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仰せのままに、御主人様(4)

「──残念ながら、不合格ですね」

 ヴェネフの率直な感想に、マデーラがむっとした様子で顔を上げた。

「何よ、ちゃんと値引きしてもらえたじゃない」

「確かに値引きはして貰えたかもしれませんが……」

 不満を隠さないマデーラに反論しつつ、ヴェネフはじっとマデーラを見つめる。いつもなら負けじとさらに見返してくるマデーラだが、その視線が何かやましい事でもあるかのように僅かに泳いだ。

 かつてユーディンも好きだった腸詰に常備可能な野菜と調味料を必要最小限──購入予定はその位だったのに、マデーラの腕の中には紙袋に入った予定外の物体があった。

 つややかな光を放つ赤い果物。その名は林檎りんご

「……『やあ、お嬢ちゃん可愛いねー。うちの林檎もほら、恥ずかしがってこんなに赤いよー』……でしたか?」

「!!」

 ぼそりと棒読みでヴェネフが口にした言葉に、マデーラの肩がびくりと跳ねた。

「だ、だだだ、だって! 美味しそうだったんだもの!!」

 慌てた様子で必死に言い募るものの、その姿に今更ほだされるヴェネフではない。

「ハハ、何も不味いとは申してませんよ? 見事な冬林檎です。きっととても美味しいでしょうね。……ですが果物というのはそもそも日持ちはしないですし、嗜好品ですから基本的に高価です。少々値引きしてもらった所で、その一袋でこちらの野菜が倍買えますよ?」

「ううっ!」

 言葉による容赦ない追求に、マデーラはもはやそれ以上の言葉は出なくなったようだった。やれやれ、とため息をつきながらも、ヴェネフは頭の中で素早く計算する。

(──若干予定外の出費ですが……、林檎なら食材ですし、まあ良しとしますか。これもお嬢様の『学習費』と思えば安いものですかね)

 果物売りの呼び込みに引っかかっている事に、敢えて気付かなかった振りをしていた事は秘密だ。

 なんだかんだと長年の付き合いである。マデーラが口で言うより、少々痛い目に遭った方が覚えが良いのはすでに知っている。

 がっくりと落ち込んだマデーラを他所に、ヴェネフはこっそり林檎の質を確かめた。小振りだが色も形も申し分ない。寒風によって届く香気は甘く、程よく熟している事がうかがえる。

(……。ふむ、いい林檎だ)

 ちなみに林檎はヴェネフの好物でもある。マデーラの手前、真面目くさった表情を保っていたものの、ついつい口元が緩んでしまう。

(品を見る目に関しては、血は争えないと言うべきですね)

 幼少時にはまだかろうじてティガルの残した品も残っていたそうだし、毎日品物に囲まれて育った身だ。『良い物』に対する目が無自覚の内に養われたのかもしれない。

 先程購入した腸詰は同郷のよしみと、店主がお得意様だったユーディンの訃報を聞いていた事でかなり安く売って貰えた。野菜もいくつかまとめ買いする事で多少は値引いて貰う事に成功したし、後は調味料等だけである。

