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チャンス3. 英雄の資格



「三百六十……三っ!」

 ……どすん。

「三百六十……四っ!」

 ……どすん。

「…………」

 夜。翔機のボロアパート。

 いつも通り最低限のメニューで質素な夕食を済ませた後、また翔機は前回り受身をしていた。

「三百六十……六ぅっ!」

 ……どすん。

「……あのさ。『詳しくは帰ってから』って言っておきながら、晩ごはん食べた後、ひたすら受身の練習ってどうなの?」

 アルテミスにとっては何の伏線もなく「今晩、戦争をする」と言われ、どう対応していいのか分からないでいた。

 精霊同士なら魔力の発生などから場所を特定できるが、なんの能力も無い一般人で脇役の翔機がガイアを見つけられたとは思えない。仮に見つけられたとしても、何の策もなく戦える相手ではない。

 よって、アルテミスとしては現状まだまだ準備段階であり、情報収集や戦略を固める期間だと思っていたのだが……翔機はそんなことを考えていなかったらしい。

「おー。悪いな。一日千回の受身は日課なんだ」

「日課って……。毎日千回も受身の練習してるの?」

「ああ。どーせ、やることもないしな」

「…………」

 翔機にそう言われ、アルテミスは部屋を見渡す。

 何もない……とまでは言わないが、少なくともアルテミスが学習してきた『常識』と比較すると、圧倒的に物がなかった。部屋にある家具は、高さの低いベッドと布団が一式、小さなローテーブルが一つ……だけである。制服や安価なメーカーの私服数点は、備え付けの小さなクローゼット兼収納スペースに収められている。その他のものといえば、翔機の趣味が詰まった宝箱型のトランクくらいだ。

「確かに物が少ないわよね……。なに? そんなにお金ないの?」

「……『貧乏はするもんじゃねぇ。味わうもんなのさ』」

「……毎度、そのドヤ顔がムカつくわ」

「俺の一番好きな名言なのに!?」

 ……どすん。

 アルテミスと会話しながらでも、受身練習は止まらない。

「……はぁ。で、なんなの? ガイアの居場所を見つけたの?」

「そんなわけないだろ。あいつがどこにいるかなんて分かるかよ。……見つけたのは、パートナーの方だ」

「! よ、よく見つかったわね……。やっぱり、学校の人間だったの?」

「ああ。俺の睨んだ通りだ。こういう話の場合、敵は十中八九、主人公と同じ学校にいる」

「…………」

 相変わらずフィクションと現実をごっちゃにしている翔機に、アルテミスは頭が痛くなったが……それでも、敵のパートナーを見つけたのは朗報だ。

「で。とりあえず、呼び出しておいた。時間は今晩0時。場所は、学校のグラウンド」

「……そう」

「おっと。もちろん、できるだけ穏便に済ませる予定だ。あのいけ好かない野郎のパートナー、かなり美人の先輩だったからな……。話し合いで解決するのがベストなんだが……」

「……契約した精霊が神になった場合、パートナーの願いを叶えるのは、きっと向こうも同じはずよ。人間は普通に欲望もあるし、まず話し合いじゃ解決しないでしょうね……」

「やっぱ、そうか……」

 翔機は一旦受身の練習を中断し、アルテミスと向かい合った。

「……脱げ」

「~~~っ!!」

「ばるすっ!?」

 当然のように、翔機の部屋が銀色に輝いた。

「ち、違う! 戦闘になるかもしれないから、そのお気に入りの服は着替えておいた方がいいぞ、って言いたかったんだ!」

「だったらそう言いなさいよ! どうしてわざわざ紛らわしい言い方するの!」

 アルテミスが真っ赤な顔をしながら、ユニットバスに入っていく。

 少しして、最初に出会った時と同じドレス姿になって帰ってきた。遊部からもらった洋服は、大切そうにたたんで胸に抱きかかえている。

「……もう少ししたら出るか。何か、注意事項や打ち合わせしておくべき事柄はあるか?」

「そうね……」

 そこで、アルテミスは翔機の首元にぶら下がっているペンダントを見た。つられて翔機も見ようとするが、自分の首元なので難しい。

「……いや、いいわ。……そうね。もし本当に危なくなったら、そのペンダントを外しなさい。あいつは腹が立つほど気に入らないけど、たぶん、無関係になったあんたを狙うことはないと思うわ」

