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仰せのままに、御主人様(2)

 世界は三つの大陸と、一つの天空大陸から成り立っている。

 地上にある三つの大陸を現在支配しているのは四つの国。最も大きな中央大陸の北にスタラ、南にレサイア。その北西にある大陸にベネディス、最も南にある大陸にエラシッド。

 店を国に没収されたマデーラ達が現在暮らしているのは、その内のスタラと呼ばれる国にある小さな港町、ミオッサだ。

 縦に長い中央大陸の北半分を支配しているので、北方は冬になると雪と氷に閉ざされた極寒の地だが、南のレサイア寄りにあるミオッサは冬でも比較的過ごしやすい。

 過ごしやすいのだろうが──『寒くない』とは同意ではないとヴェネフはしみじみ思う。

「ヴェネフ、何なのその格好?」

 着込めるだけ着込んだヴェネフの姿を目に留め、マデーラは呆れた声をあげる。そう言うマデーラは少し厚めの生地で仕立てたダークグリーンの普段着一枚だ。

 一応汚れないように、服の上に木綿地の飾り気のないエプロンをかけているが、防寒に役立つ訳もなく、いくら室内でもその薄着は見ている方が寒い。

「……お許しを。寒さだけは本当に駄目なんです」

 その言葉に嘘はない。実際、これだけ着込んでいてもまだ何となく寒いくらいだ。

「ヴェネフはエラシアンだし、寒いのが苦手なのはわかってるけど……、やっぱりその格好は変よ?」

 毎年の事なのでマデーラもわかってはいるのだが、つい一言言いたくなるらしい。

 それくらい、今の彼の姿は見事なまでに着脹れており、本来の体型もわかりにくいし、しかも柄とか色とかそんな事にはお構いなしなので、下手すると道化師辺りがそういう着ぐるみを着ているかのように見える。

 ヴェネフの生まれは南方大陸──現在、エラシッドによって統治されている場所である。

 常夏の緑豊かな土地だが、多くが森林であり農耕地が少ない。かと言って開墾する程の食糧に困っている訳でもなく、結果としてこれという産業が育たなかった。

 様々な部族が寄り集まって出来た今のエラシッドの前身にあたる国が、国と言う形を守る為に産業の代わりに着目したのが人という資源──すなわち人材育成だった。

 その政策の下で育った黒い髪と瞳、浅黒い肌の彼等は、総じて非常に勤勉で身体能力が高く物覚えも良いとされ、世界各地で使用人として重用されるようになり、今では彼等を雇う事が一種の社会的地位を示すものになっている。

 フェンデ家に彼が仕えるようになったのも、すでに亡くなった彼の父が『貿易王』に金銭では返せない恩があり、息子へ奉公で返せと遺言したからだ。

 おそらく素直にその遺言を聞く必要はなかっただろうが、当時、今のマデーラよりも幼かったヴェネフには他に行き場がなかった。

 口約束でしかない遺言だけを胸に、一人やって来たヴェネフをマデーラの父、ユーディンは暖かく迎えてくれ──現在に至る。

(あの頃は素直で可愛いらしかったのに、どうしてこんなにたくましくなってしまったのですかね……?)

 すでに店は国に下調べという名目で押さえられてしまった為、近所に急遽きゅうきょ借りた小さな家の床をほうきで掃きながら、ヴェネフは心の中で嘆息する。月日というものは実に残酷だ。

 ヴェネフがフェンデ家の使用人となった時、マデーラは五歳。兄弟がいなかったせいかすぐに懐き、それなりに多忙な両親に代わって、ヴェネフはずっと子守役だった。

 何処に行くにも付いて回り、仕事を横から手伝おうとしたり、時に邪魔したり。流石に十を超える頃にはそういう事も減ったが、それでも何かあるとヴェネフの元にやって来る事は変わらなかった。

 そんな彼の後を追いかけてばかりいた少女が、今では彼の主人なのだ。今までの習慣で今も『お嬢様』と呼んでいるが、本来なら『御主人様』と呼ばねばならない所だ。

 ヴェネフがフェンデ家の使用人である事は変わらないし、別にその事に異存がある訳ではないが、世の不条理を思わずにはいられない。

「それじゃあ、ヴェネフは残りの掃除と留守番をお願いね。ちょっと出かけてくるわ」

 ヴェネフがそんな物思いに沈んでいると、マデーラが声をかけてきた。

 何事かと目を向ければ、先程まで危なっかしい手つきでヴェネフ同様に掃除をしていたはずなのに、マデーラがいつの間にか外套がいとうを片手に出かける準備を整えて戸口に立っている。

