三十話 血光覚醒
四か月ぶりですね。ようやく更新できます……理由は後書きにて。
前話から時間は少し進み、叶に両親の死を伝えてから数日経った頃です。
では、どうぞ。
木魚の音と坊主の経が響く中、春樹は気がかりな様子で喪服姿の叶を見つめていた。叶に両親の死を伝えた後、春樹は彼女に親類を呼んでもらって事情説明を行った。そして今、葬儀が行われているところだ。式場には叶とその親類のほかに、遺品を回収したヤイバとソラ、そして叶に付き添っていたカナタの姿もある。ここは夜鷹のアジト内、その中でも普段活動しているよりも下の階層。妖獣災害に遭った人々のための葬儀場である。
妖獣災害は公にできない。それはすなわち、被害者の葬儀を一般の葬儀場で行うわけにはいかないということも意味している。そのための葬儀、つまり通夜と火葬までを行うための場所が、今彼らのいるこのフロアである。ただし、納骨は家族の意に添うようにしている。アジト内にも共同墓地のような場所はあるが、中には家族と同じ墓に入れてあげたい、という遺族もいるからだ。
叶の祖父母は父方も母方も健在で、しかも夜鷹の事情を分かってくれ、息子と娘の死を悲しみながらも妖獣については口外しないと約束してくれた。叶の親類関係の手続きについては夜鷹が責任を持って行い、補助金が出るということも話したのだが、全て叶の生活費に充ててくれと頼まれてしまった。奨学金などの手続きももちろんだが、これから一人で生きていくうえで大変だろうからそのために、と。
通夜が終わって、火葬も終わり……と言っても、残念ながら骨壺に納めることができたのは体の一部の骨のみだったが……とりあえず葬儀を終えた叶は、春樹やカナタ、そして祖父母と共に待合室で一息ついていた。ちなみに納骨は、夫婦同じ墓に入れてあげたいという叶の祖父母の意見に従い、四十九日の時にアジト内の墓地エリアに行うことになった。
「お疲れ様でした。とりあえず、今日の葬儀はこれで終わりです」
「……えぇ……ありがとうございます……」
春樹の労いに、祖父母がそろって頭を下げた。当然の務めだ、と言って頭を下げ返した春樹だったが、横目でチラリと見た叶の憔悴した様子に気遣わしげな様子を見せた。
両親の死を叶に伝えてからというもの、叶は淡々と対応を続けていた。悲しむでもなく、怒るでもなく……ただ、淡々と。その無感動な様子こそ、春樹には気がかりだった。
そんな時、カナタが春樹に近づいて小さな声で耳元に囁いた。
「オヤジ、ちょっと」
「ん? どうした?」
囁いてきたということは聞かれたくないのだろうと、春樹は叶達から距離を取って聞き返した。そして、珍しく年相応の少年のような雰囲気になったカナタが返してきたのは、予想通りあまり大勢には彼が聞かれたくないであろう言葉であった。
「……不謹慎だし、悪いとは思うんだけど……近いし、ついでだから……行ってきて、いいかな?」
「……あぁ。行って来い」
「悪りぃ。なるべくすぐ戻る」
小さく頷いた春樹に感謝し、カナタはそっと部屋を出た。が、叶はカナタに気付いたようで、疲れた様子ながらもこちらに近づいてきた。先ほどから何を話しかけてもほとんど無反応だった叶がこんな事に動いたことを少々驚きつつ、春樹は彼女に話しかけたー。
「……どうされました? ……いえ、大丈夫……ですか?」
「……えぇ、まぁ。……あの……ハルカは、どこに……?」
叶の問いに、一瞬答えるかどうか躊躇った春樹だったが……彼女ならば良いだろうと、口を開いた。
「……あいつの、両親のところです」
「……両親、って……父親は、園田さんなんじゃ……」
たった数度聞いただけだったが、確かカナタは春樹のことをオヤジと呼んでいたはずだ。どういうことかと疑問に思い、聞こうとした叶だったが……春樹の険しい表情を見て、その言葉は尻すぼみになってしまった。
「……いえ。確かにあいつは俺のことをオヤジと呼びますし、俺も父親代わりに育ててはきましたが……あいつは俺の、血の繋がった息子じゃありません」
「…………え…………?」
叶たちと別れて、数ブロックさらに奥まった場所まで歩き……その中にあるブースのひとつにカナタは入って行った。そこにはたくさんの墓石が並んでいて、その中を慣れた様子で歩いて行ったカナタは、ある墓の前で止まった。その墓には、こう書かれていた。「絃神家之墓」、と。
