表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
3/10

仰せのままに、御主人様(3)

 今までほとんど来た事がなかった市場は、マデーラにとっては物珍しいものばかりだったらしい。


「ねえねえ、あれは何!?」

「今すれ違った人、見た事もない服を着ていたわ。何処の地方の人かしら?」

「あの青い果物、食べられるの?」


 ……などなど。

 好奇心を剥き出しにして、僅かな距離を進む間に矢継ぎ早に質問が飛んで来る。


「あれは薬草用の石臼いしうすですよ」

「あの服装は確か何処かの山岳部族のものだったと思います」

「あれはあのまま食べると恐ろしく苦いです。加工しないと食べられません」


 その質問に律儀に答えつつ、ヴェネフは周囲を見回した。予想はしていたが、流石に昼時は人が多い。

 二人のように昼食を買いに来た人間も多いだろうが、遠方から来ている所だと店によっては昼には閉めてしまう事もある為、今時分が一番混み合うのだ。

 あまり人が多いとゆっくり見ても回れないし、特に食料品関係の店はこの時間は大盛況だ。場合によっては交渉などもろくに出来ない可能性がある。

 その事もあってもう少し人が落ち着く時間帯に来るつもりだったのだが──ここまで来てしまったら、とっとと用事を片付けてこんな寒い場所とはおさらばするに限る。

 周囲の倍は着込んでおり見るからに着膨れているヴェネフを、時折何事かと奇異な物を見るような視線を向けてくる人間もたまにいる。

 当初は流石に周囲の目を気にしていたが、この国に来て早五年以上の月日が経ち、ヴェネフもすでにそうした目には慣れてしまった。

(仕方ないでしょう。寒いものはどうやっても寒いのです……!)

 ヴェネフにもその内環境に慣れるのではと思っていた時代もあった。だが、結局何年経っても冬の寒さに対する耐性はつかず、今ではこれは一種の体質のようなものだと諦めている。

 周囲の視線を無視する一方で、ふとそれとは微妙に違う視線を感じて傍らを見ると、しっかりヴェネフの服の裾を握った状態でマデーラがじっと彼を見上げていた。

「……どうなさいましたか、お嬢様」

 また何か気になるものを見つけたのかと思いきや、マデーラは彼から視線を反らさずに何処となく不機嫌そうな表情で口を開いた。

「ヴェネフは物知りね。何でそんなにいろいろ知ってるの?」

 少しむくれたような言葉に、思わず苦笑する。

「この程度なら物知りなんて言える知識ではありませんよ。この国に来てからはこの街からほとんど出ていませんしね。市場には旦那様の御供でよく来ていましたし、旦那様や奥様から頼まれて時々買出しもやっていましたから」

 はっきり言ってしまえば、マデーラが世間知らずなだけである。

 普通の一般庶民なら、市場で買い物など子供の頃に普通にやっていても不思議ではない。そればかりか、農家の生まれだったりすると親の手伝いで店頭に立っていたりする。

 流石に面と向かってそんな事は言えないが、自分でもそう感じたのか、マデーラの表情が目に見えて暗くなった。

 ──もしかして落ち込んでしまったのだろうか。

 少し心配になったが、よもやこの程度で落ち込むとは思わなかったので、どう慰めればいいやらわからない。思春期の女の子は実に複雑怪奇だ。

 どう対応すればよいのかと悩んでいると、やがてマデーラは小さくため息をつき、ぽつりと呟いた。

「──いいもの。わたしにはまだこれからがあるわ」

「……??」

 相変わらず重要な部分が端折はしょられている気がする。

 だが、取りあえず浮上してくれるのならありがたい。ヴェネフはこれ幸いと、裾を掴むマデーラの手を取った。

 長身の部類に入るヴェネフとまだ成長期に入ったばかりのマデーラでは、身長差がある為、裾を掴まれると後ろに引っ張られる形になって歩きにくい事この上ない。

 何より引っ張られた部分に風が入ると寒さ倍増だ。先程からどうにかして改善出来ないだろうかと思っていたのだ。

 かと言って、この人ごみではぐれられても困る。そう思っての行為だったのだが、何故かマデーラは驚いたように目を丸くした。

「ほら、お嬢様。ここでずっと立っていたら通行人の邪魔になりますよ? 取りあえず動きましょう」

「え、あ……、そ、そうね」

 ヴェネフの言葉に対する返事も何処かぎくしゃくと動揺している……ような?

