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チャンス4. 真摯な願い



「さて。それじゃあ、作戦タイムといくか」

 時刻は夕刻。

 叶の病院から翔機のアパートに帰った二人は、部屋の中心で正座して顔を突き合わせていた。

「先に言っておくが、今晩、最終決戦を仕掛けようと思う」

「ちょ、ちょっと! あんた、傷は大丈夫なの!?」

 無意識に翔機が傷をさする。

 正直、とてもじゃないが全快とは言えない状態だ。

「……確かにキツいが、体が動かないほどじゃない。鎮痛剤も用意してあるし……この感じから言って、致命傷でもなさそうだ。……大丈夫。慣れてるから、判断の正確さには自信がある」

「…………」

「……そんな顔するな。昔のことに関して、お前がネガティブな感情を抱く必要はない」

 その通りだが、だからといって簡単に割り切れるほど、アルテミスは冷血ではなかった。

「それよりも勝機を……チャンスを、探そう。そこそこ常識の通じそうな奴ではあったけど、だからって寝込みを襲われたり、闇討ちされる可能性がゼロとは言えない。だから、早い内にこっちから仕掛けるのが最善だと思う」

「……理屈はわかるわ。でも、正直……かなり厳しいと思う」

「そんな難しく考えるな。日本のことわざには『困難は分割しろ』ってのがある。……ん? ことわざじゃないか?」

「そう。つまり、問題を小さく分けて考えるってことね?」

「おう。難しそうな問題も順序だてて考えていけば、そんなに絶望的なことにはならないさ。まず、今晩決着を着ける……つまり、今晩の戦いでガイアとそのパートナーに勝つというのが前提だ」

「勝つ……ということは、①ガイアを殺す、②パートナーを殺す、③リンクを断つ、のいずれかを行うということね」

「そうだな。そして、①ガイアを殺すっていうのは、現実的じゃない」

「……そうね。口惜しいけど、あたしの力と魔力じゃあ、ガイアを殺すことは難しいわ」

「そこで、個人的に一番期待しているのが③リンクを断つってやつなんだが……ガイアとそのパートナーのリンクがどうなってるか、知ってるか?」

「……あたしとあんたが、ペンダントという物理的なもので繋がっている事実を考えると恥ずかしいけど……ガイアは最も理想的なリンク、魔力によるリンクだと思うわ」

「魔力?」

「ええ。目には見えないし、形もない。……外部から断つのは、不可能と言っても過言ではないわ。もし魔力によるリンクが切れることがあるとすれば、ガイアの魔力が尽きた時くらいでしょうね」

「魔力が尽きる……」

 なにか引っかかりを覚え、思案する翔機。

「そう言えば、アルテミス。お前の魔力は、どうなってる?」

「え? ああ。じゃあ、話しながら回復させるわ」

 そう言って玄関まで歩いて行き、今はサンダルの形状になっている純銀を持ってきた。

 ガイアとの戦闘後、治癒にも魔力を使用したためか、サンダルは真っ黒になっている。

「おいおい……随分汚くなってるな……。大丈夫なのか?」

「失礼ね……。シルバーアクセサリーだって、放っておいたらこうなるでしょ?」

 銀を馬鹿にした翔機を軽く睨みつつ、どこから出したのか分からないケアセットで、アルテミスがサンダルを磨く。

 洗浄液に十秒ほど浸け、軽くブラシで磨いただけで、サンダルは一気に銀の輝きを取り戻した。

「う、うお! すげー……。なんだよ。これなら、魔力の補充だって簡単にできるじゃないか」

「……無理言わないでよ。戦争中に「すいません。ちょっと銀を磨くんで、攻撃待ってもらえますか?」って、誰が言うこときくの」

 その通りだった。特撮番組じゃあるまいし、準備・変身中のヒーローを放置するはずがない。

 洗浄液とブラシで手入れした銀は、その後、シルバーダスターでさらに磨きをかける。

「はい、完了~。うーん。このキラキラ感! やっぱり、銀はいいわね~!」

「女の子は光り物好きだよなぁ……」

「でも、こんな風にピカピカした銀もいいけど、やっぱり最上級に燻されて、最高の技術で彫金されたシルバーアクセサリーが一番よねぇ……」

 ウットリ……と、恍惚とした表情をしながら銀に想いを馳せるアルテミス。

 翔機は改めて、アルテミスが銀の精霊なんだなぁ、と思った。……端から見ると、単にシルバーアクセサリー好きの女の子と大差ないが。

「話が逸れた。えっと……魔力の話、だったか? ……そうだ。アルテミスの魔力源が銀なら、ガイアの魔力源ってなんなんだ?」

「そりゃ大地の精霊っていうくらいなんだから、大地でしょ」

「……魔力、尽きねぇな……」

 再度、アルテミスが最弱の精霊であることを認識する。

銀と大地では、そもそも規模からして、ハンデがありすぎる。

「となると、消去法で②パートナーを殺す、になるわけだが……」

「……難しいわね。ガイアが援護してくるっていうのを抜きにしても、ガイアのパートナーにはあの鞭があるし……」

 嫌な記憶が甦ったのか、アルテミスが苦い顔をしながら言う。

「そういえば、あの鞭ってなんなんだ? 魔力を借りる、とか言ってたような気がするけど、なんかの便利アイテム?」

「……『契約特典』、だと思うわ。精霊と契約すると、何の能力も無い人間が戦えるように、精霊からパートナーへ武器を授けられるの。あの武器はたぶん、ガイアの魔力を使って武器そのものを大きくしたり、長さを調節したりできるんでしょうね……」

「へぇ~、そうなのかぁ……って、おい」

 翔機がたまらずツッコミを入れる。

 当然だ。今の話の中には、かなり重要なキーワードが含まれていた。

「あのぉ~……アルテミスさんや。つかぬ事をお伺い致しまするが、私の『契約特典』とやらは、ないのでせうか……?」

「……あるわ」

「あるのかよっ!」

 てっきり、アルテミスが最弱の精霊なので「そういった特典はない」、という返答が来ると覚悟していた翔機だったが、予想外の展開に驚く。

 もし翔機も戦闘要員として機能するようになれば、一気に勝算が出てくるからだ。

「なんだよ、そういうことは早く言えよ! 最初からその特典使ってたら、昨日の晩に勝ってたかもしれないじゃないか!」

「……えないの」

「え? なんだって?」

「だから……使えないのよ……。あたしの契約特典はね……〝真摯な願いが叶う〟ことなの」

「はあっ!?」

 驚愕する。

 その驚きは決してマイナスのものではなく、むしろその対極――プラスすぎる驚きだ。

 なにせ、願いが叶う。

 手段と目的が入れ違ってしまうが、もし願いが叶うなら、そもそも翔機は戦争などする必要がない。アルテミスとの契約特典で「叶の病気を治してくれ」と願うだけで、翔機の望みは叶う。

 だから、翔機のテンションはこの上なく上がっていたのだが――

「……二番目の」

「……はあ?」

 今度は、純粋に疑問だった。

「だから、あたしの契約特典は……〝銀に祈れば、その者の二番目に真摯な願いが叶う〟ことなの。だから、使えない。……〝真摯〟なのに〝二番目〟っていうのが、どう考えても矛盾してるわ。普通、真摯に願う望みは、自ずと一番になるはずよ」

「はあ……」

 そして、落胆だった。

「あんたの場合、真摯な願いは妹さんの病気の治癒でしょ? でも、その願いが二番目になることなんて、ありえない。そして二番目になったら、その願いはきっと、真摯じゃなくなってるはずよ」

「なるほど……残念なほど残念な事実が、残念すぎることがわかった……」

 本当に残念だ。無念しか残らない。

「……さて、話をまとめよう。今晩、俺たちはガイアとそのパートナーに最終決戦を挑むわけだが、その勝利条件としては②パートナーを殺す、を選択するしかない」

「そうね」

「向こうのパートナーはガイアの契約特典で武装しており、ガイアの援護・介入もある中で、向こうのパートナーを殺すか、いつでも殺せる状況にまで追い詰めて、ガイアに交渉する」

「……この切羽詰まった状況で、まだガイアのパートナーを生かす算段をするあんたは、ちょっとカッコいいわ」

「よし、困難の分割は終わった。戦争の方針も決まった。……では、その方針を実現するためには、具体的にどんな手段・作戦をとればいいだろうか? ……どうかな、アルテミスくん?」

「……はっきり言って、こういう非現実的なプランを考えるのは、翔機の役目だと思っているわ」

「はっきり言うな!」

 元気よくツッコんでみたものの、翔機自身も大してアルテミスの考えには期待していなかった。

 別に頭が悪いわけではないが、アルテミスは悪巧みとか知略とかが苦手分野っぽい、というのは常々感じていたからだ。

 だから、最初から翔機が考える必要があった。

 翔機が見つけるしかないのだ。

この、絶望的な状況をひっくり返す、一発逆転の作戦……チャンスを――!