「……そのアドバイスは難しいな。ハッキリ言って、俺は負けるつもりはない」

 ニヤリ、と笑いながら拳を突き出すのを見て、アルテミスは一瞬呆気にとられたが……すぐに笑って、翔機と拳を合わせる。

「まったく。いつもそんな感じだったら、あたしも文句ないんだけどね」

「俺はいつだって俺だぞ?」

 心底疑問そうな翔機にアルテミスが笑い、ボロアパートを後にした。



 深夜の学校というのは、病院の次くらいに不気味な雰囲気がある、と翔機は思った。

 そんな不気味なグラウンドまで辿り着くと、真ん中に、堂々と立った二つの影がある。

「……素敵なラブレターをくれたのはあなた?」

「そうだ。豊水美咲先輩」

 満月を隠していた厚い雲が、風に流されていく。

 月光に照らされて浮かび上がる二人の姿。

長身で言いようのない奇妙な雰囲気を携えた男と、一見、高校生には見えないほど大人びた、濃いメイクと金髪の女。

 ガイアの姿が見えた途端、隣のアルテミスが緊張したのがわかった。

「どうしてあたしが、ガイアのパートナーだとわかったのかしらん?」

「……俺が今日、女子更衣室を覗いたとき。最初に殴りかかってきた先輩三人にボコられながら、俺はボソッと「俺のパートナーになりませんか?」と囁いた。……もっとボコられた。次に俺を殴りに加わった二人の先輩に、「俺があなたの将来のパートナーです!」と宣言した。……踏みつけられた。そして次に……と繰り返した時、『パートナー』という単語を連呼して一番反応したのが……豊水先輩、あなただったのさ!」

 自信満々に経緯を解説する隣で……アルテミスが残念そう顔を覆う。

「……手紙に『ガイアのパートナー様へ』って書いてあったから来てみたけれど……明確な証拠があるわけじゃなかったのねん。あたしが迂闊だったわ~」

「……構わん。どうせいつかはこうなっていただろう。……銀の精霊よ」

「……っ」

 ガイアに声をかけられ、翔機の残念さに弛緩していたアルテミスの身体が再び強張る。

「私は言ったはずだ。リンクを断ち、即刻この地から立ち去れと。……どういうつもりだ?」

「話し合うつもりだ!」

 翔機は腕を上げてアルテミスを庇う格好を取りながら、一歩前に出た。

「おい、豊水先輩。あんたの望みはなんだ? もし神様の奇跡以外で叶う方法があるなら、その方法をとってほしい。俺も協力する。だから、この戦争は譲って欲しい」

「あたしの望みはぁ~……『超イケメン彼氏をゲットすること』よ!」

「…………」

 想像以上に下世話な内容だったので、翔機が硬直する。

 隣から、「あんたの願いだってハーレムでしょ……」と小さな呟きが聞こえた。

「だ、だったら、俺が探すのを手伝ってやる! だから――」

「イ・ヤ・よ」

 美咲がセクシーに舌を出して拒否。

「あたしが求めてるのはぁ~、超☆イケメンなの。……もうその辺の男には飽きちゃったわ。どいつもこいつも外面だけの軟弱野郎。なんなのぉ~、あれ。『草食系』とか言うらしいけど、笑っちゃうわぁ~。男がなよなよすんなっての」