「……よう。久しぶりだな……父さん、母さん」
と、どこか寂しげながらも懐かしそうな表情で、ハルカ カナタ……“絃神 隼人”は、両親の墓に話しかけた。そう、カナタの入ったブースのプレート。そこには……「殲士共同墓地」と表記されていた。
春樹から話を聞いた後祖父母の所に戻った叶は、彼らの話し相手をしながらもどこか上の空だった。その理由は……おそらく、春樹から聞いたカナタについての話のせいだろう。叶が出会った、いつも飄々として明るい少年。しかしその過去は、驚くべきものだった。
“あいつの両親は、ふたりとも殲士でした。もともと殲士として活動していて、やがて結婚して……カナタが生まれてからも、引退せずに活動を続けてくれていたんです。ですがある日、ふたりは……妖獣と刺し違えて、戦死しました。当時小学生だったカナタを、この世に残したまま……”
“以来、俺が……いえ、このアジトの皆で、カナタを育ててきました。あいつが俺をオヤジと呼ぶのは、小さい頃からいつも俺が親代わりとして接していたからです。……どちらの親も大切だと、あいつは言ってくれますが……”
(……あいつ、も……私と同じように……親を、亡くして……?)
偶然出会った少年との、奇妙な共通点。それに彼女は、何か運命的なものを感じていた。……もっとも、それは叶にとって何の慰めにもならなかったが……
「そう。俺もかつてあいつと同じく両親を……父さんと母さんを、失った。……でも、違うこともある。まだ小さかったし……何より俺には、アジトの皆がいた。家族として、育てて、接してくれる人たちがいた。……だけどあいつには、もう誰もいない。唯一の家族と呼べる弟も、意識不明。……本当の、ひとりぼっちだ……」
そこまで呟くと、カナタは溜息を吐いて途方に暮れたように、両親の墓にポツリと呟いた。
「……なぁ、父さん、母さん。俺、どうあいつに接したらいいか、わからないよ……」
「……いろいろ、ありがとうございました……」
「いえ。では、また」
ひとまず全ての葬儀が終わり、叶は夜鷹アジトから送ってもらった車から降りた。車が去ったのをひとりで見送ってから、ポケットから家の鍵を取り出す。本当は祖父母も来てくれると言っていたのだが、叶がひとりになりたいと断ったのでアジトで別れた。
(……あの時は、いろいろと思うところもあったからあぁ言ったけど……冷静になってみると、ついて来てもらった方がよかったかしらね……)
まぁ過ぎてしまったことは仕方ないと叶は嘆息し、扉の前まで歩く。そして鍵穴に鍵を刺そうとした時、ふと思い当ったことがあって叶は手を止めた。
(……なんか、変な感じね……自分で鍵を挿すのって……)
自分の家には、いつも必ず母がいた。そのため、そもそも自分で鍵を持ち歩く習慣が彼女にはなかったのだ。
(……これからは……全部自分で、か……)
はぁ、とどんよりとした気分で溜息を吐き、鍵を開けて家の中に入る叶。リビングに一旦荷物を置き、とりあえず母の部屋に向かう。
(喪服……脱がなきゃ……)
高校生の叶は、本物の喪服など持っていなかった。誰かの葬儀に行く際は、基本的に制服で済ませていたからだ。だが、両親の葬儀には喪服で参加したいと思ったため……急きょ母の喪服を借りたのだった。
(……慣れない、わね……)
また溜め息を吐いた叶は、気だるげに喪服を脱ぎ……ハンガーにかけて洋服ダンスにしまうところで、横にかかっている他の服を見てふと思った。
(……これ、処分したほうがいいわよね……)
洋服ダンスには母の服が大量にかけられているが、当然ながら母と叶とでは趣味が違うし、着る人間ももういない。礼服以外は捨ててもいいだろうから後で整理しようと思ってタンスを閉め、下着姿のまま廊下に出て自分の部屋に向かった。
(父さんの荷物も、粗方処分しちゃっていいでしょうね……使わないし……わかんないし……あぁ、でも整理はやんなきゃ……)
まぁ明日でいいか、と思って父の部屋の前を通り過ぎる叶。一応世間的には行方不明ということになっているので、父の仕事関係の書類を後日会社の人間が回収しにくることになっている。あとで整理しておかねばならない。だがとりあえず疲れたので一旦休もうと、叶は自分の部屋に着くなりベッドに倒れ込んだ。着替えることすら億劫になるほど疲れているのか、下着姿のまま動こうとしない。……が、眠ることはできずに色々と考えてしまう。