「……なあ、アルテミス。俺と、えっちぃことをしないか?」

「――っ!?」

 翔機のセクハラ発言に赤面し、銀色パンチをお見舞いしようとしたアルテミスは……ギリギリの所で拳を止めることに成功した。

 いくらなんでも、この局面で意味の無いセクハラ発言をするような人間だとは思えない。その程度には、翔機のことを信頼していた。

「……っ。話を、聞こうかしら……」

 プルプルと震える拳を押さえたまま、無理矢理に笑顔を浮かべて話の続きを促す。

 それに黙って頷いた後、翔機は例の宝箱型のトランクから、一枚のディスクを取り出した。

「……これは?」

「俺のお気に入りのゲームの一つ。このゲームにも、魔力や精霊が登場する」

「! そ、それで……?」

「うむ。このゲームでも、主人公とその精霊が、強大な敵を相手に苦戦する展開になる。その時、どうしたと思う?」

「……どうしたの?」

 アルテミスに考えるつもりはないらしい。

 それよりも早く続きを話せ、と息巻いている。

「えっちぃことをした」

「!?」

「それは、単に少年誌でありがちな『ラブパワーで敵を倒すわ!』みたいなものじゃない。魔力というものが、性行為と密接に関係していることを利用したのだ」

「…………」

 性行為、という言葉を聞いて、アルテミスの白い顔がバラよりも真っ赤になった。

「男の主人公と女の精霊が性行為を行うことにより、主人公が持っていた人間としての生命力を精霊に受け渡した。その生命力を精霊が魔力に変換し、魔力の増大を図ったわけだ」

 説明しつつ、翔機がゆっくりとアルテミスに近寄る。

 真っ赤な顔で慌てたアルテミスは、口をあわあわさせながら後退り……高さの低いベッドに躓いて、その上に寝転ぶ形になった。

 身に纏った薄いドレスがシーツの上に広がり、扇情的な光景を作り出す。

「……安心しろ。俺はこう見えても、経験豊富だ」

「……っ。ふぃ、フィクション、でしょ――ひゃあんっ!」

 なんとか反論したアルテミスだったが、頬に翔機の手が優しく添えられ、思わず可愛らしい声を上げてしまう。

「思ったよりも敏感だな……アルテミス……」

「ふゅゃ……ちょっ、と……耳、ダメ……っ」

「ここが弱いのか? 可愛いな、アルテミス……」

「ふぅわっ……んっ」

左頬に右手を添えたまま、親指で耳を撫でてやる。

アルテミスが真っ赤な顔で、力無くフルフルと震えた。

「ふぁ……も、もう、本当にっ、やめ……っ」

「……やめていいのか?」

「……っ。……っ」

 ……耳元で囁かれ。

……吐息がかかり。

実はかなり好みだった低音の翔機の声が、アルテミスの全身を包み込んでいく。

「…………ぅ」

 涙で潤んだ目を薄っすら開くと、翔機の顔が間近にあった。

「…………」

 数秒間、潤んだ瞳と切れるほど鋭い目で見つめ合った後――

「――……」

 アルテミスは、なにかを覚悟するように、きゅっと目を閉じた。

 視界がなくとも、気配でわかる。

 翔機が、近づいてきているのが……わかる。

「…………っ」

 怖い、とアルテミスは思った。

しかし……早鐘を打つ自分の鼓動を聞きながら、どこか、それと同じくらいの幸せも感じていた。

「アルテミス……本当に綺麗だ……」

「……っ」

 そんな声がほぼゼロ距離から聞こえ、アルテミスの胸の鼓動はピークに達し――


「……あ。でも、お前の魔力源って銀なんだった! いやぁー、失敗、失敗! そっか、そっか。じゃあ、生命力を魔力に変換とかできないよなー!」


 と、翔機があっけらかんとして笑い、

「…………」

 アルテミスが数秒間惚け、

「「…………」」

 二人してしばらく沈黙した後。

「~~~~~っ!!」

「いや、ちょっ!? アルテミスさん! なに銀のサンダルをブーツに変換しているんですか!? え、それ、ひょっとして今から俺、食らうの!? ねぇ! それって確か、アルテミスさんの最強の攻撃だったはずじゃあ――るぱんっ!?」

 その後、二人のファーストコンタクトのリプレイ……翔機の『スーパー土下座タイム』 が始まった。



「待たせたな」

 夜。

 再び深夜の学校にガイアとそのパートナーである美咲を呼び出した翔機は、五分ほど遅れてから登場した。

 とある逸話になぞらえて相手の集中力を乱す……というのが言い訳で、実際は、考えていたよりもずっと準備に手間取ってしまったせいだ。

「随分と余裕……のようでは、なさそうだな。加減してやったとはいえ、やはり私の一撃は応えていたか」

「…………」

 翔機はちろり、と隣のアルテミスを見る。

「……謝らないわよ」

 アルテミスの会心の一撃は、奇跡的にガイアがダメージを与えた場所と同じ所にヒットしたのだ。それでも生きているのだから、翔機の生命力もすごい。

 ……もちろん、アルテミスなりに手加減していたというのもあるが。

「ていうかぁ~、めんどくさくない? せっかく見逃してあげたんだからぁ~、大人しくリンクを解除して負けちゃえばよかったのにぃ~」

 美咲が面倒くさそうに頭をかく。

 隣のガイアは、目を瞑って何かを考えているようだ。

「……小僧。私は極力、人間も精霊も殺したくない。……だが。お前たちがどうしても退かないというのなら、仕方があるまい。今夜、この時、この場所で、リンクを断たないのなら、私は貴様の生命を絶つ」

 閉じていた目を開くガイア。

 その双眸の奥に見える覚悟は、本物だった。

「…………」

 死ぬ、と翔機は思った。

 今夜、この戦争で、もし、しくじれば……確実に自分は命を落とす。

 その事実を認識した上で、自分の望みを確かめる。

 翔機の望み。

真摯な願い。

 妹の――叶の、記憶。

「…………」

 その望みが、己の命よりも大切であることを再確認した翔機は、前髪をかき上げた。

 そのまま、ボサボサと……頭全体をわしゃわしゃかき回す。

 整髪料をベッタリつけ、ブラシで梳いて無理矢理に撫で付けていた髪が……本来の、ギザギザと逆立つ自然な位置に収まる。

 前髪も自然に跳ね上がり……その下にある、殺人鬼でも震え上がりそうな目が、顕になった。

「っ!?」

「…………っ」

 美咲が見てとれるほどに動揺し、ガイアも少なからず息を呑む。

 長い時を生きた精霊さえも驚く自分の目付きに、翔機は若干傷ついたが……今、この瞬間において、それは武器になる。

「俺も今夜は本気で行く。この魔眼に射殺されたくなければ――降伏しろ」

「っ。が、ガイア……」

 主人公を目指すべく、一番上まできっちり留めていた制服のボタンを順番に外しながら翔機が呟くと、美咲がさらに不安そうな顔をした。

 それほどまでに、翔機の目は危険な色を孕んでいる。

「……落ち着け。ハッタリだ。奴の目付きは確かに異常だが、魔力の類は感じない」

「本気で言っているのか? おい、豊水先輩。あんたなら、聞いたことがあるんじゃないか? 俺が、この学校でなんと呼ばれているのか――」

「〝災厄の魔眼〟……!!」

「……なんだ、それは」

「思い出したわ……。あの坊や、『最悪』を予知できる魔眼を持っていると噂されているの……。春頃にあった球技大会で、あの子の所属したチームが全試合引き分けになって、ジャンケンで勝敗をつけたんだけど……あの坊やが代表になって、全ての試合を『勝ち』にしたのよ……っ!!」

「…………」

 ガイアが探るような目で、翔機の目を――魔眼を、見る。

 もちろん、ハッタリだ。

脇役で一般人な翔機に、そんなとんでも能力などあるはずがない。

 球技大会で引き分けになった五試合のジャンケンの代表になり、たまたま五連勝しただけの話。そしてそれを、翔機自身が「俺の目は魔眼だったんだ!」と大騒ぎしただけのエピソード。

 しかしこの場合、重要なのは『翔機自身が己の魔眼を信じている』点である。

 長い時を生き、人々の真偽を量り続けたガイアにすら、そのハッタリが見破れない。

「……確かに、可能性はゼロではない。だが安心しろ、美咲。敵に未来視があったとしても、私達の有利は変わらない。なぜなら、昨晩の私達は圧倒的に勝利したからだ。奴の目が本当に未来視だったとしても、私達の力に太刀打ちはできない」