 吐き捨てるような美咲の言葉に、翔機も絶句。

 パートナーの方が厳しいと見て、難しいと知りつつ、ガイアの懐柔に入ることにした。

「……お前はどんな理由で戦争なんかに参加してるんだ? 悪いが、俺は絶対に負けるわけにはいかない。なんとか、譲ってくれないか?」

 腹の立つ相手だったが、お願いをする以上、できるだけ下手に出てみる。

 その翔機の態度を見て、ガイアはまた心底人を馬鹿にした笑みを浮かべる。

「フン。……まあ、せっかくだから教えてやろう。……私はな。生前、女にモテたのだ」

「はあっ!?」

 このシリアスな場面でまたも下世話な話題が上り、本格的に混乱する。

「私はそんなことは望んでいなかった。……しかし、何がいいのか女は無数に寄ってきたし、それにつられて男も寄ってきた。……その頃からだ。私が『普通』を願ったのは」

「……! ……!!」

 翔機の体が小刻みに震える。

「だが、その後も女は絶えず寄ってくるし、そのせいで男からも因縁をつけられ、喧嘩三昧の日々だった。……精霊というのはな。生前に自分の人生を『後悔した者』がなるのだ。特別な力を持ち、神になれば、己の望みはなんでも叶う。ある意味、現行の神からの贈り物だ。……しかし私の場合、それは余計だった。『普通』になりたかった私が、精霊や神などといった『特別』にされても、理想から遠ざかるばかりだからな」

「…………っ!」

「ちょ、ちょっと……どうしたのよ、翔機」

 体を震わすばかりか、顔まで真っ赤にし始めたので、アルテミスもさすがに気になって声を掛ける。

「だから私は、神になり、その力で私という精霊・神を消滅させようと思っている。それでようやく私は『普通』となり、輪廻の輪に戻ることができる」

「……ふざ、けるな……」

 顔を真っ赤にして震え続けていた翔機は……ガイアの言葉が終わって、ようやく顔を上げ、盛大に叫ぶ。

「お前だけは絶対に許さねぇ! 戦争だ! 戦争ーーーーーっ!!」

「お、落ち着きなさい……!」

 ぎゃあぎゃあ喚く翔機を必死にアルテミスがなだめるが……効果は薄い。

「『特別』が嫌だっただと!? ふざけるなっ! こちとら、どれほど『特別』を願っても、全く特別にはなれなかったんだぞ!? なにをやっても『普通』で、平凡! 今回のアルテミスとの出会いだって、本来なら俺以外の奴が紡ぐはずだった物語を、無理矢理奪ったんだ! ……そこまでして! そこまでして、俺はようやく『特別』に近づけたというのに……お前は――――っ!!」

 アルテミスが後ろから羽交い絞めしているお陰でなんとかこの場に留まっているが……離したらすぐにでも飛んで行きそうだ。

「……小僧。お前は私が憎いかもしれんが、私だってお前は憎い。私がどれほど願っても手に入れられなかった『普通』を平然と手にし、さらにそれを手放そうというのだからな――!」