(……炊事……洗濯……掃除……これからは全部自分で、か……しかも、学校にも行かなきゃいけないのよね……あ~ぁ……)
これから大変になる、と思った叶は、無理やりにでも寝ようと気が乗らないながらも瞼を閉じた。人が死ぬと、死人の物品を不要だと思い、捨て去ろうとする。その人間に関わるもの全てを、記憶ごと遠ざけようとするかのように。必要性などと言うことは関係なく。それは、無意識に死人の事を思っていて、その悲しみを自分の周囲から死人を思い出させるものを捨て去ることで軽減しようとしているということを示すのだが……彼女の場合、それが顕著であった。
そしてさらに、あまりにも簡単に両親を失ってしまったために、悲しみの感情も、動揺すらも浮かばないほど心に余裕がなくなっている、ということに……彼女は気付いていなかった。
空が暗くなり夜に近づき始めた頃、カナタは傘を例の公園にあるベンチに立てかけて、降り出しそうな空を嫌そうに見つめていた。近くにはミチルもいる。任務開始の時間が迫っているため、仕事開始前の集合である。先にベンチに座ってタイガを待っていたカナタはふと腕時計に目をやって溜息を吐いた。
「……ったく、あいつは……またギリギリに来んのか……少しゃ余裕ってもんを持てっつーの……」
「あはは……まぁいいじゃない。別に今まで遅刻したことってないんだから」
「そりゃそうだけどさぁ……」
やれやれ、と溜め息を吐いたカナタ。しかしそれによって気が緩んだせいか別のことを考えていたことが表情に出てしまったらしく、近くに立っていたミチルが首を傾げて顔を覗き込んできた。
「何か心配ごと?」
「……え? なんで?」
「んー……なんとなくそういう顔してる気がするから、かな」
ミチルがクスクス笑っているのを見て、しまった、と思ったカナタだったが表情に出てしまっている時点で誤魔化すにはもう遅い。カナタは諦めて、ミチルに何を考えていたのか話すことにした。
「やれやれ、バレちまっちゃしょうがねぇな。……あぁ、確かに考えてたよ。……広橋のことをな」
「……昨日、葬儀だったっけ。どんな様子だった?」
「意外と落ち着いてた。……いや、落ち着きすぎてた……ってのが正しい表現かもな」
そう言うと、カナタは深く溜息を吐いた。ミチルも話したいと思っていたのか、カナタの隣に座る。
「落ち着き……過ぎてる、か……」
「あぁ。普通、あの年代……っつっても、俺らと同い年だけど……ともかく、通常なら理不尽に怒ったり、やり場のない悲しみに叫んだりしても不思議じゃない。というかそれが当たり前だ。……でもあいつは、涙すら流さなかった。両親が死んで、弟も意識不明で……そんな状況なのに……」
「……心が、止まりかけてる……?」
カナタの言葉に思い当たる節があったのか、ミチルは小さく呟いた。その言葉を聞いて、カナタは頷く。
「って、感じだな。反応しなきゃ困るようなことにすら、心に刺激がいってない。……ま、仕方のないことだとは思うんだが……どうにも心配で、さ」
「……似てる、から?」
「……まぁ、それもある。けど、人の気持ちは人それぞれだし……何より、あいつの方が俺よりよっぽど酷い目に遭ってるからな……どんな気持ちかわかる……とは、お世辞にも言えねぇよ……」
いつになく弱気な言葉を吐くカナタ。その途方に暮れた様子を見て、ミチルも心配そうな様子を見せる。
「……でも、私たちにできることなんて……」
「……それも、よくわかってる。人の心の持ちようは、結局その人次第だ。他者が介入することはできない。……けど……!」
歯噛みし、迷うような様子を見せるカナタ。対するミチルも、カナタの気持ちはわかっていた。目を伏せ、叶の心中を思う。そして何かを決めたように目を開け、カナタに向き直った。
「……会いに、行ってみる?」
「……え?」
さすがのカナタもそこまでは考えていなかったのか、ミチルの言葉に驚きを見せる。が、それに構わずミチルは続けた。
「行って会っても、何もできないかもしれない。それは分かってる。……でも、似たような経験をしてるカナタくんがそこまで言うなら、危ない確率が高いと思う」
「…………そうか。……そう、だな」
