三十一話 明日之望
書きあがりましたので、予定通り投稿します。
では追憶編最終回、どうぞ。
しばらくしてようやく我に返ったカナタは、俯き続ける叶をひとまずアジトに連れて行こうと春樹に連絡した。すぐに許可が下り、ひとまず公園のブランコに彼女を座らせる。
「……やれやれ、この前と似たようなシチュエーションだな」
「……そうね。……あんたと会うのは……こんな時ばっかりだわ……」
「……だな……」
思わず肯定してしまったカナタ。言われてみれば確かに、叶と会うのはいつも何かがあった時だ。まぁ一般人である叶が殲士であるカナタと会う機会など、ほぼ妖獣に襲われた時しかありえないのだが……まさかこんな短期間に会うことになるとは。
夜鷹からの迎えの車でとりあえず叶をアジトに連れて行ったカナタは、以前のように彼女を談話スペースに連れて行った。まだ任務時間中なのでミチルたちはいなかったが、とりあえず叶を一人にしておきたくなかったからだ。カナタは先日のようにコーヒーを淹れ、叶の前に置いて自分も彼女の向かいに座る。……が。
「「…………」」
何か話さなければならないとは思ったものの話題を思いつくことができず、カナタと叶の間に沈黙が流れた。気まずい雰囲気にカナタの背中に汗が流れるが、しかしそれでも何を言えばよいのか思いつかず……結局、俯いたまま何も反応しない叶を前にしても、カナタには黙っていることしかできなかった。
(……や、やっぱ俺はこーいうの向かねぇ……スタッフもオヤジも忙しそうだし……せめてミチルでもいてくれれば良かったんだけど……)
無理なことだとわかっていても、少なくとも叶と同じ女子がいてくれればと思ってしまうカナタ。しかもなまじ似たような境遇であるために、心情が中途半端にわかってしまうせいで、かえってかける言葉がなかった。
「……ここには、さ……」
「……ん?」
「……私とかあんたみたいに親が死んだ人って……どれくらいいるの……?」
「……“あんたみたいに”?」
叶の方から話しかけてきたことにホッとしたものの、なぜ自分が両親を失ったことを知っているのかと訝ったカナタだったが……続く叶の言葉を聞いて納得した。
「………あんたが葬儀の途中で抜けたの、気になって……園田さんに聞いちゃった……ごめん……」
「あぁ、なるほど。オヤジか……いや、別に構わねぇけどさ。……俺こそ悪かったな、あんな席なのに抜けちまって」
ううん、と首を振る叶を見て安堵しつつ、話題がないにしても何てことを言ってくるのかと思ってカナタは口元を引き攣らせたが……何も話さないで黙っているよりはマシかと考え直し、口を開いた。
「……ま、珍しくないことは確かだな。親とは限らなくても、家族の誰かを傷つけられたり喪ったりしたのがきっかけでこの組織に入った人間は多い。この前俺らと一緒にいた男……タイガもそうだ」
「……彼も……?」
まぁそもそも、妖獣に襲われて隔世の存在を知ることがなければ一般人がうちの組織に入きっかけもない訳だしな、と言ってコーヒーをすするカナタ。もちろん組織が防衛省の傘下にある以上、魔洸の力を持った自衛官が夜鷹に入ってくることもある訳だが……
「俺とかお前みたいに、生まれつき魔洸を扱える人間はそう多くない。大抵は隔世に連れ込まれて能力を発現させる。あいつ……タイガはかつて妹と共に隔世に引き込まれ、襲われた」
「……妹、か……」
「妹の方が襲われて負傷しちまったのを守ろうとして、タイガが魔洸で戦って……ってところに、俺が到着してさ。幸いにも隔世に引き込まれた時間が短かったから、妹もタイガも無事だったんだ。……で、それがきっかけでタイガが夜鷹に入った……って訳さ」
「……そう……彼は、間に合ったのね……」
もともと明るい話題でもなかったが、話を聞いてさらに沈んだ声を出す叶。それを聞いて、少し考えその理由に思い当たったカナタはしまったという顔をした。