「……そ、そうよねぇ~! 昨日とか、超ラクショーだったしぃ~!」

 不安を紛らわす意味もあるのだろうが、美咲が無理矢理に自分の調子を取り戻し、ガイアに合わせた。

 ここでガイア達が臆し、降伏してくれることが最良だったのだが……やはり翔機が思っていた通り、現実は甘くなかった。

 だから、ここから先の作戦も、ちゃんと考えてある。

「――試してみるか?」

 ガイアが翔機にそうしてきたように、この時の翔機も、心底相手を見下した顔をして失笑する。

「豊水先輩はともかく……ガイア、お前の目まで節穴だとは思わなかったよ。正直、ガッカリだ。これで俺は、豊水先輩を殺すか、お前を殺すしかなくなった」

「…………」

 不安というものは、一点でもあれば、そこから次々に侵食していく。

 これで、もし仮に翔機の魔眼がまったくのハッタリであったとしても……今後、ガイアと美咲は、その魔眼に注意を払わなければいけなくなったのだ。

「ほら、遠慮しなくていい。豊水先輩。あんたの自慢の鞭で、俺をぶん殴ればいいだろう? アルテミスを気絶させた時よりも強く、思いきり俺を殴りに来いよ」

「……どうするのぉ~、ガイアぁ~?」

 口調は保ちつつも、翔機の強気な態度にかなり不安を増大させられている。

 ガイアはできるだけ冷静でいようと思い、状況を整理し、思考を行っているが……そもそも『冷静でいよう』とする時点で、翔機の作戦に嵌っていることに気づかない。

「……いいだろう。小僧の未来視が本物であるか確かめる意味でも、初手は君に任せる。私の魔力を存分に使い、確実に小僧を殺せる威力の攻撃を行ってくれ」

「……あたしぃ~、やっぱり人殺しとか苦手なんだけどぉ~」

「小僧の未来視が本物なら死ぬことはないだろうし、それがハッタリで死んでしまったら、自業自得だ。君が気に病む必要はない」

「じゃあぁ~……やっちゃうわよぉ~!」

 美咲が鞭を構え、翔機に全力で振るう。

 鞭の先端は、翔機の目前でアルテミスを攻撃した時の二倍以上に膨れ上がり、大型トラックぐらいの大きさとなった。

直撃すれば、間違いなく翔機は絶命するだろう。

 だが――

「ようやくあたしの出番ね!」

 横から割って入ってきたアルテミスが、笑顔のまま、伸びをするように裏拳で鞭を弾いた。

「!? 嘘でしょう!? 今の、全開よ!?」

「えっへへー!」

 アルテミスはご機嫌だ。

 かつて自分を気絶させた攻撃を軽々と防ぎ、相手が慌てているから……というのもあるが、それ以上に、自分の首や腕などに身につけている〝銀〟が、気持ちよくて仕方ないらしい。

「ああ……いいわぁ……クロスハーツのアクセサリー……。最高品質の銀を、最高の技術で加工してある……これぞ、銀の頂点と言っても過言ではないわね……」

 ウットリ……と、愛おしそうに自らのペンダントやブレスレットを撫でるアルテミス。

「まったく……余計なことを。あれくらい、俺一人で余裕だったのに」

「そろそろあたしも、シビレが切れちゃったの! これだけいい魔力源があったら、むしろ魔力過多でウズウズしちゃうわ!」

 晴れやかに笑うアルテミスの全身には、ペンダントやブレスレット、指輪など……様々なシルバーアクセサリーが身に付けられている。

 翔機がしていた準備とは、これだ。

 性行為での魔力増大が無理だとわかった瞬間、別の方法でもっと簡単に魔力の増大を図れることに気づいた。

 実に、翔機の生活費三年分。

 その額のお金を口座から引き出し、遅くまでやっていたシルバーアクセサリーの専門店で、キャッシュ一括にて購入したものだ。

 今後、下手したら一生見ることのない札束が一瞬で消え、翔機は卒倒しかけたが……それらを身につけたアルテミスのテンションと魔力には、目を見張るものがあった。

 ……もちろん、これらの品は全て明日、返品か買取をお願いするつもりである。

「なるほど……良質な魔力源を調達してきたか……」

 ガイアが翔機の目を探った時以上に警戒した視線で、アルテミスの実力を量る。

 そして、これでさらに、未来視の真偽があやふやになった。

 翔機が命懸けでアルテミスの援助を信じ、動揺や恐怖を前面に出さなかった結果……アルテミスが介入する未来を予知していたかのように、敵の二人には映った。

「ほ、本当に大丈夫なのぉ~、ガイアぁ~?」

 美咲も不安そうだ。

 なにせ、自分の最大の攻撃がアルテミスに軽々と弾かれたのだから。

 これで美咲も翔機ほどではないにしろ、戦力としてカウントしづらくなった。

「……狼狽えるな。銀の精霊の相手は私がする」

「つれないこと言うなよ。男同士の付き合いも大切だぞ?」

 ガイアがアルテミスに近寄ろうとするのと同時、翔機が一歩前に出た。

「……正気か? 昨晩の件で、力の差はわかっただろう?」

「お前こそ、今の一連の流れでどちらが有利かわからないのか?」

「…………」

 ガイアが翔機を睨む。

 内心、恐怖でガクガクと震えていたが、そんなことは態度に出さない。

 翔機はあくまでも、「魔眼を開放した今の自分は、ガイアよりも上だ」と宣告するように余裕の顔でガイアを見据え続けた。

「豊水先輩を殺しちゃったら、人間だから当然死ぬ。でも、お前を殺しても、元の普通の精霊に戻るだけなんだろ? だったら、どっちを選ぶかは自明の理。……それに俺は、美人の女の子に乱暴できるような男じゃないんだよ」

「……坊やのくせに上手ね」

 素っ気なく言いつつ、まんざらでもなさそうな美咲。

「…………」

 横目でハレンチ発言をする翔機を睨むアルテミス。

「……いいのだな? 今夜は、手加減せんぞ」

 己の敵を翔機と認識し、翔機だけを視界に収めるガイア。

 美咲とアルテミスも、お互いが相手だと認めるように、睨み合った。

「お前は今宵、俺の魔眼に敗れるのだ。我の『狼牙疾風拳』を受けてみるがいい……!」

 半身になって両足を前後に開き、『熊手』にした手を上下に構える翔機。

 全てがハッタリだと知っているアルテミスは、あまりにも痛々しいネームセンスに顔を覆った。

「行くぞ、ガイアっ!!」

「――――」

 翔機が重心を移動させるために腰を落としたのを見て、ガイアも翔機の動きに対応し、『後の先』をとるために心だけ構える。

「狼牙……疾風拳っ!」

「――!」

 ガイアが目を見開いた。

 翔機が痛々しい技名を叫んだのと同時、自分に背を向けたからだ。

 これまで多くの猛者と戦ってきたが、敵に対して自ら隙だらけの背を晒す者など、一人もいなかった。

 ゆえに、この構えから繰り出される技は、ガイアにとって未知。

『後の先をとる』と言えば聞こえはいいが……それは、相手の行動を見てから自分の行動を決定するということ。格闘技や実戦の一騎打ちにおいてそれは確かに有効だが……現在のガイアと翔機ほど距離が離れていては、別の話。

 しかも――翔機は、その距離をさらに開く方向へ……端的に言えば、ガイアとは正反対の方向へ全速力で走り出した。

「…………」

 さすがのガイアも、翔機が一体何をしているのか分からず、固まってしまう。

 その隙に校舎の簡易的な入り口まで到達した翔機は、あらかじめ鍵を開けておいたドアを開きながら、ガイアを振り返ってこう言った。

「やーい、やーい! お前の母ちゃん、でべそー!」

「「「…………」」」

 恐ろしく稚拙な挑発だった。

 その安さといったら、味方であるはずのアルテミスさえ唖然としてしまうほどである。

 三人が硬直したのを見て、翔機はきゃっきゃと喜びながら馬鹿みたいに楽しそうに、校舎の中へ消えた。

「おい……小僧……ふざけるのも大概にしろ……!」

 ただ、ある意味でその挑発は成功した。

 さすがに冷静さを失うほどではなかったが、目の前のアルテミスを二人で攻撃する、という選択肢を捨てて、翔機を追いかけようとガイアに思わせる程度には、挑発として機能していた。