 ハテ、我ながら名案だと思ったのだが、何か変な事を言ったりしたりしただろうか。心の中で首を傾げながら、ヴェネフはマデーラの手を引きながら先に立って歩き始めた。

 手を引かれるままにマデーラは着いて来るが、先程までぽんぽん飛んできていた質問もなりを潜めてしまった。……何だか不気味である。

 歩きながらちらりを視線を向けると、マデーラは何処となく頬を赤らめ、恥ずかしそうな顔をしていた。

(……はっ、まさか!?)

 その様子でヴェネフは閃く。

(もしや、子供扱いされたと思ったのか!?)

 確かに今の状況は、大人が子供の手を引いているようにしか見えない。とても使用人が主人を案内している図には見えないだろう。普通、使用人は主人の後に付き従うものだ。

 その事を差し引いても、子供扱いを嫌がる年頃なのだろうし、手を引かれる事を恥ずかしいと思っても不思議ではない。

(なんという事だ……。主人に恥ずかしい思いをさせてしまうとは……)

 思い返せば、今までマデーラに手を引かれる事はあってもその逆はほとんどなかった。その必要がなかったとも言うが。

 まさか今更、手を繋ぐ行為自体を恥ずかしがる事もないだろう。新居から引っ張り出された時ですら、マデーラは彼の手を躊躇ちゅうちょなく掴んだのだから。

 ようやくマデーラの様子に納得したヴェネフだったが、だからと言って理由なく手を離す訳にも行かず、取りあえず目ぼしい店まではそのままでいる事にした。

「……あー……、その、お嬢様。昼食には何をお召し上がりになりたいですか? そう言えばもう少し先に、旦那様もお好きだった腸詰の店がありますね。そこに行ってみますか?」

 何となく落ち着けずに話題を振ると、マデーラは先程までの恥じらいは何処へやら、何故か少し怒ったような目で睨んできた。

「……お嬢様?」

 ハテ、腸詰はお気に召さなかったのだろうか。日持ちもするし、何より値段も手頃なので個人的にはお勧めなのだが。マデーラの反応にヴェネフは再び心の中で首を傾げた。

 その店の主人はヴェネフと同じエラシアンで、作る腸詰も南方大陸風である。他の店より少々香辛料がきつめに作られているそれを、確かマデーラも嫌いではなかったはずだ。

 一体何が気に食わないのだろうと心底不思議がるヴェネフを前に、マデーラはようやく口を開いた。

「──期待したわたしがばかだったわ……」

 しかし、ぼそりと呟かれた言葉は、人々のざわめきに紛れて聞き取れなかった。

「はい? 今、何か?」

「べ、別に! いいわよ、そこで……お腹も空いたし!!」

「はあ……。ではそれで、御主人様マ・リスタ

 何だか自棄やけっぱちにも聞こえる返答に益々困惑しつつも、ヴェネフは頷いた。

 忍耐強さにはそれなりに自信があるが、正直、この寒風に長時間吹かれているのは辛い。出来る事なら一刻も早く、せめて室内へ入りたい所である。

 新居の掃除もまだ途中だし、今日中にやるべき事はいくつもあるのだ。こんな所で無駄に時間を費やすのも勿体ない事だろう。

 取りあえず当分必要そうな物を頭の中で思い浮かべ、これから立ち寄る店を決める。折角の機会だから、今後の事も考えてマデーラに交渉させてみてもいいかもしれない。何事も経験は大事だ。

 ──そんな考えに没頭するヴェネフを、マデーラは呆れたように見上げ、小さくため息を漏らしたが、彼はその事にまったく気付いてはいなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