同じ家族が襲われた身でありながら、タイガは間に合い、叶は間に合わなかった。……しかも、叶はタイガと違って初めから力を使うことができたというのに……
自分の方が圧倒的に有利な状況でありながら、家族を救うことができなかったと彼女は悔やむ。だが、別にそれは叶のせいではない。魔洸を扱えるとはいってもそれは多少のことであって彼女の能力自体は一般人とほぼ変わらないレベルであったし、カナタの到着したタイミングに至ってはただの“運”だ。叶が自分を責める理由など、なにもありはしない。
だが、当事者である叶はそう思わない。
(あの時点では自由に使えなかったとはいえ、私には“力”があった。……なのにあの時、私は“逃げた”。けど、彼は“立ち向かった”)
(……どうしようもないわね……力を持っていた私の方が、臆病者だったんだから……)
そんな風に自己嫌悪に陥っていた叶は、ふとカタカタという音を聞きつけて視線を上げた。何の音かと不思議に思って元をたどってみると……その音源は、カナタの足元。どうやら目の前にいるカナタが落ち着かなさげに足を揺らしていたせいで音が鳴っていたらしい。
「……ふっ……」
何を言ったらいいのかわからない、しかし何かを言わなければっ……という困り切った彼の表情を見て、叶はふっと表情を和らげた。
「……なんて顔してんのよ。あんたのせいじゃないでしょ」
「いや……まぁそうなんだけどさ……」
ううむ、と顔をしかめてまだ唸っているカナタを見て、叶は思わず小さく笑ってしまった。慰めようとしている人間を慰める、というちぐはぐな状況になってしまったが……なんとなくそのおかげか、胸にあった重い何かが少し取れたような気がした。そして叶はカナタを安心させようと、一口コーヒーを含んで言った。
「下手にそれっぽい言葉で慰めて誤魔化さない分、あんたは好感が持てるわよ。……私、“天国で誰かさんが見守ってる”とかそっち系のセリフ、大っ嫌いだから……」
「……そうなのか? 珍しいな」
「かもね。……でもそうでしょ? 死者は何も語らないし、助けてもくれない……なのに見守ってくれてるだの、厄を持ってきてるだの、生きてる人間は勝手なことばっかり言って……私たちの都合のいいように死者の感情を捏造してんのよ? 死人にとっちゃいい迷惑じゃない」
「……あぁ、そうさ。“誰かの思いを引き継いで”っていうのは、俺たちの勝手な解釈に過ぎない。……けど、そう信じて生きたいんだよ。俺たち生者がな……」
「……結局、生きてる人間の勝手なのよね……」
溜息を吐いて、再びコーヒーをすする叶。そんな彼女の様子を見て、カナタは表情には出さなかったが叶に対して空恐ろしさを感じていた。
……やはりこの少女、物分かりが良すぎる。そのせいで……彼女の心はかなり危ういバランスにある。人間の心は理屈ではない。単純な理性や決まり事では制御できないものが、感情。言い換えれば心というものだ。感情と理性のバランスがあるからこそ、人間はただの動物ではなく、人間足り得る。感情を爆発させるのは、何もおかしいことではない。
だというのに彼女は、理屈で感情を……心を押さえつけている。なまじ夜鷹の人間と接して特殊な境遇の人間に出会ってしまったせいで、自分が悲しむことはおかしい事だと思ってしまっている。……そして、その原因を最初に作ったのは。
(……俺、か……)
カナタの過去を聞いたせいで、似たような境遇の人間が他にもいることを知ってしまった彼女は……親を喪ったのは自分だけではない。だから、“自分だけが悲しむわけにはいかない”。そう思ってしまったことがきっかけとなり、一番大切な“悼む”、“悲しむ”ということができていない。人間の心において一番大切なはずの“感傷に浸る”という行動をすることができなくなってしまっているのだ。