そう呟いたカナタは、意を決したように立ち上がってベンチに座るミチルを見た。
「オヤジに電話で住所聞いて、会いに行くか。まぁ個人情報だから教えてくれるかは微妙だけど」
「聞いてみるだけ聞いてみようよ、私も一緒にお願いするから」
そうだな、と息を吐いたカナタが立ち上がったミチルと頷きあい、携帯を取り出した。しかしちょうどその時、武具と傘を掴んだタイガが大慌てで公園に駆け込んできた。それを確認して二人は小さく笑い、カナタは二人と別れた後で電話しようと携帯をポケットに突っ込み直して彼に近づいた。
眠りから覚めた叶。体を起こして窓の外を見ると、昼間から眠ったためにもう夜になってしまったようで真っ暗だった。外から雨音がすることから判断すると、昼は晴れていたというのにまた雨が降り出したらしい。
「……まったく……雨が嫌いになりそうね。……もともと好きでもないけど」
愚痴るように呟き、肌寒く感じたので着替える叶。とりあえず時間を確認しようと時計を見ると、深夜2時ごろ。自覚はなかったが、やはり疲れていたのか相当な時間眠っていたようだった。
(あーあぁ……疲れるほど何かしたわけじゃないってのに……)
ほぼ半日眠り続けた自分に呆れ返る叶。しかしその割に空腹も感じなかったので、さてこれからどうしたものかと叶はベッドに腰掛けて考えた。
(……やることない……訳じゃないけど……なんか、そういう気分でもないし……)
溜息を吐き、ふと叶は窓の外を見た。今の自分の気分を表すかのように、しとしとと静かに降っている雨。それを見て、考えをまとめる……という訳ではないのだが、なんとなく散歩がしたくなり叶は玄関へ向かった。家を出て、雨の中傘をさして歩くが……やはり気が晴れることはなく、これからのことを考えずにはいられなかった。
(……あーあ……これからどうすればいいのかな、私……)
文字通りの、一人きり。降り続く雨の音で周囲の雑音は一切聞こえず、その様相がさらに叶の孤独感を強めているようだった。
……適当に歩いていたつもりが無意識に結構な距離を歩いていたようで、いつの間にか叶はどこか見覚えのある場所までやってきていた。そこは奇しくも、あの時カナタに連れられて行った公園の近くだった。
(……あ~あ……ったく。ただでさえ気分が滅入ってんだから、わざわざ嫌な場所に来なくたっていいでしょうに……)
やれやれ、と叶が自分の嫌な方向感覚にげんなりした……その時。以前感じたように、またしても周囲の空気感が変わった。途端に空の色が変わったのを見て、叶はうんざりとした様子で溜息を吐いた。
「……またぁ……?」
隔世だったっけ、とカナタの言葉を思い返す叶。この世界に引き込まれたということは、またあの妖獣とかいう怪物が自分を狙っているのだろう。
(こんなに頻繁に襲われるなんて……私ってどんだけ奴らにおいしそうに見えてるのかしらね……)
そう思い、嘆息する叶。……命を狙われているというのに、叶の心は異常なほどに落ち着いていた。周囲の人間があまりにも簡単に、立て続けにいなくなると、自分の存在すらもどうでもいい、儚いもののように感じられてしまう。特に彼女はそれが唐突だったこともあり、事実に心が追いついていなかったこともあるのだろう。危機感というものが完全に麻痺してしまっていた。
(……どうしよっかな……)
気付けば、怪物が目の前にいた。以前のような、動物をモデルにしたような姿。しかし今回の怪物は……前回が狼とするなら今回は虎、だろうか。全体的に丸みを帯びたフォルム。手足の数は四本だが尻尾がいくつにも分かれており、先端にはサソリのような鋭い突起物があった。
「…………」
叶はあの時のように、妖獣と相対した。しかしやはりあの時と違って、妖獣の爛々と光る目を見ても叶が恐怖を感じることはなかった。……同時に、逃げようという気も起きなかったのだが。
……その時、叶は自らの中に“何か”を感じた。
「……これは……」
自分の中に突然生まれた、燃え盛る炎のような熱い感覚。それを感じ、叶は理屈ではなく本能で理解した。二度も立て続けに隔世に引き込まれたことで、ついに自分の中に眠っていた魔洸が完全に覚醒したのだと。
「……ふーん……今度は、いつも通りに使えそうね……」