「……ふん!」

 そして、踏み固められていた地面を蹴り、無駄に魔力を込めた脚力でもって、翔機を追うためにガイアも校舎へ侵入する。

「……わかってたけど、ラストバトルでこの展開はどうなのよ……」

 クロスハーツのアクセサリーでご機嫌になっていたアルテミスのテンションは、一気に下がってしまった。



 走る。

 とにかく走る。

 ガイアが魔力で身体能力を強化してくることは読めていた。普通に走っていたのでは、どう考えても追いつかれてしまう。

 だから翔機は、つかの間に得たリードを最大限に活用しつつ、あらかじめ考えていた『最も逃走側に有利に働く校内のルート』を全力で走っていた。

「はっ……! はっ……!」

 追う者と追われる者では、全てが違う。

 一見、追われる者……逃げる者の方が圧倒的有利だと思われることが多いが、一概にそうとも言えない。

 逃げる者は常に追う者のプレッシャーを感じながら走ることになる。追う者は自分のタイミングで休息もとることができるが、逃げる者にそれは許されない。

 さらに、追う者は単純に目標目掛けて走ればいいが、逃げる者はルートまで自分で考えなければならない。

そのルートが少しでも自分の不利に働いた場合……容赦なく追う者に差を縮められてしまう。ルート選択に迷った場合など、説明する必要もないだろう。

 そのことを経験的に知っていた翔機は、事前に死ぬほどルートを考えておいた。そのルートを走る限りにおいて、少なくとも相手にルート選択が有利に働くとは思えない。

 あとは、このリードとルートの利を使って、どれだけガイアを翻弄できるか、なのだが……。

「げっ! もう来やがった!」

 最初の階段を上り、遊び場に出たところで、ガイアの姿が下のほうにチラつく。

「ちっくしょうっ! 魔力で武装とかチートなんだよ!」

「小僧! 精霊相手にいつまでも体力勝負ができるわけないだろう! 諦めて戦え!」

 そうは言われても、走るのをやめられない翔機である。

 散々ハッタリをかましたが、翔機は昨晩から何も変わっていない。むしろ、昨晩の傷のダメージがある分、今夜の方が不利である。

 そんな中、昨夜よりも強力な一撃をもらってしまえば――その瞬間にゲームオーバー。ノーチャンスだ。

 それほど切羽詰った状況で無理矢理にでもチャンスを作ろうというのだから、これくらいの無理は通さなければならない。

 鎮痛剤を服用・塗布しているとはいえ、どう考えても普段より調子の悪い腹部をさすりながら、翔機は歯を食い縛って走り続ける。

「はぁっ……! はぁ……っ!」

 もうすぐ、小休憩できそうなポイントに出る。

 校内中を逃げ回るため、原則、教室に入るわけにはいかないが……翔機の学校の理科室は、窓の外が中庭なのだ。

 短距離走のようなスピードで長時間走り続けた翔機は、理科室に駆け込むとそのまま窓から中庭に飛び降り、窓を閉めてから身を隠した。

「はぁ……っ! ふうっ……!」

 深呼吸をし、徐々に呼吸を整える。姿を隠しているのに、呼吸が上がってガイアに見つかってしまっては元も子もない。

 ――ガラッ。

 ガイアが理科室の扉を開ける音がする。どうやら、翔機がこの教室に入るところまでは視界に収めていたらしい。

「…………」

 注意深く、理科室の中を検分するガイア。

「……。……」

 大分息が整ってきた翔機は、ゆっくりと移動を再開。

 身を隠しているとは言っても、理科室から距離が近すぎる。万が一ここで見つかった場合、これまでのリードがチャラになりかねない。

 そう思い、理科室からの死角を伝ったまま、どうにか距離をとろうとしていると。

「……ふん。くだらん。おい、小僧。どこにいるのか知らんが、早く出てきた方が身のためだぞ?」

「…………」

 そうは言われても、絶対に出て行くわけにはいかない翔機。

そのまま、さらにリードを取ろうとする――が。

「……私もいい加減、こんな遊びには飽きた」

 ……嫌な予感がした。

 確証はなかったが、翔機の嫌な予感というのは、それこそ未来予知クラスに嫌なほどよく当たる。

 だから翔機は、もう身を隠すようなことはせず、立ち上がって全力でその場を離れるために走り出した。直後――


 ――ドゴォォオオオオオオオ!!


 理科室が、爆発した。

「し、信じられねぇ! あいつ、ガス線が通ってる理科室をもろとも破壊しやがった!!」

 爆風に軽く煽られながら、翔機が火災現場から離れるように走ると……燃え盛る炎の中から、ガイアが平然と歩いて出る。

「……外にいたか。これは残念。惜しかったな」

 翔機の命を微塵も気にしていないどころか、むしろ巻き込めなかったことを口惜しがるように笑うガイアを見て、翔機は走るスピードをさらに上げる。

 再び校舎に駆け込んだ時、入ってきた扉周辺が再び人外の力によって吹き飛んだ。

「面倒だ。そろそろ本気で行くぞ、小僧――!」

 いつまでも校舎の破壊を躊躇ってくれるなんて思っていなかったが、だからと言ってこうも簡単に破壊するとも思っていなかった。

 長い渡り廊下を全力で走り、階段を上ろうとすると――

「――ふん!」

 後ろから拳を振るったガイアの拳圧で、階段が吹き飛ぶ。

「ちょ、ちょっと待て! さすがにインフレ過ぎだろっ!?」

 次いで放った拳で、今度は渡り廊下が破壊され、全体が瓦礫となって地に落ちる。

 翔機はギリギリ渡り廊下を走り抜けており、咄嗟に、横に伸びた廊下へと飛び込んだお陰でなんとか致命傷を免れた。

 しかし、そこで一息つく暇もない。

 すぐに立ち上がると、体育で50m走をした時よりも速く、前方へ駆け出した。

次の瞬間には、つい先ほどまでいた自分の場所が、木っ端微塵になる。

「ええいっ!」

 一階よりも上にいるのは不利だと思い、階段を飛び降りる。

 二十段以上はありそうな高さから飛び降り、勢いを殺すため受身のように廊下を転がり、起き上がると――ガイアが階段を飛び降り、ふわりと廊下に着地した所だった。

 迷ったが、翔機は逃亡を選択。

 廊下の突き当たりにある扉から、再び外に出ようとしたところで――

――ドゴッ。

その扉が衝撃を受けて奇妙な形に曲がり、開閉が叶わなくなった。

「…………」

振り返ってみると、ガイアが少し訝しげに己の拳を観察している。

その光景を目にし、翔機は「キターーー!」と叫びたくなったが……まだ、確信はない。

せめて、あと一回。

もう一度だけ、様子を見なければ――!

「期せずして、追い詰めることに成功したようだ。本当は扉ごと吹き飛ばすつもりだったのだが……これならば、逃げられまい」

「…………」

 その言葉を聞いて、翔機は笑みが零れそうになる。

 だが、笑わない。

 こういう場面で笑ってしまい、作戦がパーになった主人公を翔機は何人か知っていた。

「くっ……!」

 だから、思いきり口惜しそうにする。

 自分は追い詰められたのだと。

もう打つ手はないのだと、ガイアにアピールするように――

「……せめて一撃で、ひと思いにやってくれ」

「……そうだな。その程度の容赦はしてやろう」

 拳を引くガイア。

 翔機はそれを棒立ちのまま、力ない目で眺めていた。

「――さらばだ、小僧」

 大きく振りかぶった右拳。

 それをガイアが、翔機に向かって振り抜く直前――

「今だ、チャンス!」

 己の作戦が有効だと判断した翔機は目を見開き、棒立ちの体勢からいきなりマックスのスピードで自分の左――ガイアの右拳の軌道から逃れるように、走り出した。

「――?」

 その行為が、ガイアには全くの無駄に見えた。

 拳圧で階段や渡り廊下を吹き飛ばすほどのガイアの拳。それならば、拳そのものが外れてしまったところで、そこから発生する拳圧だけで、翔機を絶命に至らしめることができる。

 わざわざ、身体が痛みを認識するよりも速く絶命できるよう気を遣ってやったのに……自ら苦しむ方向へ進む翔機を見て、ガイアは心底呆れた。

 だが、その呆れは――次の瞬間、霧散する。

 ガイアの拳圧で翔機が絶命すると思った瞬間。

 翔機に起きた変化は、右頬にかすり傷ができたという点のみ。

 ……そして。

「うぉりゃあああ!!」

 クロスカウンター気味に突き出した翔機の右拳が、ガイアの顔面に。

 長い時を生き、歴戦の勇士と呼ばれるほど多くの戦いを経験した、上位精霊の顔面に。

 凡人で、一般人で、物語には全く関与しない脇役の……翔機の拳が、突き刺さった。

「!!?」

 ガイアがあまりにも想定外の事態にたたらを踏み、バランスを崩した。

翔機は獰猛な笑みを浮かべ、さらなる追撃を仕掛ける――!