(……まずいな……どうすればいい……何か……何かないか……何か俺にできることは……)
もう一度会ってしまった以上、もはやカナタの中には“手助けしない”という選択肢はなかった。別に住所を聞き出して行ったのではないのだから、春樹に逆らったわけでもないので問題はない。そう自分に言い訳しつつ、何か彼女の心を立ち直らせる方法はないかとカナタは熟考した。
そうして、彼を見た叶が何をそんなに考え込んでいるのかと首を傾げるほど考えた抜いた結果、カナタは一つの結論に至った。
まず、今の彼女に一番必要な物。それは……
“癒し”だ、という。
(だとしたら方法は……“あいつら”を見せるしかない、か。……ま、こいつにならいいだろ)
そう決意して小さく頷き、カナタはキョトンとした顔をしている叶に“ちょっと頼みがある”と切り出した。
そして時間は進み、そろそろ夜になろうかと言う時間帯。カナタに言われた通り例によって例のごとくあの公園に行った叶は、雨が上がったことに安心しつつブランコを漕ぎながらのんびりと彼を待っていた。彼の頼みとは、あの公園に一緒に行くことだったのだ。
しかし今までと一つ違ったのは、カナタが指定した時間帯が夕方だったことだ。今までこの公園には深夜にしか来たことがなかったので、なんだか妙な気分である。
ちなみに今日の学校は、とても授業に集中できないだろうと休んだ。昨日は親の葬儀だったのだからこの数日は本来忌引きができるのだが、死因が死因なだけに学校に報告することもできず……適当に風邪だと言い訳しておいた。樹理から「大丈夫?」というメールが来ていたものの、カナタが指示した内容が気になって雑な返信をしてしまったが……怒っていないだろうか。
(……それにしても、こんなところに呼び出して……ハルカの奴、何をしようっていうんだか……)
「よう、待たしたな」
つらつらとそんなことを考えながら待っていると、やがてカナタがやってきてこちらに近づいてきたので叶はブランコから立ち上がり、感じていた不信感を隠しもせずカナタに歩み寄った。
「……なんなのよ、わざわざ呼び出すなんて。ここがどうしたっていうの?」
「まぁまぁ。お前を連れて行きたい場所ってのは、この公園の奥にあるんだよ。……あ、ちょっと目をつぶっててくれるか?」
「……はぁ?」
カナタの言葉の意味が分からず、訝しげな視線を彼に向ける叶。しかしカナタが重ねて頼んできたので、叶は仕方なく従うことにして目を閉じた。
「サンキュな。んじゃ、行こう」
そう言って、手を握ってくるカナタ。一瞬叶はビクッと体を震わせたが、すぐにカナタが手を引いて誘導しようとしていることに気付いて体の力を抜いた。思った通り、すぐにカナタが進み始めたので叶は大人しく彼についていった。
目を瞑っていて足元が見えず、少々不安に思いながら叶はカナタに手を引かれてゆっくりと歩いていく。すると、靴の裏から感じる感触が変化していくような気がした。だんだんと道が荒くなってきたように感じたのだ。どんな所に連れて行くつもりなのかと疑問に思いつつ歩いていると、階段のようなものを下りて足元から何か木のような音がする場所に着いたところでようやくカナタが足を止めた。
「……さ、ここだ。あ、目を開けるのはもうちょっと待ってくれな」
開けようと思ったらそう言われてしまったので、叶は仕方なく目を瞑ったまま耳を澄ませて周囲の状況を探った。木に囲まれているようで全方位から小さな葉擦れが聴こえ、前方や足元辺りからは川のせせらぎが聞こえる。その水音を聞いて、叶は先ほど足元から聞こえた木のような音は、おそらく橋の音だったのだろうと気付いた。
「……広橋。俺には、お前の心を完全に救うことはできない。痛みを、苦しみを……理解することも、できない。……でも、俺は……お前の助けに、なりたいと思った。……だからせめて、これがお前の心の癒しになれば……」
(……癒し……?)