試しに叶はその感覚を、いつも現世でやっているように両手に集めてみた。すると前回隔世に引き込まれた時とは違って、いとも簡単に収束させることができた。それを見た叶は、右の拳を思い切り握りしめ、妖獣を睨みつけた。
「……不思議ね……この前はあんなに怖かったのに、今はなんかあんたを見てると……無性にイライラしてくる……」
叶は右足を後ろに引き、勢いよく飛び出せるように足に力を溜めていく。その間も、叶はブツブツと何かを呟いていた。
「……付き合ってもらうわよ……先に手を出してきたのはそっちなんだから、悪く思わないで欲しいわね……!」
言い切り、叶は鋭く妖獣を睨みつける。その瞬間、彼女の全身から魔洸が爆発するような勢いで吹き出した。その様子はまるで、叶が紅蓮の炎に焼かれているかのようで……しかしそれ以上に、妖獣には叶の目が業火のように燃え盛って見えた。その彼女の様子を見て、恐怖からか妖獣は少し後ろに下がった。だが。
「……あああああっっっ!!!!!」
逃がすものかと、叶は身に纏った魔洸で周囲のコンクリート壁や地面を粉々に砕きながら、凄まじい勢いで妖獣に跳びかかった。
「……まぁ、そりゃ無理だよなぁ……」
雨の中、傘をさして歩きながらカナタはぼやいた。ミチルたちと別れてひとりになった後電話で春樹に頼んでみたものの、叶の居場所を教えてもらうことはできなかった。当然ながら個人情報であるし、何よりも……
(“お前が行って、それでどうする? 何ができる?”……って、聞かれちゃあな……)
助けたい、と思ったことは嘘ではない。だが……具体的に何ができるかと聞かれたら、カナタはそれに答えることはできなかった。他者が誰かの心に干渉することはできない。何かを決断し、絶望から立ち直るのに必要なのは、やはり自分自身の心だと……何よりもカナタ自身が痛いほどに、知っていたから。
もはやどうしようもない。気がかりではあっても、自分には彼女を助けることはできない。そう改めて自覚し、カナタが深いため息を吐いた……その時。
……どこからか、爆風のようなものを感じた。
「……っ!? なんだよこの気配……!?」
突然ただならぬ二つの気配を感じ、カナタは驚いてそちらを振り向いた。今感じたうちの一つは、いつも察知している妖獣の気配。だが、それ以上に感じるもう一つは……
「これは、魔洸……だよな? ……なんつう密度だよ、おい……」
異常なほどに濃密な、魔洸の気配。その密度は魔洸がもともと炎のような気配を放っていることもあり、もはや熱風のようなものを感じるほどだった。……だがそこで、カナタは何か違和感を覚えたように訝しげに目を細めた。
「……それにしても……感じたことのないタイプだな。……誰だ……?」
以前叶にも話したように、魔洸には人によって固有の周波数のようなものが存在する。加えてカナタは小さい頃からアジト内に住んでいるために、この地域に派遣されている殲士の魔洸の気配は全て知っていた。……だが、今感じているのはその誰の気配でもない。
「……とにかく、行ってみるっきゃないか」
何にせよ、現場に向かわない訳にはいかない。カナタは傘を投げ捨て、気配を感じた方向に走り出した。
気配をたどって走るカナタ。その現場に近づくにつれ魔洸の気配はさらに強まり、息苦しさを感じるほどになっていた。
「……おいおい……どこのどいつだ、こんな無茶苦茶な魔洸の使い方する奴は……」
感じる魔洸の圧力に、カナタは驚きを通り越してもはや呆れていた。
「こりゃ完全に素人だな……隔世に叩き込まれて魔洸の力が覚醒したパターンか。一般人となると……急がなきゃヤバいな。どうなるか分かったもんじゃねぇ」
一般人が隔世に紛れ込んで魔洸を発現させた場合、少なくともタカトのケースのように魔洸不足で衰弱することはない。カナタの言葉を借りるならば、水中において自力でエラ呼吸ができるようになったようなものだからだ。しかし、人体に蓄積される成分である以上当然ながら魔洸にも個人差と使用限界はあるので、少なくなれば体の動きは鈍くなる。
そうなっては妖獣に対抗できないのでマズい。そう思い、カナタはさらに走るペースを上げた。……が、その途中、カナタは奇妙な感覚にとらわれて首を傾げた。
(……それにしても、この魔洸の気配……どこかで触れたことがあるような……でも殲士の皆とは違う……気のせいか……?)