「もういっちょぉおおおお!!」

 しかし、そこまでだった。

 なにが起きたのかはわからなかったが、ガイアの身体はすぐに目の前の状況に対処するように動いた。

 バランスを崩した体勢のまま、無理矢理に蹴りを放ち、翔機の突きに応じる。

「……痛ってぇ~」

 ブーツに包まれた足で拳を蹴られ、プラプラさせながら手を休める翔機。

 対するガイアは、これまでにないほどの緊張感で翔機を見据えた。

「……小僧。貴様……何をした?」

「フッ……これぞ、『狼牙疾風拳』!」

 例の構えでドヤ顔をしてみるも、ガイアは黙殺。

 さすがに翔機も恥ずかしくなって構えを解き、ガイアを嘲笑う。

「言っただろう? 俺の目は、未来を視る魔眼だと。お前が今日この日、この時、この場所で、力が弱くなることを予見していたのさ」

 自信満々に言い放つ。

 並の者なら、その態度と切れるような目付きに騙されるだろうが……生憎、翔機の相手はガイアだった。

 未来視の可能性を否定はしないが、だからと言って、それを鵜呑みにもしない。

 冷静に、自分に今、何が起こっているのか確認したガイアは――

「……魔力が、尽きかけている……だと!?」

「……ちっ。バレたか」

 翔機は気づかれたことに関して当たり前のように残念がったが、ガイアにとっては信じられない事態である。

 ガイアは大地の精霊だ。

 その魔力は無尽蔵。アルテミスのようにどこからか銀を調達しなければいけないこともなく、ただ存在しているだけで自然に魔力が供給され続けるはずだった。

 それが、尽きかけている。

 想定外の、信じ難い事実だった。

「――――!」

 翔機は、初めて自分から前に出た。

 口にこそ出さなかったが、今こそが最大のチャンスであることを強く確信している。

 ――今しかない。

 ガイアが、まるで考えていなかった状況に動揺し、心を乱している〝今〟しか――!

「っ!」

 全力で間合いに突っ込んできた翔機を見て、ガイアは反射的に拳を出す。

 しかしその拳には魔力も付与されておらず、目的も曖昧な、とりあえず翔機に対して出しただけの拳だった。

 そんな『覚悟』のない拳、自分の命まで懸けている翔機には届かない――!

「がはっ!?」

 初めて有効な攻撃がガイアに通った。

 翔機の覚悟の右拳。それが、ガイアの鳩尾に深く突き刺さる。

「……っ」

 本来ならば、魔力による防御だけで事足りたはずだ。

 それだけで、翔機の拳は無力化されていた。……が、現在、ガイアは魔力がほとんど残っておらず、防御に魔力を回せるはずもなかった。

「……本当に残念だ。どうせなら、リンクが切れるまで気づかないでくれたら、ありがたかったのに」

 軽口を叩きつつ、さらに前に出る翔機。

 追う者と追われる者の立場が入れ替わった。

 冷静に対処すれば、純粋な体術においても翔機がガイアに勝てる道理はない。

しかしこの状況では、さすがのガイアも完全な冷静さを保つことは難しい。

「……くっ」

 屈辱だが、ガイアは翔機の拳を再び蹴りで受けた後、後転しながら下がり、翔機と距離をとった。

「……パートナーとの関係性は大切だよなぁ~。俺とアルテミスは、たとえ離れ離れになっていてもお互いの気持ちが分かるくらいラブラブだぜ? そこんとこ、お前らはどうなのかな?」

 ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべる翔機を見て、ようやくガイアは納得がいった。

「……なるほど。よく考えたものだ」

 そう。現在、アルテミスと交戦している美咲。

 彼女がガイアの魔力を好き勝手に、存分に使っているのだ。

 良質な魔力源で武装したアルテミスには、魔力を最大限に込めた攻撃すら容易く弾かれてしまう。

だから美咲は、常にマックスの魔力を攻撃に付与している。その消費量はおそらく、ガイアが魔力を回復するスピードよりも速い。

 加えて、翔機とガイアは長時間、校内にいた。

 校内はもちろん地面と接しておらず、中庭すら下はコンクリートだ。

 これは翔機の中二病的発想から得た勘で、大地の精霊は大地から引き離したら魔力の回復が遅れるのではないか……と読んだのだが、それも見事に的中していた。

「…………」

 ガイアが魔力の感触を確かめるように体を動かす。

 未だかつてないほど、残量が少なくなっていた。美咲とのリンクを維持するだけでもギリギリである。

「もうすぐ、ロクに攻撃できなくなった豊水先輩を捕らえて、アルテミスが合流する。それで終わりだ。観念しろ」

 ガイア対翔機のカードが成立した時点で、すぐに美咲を捕らえて交渉する、という選択肢もあった。

 しかしそれでは、万全の状態であるガイアに万が一でも美咲を奪還された場合、打つ手がなくなってしまう。

 また、武装したアルテミスが単純にガイアを圧倒する……という筋書きも可能性としてはあったが、アルテミス本人からそれは難しい、と言われていた。

 ――だから、これがベスト。

 パートナーである美咲にガイアの足を引っ張ってもらい、弱ったところで交渉を持ちかける。

 いくらガイアでも、己の魔力が尽きかけ、パートナーの命を握られた状態では降伏するしかないだろう、と翔機は読んでいた。

「……甘いな」

 翔機から見れば『完全に詰んだ』と思えるような現状を認識して、それでもなお、ガイアは失笑して見せた。

「甘い。甘すぎる。……小僧、貴様はミスを犯した。私の魔力が尽きかけ、攻撃の手段がなくなった段階で美咲を捕らえようなどと……片腹痛い。脇役の分際で、主人公にでもなったつもりか? 貴様らが勝利する方法は唯一つしかなかった。私の魔力が尽きかけた時点で、美咲を殺してしまうことだ」

「…………」

 その考えに、至らなかったわけではない。

 その方が確実だ。ガイアの魔力を借りて攻撃できる時ならいざ知れず、今のアルテミスは簡単に美咲を殺すことができるだろう。

 それでも、嫌だったのだ。

 単純に主人公のごとく、人間を殺さない綺麗な勝ち方がしたかった……という以上に、翔機は、アルテミスの綺麗な手を血で汚すことが嫌だった。

 あれほど美しく、後に神となるアルテミスの手が、殺人の罪で汚れていいはずがない。だからあえて、翔機はその最善策を口にしなかった。

 アルテミスも気づいていたに違いない。美咲を殺してしまう方が手っ取り早いと、知っていたに違いない。

それでも、翔機の作戦に応じてくれた。

 ラブラブかどうかは定かでないが、確かに二人の気持ちは通じていた。

「……関係ない。どちらにせよ、お前はもう『詰み』だ。大人しく降伏しろ」

「果たして本当にそうかな? まだこちらには一枚、カードが伏せられていることを……よもや忘れてはいまいな?」

 そう言って、ガイアは懐から西洋の剣を取り出した。

「――!」

 装飾が極端に少ない、一目で実用性重視のものだと判断できる、見事な剣だった。

 別に忘れていたわけではない。

 ガイアが翔機の魔眼を考察した時と同じように、今まで使わなかったのだから、脅威となる武器ではないと思っていた。

しかし――

「――ふん!」

 ガイアが軽く剣を振ると、廊下の窓が吹き飛び、隣の校舎に斬撃が走った。

「!?」

「本来ならこのような武器を使う必要はないのだがな。……なかなかどうして。まさかこの剣が有効に活用できる機会が巡って来るなど、思いもしなかったぞ」

 シニカルに笑うガイアを見て、翔機がじりじりと後退る。

 ガイアの魔力は、ほとんど尽きたはずだ。

だから、あのような強大な攻撃はできないと踏んでいた。

 だが、目の前に突きつけられた現実は翔機の予想を裏切るもので……あの斬撃をもらってしまえば、その時点でゲームオーバーになってしまう――!

「……納得いかなそうな顔だな。いいだろう。説明してやる。この剣には、魔力が貯蔵できるのだ」

「魔力を……貯蔵……?」

「普段私が行使している魔力とは別に、もう一ヶ所魔力を貯める場所があると認識すればいい。貯蔵した魔力は斬撃以外には行使できない。……本来なら私自身の攻撃と同時、この剣で攻撃を連携するために使うのだが……今のような状況では、最も手元にあってほしい武器だな」