カナタが言っている意味が分からず、困惑する叶。その彼女に、カナタはどうか救いになってくれという願いを込めて言った。
「……いいぞ。目を開けてくれ」
カナタに促されて、叶は何が待っているのかと少し不安になりながらもゆっくりと目を開いた。そして目に入ってきたものを見て、叶は呆然と目を見開いて立ち尽くした。……その、あまりの美しさに。
叶が見たのは、無数の美しい光。周囲を飛び交う、薄緑色の光だった。ふわりふわりとゆっくり動いたかと思えば、線香花火のように高い所から急に落ちてきたりする。その動きと輝きに見惚れ、叶は動くことができなかった。
「……これ、って……」
「蛍さ。ゲンジボタル」
そう言ったカナタの声に反応してそちらを見ると、彼も同じく周囲の蛍たちを見つめていた。その視線と表情は、いつも見ている彼の表情よりも安らいでいて、優しげで……こんな表情もできるのかと叶は少し驚いたが、それ以上に周囲の蛍に目を取られた。
「綺麗だろ? こいつらはこの公園で放し飼いにされててさ、ちょうどこの時期になると出てくるんだよ。今日は月もないし、昨日……っつーか、さっきまで雨が降ってたおかげで湿気もあるし、しかも平日だから人もいない。……条件としては最高だな」
「……へぇ……」
自分で聞いておきながらおざなりな返事をしてしまうほど、叶は目の前の光景に見入っていた。そして叶のリアクション自体は薄かったものの、反応を見る限りではとりあえず気に入ってくれたようだとカナタも安心した。そのカナタに、ふと周りを見渡して叶は思ったことがあったので聞いてみた。
「……でも……なんで私に教えてくれたの? 平日とはいえこんなに人がいないってことは、ここってあまり知られてない秘密の場所だったりしないの?」
「ま、確かにそうなんだけどな。お前には特別に、教えてやろうかと思ってさ」
「……どうして……?」
「別に深い意味はねぇよ。……ただ、最近お前は酷い目に遭い過ぎてるからな……少しでも気分転換になれば、ってさ。見せてやりたいと思ったんだ。……あ、タイガとかには言うなよ、あんまり広く知らせたくないから。こういうのは、静かに見るのがいいんだよ」
「……そう、ね……」
カナタに同意し、叶は蛍たちを眺める。どうやら少しは気が晴れたように見えたのでカナタは安心し、叶に「少し歩かないか?」と提案した。ゆっくりだったが叶は頷き、二人でたくさんの蛍が飛び交う中を歩き始めた。
竹の生い茂る林を離れ、小川沿いの草むらの道を二人は連れだって歩いた。周囲をふわふわと飛び回る蛍たちは特にカナタたちを警戒する様子もなく、時には叶のすぐ近くまで飛びよってきたりしていた。
(……ははっ、よかった……喜んでくれたみたいだ……)
今までの反応から叶が自分と感覚を共有してくれたことがわかり、カナタはそれが嬉しかった。なんとなく、同年代とはこういった風情といったものを共有できないのではないかと思っていたからだ。偶然手のひらに止まった蛍を見つめている叶を見ながら、カナタは改めてその美しさに嘆息した。
「……にしてもすげぇよな。こいつらは、自分の命をそのまま光に変える。文字通り、命を“輝かせる”んだからな……何度見てもすげぇぜ……」
「……彼らは、なぜ光るのかしら……」
手のひらから飛び去った蛍を見送って、叶はボソリとそう呟いた。独り言のような声量だったがカナタはそれに気づき、少し考えてから自分の思ったこと、感じたことを話し始めた。
「……化学的なことじゃなく言うなら、命を繋ぐためだろう。自分の命を燃やし、次の世代へ新たな命を繋ぐこと。それが、彼らの生きる目的……いや、“望み”……なんだろう」
「……望み……?」
「あぁ。その望みを果たすために、彼らは……いや、彼らに限らず全ての生命は生きているんだ」
「…………」
いつの間にか、叶の足は止まっていた。それに気付いたカナタもゆっくりと歩く速度を落とし、叶に向き直る。その時カナタは、叶の表情と視線から何かを感じた。答えを求めるような、縋るような……それを見たカナタは、何を伝えようかと少し考え……考えをまとめた様子で、叶と向き合った。
