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仰せのままに、御主人様(1)

挿絵(By みてみん)


 ティガル・フェンデという名を知る者は少ない。

 だがその名を知らぬとも、『貿易王ガロ・マーシャ』という彼の通り名は、彼が死してなお今の地上で知らぬ者はいないだろう。

 彼はかつて不安定な世界情勢の中、全ての海を制覇し、一代で一国の王すらしのぐ財を為したという武勇伝を持つ人物である。

 すなわち彼の生き様は一種の伝説であり、各地でさまざまに逸話が残っている。

 もちろん、それは全て人伝えのものである。その全てが真実とは限らないが、それでも彼を目標とする商人達は後を絶たない。



 そう、ここにも一人──。


+ + +


「だからね、このまま終わったらいけないと思うの」

 何をどうしたら『だからね』に繋がるのかわからない流れで、彼の仕える『お嬢様』は唐突にそんな事を言い放った。

 脈絡のない会話は十代の少女にとってはお手の物なのだろう。だが、来年二十を迎える予定の彼には理解困難である。

 仕方なく、彼──ヴェネフ・ニル・イ・アロドットは口を開き、正直に思う事を口にした。

「お嬢様、私には今のこの状況でその一言が出てくる理由がわからないのですが」

 この状況、という言葉に少女は不思議そうに首を傾げる。

 そこはいわゆる船着場だった。

 荒くれた海の男達が闊歩かっぽし、強い潮の香りに満ちた外海への玄関口である。ザザーンと打ち寄せる波の音が、向き合う二人の間を通り過ぎては消えて行く。

 彼等はどちらも、その場に似つかわしくない衣服を身につけていた。

 白を基調とした飾り気のないそれは、喪に服している事を示す。実際、まさについ先程二人は葬儀を終えてきたばかりだった。

「いやね、わからないの? ヴェネフ」

 海風の強い場所が葬儀場という事もあって後ろで結い上げていたあかがね色の巻きの強い髪をばさりと解きながら、お嬢様──マデーラ・フェンデは形の良い唇をねたようにとがらせた。

「父様も母様も死んでしまって、わたし達、下手したら路頭に迷うのよ?」

「そうですね」

 それは間違いようのない事実だった。

 三日ほど前の嵐で、商談の為に北西大陸に向かう船で外海に出たマデーラの両親は、乗っていた船ごと荒波に飲まれて海の藻屑もくずと化したのだ。

 海で商人が死んだ場合、大抵は死体が上がらない事を理由に、葬儀は海の上──水葬で執り行われる。実に商人らしいとも言える、合理的な方法と言えるだろう。

 事実、マデーラの両親は現在も遺体は上がっていない。

 ひょっとしたら何処かで生き延びている可能性もなきにしもあらずだが、その可能性は低いし、何より現実は非情だ。

 船の所有者である貿易商が、合同の葬儀を出すなら費用を全額持つと言ってきたのだ。心情的には生存を信じたい所だが、状況がそれを許さなかった。

 マデーラには身近に両親以外の血縁はなかったし、商人とは言ってもほとんど身内だけで回していたような零細れいさい振りで、正式な使用人はヴェネフ唯一人という有様だ。

 母方の親戚はいないものの、父方ならば幾人かはいるはずなのだが、それぞれが大陸中に散っていて、今では何処にいるのかも、生きているのかさえ定かではないらしい。

 店の実質的な権利者であった両親を共に失い、頼れる血縁者もない状況で、現在十三歳で成人に満たないマデーラではその後を継ぐ事も維持も出来ない。

 店を手放す事と引き換えに残された僅かばかりの財産も、これから増やせなければ減る一方。明日の食事にも困るようになる日は近い。

「『だから』、終われないって言ってるんじゃない」

 言わんとする所は何となく理解出来たが、重要な部分を端折はしょられてはわかりたくてもわかるはずがない。心の底から突っ込みたかったが、ヴェネフは良く出来た使用人だったので我慢した。

「わたしは世界に名を轟かせた『貿易王ガロ・マーシャ』の孫よ。こんな所で路頭に迷う訳には行かないわ!」

 その宣言は実に雄々しかったが、具体的な方策があるとは思えない状況ではただの大口である。

 彼女の言う通り、元を辿れば確かにマデーラは世界に名を響かせた『貿易王』ティガルの孫にあたる。──が、かつて一国の王すら凌ぐと言われた財はすでに過去のもので、ティガルの子供達は凡人の域を出なかった。

 否、彼等を弁護するならば、ティガルの才覚が人並み外れていたのだ。

 ティガルの死後、その財は子供達に平等に分配されたが、その後に世界全土を巻き込む戦争が起こり、マデーラの父が受け継いだ物の大半は灰と化したり、戦火を避けての逃亡の間に散り散りになってしまったという。

 戦いが何とか平定した今も、落ち着いた先であるこのスタラは、現王と前王弟の間で王位継承を巡って何かときな臭い話題が尽きない。

 戦乱を生き延び、小さくとも店を興せただけでも幸いなのだ。もっとも、近い内にその店の権利は国に没収されてしまう事が決定しているけれども。

「……それでお嬢様。これからどうなさるおつもりですか?」

 尋ねると、琥珀こはくの瞳がヴェネフの浅黒い顔を見上げた。釣り目気味だが年の割りに整った顔が、にっこりと不吉な笑顔を浮かべる。

 今までを思い返すに、マデーラがこういう『いい笑顔』を浮かべている時は、大抵ろくな事を考えていない。

 今からでも遅くはない、解雇を求めるべきかも──そんな事をヴェネフが考えている事に気付いているのかいないのか、マデーラはしっかとヴェネフの服のすそを掴んでから言った。


「決まっているわ、わたし達の手で店を取り戻すのよ!」


 わたし達、の中にヴェネフは当然のように含まれている。

 マデーラの手元に残った物は、身の回りの品と両親の残した僅かばかりの遺産、そして──たった一人の使用人であるヴェネフ。

 無謀にして果敢な少女は、それだけで国に没収される店を取り戻そうと言うのだ。

 未成年である事は時間が解決してくれるが、一度国のものとなってしまった権利を再び取り戻すのは言う程簡単な事ではない。むしろ困難な部類に入るだろう。

 内乱の気配漂う今、少しでも資金を欲する国はすぐに権利を売り出すだろう。その場合は国から買い取った人間から、店と土地の権利を買い取り、並行して商人として商う許可を国から得なければならない。

 ──すなわち、物を言うのは『金』である。

「お嬢様、自分がどれだけ無茶を言っているかわかってます?」

 無駄だとわかりつつも確認すると、マデーラは当然とばかりに発展途上の胸を張る。

「人間、目標が高いほど燃えるわよね!」

 これは絶対にわかっていない。いや──あるいは無謀とわかっていて言っているかもしれない。

 だがヴェネフは良く出来た使用人の上に分別ある大人だったので、世間知らずの子供の無謀さをさかしらに指摘する事はしなかった。

 彼の黒い瞳は諦めたように頭一つは小さい主人を見下ろす。そう、本来の主人であるマデーラの父が亡くなった今、彼の主人はこの少女なのだ。

 海の照り返しを受けてきらきらと輝く期待に満ちた瞳を前に、他に何が言えただろう?


「……仰せのままに、御主人様マ・リスタ


 それが『貿易王』の孫マデーラと、その使用人ヴェネフの新生活の始まりだった。

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