 皮肉気に笑い続けるガイアを見て、翔機は歯噛みする。

 まさか敵の隠し玉が、タイムリーにこの状況を打破できるアイテムだとは思わなかった。

これは単純に翔機の不運だ。

やはり、脇役には神様が味方しないということだろうか。

「……形勢逆転だな。安心しろ、殺しはしない。お前を殺した瞬間に美咲を殺されてしまっては、私も勝利できなくなってしまうからな。さあ、銀の精霊と取引といこうか?」

 剣を向けられ、翔機は為す術もなく人質にされてしまった。



「翔機! どうして……っ!?」

 再びグラウンドまで戻ると、美咲をロープでグルグル巻きにしたアルテミスが待っていた。

 どうやら、アルテミスの方は計画通り事が運んだらしい。

「悪い……想定外の不運が降りかかった……」

 剣を突きつけられた翔機は、両手を上に上げている。

「取引だ、小娘! この小僧を解放してほしければ、美咲を解放しろ!」

「…………!」

アルテミスが逡巡する。

 翔機はロープ等で拘束されていない。

 取引に応じるフリをして美咲を殺し、それと同時に翔機がガイアから距離をとれば……ギリギリ、アルテミスの援護が間に合うかもしれない。

 それが成功すれば、翔機とアルテミスの勝利だ。

「…………」

 アルテミスの考えていることは、翔機にもわかった。

だから翔機は、首を横に振る。

「っ。……わかった。応じるわ。ただし、開放は同時よ。お互いのパートナーがお互いの精霊の隣に戻るまで、あたしたちは攻撃をしないことが条件」

「いいだろう」

 ガイアにとってもパートナーの生存は勝利条件の一つだ。美咲さえ自分の手元に戻れば、いくらでも挽回できる。

 だから、取引にはすんなり応じた。

「…………」

「…………」

 ガイアに剣を突きつけられていた翔機とアルテミスに拘束されていた美咲が同時に、ゆっくりと歩き出す。

 これで翔機の作戦は全て崩れてしまった。

 今はまだガイアも全開でないが……再びグラウンドに出て地に足をつけた上、パートナーの美咲が暴走しないとなると、ここからどんどん魔力は回復していくだろう。

 そういう意味で、本当にこの戦争は翔機・アルテミス側の不利になってしまった。

 と、そんなことを翔機が考えていると――

「っ!? 翔機! 走りなさいっ!」

 アルテミスが切羽詰った声を上げ、翔機に駆け寄ろうとしたが――遅い。

「……お返しよぉ~」

「ぐうっ!?」

 ロープで拘束されていた美咲が器用に鞭を操り……先端が鋭利な刃物のようになったそれが、翔機の肩を貫通した。

「ひ、卑怯よ!」

「そんなことないわぁ~。ガイアはちゃんと攻撃しなかったもの~」

 ガイアにロープを解いてもらいながら、美咲は自信満々にアルテミスを挑発する。

 先ほどまでの屈辱を全力でお返しするつもりらしい。

「……だ、大丈夫だ。死ぬほど痛いが、致命傷にはならない」

「翔機……」

「それよりも……!」

 血が流れる左肩を押さえながら、翔機が前を向く。

 ロープを解かれ、伸びをする美咲と、徐々に魔力が回復しつつあるガイアが悠然と立っている。

「……褒めてやろう。一瞬だが、ヒヤリとした。この私が、まさかただの人間に追い詰められるなど夢にも思わなかったよ」

「…………」

 翔機は口惜しくて歯噛みしたが、思考はもう次のことを考えている。

 このまま何もしなければガイアの魔力が回復し、どんどん最初の……絶望的な状況に近づいていく。

「――ガイアのパートナーを殺すわ」

 隣を振り返ると、真っ直ぐに敵を睨むアルテミスが覚悟を固めている。

「……でも、それは」

「『死んでもいいの?』……とは、訊かないわ。代わりにこう訊く。『妹さんを守れなくてもいいの?』」

「…………」

 答えは決まっている。

 翔機にとって、叶は最優先事項だ。

 叶よりも重要なことはないし、叶のためならなんでもすると誓った。それこそドナーが必要だと言われれば、自分は適合者を殺してしまうかもしれない、と考えたこともある。

 これは『戦争』だ。

 翔機がそうであったように、美咲だって望みが叶う可能性と死のリスクを天秤にかけたはずである。

 だから、仕方ないのだと。

 翔機は自分に、何度もそう言い聞かせるのに……返事ができない。

「……安心しなさい。あたしがやるわ。あんたは、作戦を考えて。この状況で、あたしがガイアの攻撃を掻い潜ってパートナーの所まで近づく方法は、ある?」

 アルテミスに気を遣わせてしまった。

 アルテミスが手を汚すくらいなら自分が……と思う翔機だったが、生憎、翔機に武器はなく、普通の人間を殺すことも難しい状況だ。

「……ガイアの剣は、斬撃そのものを巨大化させるイメージだ。威力は奴の拳と同等だが、その周りに拳ほどの圧力は無い。だから、剣そのものは俺でも弾けそうだし、太刀筋の延長上にいなければ、決定打にはならないと思う」

 こんな状況でもアイデアが浮かぶ中二脳を、翔機は少しだけ恨めしいと思った。

「ガイアの魔力は戻りきっていない。決め手は確実に剣だ。……俺が囮になる。ガイアが俺に向けて剣を振るうと同時、その太刀筋を少しだけズラしてくれ。そしたら、後は豊水先輩の所まで走っていい」

「……失敗したら、死ぬわよ」

「俺はアルテミスを信じてるよ」

 最後は軽口と共に精一杯の笑顔を浮かべようとしたが……それは、あまり上手く行かなかった。

「作戦は決まったか?」

 ガイアが肩に剣を乗せ、余裕の態度で待っている。

「随分優しいのね。さっきまでの痛手を忘れたのかしら?」

「いや、忘れてなどいない。ただ、美咲が小僧を攻撃した分の借りは返しておこうと思ってな。……美咲、君は下がっていろ」

 自らのパートナーを下がらせ、軽い足取りで前に出るガイア。

 それを受けて、アルテミスも無言で前に出た。

「……フッ。やはり、こうでなくてはな。『戦争』は精霊が主役だ。後に神になるからという理由で人間と組ませられるが、人間の力など取るに足らない。こうして精霊同士、死力を尽くすのが本当だろう」

「…………」

 ガイアの皮肉に、アルテミスは答えない。

 一定の間合いを保ったまま、ガイアに対して構えをとる。

「……言葉はないか。……いいだろう。さあ、死力を尽くそう――!」

「――っ!」

 アルテミスが跳ねた。

 間合いを一息に詰め、銀に輝く拳でガイアを突く――!

「……フン!」

 武装したアルテミスの拳を、ガイアは直接受けるのではなく側面から押さえ、自分から外した。やはりまだ、魔力が戻りきっていないらしい。

「――あんたを殺しても、戦争は終わるのよねっ!」

 アルテミスが宙を舞う。

 全ての力を蹴りに集めるため体を捻った。

 ――アルテミスの、最強の蹴り。

「――っ!」

 さすがのガイアもこれには用心し、剣を振るった。

 ブーツだけではない。身につけたアクセサリーの魔力も付与した、アルテミスの最大の攻撃が、ガイアの斬撃とぶつかる――!


 その瞬間、校庭は台風に包まれた。


「……っ!」

「……危なかった。危うく切り札を破壊されるところだったよ」

 そう笑うガイアの手元の剣は――ヒビが入り、今にも壊れそうだ。

 対するアルテミスもかなりの魔力を使ったらしく、ほとんどの銀が黒ずんでいる。

「……ふむ。持って、あと二度か」

「自分の状況まで敵に報告するなんて、本当に余裕ね!」

「二度もあれば十分だろう!」

 再び激しい攻防を繰り出しながら、軽口を叩き合う。

 決着が近いことを予感した翔機は、じりじりと戦場へ近づいた。

 斬撃を巨大化させるということは、相手との距離を詰めておいた方が、その被害の範囲は少ない。

 血が流れ続ける肩を押さえながら、最後の一瞬に安全エリアへ飛び込めるよう、細心の注意を払って近寄った。

「――!」

 ガイアとアルテミスが、同時に近づいて来た翔機に気づき。

「終わりだ、小僧ーーーーーーーーーー!」

「させないっ!」

 ガイアが切り札の剣を振り――その手元を、アルテミスが蹴りで僅かに右へ弾く!