しばらく走り続け、ようやく見つけた隔世と繋がる世界の綻び。走り続けたその勢いのままにカナタは隔世に突入し、すぐに気配の出所を探した。
「さて、どこだ……? ……近いのはわかるんだが……ダメだ、魔洸が強すぎて逆に絞れねぇ……」
左右を見回すが、すぐには現場が見えない。妖獣の気配を辿ろうとしたものの魔洸の気配が強すぎてかき消されてしまっていて、勘で進むしかなかった。カナタは油断なく武具である日本刀を取り出し、鯉口を切る。柄がポロリと鞘から外れ、すぐに刃を展開できるようになった。ちなみにこの動作、本物の日本刀ならば刃を引く抜くために必要な動作だが刃の部分は魔洸で構成してしまうので本来必要なく、カナタが自分で戦闘態勢に入るという意味を込めてやっているだけなので特に意味はない。
いつ妖獣が現れても良いようにその姿勢を維持したままいくつかの角を曲がって、ようやくカナタは気配の発生源らしき場所に到着した。緊張したまま、カナタは角からそっとそちらを覗き込んだ。……が、カナタはその光景の異常さに息をのんだ。
「……なんっじゃ、ありゃ……」
妖獣と、魔洸を使う人間(シルエットからすると少女)が戦っている。そこまでは、確かにカナタが想像した通りの光景だった。が、まさか妖獣の方が防戦一方になっているなどとは思わなかったし、何より……少女の方が纏っている魔洸の様子が異常だった。……いや、“纏う”、という表現すら生ぬるいかもしれない。それはもはや、“噴き出している”と言ってよいレベルだった。
その少女は妖獣を純粋な肉弾戦で圧倒していた。普通に殴る蹴るは当たり前で、妖獣が逃げようとすると周囲の壁や電柱を足場に跳躍し、跳び蹴りや回し蹴りを喰らわせる。現役の殲士顔負けの身体能力だった。
……と、そこでようやくカナタはその少女の顔に見覚えがあることに気付いた。しかし、その顔を見てカナタは驚いて硬直した。
「……広橋……か……!?」
まさかこの短期間に二度も妖獣に襲われたというのか。プロと言っていい殲士であるカナタが驚愕で動けなくなっている間にも、叶は妖獣と戦い続けていた。
いい加減にしろとばかりに、妖獣が叶に跳びかかる。が、叶は妖獣の顔面を飛びながら回し蹴りをすることで蹴り飛ばし、倒れ伏させた。度重なる叶の攻撃によって疲弊させられたようで、妖獣は弱々しく呻くのみでついに体を起こすことすらできなくなったようだった。その妖獣に、叶はカツカツと歩み寄る。
「…………」
叶は無言で右手に魔洸を収束させる。真紅の炎のように魔洸が燃え盛り、叶は妖獣のすぐそばまで歩み寄る。妖獣を無表情で見下ろした叶はそのまま止まることなく妖獣の首元に右手の指を揃えて突き付け、引き絞るように思い切り後ろに引いた。その瞬間さらに高密度の魔洸が纏わりつき、ドリルのように鋭く尖った形状に変化する。
そして、叶は妖獣の首に止めを刺そうと手刀を突き出した。
……が。手刀を突き入れる寸前に突然叶は動きを止めた。
「……何やってんだろ、あたし……」
首元に突き付けていた手を外し、叶はフラフラと妖獣から離れる。叶の手から魔洸が霧散した途端に妖獣は体制を立て直し、一目散に逃げて行った。カナタは一瞬反射的に妖獣を追おうとしたがすぐに見失ってしまったので諦め、状況把握を優先しようと叶に駆け寄った。
「おい、お前……」
「……悪かったわね、八つ当たりに付きあわせて……」
「おいってば、広橋!」
カナタが話しかけるが叶は気付かなかったようで、何事かブツブツと呟いていた。カナタが肩を掴んで少し揺さぶると、ようやく彼女はカナタの存在に気付いたようで振り返る。ちょうどその時、二人は現実世界に復帰した。