「ガイアまで熱くなったら、余計ややこしくなるんじゃないのぉ~?」

 美咲に隣から注意され、ガイアは一度目を閉じて精神を落ち着けた。……翔機は相変わらず「戦争だー!」と叫んでいる。

「……小娘。お前も、戦争を辞退する気はないのだな?」

「…………」

 威圧と共に確認するガイアを見据えて……アルテミスも、覚悟を決めたように頷いた。

「……いいだろう。弱い者をいじめるのは私の趣味ではないが、力の差がわからないというのなら、講義してやる」

 そう言って、ガイアは美咲から少し離れる。美咲もガイアから離れるように移動した。

「離せ、アルテミス! 俺はあいつを殴る!」

「落ち着きなさい、翔機! 精霊に人間が対抗できるわけないでしょ!」

 腕を銀に光らせながら、翔機を後ろに軽く投げるアルテミス。背中から地面に落ちた翔機が地面で悶えた。

「いい? 戦争の基本は精霊同士・人間同士による戦闘よ。あんたがあたしの腕力に対抗できないように、魔力を持つガイアに人間である翔機が適うはずないわ」

「ぐぅ……だが俺は、あいつを殴りたい……!」

 本気でガイアと相性の悪そうな翔機。

アルテミスはため息を吐いた。

「いいから、ガイアのパートナーが援護したりしないように手を塞いでおいてくれる? ガイアは……あたしが、なんとかするわ」

 そう言ってアルテミスは、靴の感じでも確かめるようにつま先で地面を突いた。

出会った時はサンダルだったその足元の銀は、今はブーツの形状をしている。

「安心しろ。美咲に手は出させないし、お前を殺すつもりもない。ただ、力の差を教えるだけだ」

「……随分ナメられてるのね」

 ガイアの言葉通り、パートナーの美咲は戦う気がないのか、グラウンドの隅にある小さな花壇の縁に腰掛け、退屈そうに欠伸をしている。

 翔機も警戒しつつ、ガイアからも美咲からも距離がとれるように下がった。

「言葉で言ってもわからない小娘には、これが一番わかりやすいだろう。遠慮するな。思う存分、お前の最大の攻撃を仕掛けて来い。受け止めてやろう」

「……ほんっと、ナメられてるのね」

 さすがに不機嫌な顔になったアルテミスが、ガイアの至近距離まで近づく。長身のガイアは、その気になればいくらでも攻撃できそうな距離にもかかわらず、なにもせずに棒立ちとなった。

「……ありがと。お陰で――勝てるわっ!」

 言葉と同時、アルテミスが渾身の踵落としを繰り出した。

 それを遠目で見ていた翔機は絶句する。

 信じられない速度と威力だった。普段翔機が受けていた銀色パンチは、アルテミスなりにとんでもなく手加減したものであったことがわかる。

 通常の人間では考えられないほど跳び上がり、体を捻って回転を加え、その体勢のまま空中で一回転し、その後は――速すぎて、目で追えない。

 翔機には見えなかったが、銀のブーツはアルテミスの全魔力が込められ、攻撃がヒットする直前には光速を超えたため、摩擦で火が上がっていた。

 それを――

「……フン」

 ガイアが、平然と受け止めた。

「っ!? 嘘でしょう!?」

「だから言ったのだ。力の差があり過ぎると。どうやらお前も、私との力の差を正確に判断できていなかったようだな」

「…………!」

 地に舞い降りたアルテミスが、悔しそうにガイアから距離をとる。

 離れていた翔機は、我慢できずアルテミスに駆け寄った。

「……ひょっとして、ヤバい?」

「ええ……かなりね……。言っとくけど、今のがあたしの最強の攻撃、全力よ。……ほら」

 そう言って、自分の足元……ブーツを示す。

 眩いばかりに光り輝いていた銀のブーツは……黒く燻んでいた。

「……あたしの魔力供給源は〝純銀〟なの。手持ちにある銀はこれだけだから、正直、後がないわね……」

 前方のガイアに注意を払いながら、アルテミスが冷や汗を流す。

「……今ので実力差はわかっただろう? 今この場でリンクを解除し、降伏してもらおうか。さもなくば――少々手荒なことになる」

 そう言いつつ、ガイアは懐から西洋の剣を取り出した。装飾は少なく、実用性を重視して作られたということが一目で分かるものだ。

「先程の攻撃を見る限り、君は武器を持っていないようだな? 武器の無い精霊など聞いたことがない。成り立てだからなのか、それとも銀の精霊という位がその程度のものなのかは知らんが、話にならないな」