 マデーラが一人で出かける事自体、今までほとんどなかった事だ。いくらミオッサが比較的治安の良い街でも、そうですかと簡単に受け入れられる話ではない。我に返ったヴェネフは大いに慌てた。

「ど、何処へ行く気ですか、お嬢様!?」

「何処って……、決まっているでしょ。そろそろお昼よ?」

 言われて見れば確かに、そろそろ昼食時だ。葬儀は朝早かったし、そのままこの家に来て掃除をしていたので、育ち盛りのマデーラが空腹を訴えるのも当然だろう。

 だがしかし、たとえ主人だろうと簡単に財布を任せる訳には行かない。ただでさえ今までろくに買出しなどした事がないのだ。値切るなんて芸当は期待出来ない。

「買出しでしたら後で私が行きます。お嬢様では足元を見られるのがオチです」

「失礼ね!」

 ぷう、と頬を不満気に膨らませる様子は小さな頃と変わらない。だが、その仕草を微笑ましく感じられるような状況ではなかった。ここで主張しておかねば、本当に二人揃って路頭に迷う。

「失礼と言うか、事実でしょう? お嬢様は接客の経験はあっても、金銭の取り扱いはまだ許されていなかったじゃないですか」

 痛い所を突かれたのか、マデーラはぐっと言葉に詰まる。けれどその程度で押し負けるような性格ではなかった。

「父様も母様も心配のし過ぎだったのよ。わたし、これでも算術は得意だし、お金の計算を間違うほどばかじゃないわ!」

「……旦那様と奥様が心配したのはそこじゃありませんよ」

 マデーラが同じ年頃の少女より頭の回転が良く、算術が得意というのは確かだが、それだけで商売が出来れば何の苦労もない。

「まずは人を見る目と会話術や駆け引きを身につけさせようとなさっていたんです。商売の基本ですよ」

 商人はお人好しでは商売にならない。顧客を満足させながらも、自分に益をどれだけ得るかが重要であり、商人としての腕の見せ所だ。

 それにはまず多くの人に接し、様々な人々に適した対応を自分なりに見つけなければならない──とはマデーラの父・ユーディンの口癖だった。

 商人としての才覚は父であるティガルの足元に及ばずとも、その息子であるユーディンはやはり根っからの商人だったのだ。

 マデーラは良くも悪くも真っ直ぐだ。

 裏がないから人の信用を勝ち取りやすいが、同時に相手の裏を読む事には長けていない。つまり、騙されやすいのだ。

 これでは子供の頃のみならず、一人前の商人になるまでお守り役をする羽目になりそうである。

 亡きユーディンが、マデーラに劣らない教育を使用人のヴェネフに対しても施したのは、もしかするとこんな状況を見越してのものだったのだろうか。

 ふとそんな事を勘ぐってしまい、ヴェネフは少しうつになった。

「ねえ、ヴェネフ」

 ヴェネフの言葉に思う所があったのか、考え込んでいたマデーラが口を開いた。何かと思う前に、その手が動いてヴェネフの手にあった箒を取り上げてしまう。

「お嬢様?」

「確かにわたしは商人に必要な駆け引きとかには慣れてないわ。でもお腹が空いたの。この家にはまだ食べ物なんて何も置いてないんだから、買って来ないとならないと思うのよ」

「それは、そうですが……」

「でしょう?」

 マデーラの言葉も間違ってはいないが、やはりマデーラに買い物を任せるのは少々不安だ。その不安を見透かしたようにマデーラは続けた。

「だったらヴェネフも一緒に出かけましょうよ。それなら安心でしょ?」

 そして止めとばかりににっこりと笑う。

 ヴェネフはその顔を呆然と見つめ、次に窓の外の今にも雪が降りそうな寒空に目を向け、再びマデーラに顔を戻した。

 ただでさえ冬の港は凍えるように寒く、流石に喪服の上にぐるぐる着込む訳にも行かずにひたすら耐えた後である。ようやく人心地ついたばかりと言うのに、また寒空の下に出かけろと言うのか。なんという無体な仕打ちだ。血の通った人間の行いとはとても思えない。

 けれどヴェネフは良く出来た使用人の上に分別ある大人で、ついでに忍耐強かったので、幼い主人に逆らうような事は出来なかった。

「……仰せのままに、御主人様マ・リスタ

 悲壮な覚悟で承諾する彼に、マデーラは満足したように頷き、実に楽しそうな様子で彼の手を取って扉を開く。

 途端に容赦なく吹き付ける寒風にヴェネフの目で涙が光ったが、そんな彼に同情してくれる人は残念ながら誰もいなかった。

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