二話 戦士帰還
第二話です。ようやく物語が動き出します。では、どうぞ。
「あの……だいじょうぶ?」
カナタがもう一度声を掛けるが、少女は目を見開いたまま何の反応も返さない。そんな彼女に、カナタはもう一度質問を投げてみた。
「こんな天気の日に、こんなところで何してるの?」
しかし、少女は答えてくれない。とりあえず、とカナタは少女が濡れないように傘を少女の上にかざした。さてどうしよう、とその状態のままカナタが少し困っていると、
「……帰りをね、待ってるの」
と、少女が小さな声で返事をした。
「帰りって、誰の?」
「……だいじなひと。ちょっと前からね、帰ってこないの」
そう言うと、少女はまた俯いてしまった。
「そのちょっと前って言うのがいつだかは知らないけど……そんなに長い間帰ってきてないの?」
「……まだみたいだね」
カナタの言葉を聞いた少女は、なぜか泣きそうに顔を歪め、さらに俯いてしまった。それを見て、自分のせいだと思ったカナタは慌てた。
「あの、えっと、とりあえず家に帰ったほうがいいよ?そんなにずぶ濡れじゃ風邪引いちゃうし……」
「……ううん、大丈夫。もうしばらくここに…………クシッ」
と、言っているそばから少女は控えめなくしゃみをした。それを見たカナタは、自分の鞄からタオルを取り出し、少女の頭を拭いた。少女は驚いて身じろぎしたが、カナタは気付かずに少女の頭を拭き続けた。しばらく続けて、だいたい頭の水気を拭ききれたと思ったカナタは、少女からタオルを外して、びっくりして目を見開いている少女に笑いかけた。
「はい、だいたい髪は乾いたよ」
「……ありがと」
カナタがタオルを鞄にしまっている間にも、少女はカナタを見つめていた。カナタが再び少女に顔を向けたとき、少女にどこか戸惑ったように見つめられていたので、カナタは不思議そうに首を傾げた。
「?どうかした?」
「……どうして、そこまで親切にしてくれるの?」
少女は困惑したように、そしてどこか悲しそうにカナタを見つめていた。
「どうしてって……だって寒そうだったし」
「でも……私のこと知らないんだよね?」
「うん……確かに会ったことはないと思うんだけど……なんだか君って、他人のような気がしないんだよね。なんだか、とっても懐かしいっていうか、安心するっていうか……」
その言葉を聞いて、少女はまた少し悲しそうな顔になった。それを見てカナタは不思議に思ったが、追求することはしなかった。
「それで、君の家はどこ? 傘持ってないみたいだし、送るよ」
「えっ……いいよ、悪いから」
「そんなことないよ。いいから、ほら」
そう言って、カナタは少女の手を掴み、ブランコから立ち上がらせた。少女は驚いていたようだったが、抵抗することはしなかった。その後少女は気が変わったのか、カナタに向かって頷いた。
「……ごめん、じゃあよろしくね」
「うん、オッケー。……あ、そういえば君、名前は?僕は、ハルカ カナタ」
カナタが名乗ると、少女はまた少し悲しそうにしたが、すぐにカナタの方に向き直り、言葉を発した。
「……ノゾミ。アスノ ノゾミよ」
カナタとノゾミは、並んで雨の降る町を歩いていた。二人の間に会話はない。ずっと隣り合わせ出歩いていたのだが、ノゾミは相変わらず俯いたままだ。気詰まりな雰囲気に耐えられなくなったカナタは、ノゾミに話しかけた。
「ねぇ、大事な人を待ってるって言ってたよね? どうして、あの公園で待ってたの?」
「……あそこはね、特別な場所なの。その大切な人との、思い出の場所。私が待っているその人も、あの公園を大切なところだと思ってくれていた。だから、あそこで待ってたら、会えるかもしれないと思って」
ノゾミの表情はカナタには見えなかった。しかしノゾミの声色には、その人物に対する確かな想いが込められていた。
「……そっか。本当に大切な人なんだね。どんな人なの?」
それを彼女に聞いたらノゾミに辛い思いをさせるかもしれないとは思ったが、どうしても聞いてみたくなって、カナタはノゾミに尋ねてみた。
「……大雑把で、乱暴で、ぶっきらぼうで。でも、本当はすっごく優しいんだよ。ほかの人に対してすごく親切なんだ。相手がどんな人でもね、困ってると、助けちゃうの」