「……別に、“自分の持っているものを次の世代に伝えなきゃならない”、なんて、そんな高尚なもんじゃなくてもいい。けど俺たち人間だって、何かしらの願望を叶えるために生きてるんだ。“明日何をしよう、どこに行こう、誰に会おう”……そんな風に、明日があると無意識に仮定して、俺たちも生きていく」
現在よりも先の出来事……すなわち未来とは未知であり、無限だ。何が起きるのか誰にも知ることはできず、よって誰もが明日……いや、もしかしたら一瞬後に死んでしまうかもしれない、という不安を抱えている。だがその不安に未来への希望を上書きすることで、人間は明日へ向かう活力を得る。
「……でも……意味あるのかしら。いつ死んだって不思議じゃないんだから、そんなことしたって……」
しかし、叶はそれに疑問を持つ。一瞬後に死んでいても不思議ではないというのなら、その望みが叶えられる保証はない。何か望んでも意味がないのではないだろうか。いや、むしろいつ死んでもおかしくないのなら。望みを抱くこと自体が、意味のない……空しい行為なのではないだろうか、と。たった一日で簡単に両親を失ってしまった彼女だからこそ、そう思ってしまった。
「……本当に明日が来るかどうかなんざ誰にもわからない。けど俺たちは、明日があると信じて生きるんだ。……自分の中にある、望みを叶えるために。……その方が楽しいからな」
望み……つまり欲というものは、全ての人間の中に程度の違いはあれど必ず存在する。食欲、睡眠欲、色欲、金欲……などなど、上げればきりがないほどだ。しかしその内、生命維持に必要な欲を除けば、ほとんどは必要のないものばかりだ。実際、人間以外の生命体にそんなものは存在しない。
ならば、なんのために他の欲、望みが存在するか……それは、その方が有意義……平たく言ってしまえば、幸せだからだ。
「……お前は、大切なものを一度に、簡単に失い過ぎた。だから、命が簡単に失われるのは当たり前で……自分の命だって例外じゃない。いつ死んだって当たり前なんだから、別に死んでも構わない……そう思っちまったんだろ? ……確かに、その通りではある。……けど、ずっとそう思ったままじゃ……生きる希望を失ったままじゃ……生まれた意味が、ない」
「……生まれた……意味……?」
生きる意味など、存在しない……そう思っていた叶だったが、生まれた意味と言われれば確かにそうかもしれないと思った。全ての生命は、生まれたその時から死へと向かう。その経過には意味などなく、ただ時の流れに乗せられるままだ。では、なぜそもそも生命が生まれるのか。……カナタが言ったのは、そういった意味の言葉に聞こえた。
「この宇宙において、生命の存在する意味はない。いや、むしろこの世界の存在そのものに意味なんざないとすら、俺は思ってる。だってそうだろ、この世界を維持して何の意味がある? この、今いる場所は何のために存在する? その理由が何かあるなら、その理由の理由はなんなんだ? 極限まで突き詰めていけば、そんなもんは“ない”。ただ、そこにあるからある。それだけだ。……なら、俺たちはなんのために生まれたんだ? それは、“幸せになるため”だと……俺は思う」
俺は信じちゃいねぇけど、とカナタは前置きして続ける。もしも神様ってやつがいるんなら、この世界を作った理由は“楽しいと感じてほしいから”じゃないか、と。楽しみ、それを共有し、そして生まれる次の命にもその楽しさを伝える……そのために、生命を……そして感情を生み出したのではないか、と。
そして最後に、こう言った。……だからさ。どうせ生きるなら、希望を抱いて楽しく生きようぜ、と。
「……って言ったって、すぐに生きる希望を抱くのは無理かもしれない。だからまず、近いところから初めて欲しい。……とりあえず、明日だ。明日何をしたいか、その望みを抱くことから……始めるんだ」
そう言ったカナタは、叶に向かって手を差し出した。周囲に飛び交う無数の光をバックにして……自分の言葉が、叶に届けと願いを込めて。
「……広橋 叶。……お前の、明日の望みは……なんだ?」
「……私の、望みは……」
カナタに言われて、叶は目を瞑って自分の心の内を探る。親と弟を失った自分。その喪失感は当分癒えることはないだろう。しかし、そんな中で……自分は、どうすればいい? ……いや。そうじゃない。カナタは、『お前の望みはなんだ?』と聞いたではないか。だとしたら、考えるのは……
“どうしたい”?