 林檎分の出費を考えても、実際は赤字にはなっておらず黒字で収まっているのだが──ここは将来さきを考えて、あえて愛の鞭だ。

「……お嬢様、次はやってみますか?」

 しゅんとうなだれているマデーラにそう持ちかけると、その顔がぱっと持ち上がった。

「つ、次って」

「もちろん、交渉ですよ」

 ヴェネフの言葉にマデーラの目がきらりと光った。

「やるわ!!」

 予想以上のやる気に、おやと驚く。余程、先程の『不合格』という言葉が口惜しかったのだろうか。

 プライドの高いマデーラの事だから不思議ではないが──。

「後は何を買うの?」

「そうですね……。塩は産地で取引価格がほぼ決まっていますし、交渉するならそれ以外の物になるでしょうね」

「それ以外……? 香辛料とか?」

「ええ、あるいはお嬢様が必要なら茶葉などでもいいですよ」

「茶葉……」

 香辛料も茶葉も、どちらも果物と変わらない嗜好品で、流通が下がる冬場はどこの店も価格が高めに設定してある。値引き交渉としては果物より難易度は高い。

 それはそれなりに家業を手伝っていたマデーラにもそれはわかっているだろう。

 マデーラは少し考え込んだ。考え込み──やがて再び持ち上がった目には、何かを思いついた輝きが宿っていた。

「決めたわ、ヴェネフ」

「では何に?」

「茶葉にするわ。香辛料ほど専門的な知識がいらないもの」

 マデーラの言葉に間違いはなく、その選択は正しい。

 香辛料は一部を除けば中央大陸の中央より以南でしか採れない植物が主だ。すなわち、ほぼ全てが陸か海を経由して輸入されてきた物だと言える。

 元々南方大陸の出身であるヴェネフならばさておき、スタラからほとんど出た事のないマデーラではその良し悪しを判断するのは難しいだろう。だが、茶葉ならこのスタラでも栽培されているし、比較的日常的に口にする物だ。

 それに──茶葉は元々マデーラの家でも取り扱っていた物でもある。だからこそ、ヴェネフも交渉対象の候補にあげたのだ。

「ならば、お手並み拝見致しましょう」

 ヴェネフの言葉に、マデーラは不敵に微笑んだ。この様子だと、何か勝算でもあるのだろう。

 目的が決まり共に茶葉の卸商に向かいながら、ヴェネフはそれにしても、と思う。

(何か企んだような顔が似合うというのは、女の子としてどうなんですか……?)

 よく言えば小悪魔的なのかもしれないが、それなりに付き合いの長い身には魅力的には映らない。何しろ、大抵の場合そんな顔をされた後に困った事になるのはヴェネフだったのだ。

 マデーラはまだ子供の分類を受ける年齢だが、すぐに年頃になるだろう。その時に困った事にならなければいいが。

(変な虫がつかないならそれに越した事はないとは思いますが、まったくつかないというのもどうかと思いますしねえ)

 マデーラの両親が亡くなった今、代りにマデーラの幸せを見届けるのは己の役目だとヴェネフは密かに思っていた。

 便宜上、関係が雇用主と使用人なので表立って『保護者』を気取るつもりはない。

 だが、今まで『兄』代わりだった者として、マデーラ個人の幸せの為ならば可能な限りの助力を惜しまない心構えだ──もっとも正直な所、今のマデーラを見ていて、その花嫁姿など想像も出来ないのだが。

 そんな事を考えているなど思いもしてないであろうマデーラは、黙って僅か後ろを着いて来る。 

 ヴェネフにとって理想の女性像は今は亡きマデーラの母であり、ユーディンの妻── リエナだ。

 ヴェネフの目から見てリエナは、良妻賢母でしかも優しげな美貌を持つ、非の打ち所のない女性だった。母代わりの存在でもあったせいだろうが、その影響は大きい。

 その血を引いているはずなのだが、マデーラは顔立ちこそリエナに似たものの、性格は見事に正反対だ。父のユーディンも穏やかな物腰の人だったし、一体誰に似たのだろうかと常々思う。

 ユーディン曰く、マデーラは祖父である『貿易王』に似ていると言う話だが──ヴェネフがフェンデ家に来た時点ですでに故人となっていた人なので、真偽のほどはわからない。

 気性が似ているからと言って同じように伝説に残るような商人になれる訳もないし、仮になれたとしても、女性としてそれは幸せなのだろうかとも思う。

 ヴェネフとしてはもう少し女性らしい奥ゆかしさを身に着けて、人並みの幸せを見つけて欲しいのだが。

 ちらりとマデーラに視線を落とし、また好奇心を隠さずに物珍しげに周囲を眺めている姿に心の中でため息を着く。普通こういうお年頃の女の子は、商売とか市場などではなく、恋とかお洒落とかに興味を持つものじゃないのか。

 だが、過去を振りかえってもマデーラがそうしたものに夢中になっていた事は今まで一度もなかった気がする。『兄代わり』に話すような事ではないのかもしれないが。

(──無理かも)

 あの母を身近にして今まで身に着いてないものが、手本もないのにこれから身に着くとは到底思えず、ヴェネフはあっさりと投げた。

 ……世界は広い。

 多少がさつでも、家事も満足に出来なくても、女だてらに商人を志していようとも構わないと言える豪気な男が何処かに一人くらいはいるだろう。いると信じたい。

 ヴェネフはよく出来た使用人であるものの、自分に関する事はあらゆる方面で人並み外れて鈍感だったので──当然のようにその『一人』に自身を含まなかった。

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