「……あぁ、ハルカか……」
「ハルカか、じゃねぇよ! お前、なんでまた隔世に……!」
「……私が知るわけないでしょ、そんなの……あいつが、よっぽど私を食べたかったんじゃないの……」
「……いやまぁ、そりゃそうとしか言えないだろうけど……」
どこか叶の様子に違和感があったカナタは、とりあえず移動しようと例の公園に叶と歩いていた。途中ミチルに連絡しようかと首元に手をやりかけたが、特に人的被害があったわけでもないのでいいだろうと考え直し、とりあえず叶から何があったのか聞くことに集中することにした。
「……じゃあ、立て続けに隔世にブチ込まれたせいで魔洸が発現したんだな……」
「……みたいね」
「……にしてもとんでもねぇ量だな! 少なくとも俺はこんなに大量の魔洸を持った人間は初めて見たぜ!」
「……あっそ……」
「……は、はは……」
なんとなく気まずい空気になったので無理に明るく話しかけてみたものの、見事に無視されてカナタは口元を引きつらせた。とりあえず空気を変えるのは自分には無理だと判断し、タイミングよく公園に到着したこともあって、カナタは気持ちを切り替えて直球で聞いてみることにした。
「……お前、妖獣からなんで逃げなかった? 魔洸が使えるようになったっつっても、恐くなかったのかよ?」
「……別に……あいつ見てたらなんか、理由もなくイライラしてきて……今思えば、意味のない事したもんだわ……」
「……意味が、ない……?」
意味がないという言葉に疑問を持って聞き返したカナタに、叶は公園の中ほどで立ち止まり、淡々と返した。
「……そうでしょ……妖獣だって、生きるために人を襲って、食べてるだけ……生命維持のために食事をするってことなんだから、私たちと何も違いやしない……そのことを憎んだり恨んだりするのは、お門違いよ……」
「…………」
自分で言葉にしたことで何かが折れてしまったのか、雨の降りしきる中で力なく膝を着く叶。その様子を見て、カナタは戦慄と共にようやく完全に理解した。薄々わかってはいたが、この少女……物分かりが“良すぎる”。自分が襲われ、親を殺されたというのに……妖獣の都合まで考えてしまっている。命のサイクルの一部として、それが仕方のない事なのだと割り切ってしまっているのだ。
だから、自分の命がいつ失われてもおかしくない……いや、この様子では“失われても構わない”、とすら思っているだろう。……それほどまでに、命というのは儚いものなのだから。自殺願望、とは違うが……叶からは生きるために努力しよう、という気力そのものが失せてしまっているように、カナタには見えた。
……もし、また妖獣に襲われたら……
……この少女は、無抵抗に殺されようとするかもしれない。
…………そんな恐怖に囚われ、カナタは激しく雨が降りしきる中で、まったく動こうとしない叶を見下ろすことしかできなかった…………
はい、前回よりもさらに絶望的な状況に叶を放り込んで三十話は終わりとなります。
さて、時間がかかった理由ですが……次話も同タイミングで投稿したかったのでその完成まで温めていたからです。活動報告にも書きましたが、実は追憶編って五月下旬から六月くらいまでの時系列設定なんですね。なので、一気に書いてしまいたいと思いまして。
ということで次話、追憶編最終回は、来週の土曜の正午に更新予定です。次回予告できるなんて最初で最後じゃないかな……実は次回のタイトルのために、続き物タイトルをやめたんですよね。
次回、「明日之望」。お楽しみに。
では、次でもお会いできることを願いまして。