「……っ!」

 アルテミスが奥歯を噛み締める。

 翔機は、少し前までは頭に血が上っていたが……絶体絶命の状況に追いやられ、例の開き直った冷静モードに突入していた。

「……アルテミス。俺は勝ちたい。何か可能性……チャンスは、ないか?」

「……真正面からじゃあ、ダメね。あたしが魔力を集中した攻撃は、あいつの魔力を集中した防御に適わない。なんとか、隙をついて死角から攻撃できればいいけど……」

「……わかった。なら、隙は俺が作る。そこでなんとか攻撃してくれるか?」

「……本気? さっきの、見たでしょ? あいつはきっと、あたしの蹴りよりも強力な攻撃をしてくるわよ?」

「痛いのも死ぬのも嫌だが、それしかチャンスがないなら、そうするしかないだろ。いいか? 絶対に、ミスるんじゃねーぞ?」

 半ば意見を押し付けるようにして、翔機が前に出た。

「……正気か?」

 ガイアが狂人を見るような目で失笑する。

 精霊と人間の力の差を考えれば、当然だろう。

「俺は初めて会った時からお前が気に入らなかったんだ。残念ながら、『脇役は人生』の俺は、嫌いな人間すら殴れないような優等生ちゃんじゃないぜ?」

 ガイアの失笑に合わせて、翔機も嘲笑する。

 内心は緊張と恐怖で破裂しそうだったが、それは死んでも表に出さない。

「……いいだろう。パートナーを殺しても戦争は終結だったな。人殺しは好かんが、仕方あるまい」

 そう言って、ガイアは剣を懐に仕舞う。

足を開いたまま両手を下げ、自然な立ち姿のまま翔機を睨んだ。

「いいのかよ? 『自慢の剣を使わなかったので負けました』……なんて言い訳は、通らないぜ?」

「……フッ。安心しろ。人間ごとき、拳だけで十分だ」

「…………」

 翔機は両拳を握り、半身になった。小さい頃に習っていた拳法の構えだ。

 そして――

「……っ!」

 次の瞬間には構えなんて解き、ガイアに向かって全速力で駆け出す!

「…………」

 一見無策に突っ込んでくる翔機を見て、ガイアは何の感慨もなく拳を振り抜いた。

「――今だ、チャンス!」

 ガイアの拳のリーチ、ギリギリまで迫ったところで――翔機は、まるで石に躓いたかのように自ら転んだ。

「――!」

 ガイアは拳を引き戻し、すぐに蹴りを見舞うも――一か八かで右に転がった翔機は、寸前で躱してしまう。

 そのまま、右回転に――ガイアの背後に回り込むように地面を転がり続ける。

 主人公としては格好のつかない、情けない立ち回りだが……翔機は脇役だし、ここまで想像以上にガイアの予想を裏切ることができた。しかし――

「…………」

 翔機のトリッキーな動きにほんの一瞬だけ動揺したガイアだったが、ここで平静を取り戻した。

 翔機の攻撃など、魔力を集中して防御にあたらずとも、大したダメージにはならない。だから、焦る必要などないのだと……冷静に翔機を追って、振り返った。が――

「うらああああああああっ!!!」

 そのタイミングで、アルテミスも戦闘に参加する。

 ガイアの背後。隙だらけの背中に、痛烈な蹴りが――

「それは、ルール違反なんじゃな~い?」

「!?」

 蹴りがガイアにヒットする直前で、間に美咲が割って入り、アルテミスの攻撃はガイアの背中ではなく、美咲が持っていた物に阻まれる。

「っ! いったぁ~い!」

 美咲が持っていたものは……ロープのように長い鞭だった。

「助かった……と言いたいところだが、あの程度の攻撃はなんでもない。それよりも、美咲。もしあの蹴りに全力の魔力が込められていたら、君の方が危なかったぞ?」

 翔機とアルテミスに挟まれて背中合わせになった二人が、お互いの敵を睨むように前を向いたまま会話する。

 まずい、と翔機は思った。

 奇襲は基本的に一度きりだ。同じ手はもちろん使えないし、そもそも奇襲というのは、その攻撃が有効な場合にこそ意味がある。翔機の攻撃がガイアに届かないということを再認識されてしまった以上、もう翔機が相手にされることはないと考えていい。