「へぇ、すごい人なんだね。誰にでも優しくできるなんて、本当にすごい」
その人のことを聞いて、カナタは素直にすごいと思った。誰にでも優しくできて、誰でも助けようとする人なんて、そうはいない。しかしカナタの言葉を聞いたノゾミは、おかしそうにクスリと笑った。
「君だってそうじゃない。初対面の私に、ここまでしてくれるんだから」
「え? そんなことないよ。誰だってこれぐらいするでしょ」
「しないよ。普通は見ず知らずの他人を助けようなんて思わない。そもそも、心配しようとさえしないよ」
「いやだって、あのままじゃ風邪引いちゃいそうだったし、なんだかほっとけなかったし……」
慌てたようなカナタの声を聞いて、ノゾミはまた笑った。
「ふふっ。本当に優しい人っていうのは、君みたいに自分が優しいって自覚してない人なんだよ。自覚がないってことは、変に意識してないってこと。だから、不自然なく人助けができる。君みたいな人は、そうはいないよ」
「…………そう……かな」
立て続けに褒められて、カナタは照れくさくなってノゾミから目を逸らした。その様子を見て、またノゾミが控えめに笑う。その笑顔を見て、カナタは、笑った顔も可愛らしいのだな、と少し見とれてしまった。
しかし次の瞬間、周囲の空気感が変わった。
「!?」
カナタはいきなりの違和感に驚いて周りを見回していたが、ノゾミは視線を鋭くして一点を睨みつけていた。少し経ってノゾミが何かを睨んでいることに気付いたカナタは、ノゾミが見ているのと同じ方向を見た。そこにいたのは、大柄な男だった。しかし、どこか明確に何とは指摘できないが、違和感があった。
「なんだろう、あの人……? 道にでも迷ったのかな?」
「……違う。あいつは、そんなモノじゃない。……来る! 伏せて!」
「えっ!?」
突然、ノゾミはカナタを地面に押し倒した。訳が分からず慌てたカナタだったが、
ドガン!
さっきまで自分がいた場所のアスファルトが粉々になったのを見て、カナタは絶句した。その破壊の延長線上にいたのは、先ほどの男性だ。いや、もはや人間の見た目ではなくなっていた。
「なに……あれ……?」
その“男性だったモノ”は鋭い目を青く爛々と輝かせ、口からは何本も牙を生やした怪物に変貌していた。四肢は人間にはありえないほど太くなっていて、さらに全ての指が荒々しい鉤爪になっていた。
「あれは、妖獣。人を無差別に襲う獰猛な魔物よ。……アレの相手は私がするわ。君は早く逃げて!」
「えっ、君は!?」
「私はアレを倒さないと。それができるのは、今は、私だけよ。だからあなたは早く逃げて!」
そう叫んだ後、ノゾミは妖獣に向かっていった。妖獣はノゾミを見て、飛び掛かろうと力を溜めている。その隙を逃さずノゾミは驚異的なスピードで妖獣に肉薄し、右手を着ていた服の背中に入れると、そこから大き目なナイフを抜き放った。しかし、それは“柄”だけだ。それを見て、動けずにいたカナタは疑問を抱いた。
「……刃がついてないのに、どうやって攻撃するつもり……え!?」
ノゾミがそのナイフの柄をかざすと、真紅の輝きがノゾミの右掌から迸り、その柄の先でナイフの刃を形作った。
「……祓光!」
そしてそのナイフを、まさに飛び掛かろうとしていた妖獣の肩口に突き立てた。
「ギャオオオ!!」
妖獣は痛みを感じたのか、後ろによろめいた。その隙を見逃さず、ノゾミはナイフを立て続けに斬りつけた。
「ウルァ!!!」
「きゃっ!?」
しかし、逆上した妖獣に振り払われてしまった。そのまま近くのブロック塀に激突してしまい、息が詰まる。さらに背中に強い衝撃を受けたせいで動けなくなってしまった。そのノゾミに、妖獣がゆっくりと近づいていく。
「くっ……」
ノゾミは立ち上がろうとするが、いまだに立ち上がれずにいる。どうやら足首を挫いてしまったらしい。そんな彼女の元に妖獣が辿り着き、ニヤリと笑う。そしてノゾミを殺そうと、その大きな口を開け、ノゾミに食らいつこうとした。が。
「やめろぉぉぉ!!!」
という叫び声が聞こえた。慌てて、ノゾミは叫び声が聞こえたほうに目をやった。叫んだのは、とっくに逃げたと思っていたカナタだった。