……そう考えた時、叶はふと思いついたことがあった。喪失感と、自責の念に苛まれて重苦しかった自分の気持ち。それがふっと軽くなった瞬間がなかっただろうか。……それは、なにをした時のことだっただろうか……
……そうだ。確か組織のアジトで、カナタのおかしな表情を見て……笑った時、だったか。……思えばタカトと最後に話したあの時以来、久しく笑っていなかったような気がする。
……なら、とりあえず笑うこと、にしてみようか。自分だけが幸せな気持ちになるのは、現実逃避のようで……死んだ父や母、意識不明の弟には申し訳ないような気もするが……これからひとりで頑張らなければならないのだ。そのくらいのわがままは……許してもらえるのではないだろうか。
「……笑う、こと」
言おうと思う前に、口をついて出てきていた。
自分の、望みが。
「私の、明日の望みは……どんな理由でもいいから……笑う、ことよ……!」
そう言いながら、叶は震える手で差し伸べられたカナタの手を掴む。触れたカナタの手は、暖かかった。
そのカナタの手の暖かさに触れたことで、胸の中の冷たい塊が溶けたような感覚があった。文字通り、胸のつかえが取れたような……心を凍らせていた氷が、溶けたかのような。……そしてその滴が、涙となって叶の頬を伝った。
「……やっと、泣けたな」
そう、カナタがホッとしたように呟いたのが聞こえ、穏やかな表情で近づいてくる彼が見えたが、しかしその姿は涙でどんどん歪んでゆく。一度溢れ出した涙を、止めることはできず……叶は自分がなぜ泣いているのか、その感情の正体はわからぬまま……しかし悪くないと思いながら、しばらくの間泣き続けた。
「……なんというか……あんたには酷い場面ばっかり見られてる気がするわね……」
数十分経ってようやく泣き止んだ叶は、ぐしゃぐしゃに乱れてしまった顔をカナタが差し出したタオルで拭いながら恥ずかしそうに呟いた。
「ま、そうだな。けどまぁ、俺は悪い気しないぜ。……滅多に見られるようなもんじゃねぇからな」
「……人のこと……珍獣みたいに言うんじゃないわよ」
女子に言う言葉ではないが、叶にはカナタがからかってきただけなのだとわかっていたので怒りはせず苦笑した。だがタオルで彼女の顔が見えないのでカナタにはそう見えなかったらしく、怒らせたと思ったのか慌てて弁明してきた。
「わ、悪かったって。許してくれよ」
「……さぁ? どーしようかしらねー」
特に気を悪くしたわけではなかったのだが、いつも落ち着いている印象だったカナタの狼狽した反応が予想外に面白かったので……せっかくなのでからかわれた分、今度は仕返しにからかい返してやろうと叶はニヤニヤ笑いながらタオルをカナタに返す。
「……じゃあ、私が笑えるように協力しなさい。手始めに……明日も、ここに連れてきてもらおうかしら」
「……わ、わかったよ。敵わねぇなぁ、もう……」
叶に騙されたのだと知ったカナタは、自分の負けだとガックリと肩を落とす。だが、よろしい、と満足げな叶を見て、まぁいいかとカナタは苦笑した。
(なんでだろうな……こいつに振り回されるの、意外と悪くない……)
不思議なことに、叶に振り回されることに悪い気はしなかった。いや、それどころかカナタはそれを楽しいとすら感じていた。出会って間もない少女に対して、そう感じるのも妙な話であったが……
だがさらに不思議なことに、相手である叶も似たようなことを考えていた。
(……どうしてかしらね……こいつと一緒にいると、なんだか安らぐ……やっぱり、境遇が似てるせいなのかしら……それとも……)
理由のわからない、しかし何かを感じる、という奇妙な共感を得た二人は……その時同時に、こう思った。
((……もっと、一緒に居たいな……))
この時感じた、奇妙な共感。それが時を経てさらに大きく、強い想いになるということを……この時点ではまだ、二人とも知らない。
「……入ろっかな……あんたたちの組織に……」
「……どういう心境の変化だよ?」
蛍を眺めて歩きながら呟いた叶の言葉に、カナタは疑問を抱いた。つい先日模擬戦を行った時には、殲士になるつもりはないとハッキリ言っていたからだ。
「だって、もう魔洸使えるようになっちゃったし……今さら、奴らから逃げようとは思わないわよ」
