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仰せのままに、御主人様(5)

 そのまま茶葉の卸商の元へ行くのかと思いきや、マデーラの主張により先に塩や砂糖を買う事になった。

 二人分なので多量ではないのだが、嵩張るしそれなりに重さがある為、出来れば最後に立ち寄りたかったのだが──。

「もしかしたら必要になるかもしれないし」

 マデーラはそう言ったが、ヴェネフにはそれらが茶葉の購入に関してどう役立つのかまったくわからなかった。可能性として高いのは物々交換だろうか。

 いくらマデーラでもそんな原始的な事は考えていないと思いたい。

 ミオッサでの生活に慣れた今でこそ珍しさなど感じないが、生まれ育ったエラシッドでは茶を嗜むのはそれこそ王侯貴族だけだったし、常夏の地で暖かい飲み物をわざわざ飲むという事は病気の時に口にする煎じ薬──いわゆる薬湯──程度しかなかったので余計に馴染みが薄い。

 結局、その必要性は教えて貰えなかったが、何らかの理由があるのだと言われれば使用人が主人に逆らえるはずもない。

 もちろん、ずっしりと重いそれらを担当するのはヴェネフな訳だが。

 先に買いこんだ野菜類と調味料と共に購入した小麦などを加えると結構な重さになる。対してマデーラはと言えば、先程買いこんだ林檎の袋だけである。

 荷物持ちは使用人の仕事なのでそこに異存はないし、気候の良い時ならばその程度は苦ではないのだが、これでもかと着込んでいる状態で嵩張る荷物を抱えるのは結構難儀だ。

 そんな状態で少々苦労して辿り着いた卸商の引き戸の中に入ると、しゅんしゅんと湯が沸く音と共に、仄かな温もりと何処か心安らぐ芳香に包まれた。

 今まではほとんどが露店だった事もあり、その温もりに思わずため息が出そうになる。マデーラもそうだったようで、軽く伸びをして寒さで縮まっていた身体を伸ばした。

「んー、やっぱり家の中はあったかいわね」

「そうですね」

 北国であるスタラの住宅は冬の厳しさに対応する為に何処も壁は厚く、窓ははめ殺しが多い。通気性は少々悪くなるが、その代わりに一度暖まると熱がすぐには逃げない構造になっている。

(うう……、ありがたいですが、この快適さはここから出る時が辛いですね)

 いっそこのままここに住み着いてしまいたい、と半ば本気で思うほど今日の寒さはヴェネフには辛かった。ひょっとしたら夜には『白い悪魔』──雪が降るかもしれない。

(ああ、恐ろしい。あのようなものが積もっては、外に出られなくなってしまいますよ)

 ちなみに『白い悪魔』という表現は、決してヴェネフの誇張表現ではない。一年を通じて暖かいどころかむしろ暑いので、エラシッドの住宅はスタラとは真逆に通気性を最重要視されて建てられている。

 基本的に雪が降らない南方大陸ではヴェネフ以上に寒さに耐性がない人間が多く、降った年は本当に『寒さ』が原因で死ぬ人間が出る程なのである。

 その為、雪はエラシッドの人間から死の使いのように恐れられているのだ。

 スタラに来てその冬を初めて体験した年、ヴェネフはその余りの寒さに震えながら、積もった雪の中で楽しげに遊ぶマデーラの姿に驚愕を通り越して畏怖を覚えたものである。

 そんな思い出を思い返しつつ商品を物色する事も忘れて暖を取っていると、人の訪れに気付いたのか、奥にいた店の主人が顔を出した。

 髪のほとんどが白い、人の良さそうな笑顔の老人である。七十の齢を少し超えた辺りだろうか。

「寒い所いらっしゃい。……ん?」

 その細い目が、軽く驚いたように見開かれた。また自分の着脹れた姿に対してだろうかと思ったのだが、その目はマデーラに向けられている。

「もしかして、フェンデの嬢ちゃんかい?」

 やがて店主の口から飛び出した言葉に、顔見知りだったのかとヴェネフが意外に思っている横で、マデーラはにっこりと微笑む。

「こんにちは、アルポイさん。お久し振りね」

「いやあ、本当に久し振りじゃないか。大きくなったねえ。びっくりしたよ。……こっちの兄さんは?」

「これはヴェネフよ。うちの使用人なの」

「……ああ! あの!!」

 何だか物扱いされた上に、知らない人に『あの』と言われてしまった。おそらくマデーラ経由で何か話が伝わっているのだろう。

「初めまして。ヴェネフ・ニル・イ・アロドットと申します」

 ほとんど無意識に卒なく笑顔で名を名乗る一方で、ヴェネフは一体何をどのように吹き込まれているのか内心怯えていた。

「……お嬢様、こちらの方とお知り合いなんですか?」

 市場にはほとんど来た事がなかったはずのマデーラの意外な人脈に、驚き半分怪訝さ半分で尋ねれば、マデーラは澄ました顔で含み笑いする。知り合いなのは確かだが、どういう知り合いかは答える気がないらしい。