 同時、翔機は左前方へ飛び込んでいた。

 どちらの方向へ弾くかは事前に取り決めできないし、土壇場で決定するしかなかったが――翔機とアルテミスの息はピッタリだ。

 ガイアの放った斬撃は、翔機の足元を掠めるようにして後方へ逃げ。

 全力で剣を振るったガイアが体の体勢を戻せず。

 その一瞬に、アルテミスは美咲の下へと駆けた。

「ええっ!?」

 まさか自分の方へ精霊が来ると思っていなかった美咲が、血の気の引いた顔をしてアルテミスを迎えた。

「くっ!?」

 ガイアが振り返るがもう遅い。

今からアルテミスに追いついて攻撃を中断させるなど、不可能だ。

「……っ!」

 アルテミスは。

何かを諦めるように歯を食い縛り、眩い銀に輝くその拳で美咲を――


「ダメだぁぁぁぁぁぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」


 気づくと、翔機は絶叫していた。

 なぜ自分が叫んでいるのか、翔機自身もわからない。

 それでも翔機の体は大声を上げ……その声に反応したかのように、アルテミスの拳が美咲の体に触れる寸前で止まった。

「――っ!」

 死を覚悟していた美咲は、自分がなぜ生き残っているのか疑問に思うよりも早く、鞭でアルテミスを拘束した。

「あっ……くっ!?」

 いくらアルテミスが精霊といっても、両手両足を拘束されてしまっては、満足に攻撃することができない。

 しかも、この鞭はガイアの契約特典。魔力が付与されていた。

「あ、危なかったわぁ~。なぜか生きてるぅ~……」

 心底ほっとしたような声を出す美咲。

「……敵のパートナーがどうしようもない馬鹿だったお陰で助かったな。……いや。馬鹿なのは精霊も、か」

 美咲ほどではないにしろ、同じく安堵したガイアは……回避行動をとったまま地面に寝転がっていた翔機に、剣を突きつける。

「……なぜ小娘の攻撃をやめさせたのかは知らん。だが、攻撃を中断すれば、こうなってしまうことは分かっていたはずだ」

「…………」

 剣の切っ先が翔機の顔を掠める。

 勝敗は、決した。

「本来なら精霊の殺害を優先すべきなのだろうが……やはり、この敗北の原因はお前だ。よって、私はお前を斬る」

「…………」

 翔機は動けない。

 この距離では、わずかに動いただけで剣を振られ、回避などとれるはずがない。

「――情けだ。残したい言葉があれば聞いてやろう」

 翔機は頭が真っ白になっていた。

 そのまま数秒間、呆然と剣を眺めた後。

 ようやく、自分が敗北したことを理解した。

 その時翔機の胸の内にあったのは、たった一つの言葉。

 アルテミスの足を引っ張り、敗北させてしまったことを申し訳ないとも思う。

 叶を守ってやれなかった自分に、怒りも感じている。

 だけど、チャンスはあった、と翔機は認める。

 チャンスは存在していて、一度は確かに翔機の手のひらの上に落ちた。それを手放し、見送ったのは他でもない自分だ。

 だから、翔機がそれらを想うことは許されない。

ゆえに、この局面での翔機の心はたった一つ。

 もし自分がそうであったなら、全ての願いが叶ったであろうという、幻想。

「…………に」

 己の心を確認するように胸に手を当て、最後の言葉を呟いた。


「――主人公に、なりたかった」


 瞬間。

 世界が、銀の光に包まれた。

「っ!? なんだこれはっ!?」

 眩いばかりの閃光に誰もが目を開けていられず、翔機も目を瞑らざるを得なかった。

 視界の無い中、翔機の体を浮遊感が包む。

 数秒後、光が落ち着き目を開けると……アルテミスの顔がドアップだった。

「うおっ……ぐぅ!?」

 驚いて距離をとろうとしたら、首が何かに締め付けられ、元の位置に戻る。

 見ると、アルテミスがリンクを形成しているペンダントを手にしていた。

「……! 【英雄の本】……!!」

「く、苦しい! 離してくれぇ~!」

 翔機が窒息寸前でアルテミスの手をタップすると、「あ、ごめん」と言って手を離してくれた。

「げほっ! げほっ!」

 息を整えつつ、周りを見回す。

 翔機の目の前にはアルテミスがおり、場所もガイアの前ではなく……校庭の隅、野球部の練習場のそばにある、倉庫の陰へ移動していた。

「え、えーと?」

 状況を理解できないまま、とりあえずアルテミスが手にしていたリンクが壊れていないか確認。……壊れてはいないが、ペンダントトップの表面に、見慣れない文字が刻まれていた。

「え!? 戦闘中に壊した!?」

「違うわよ。それ、契約特典の証」

 慌てる翔機にアルテミスが冷静に説明した。

「時間がないから、結論から言うわ。……喜びなさい、翔機。あんた、主人公になれるわよ」

「……はあ?」

 翔機は何も理解できない。

「ガイアに遺言を言った時。あんた、この銀に『祈った』んでしょ。あの光は契約特典が発動した時の副作用。あの銀の光の中、あたしはあんたを連れて、ここまで離脱したってわけ」

「……はあ」

「武器の名前は【英雄の本】。あんたが好きな『主人公』の能力をコピーできるわ」

「はあっ!?」

 翔機は心底驚いた。

 なぜならそんな展開、本当にフィクションの中でしか体験したことがなかったからだ。

 脇役の翔機はこれまで、全てのピンチはピンチのままだったし、窮地において都合よく自分の隠された力が発現したり、神様の奇跡が起こったりしたことなど一度もなかった。

 しかも、与えられた奇跡が大きすぎる。

 この武器を使えば、この戦争、楽に勝利できるかもしれない。

「……ただし、この武器は大してアテにできないわ」

「……え?」

「あたしが未熟だからか、あんたが本来のパートナーじゃないからか……いや、どっちもでしょうね。とにかく、この武器には欠点がある。……時間よ。使えばすごい力を得られるかもしれないけど、その時間は長くて一秒。下手したら、一瞬しか持たないわ」

「…………」

 ウルト○マンだって、三分間は持つ。

 アルテミスは非常に残念そうだったが……翔機は、正反対。

「いよっっっしゃぁあああーーーーー!!」

「ちょ、ちょっと!」

 立ち上がって大声を上げた翔機の口を塞ぎ、無理矢理に座らせる。

 アルテミスはかなりの距離を移動していたが、今ので位置がバレたかもしれない。

「なに考えてるの! その武器がアテにならない以上、全然有利になってないのよ!?」

「いやいや、そうじゃない! 俺みたいな脇役に、こんなミラクルチャンスが起こること自体、信じられないほどラッキーなんだよ! それに、仮に全く役に立たないものだとしても、絶体絶命の状況を切り抜けられたんだから御の字だろ!」

「そ、そうかもしれないけど……」

 翔機は上着の胸ポケットを確認する。

 ……入っている。

 いつものお守り。戦闘中に落としたということはないらしい。

「――――」

 そこには『勝負守り』が入っていた。

 その小説を思い浮かべた時――翔機の脳裏に、勝利までの道が一気に組み上がる。

「……勝てる。勝ててしまう……」

 まるで夢遊病患者のように虚空を見上げたまま、ふらふらと立ち上がる翔機。

「どうしよう、アルテミス! 勝てちゃう! 勝てちゃうよ~~~!」

「しーーーっ! 静かにしなさいっ!!」

 小さな声なのに全力で注意するという器用な怒り方をするアルテミスを見ても、翔機の興奮は収まらない。

 ――行ける。勝てる。

 そればかりが、脳内をエンドレスにループする。

「……アルテミス。あと一度だけ、ガイアの手をふさいでほしい。できるか?」

「……。……厳しいけど、不可能じゃないわ」

 アルテミスが全身の銀を確認する。

 随分と魔力を使い果たしていたが、あと少しだけは戦えそうだった。

「もう豊水先輩を狙わなくていい。もうガイアを圧倒しなくていい。ただ、俺に一瞬だけチャンスを作ってくれれば、それで勝てる!」

「ええっ!?」

 あれほど苦戦したガイアを指して簡単に勝てると言う翔機を、信じられない眼差しで見るアルテミス。

「……俺を、信じてほしい」

 初めて会ったあの日。

 翔機と契約するかどうかを決定付けた目を向けられ、アルテミスは素直に頷いた。

「信じるわ。あんたを」

「……ありがと」

 何の根拠もなく二つ返事を返したくれたアルテミスに微笑みかけると――

「――そろそろ、最終回だろう」

 ドゴオッ! と、倉庫が吹っ飛ぶ。

「…………」

 翔機とアルテミスが振り返ると、ダイヤの中心……ピッチャーが立つ位置に、ガイアがいた。

 それを見た翔機が余裕たっぷりに、ニヤニヤしながら返す。

「そうだな。そろそろ、サヨナラホームランを打つ時間だ」

「…………」

 翔機の態度が一変したのを見て、ガイアが警戒を強めた。

「……その顔、何か秘策を思いついたな」

「おやおや。脇役で一般人の俺を警戒してくれるなんて、随分嬉しい事してくれるな~」

「……フン。私はもうお前を侮ったりせん。貴様は馬鹿だが、クズではない。紙くずならともかく、馬や鹿を狩るのには、警戒が必要だろう」

 ガイアが構える剣には――ヒビが、無い。

 初めて見た時と同様の、新品と変わらない見事な剣。

「生憎、魔力もほとんど回復した。……全開だ。これで振り出しに戻ったな」

「いいや、振り出しになんて戻らない。『今』は、いつだって『今』だ。過去にも未来にも、この『今』と同じ瞬間など存在しない」

 自信満々に言い返し、翔機は隣に立つアルテミスを――パートナーを、振り返る。

「……悪かったな、アルテミス。あの時――」

「言わないで。わかってるわ」

 綺麗な笑顔を向けられ、翔機も笑って言葉を収める。

 世界中の人間や精霊に自慢したかった。

 ――自分の、最高のパートナーを。

「……美咲、離れていろ。緊急時にはいくらでも魔力を使っていい。とにかく、自分の身を守ることだけを考えろ」

「わかったわぁ~」

「アルテミス、頼むぞ」

「うん。翔機もお願いね」

 ガイアと美咲は距離をとって縦に並び。

 翔機とアルテミスは、すぐそばで横に並んだ。

 まるでそれが、それぞれの関係性だと言うように――。

「行くわよ、ガイア!」

「!」

アルテミスが走り出し、少し遅れて翔機が続く。

 魔力の回復したガイアは自らの拳に魔力を乗せ、最大の威力を誇る右ストレートを放とうとし――振り切る前に、アルテミスの拳とぶつかった!