「……本当にいいのか? 魔洸が使えるようになったからって、夜鷹への参入は強制じゃないぜ?」
力がなければ組織に入ることはできないが、だからといって力を持った人間が必ず組織に入らなければならない訳でもない。カナタは叶にそう伝えたかったし……何より持ち直したように見えるとはいえ、その心境の変化がやけになった類のものではないことを確かめたかった。妖獣との戦闘は文字通り命がけだ。半端な気持ちで殲士になっては戦死しかねない。
「そんなことわかってるわよ。別に、戦えるから戦おうって思ったわけでもないから。……ただ……」
「……ただ?」
「……力を手に入れた以上、逃げちゃいけないかな、って。偶然なんだろうけど……二回もあいつらに襲われたっていうのは、何かの暗示のような気がして。……魔洸を使える私が、人々の力になれ……っていう。実際、そうしたいと私自身が思うし……ま、そんなわけよ」
そう語る叶の目には狂気も、迷いもなく……偽りのない本心だとわかったので、カナタは一つ頷いてニヤリと笑った。
「そうか。だったらもう止めねぇよ。……ククク、後悔すんなよ? 新人教育は俺の担当だからな。お前の魔洸レベルは相当なもんだし、遠慮なくいかせてもらうぜ」
「……望むところよ」
カナタの脅すような言葉に、叶はむしろ歓迎だというように唇の端を吊り上げ……それを見たカナタは、満足げに頷いた。
蛍は夜になると、草の陰に隠れてしまう。叶の印象では夜に一晩中飛んでいるイメージだったが、実はそうでもないのだそうだ。蛍の動きが治まってきたことをきっかけに戻ろうとカナタが言い出し、叶は彼について公園を出る道へ続く階段を上っていた。その道中、叶はふとカナタのある言葉を思い出した。
「……明日の……望み、か……」
ポツリと呟いた叶。その言葉は、今の彼女が求めるものであり、そして目指すべきもの……そのものに思えた。
「……うん。そうしようかな……」
足を止めた叶を振り返って、何をブツブツ言ってるんだ? と首を傾げているカナタになんでもないと返しつつ、叶は心を決めた。
自分の、生きる指針とするために。その、カナタの言葉を……殲士として生きる、自分の第二の名前にしようと。
こうして、その日、その時……殲士“明日之望”が誕生した。
これで、カナタと叶の出会いの物語は終了です。長い間お付き合いいただき、ありがとうございました。思えば「追憶開始」で追憶編に入ったのが去年の五月末なので……ほぼ一年間、過去を描き続けてきたことになるんですね。
これで、降雨編でカナタが見たビジョンの伏線はようやく回収できました。あれを書いたのが、降雨編の初めの方だから……もう二年以上たつんですね。いやはや、遅筆で申し訳ない……
この蛍のシーンは、俺が実際に初めて蛍を見た時の感動を伝えたいと思って書いたのが最初でした。その当初は、ここまで重要なシーンになるとは予想していませんでしたが……いつしか、血色の中で一番書きたい話数になっていました。カナタが語った倫理観は、ほぼ私の世界に関する価値観そのものですし。
叶……いや、ノゾミのコードネームの名付け方には実はモデルがありまして、それがウルトラ作品なんです。ウルトラマンメビウスの主人公は「ヒビノ ミライ」という名前なのですが、この由来というのが彼がある人から言われた「君の“日々の未来”に幸多くあらんことを」というセリフなんです。これをいつか使いたいとずっと思っていたので、今回カナタに語らせました。
ちなみにこの蛍の公園は実際にある公園をモデルにしています。……サイズに関してはだいぶ誇張してありますが(笑)
さて、ここでひとつお知らせです。投稿を始めてから今まで、執筆のことを考えない日はありませんでしたが……おそらくこの小説は、一時更新停止ということになると思います。というのも現在私は大学四年生でして、卒業研究でかなり忙しくなってきてしまって。しかも学力低いくせに大学院を狙っているので、続きを書いている時間が取れないと思います。
ですが、エタるという訳ではないので安心してください。時間が取れたら、また書いて続きを投稿します。……それに、三周年くらいはやりたいですし(笑)
今回はこのあたりで。次がいつになるかは分かりませんが……では、次でもお会いできることを願いまして。