(茶葉を選んだのはそういう事だったのですね)

 確かに顔見知りなら値引き交渉もしやすいだろう。多少無茶を言っても、相手を怒らせてしまわない程度には親しそうである。

「嬢ちゃん、今日は一体どうしたんだい?」

 密かに心配もしていたヴェネフがほっと胸を撫で下ろしていると、マデーラは茶葉商人──アルポイという名らしい──に歩み寄り、例の何処か企んでいるような笑顔で口を開いた。

「今日はお供じゃなくて客として来たのよ」

(……『お供』?)

 その単語に記憶が刺激された。

 室内に籠もる、あらゆる産地から集められた茶葉の香り。その香りで何だか気持ちが安らぐのは、おそらくかつて比較的身近にあるものだったからだろう。

 一般家庭ではまだ頻繁には口にする物ではないが、まだマデーラの両親が健在だった頃、日に一度は口にしたものだ。


『お帰りなさい、ヴェネフ。疲れたでしょう? 丁度お茶を淹れた所なのよ。あなたも一緒にどうぞ』 


(奥様……)

 そう、マデーラの母・リエナの優しい笑顔と共にあった香り。

 ユーディンの供をしたりあるいは一人で使いに出て帰ると、リエナがマデーラと共にお茶の用意をして迎えてくれたものだ。

 ユーディンとリエナが亡くなって十日にも満たないというのに、随分長い事口にしていない気がして、少し切なくなった。

 茶の良し悪しは彼にはわからないのだが、それでもその時の茶は美味しかったと思う。おそらくもう二度と味わう事はないのだろう──。

「……そう言えば……」

 今まで疑問にも感じていなかったが、茶葉を取り扱いしていながら、ヴェネフがこの卸商に足を運んだ事は一度もなかった。てっきり、ユーディンが一手に担っているのだろうと思っていたのだが。

(もしかして、奥様が管理なさっていたのか?)

 仮にも商家の妻だ。可能性はある。

 ヴェネフはユーディンと共に行動する事が多かったので実際の所はわからないが、そうだと仮定すればいろいろと納得出来る。

 その買い付けにマデーラがついて行く事もあっただろうし、それならアルポイと顔見知りにもなるだろう。そんな事をヴェネフが考えている横で、マデーラは早くも話を進めつつあった。

「家で飲もうと思っているんだけれど、何か良い茶葉はあるかしら?」

「ほほう」

 まだ幼さの方が目立つマデーラが口にすると生意気にも取られかねない台詞にヴェネフは慌てたが、アルポイが気にならなかったらしい。逆に面白がるような表情で商品を見回した。

「そうだねえ……。ああ、これはどうかな」

 言いながら持ち上げた袋はアルポイが両手で持って少し余るほどの大きめの紙袋に入ったものだった。シンプルに産地らしき文字が書かれただけの、見るからに『量』を売りにした品物である。

 当然と言えば当然で、ここは卸商である。量が多く装飾などないにも等しいが、その代わりに普通の商店で買うより安く手に入る。

「これは何処のお茶?」

「最近出回るようになったレサイア産のなんだがね」

「へえ。道理で見た事のない文字だと思ったわ」

 意外にもと言うべきか、心配していたほど突飛な事を言いだす様子もなく少しだけ感心する。

 何だかんだと、両親達の仕事を横で見て育ってきたからだろうか。顔見知りが相手というのも大きいかもしれないが。

 あの茶葉がいいと言った時の何処か勝ち誇った顔。間近で買い付けを見ていたのだとすれば、値引き交渉にも少しは自信があるはずだ。

 これは特に口をはさまなくても大丈夫そうだと一人ヴェネフが安心していると、彼を他所にマデーラと話し込んでいたアルポイが突然悲鳴のような声をあげた。

「そりゃ無茶だよ、嬢ちゃん!」

 何事かと目を向けると、頭を抱えたアルポイと小首を傾げたマデーラの姿があった。

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