「~~~っぅ!」

 拳圧で多少怪我を負ったものの、アルテミスがガイアの拳を止める。

「バカなっ!?」

「パンチの練習台になってくれた奴がいたからね! 威力が乗る前なら、なんとかなるわ!」

 痛みを堪えて悪戯っぽい笑みを浮かべるアルテミスの陰から――

「うおおおおおおおおおっ!!」

 翔機が、飛び出した。

「!?」

 本来なら、翔機がガイアに近づいたところで気にする必要はない。

 魔力が戻った今のガイアは防御にも魔力を使用しており、ただの人間である翔機の拳はガイアに届かないからだ。

 にもかかわらず――ガイアは、翔機の存在に悪寒を感じた。

 それは、歴戦の勇士と呼ばれるほど多くの戦いを潜り抜けた、ガイアの直感。

「……くっ!」

 左手には剣を持っている。しかし、それを振るうだけの時間はもうない。

 剣さえ振れば、斬撃で間違いなく翔機を粉々にできるが……その一瞬前で、一度だけ翔機に攻撃の機会を――チャンスを与えてしまうことになる。その事実が、冷たい手となってガイアの首筋を撫でる。

 本能の赴くまま、ガイアは剣を捨てた。

 そして、空になった左拳に魔力を乗せ、翔機を――

「させないわよ!」

 迎え撃とうとしたところで、引いた左拳にピタリとアルテミスの拳が重なった。

「……! ……っ!」

 翔機は目前。

 ここに至って、ガイアの悪寒は確信に変わった。

 方法まではわからないが、翔機は確実に自分を攻撃する手段を持っている――!

「……ぬんっ!」

「きゃあっ!?」

「っ!?」

 そこまで追い詰められて――ガイアは、最後のカードを切った。

 魔力を込めた蹴りを地面に突き刺し、地盤もろとも敵の足場を崩す。

 次いで翔機の足元を抉る形で、地面を隆起させた。

 大地の精霊としての能力――。

正真正銘、ガイアが持つ、最後の切り札。

 だが――

「――う、」

「ッ!?」


「うおおおおおおおおああああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 翔機が迫ってくる。

 足場を崩し、宙に放り出し、地面に叩きつけられる……はずだった翔機は、傷だらけでボロボロの身体を何でもないように動かし――柔道のプロさえも舌を巻くほどの見事な前回り受身を決め、落ちるスピードさえも力にして加速。

 ついに、ガイアの目前……翔機のリーチにまで辿り着いた。

 ――翔機は読んでいた。

 初めてガイアが『大地の精霊』だと名乗った、あの日。

 その名を聞いた瞬間、「地面を武器に攻撃しそうだな」と、その目は未来を視ていた。

「小僧ぉぉぉおおおおお!!!!!」

 もう一度蹴りを入れ、刃の如く鋭利な形状をした大地を迎撃に当て、同時に振りかぶれないまでも、魔力を乗せた拳を突き出す。

 尖った大地に脚を貫通され、血を撒き散らせながら、翔機は大声で叫んだ。

「変身〈チェンジ〉ーーーーー!!!!!!」

 その叫びに呼応するかのように翔機の胸ポケットが銀色に輝き、そこにあった一冊の本が、弾けて消えた。


 その小説は――とある近未来の学園を舞台に、超能力と魔法が交差する物語。


 その主人公は――『あらゆる異能を打ち消す』ことができる少年――!!


 ガイアの拳と翔機の拳が交差する。

 お互いの拳が、お互いの身体にヒットした。

「ぐふぅっ!?」

「――!!?」

 翔機は血を吐き出し、

ガイアは、敗北に包まれた。


 頼りない未来視。

 必殺にならない必殺技。

 一瞬しか持たない手品。


 それが、翔機の全てだった。

 ガイアに比べれば、なんと弱く、少ない手札だろう。

 ゆえに、翔機がそのカードを全て切る瞬間は。

 他でもない、翔機自身が勝利を確信した瞬間――!

「翔機っ!」

 血だらけになって倒れ伏した翔機に、アルテミスが駆け寄る。

 抱き起こして、意識があることを確認すると……自分のパートナーを守るように抱き寄せ、ガイアを睨む。

「……もう私が、小僧を攻撃することはない」

「……?」

 戦意を失ったガイアは、ひどく穏やかな顔をしていた。

 後ろで美咲がペタン、と座り込んでいる。その手の鞭が、先端から花びらのように分解され、消えた。

「……最後に教えてほしい。なにが起こったのかを」

「へ、へへ……。ちょっと、主人公になっただけさ……」

 満身創痍の重傷のまま、翔機が笑ってみせる。

「あの瞬間……俺の右手には、『あらゆる異能を打ち消せる』能力が宿っていた……。お前自身を消滅させるには時間が足りなかったかもしれないけど、お前が持っていた魔力は消し飛んだはずだ」

「……なるほど。だから、切れないはずの魔力のリンクが切れたのか」

 勝負に敗れたことで、先ほどまであったガイアの熱は完全に冷めている。

 見れば、ただの人間相手に随分と恥ずかしいことをしたものだ、とボンヤリ思う。

「敗北か……」

「……おい、お前」

 天を見上げ、苦い敗北を味わおうとしたガイアを、翔機が容赦なく邪魔する。

「俺の怪我はいい。……だけど、アルテミスの綺麗な脚を傷つけたことは謝れ」

「えっ!?」

「…………」

 なんの前触れもない翔機の言葉に、アルテミスが面食らう。

 ガイアは珍獣でも見るような目で翔機を観察した後、目を伏せてアルテミスに謝罪した。

「……すまなかったな」

「い、いや、ガイアも謝らなくても……」

「……敗者に弁解する権利などないだろう」

「その通りだ。わかってるじゃないか、ガイア」

「……あんたらって、結構似た者同士だったのね……」

 ガイアも元は人間。今は人々を見守る精霊だ。

 戦争さえ関与しなければ、こんなものなのかもしれない。

「……そろそろ去らせてもらう。敗北した私の望みは叶わず、これからも精霊という『特別』なものとして生きよう」

 その言葉だけは少し淋しそうに言い、ガイアが背を向ける。

 美咲と最後の言葉でも交わすのか、翔機たちから離れて歩き出した。

「おい、ガイア」

 その背中に、翔機は声をかける。

 今回少しだけ特別になれた……『普通』歴の長い、ベテランとしてのアドバイスを。

「お前は『特別』だって言うけどな。お前にとっては、その『特別』が『普通』なんだよ。今のお前が『普通』で、そうじゃないお前を望むなら……たとえそれが大勢の人間の持ち物であっても、そっちの方が『特別』なんだ」

「――――」

 アドバイスのつもりで投げかけたその言葉は、翔機自身も途中で何を言いたいのか分からなくなってしまった。

 それでも、ガイアには届いたらしい。

 彼らしい、皮肉たっぷりの笑みを浮かべながら、振り向いてこう言った。

「……ああ。それでは、私もお前のように『特別』を目指すことにしよう。……今田翔機。私に勝ったのだから、最後まで勝ち抜け。そして、私を踏み台にした責任として、きちんと銀の精霊を神にしろ」

「当然だ! ……って、え?」

 元気良く返事をした翔機だったが……疑問が混じる。

 隣のアルテミスも、

「……え?」

 同じように呆然としていた。

「お、おいおい! 間違えるなよ、ガイア! 『勝ち抜く』も何も、俺たちはお前を倒したんだから、これでアルテミスは神に――」

「……何を言っているんだ? 『戦争』に参加した精霊が、私だけのはずがないだろう?」

「――――」

 ガイアの言葉に二人が絶句した……その時だった。

「…………」

 翔機のポケットの中で、ケータイが震えている。

 ディスプレイに表示されている番号は――叶の病院。

 ――嫌な予感がした。

 翔機の嫌な予感は、非常によく当たる。

〝災厄〟を……『最悪』を予見するその魔眼は、見たくない現実がよく視える。

 震える指で通話のボタンを押した。

 電話の向こうから聞こえてくる声は、先日、翔機がナンパした看護師さんのものだ。

 ――なーんだ、やっぱり俺に気があって、ラブコールしたくなったのか。

 そんな風に自分を誤魔化す翔機の耳元で、切羽詰った声が流れ続ける。



「大変です、今田さんっ!! 叶ちゃんが――――」




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