「ちょっ! どうして逃げなかったの!?」
「そんな危ない奴の前に、君だけ残して逃げるなんてできる訳ないだろ!」
「でも……“今の”あなたに何ができるの!?」
“今の”、という言葉に一瞬疑問を感じたが、構わずカナタは続けた。
「確かに、僕には何もできないかもしれない。でも、目の前で倒れてる誰かを、見捨てることなんてできないよ!」
そう言った後、カナタはノゾミに、気弱そうながらも芯の感じられる顔つきで微笑んだ。
「大丈夫、君は僕が守ってみせるから……」
―――大丈夫だ、お前は俺が守ってみせる―――
「……!!」
そのカナタの言葉を聞いた瞬間、ノゾミは驚愕に目を見開いた。その言葉は、彼女の大切な人が、彼女に向かってかつて発した言葉にそっくりだったからだ。しかし、カナタにはノゾミの反応に構っている余裕はなかった。
「ガァァッ!!」
「くっ!?」
妖獣がいきなり飛び掛ってきたが、カナタは間一髪横に転がって避けた。しかしどうにかなったと気を抜いた瞬間、背後から強烈な体当たりを食らった。
「ぐあっ!?」
地面の上を転がされ、一瞬の強烈なインパクトによって肺から息が追い出された。息が詰まるが、それをこらえて立ち上がり、今度は自分から妖獣に向かっていく。しかし思いきり腹部を蹴り飛ばされ、振り払われる。
「うっく!?」
そんなことを何度も繰り返した結果カナタはボロボロになり、立つのも辛いほどになってしまった。しかし、妖獣がノゾミの方に向かって歩いていくのを見て、カナタは慌てた。
「待っ……!」
しかし妖獣はカナタに構わず、ノゾミの方に向かっていく。挫いた足首の傷は思った以上に重症のようで、ノゾミは未だに立ち上がれずにいる。そんなノゾミの元に妖獣は辿り着き、“嗤った”。これから殺す目の前のエモノに、舌なめずりしている。そして、その巨大な口を開いた。
「こっの……!!」
その妖獣の表情を見た瞬間、カナタは頭が沸騰しそうなほどの怒りを感じ、妖獣の口とノゾミの間に割り込もうとしたが、距離が開きすぎているために間に合わない。悔しさと怒りに押しつぶされそうになりながら、カナタは叫んだ。
「やめろぉぉぉぉぉぉ!!!」
―――目の前が真っ赤に染まり、頭の中でなにかが切り替わった気がした―――
ノゾミは、自分はもう終わったと思った。だから、目の前にニヤニヤと嗤う妖獣が立ったとき、諦めて目を閉じた。“彼”に会えないのなら、もうこの世界で生きている意味などない。やっと会えた“彼”は、自分のことが分からなかった。つまり“彼”は、“負けて”、“喰われて”しまったのだ。“彼” はもう、“彼”ではない……。そして、ノゾミは食われる瞬間を待った。
しかしいつまで経っても、自分が食われる瞬間が訪れない。不思議に思ったノゾミは目を開け、目の前の光景に絶句した。
妖獣の大きく開かれた口を、カナタが素手で押さえつけていたのだ。どれほどの力で押さえつけているのか、妖獣の顎の骨がミシミシと軋む音がしている。全身に血のように赤い何かを纏っている。そして、それはノゾミにとっては見慣れたものだった。
「魔洸……!? でもどうしてあなたが……!?」
その瞬間、ずっと黙っていたカナタが言葉を発した。
「……おい、テメエ。“俺“の仲間に何してくれてやがんだ?」
発せられたのは、普段のカナタならまず口にしないような口調、そしてセリフ。しかしそれは、ノゾミにとって聞き覚えのある……どころか、耳に馴染んだ声と口調だった。
「……隼人!?」
「……おう、叶。悪いが話は後だ。まずはこいつを潰す」
そう言った瞬間、カナタ……いや、“隼人”は妖獣を思いきり突き飛ばした。
「ガウゥ!?」
真紅の何かを纏った隼人は、妖獣に向かって歩きながら顔を上げた。その瞳は、真っ赤に輝いていた。肩甲骨のあたりから血色の光が膨れ上がり、それが爆発するように破裂した後、翼を形作った。しかしそれは、“右翼”だけだ。口元を獰猛な笑みの形に変え、隼人は言い放った。
「さぁ、行くぜ!」
“彼”は、帰ってきた。
はい、第二話でした。隼人くん初登場。さて、これからどうなることやら。
……正直私にもわかりませんが、今後ともよろしくお願いいたします。では、次でもお会いできることを願いまして。