように言い放った。

「じゃあ、わたしがその方法を教えたら安くしてくれる?」


+ + +


「……」

「……」

 しゅんしゅんと、湯が沸く音だけが響く。そんな何処かぎこちない沈黙が漂う狭い店内に、男達だけが取り残されていた。

 というのも、店内の奥にある住居部にマデーラが籠もり、準備が出来るまで見てはならないと店主のアルポイまでも店内に追いやったからだ。

「……あ、あの……」

「なんだね」

「その、済みません……。うちのお嬢様が……」

 居たたまれずにヴェネフが声をかければ、アルポイは何処か同情するような視線を彼に向けた。

「ああ、気にしなくていいよ。……今日はお客も切れたようだしね」

「そう言っていただけるとありがたいです」

「それより先程から気になっていたんだが、どうしてそんなに着こんでいるのかね?」

「そ、それがその、お恥ずかしい事ですが寒さにはとんと弱いものでして」

 忘れた頃になっての追求にヴェネフが恥入れば、アルポイは納得したように頷いた。

「そういやエラシアンのようだね。あちらは毎日がこちらの夏のようだと言うし、今日は特に冷え込んできているからね。……今も寒いかい?」

「いえ、お陰さまで快適です」

「だったら何枚か脱いでおいた方がいいよ。この後、外に出る時に余計に寒い思いをする」

「あ、そうですね」

 アルポイの指摘にその事に気付き、ヴェネフは上に羽織っていた外套を三枚ほど脱いだ。若干肌寒くはなるが、室内であれば支障はない。

「それにしても嬢ちゃんがどんな仕掛けをしてくるのか、ちょっと楽しみだよ。やけに自信があるようだったが……。そう言えば最近姿を見かけないが、リエナさんは元気かい? いつもならそろそろ仕入れに来る頃なんだが」

 アルポイの何処か心配そうな言葉に思い至る。なるほど、彼はまだマデーラの両親の訃報を知らないのだ。

「それが、旦那様と奥様は……」

 二人の死を知ると、アルポイはさほど大きくはない目を極限にまで見開いた。

「お二人が、亡くなった……だって?」

「はい、先日海で……」

「そんな……。そうか、そうだったのか……」

 がっくりと肩を落とす姿からは、心から彼等の死をいたむ気持ちが伝わってくる。目じりにはうっすらと涙が光っていた。

「奥様が茶葉の買い付けをなさっていたんですね」

「ああ……、ユーディンさんとリエナさんがこの土地に来てからの付き合いだよ。何でも、リエナさんが元々ベネディスの生まれだったそうでね。……うちが一番茶葉の揃いがいいと、ご贔屓にしてくれたんだ」

「そうだったんですね……」

 アルポイの言葉を借りるなら、リエナは茶文化の本場の生まれだったという事だ。それなら茶葉の仕入れを一手に受けるのも当然だとヴェネフは納得した。

 日頃何気なく口にしていたあの茶も、もしかするとこのスタラではとても貴重な、本場仕込みの一杯だったのだろう。

「五、六歳くらいまでは嬢ちゃんも買い付けに一緒について来ていてね。一緒に来なくなった時に君の話を聞いたよ」

「え? 私の、ですか?」

「うん、リエナさんにね。『すっかり懐いてしまって、誘っても来なくなった』って言ってたかな。兄代わりの人が出来て嬉しいんだろうって笑っていたよ」

「は、はあ……」

 取りあえず初対面で『あの』と言われた理由は判明した。

 マデーラが五、六歳なら確かにヴェネフが父の遺言を胸にユーディンの元を訪れた頃だ。マデーラの口から伝わった話ではないという事に安堵あんどしつつ、ふと思う。

 ──ひょっとしてマデーラの世間知らずは、自分にも少しは原因があるのだろうか。

(いや、そんなまさか……)

 だが事実、幼い頃は一日中、長じてからも何かあればヴェネフにまとわりついてきていたのだから、その分外界との接点が少なくなっていた可能性は高い。

 心の内で嫌な汗を流していると、アルポイが心配そうに尋ねてきた。

「ところでご両親が亡くなったって事だが、嬢ちゃんに身よりは……?」

「それが、奥様にはどなたもいらっしゃらないとの話でした。旦那様のご兄弟はいるようなのですが、音信普通で今何処にいらっしゃるか、そもそも生きていらっしゃるかもわからなくて……」

「そうか……。それでもあんなに元気そうに振舞って……」

 ぐすり、とアルポイは涙ぐむ。

 おそらくマデーラの前向きな明るさを、悲しみを堪えてのものだと思ったのだろう。

(……多分違いますが、否定するのも野暮でしょうね)

 ヴェネフはよく出来た使用人だったので、あえてアルポイの誤解を解かずにいる事にした。

 決してマデーラが両親の死を悲しんでいない訳ではないと思う。実際、知らせを受けて半日は部屋から出て来なかった。

 食事も摂らずに泣き通し泣いて──真っ赤に目を泣き腫らしながらも表に出てきたマデーラは、開口一番にこう言った。


『お腹が空いたわ、ヴェネフ』


 ヴェネフが慌てて用意した簡単な食事を黙々と食べ、お腹が満ち足りる頃には普段のマデーラになっていた。

 ──おそらく、だが。

 マデーラは両親の死を悲しみ続けるよりも、自分がまず生きる事を選んだのではないかと思う。

 ヴェネフが恩人である彼等の死をただ嘆き悲しむよりも、一人残されたマデーラを支える為に『使用人』としての自分を維持する事を選んだように。

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