「だぁ~いじょうぶよぉ~。銀の精霊? は、もう魔力が残ってないんでしょぉ~?」

「……そうだな。確かに、それなら君に任せてもいいかもしれない。私も精霊とはいえ、女を殴るのはあまり気分の良いものではないしな」

「…………っ」

「…………」

 アルテミスは悔しそうに歯噛みしたが、翔機は未だ冷静にチャンスを探していた。

 しかし……見つかるわけがない。

 最初から、戦力に差がありすぎたのだ。

「ガイアの魔力を~、ちょぉ~っと借りるわよぉ~」

 美咲がそう言うのと同時、鞭が妖しく光り……次の瞬間には、数十倍まで巨大化した鞭が、アルテミスを打っていた。

「――っ!!?」

 頭を殴られたせいか、地面に伏せたまま起き上がらない。

「アルテミスっ! 大丈夫かっ!?」

「……他人の心配とは余裕だな、小僧」

 非現実的な光景に目を奪われた一瞬。

 そのわずかな時間に、ガイアが翔機の目前まで移動し、左腕を掴んでいた。

「これでもう、ちょこまかと逃げ回ることはできんぞ? ……安心しろ。殺しはしない。だが、二度と戦争に参加したいなどと思わぬよう、体に教え込んでやる」

 翔機の腕を掴んだまま、空いていたガイアの左拳が翔機の腹部に深く突き刺さる――

「――――っ!? ド……ふ……」

 比喩ではなく、どすん、と音がした。

 堪らず血を吐き出した翔機は、そのまま意識を失った。



 ……。

 …………。

「……………………ぅ」

 ぼやけた視界の中、翔機に薄っすらと見えた映像は……見慣れた天井だった。

「……よかったわ。気が付いたのね?」

 すっかり聞きなれた声に振り向くと……ベッドの脇に、アルテミスが控えている。

「……よぅ、アルテミス……。今日も、綺麗だな……」

「……冗談が言えるほど余裕があるのはすごく安心するけど、今は喋らず安静にしてなさい」

「……お前、傷は……?」

「……あたしは大丈夫。魔力の流れを駆使すれば、ある程度は治癒ができるの。……ごめんなさい」

 その謝罪は「自分だけ楽になってごめんなさい」という、翔機にとっては色々と反論したくなるような意味合いだったのだが……そんなことを注意できないほど、翔機は弱っていた。

「たぶん、骨は折れてないわ。……びっくりした。本当に鍛えているのね。それとも、ガイアの拳が命中する瞬間に、なにかしたのかしら?」

「…………」

 翔機にさえ自覚はないが、生命が脅かされ、ほとんど本能で最低限の防御を……体を捻り、急所を避けていたのだ。もちろん、日頃から鍛えており、ある程度筋肉がついていたというのも大きいが。

「……お水でも淹れてくるわ」

 そう言って立ち上がったアルテミス。

 翔機の傍で立ち上がったので、その美しい脚を包むニーソックスと短いスカートが織り成す絶対領域が、翔機の目の前に晒されることになった。

「……(今だ、チャンス!)」

 身体がボロボロでも相変わらずの翔機だ。

 しかし……そんな欲望もすぐに萎む。

「…………」

「はい、お水。飲める?」

 まだ完全に起き上がるのはキツそうだったので、微妙に上体を上げる程度に留め、水を飲む。

 水分が足りずカラカラになっていた口が潤い、幾分話しやすくなった。

「……アルテミス。お前……脚の怪我、治らないのか?」

「えっ。……う、うん。痛みやダメージはすぐに治るんだけど……外傷を見た目まで完全に治すのは時間がかかるのよ」

 苦笑いしながら、そっと自分のふとももに触れる。

 それを見た翔機は……怒りと罪悪感で押し潰されそうになった。アルテミスが自分の脚に自信を持っていたのは……よく知っていたから。

「あの……さ。……悪かったわね、巻き込んじゃって……。でも、死なないでくれて本当によかったわ。……あたしには、まだこういうの、早かったみたい。だから……ごめんね」

「……なんで、謝る」

「そんな大怪我させちゃったし……一歩間違えばあんた、死んでたわ。……本当に、ごめんなさい。パートナーを守るのは精霊の役目なのに……あたし、全然あんたを守ってあげられなかった……」

「…………」

 見ている方が痛くなりそうなほど悲痛な表情でアルテミスが懺悔する。

 それは、翔機が一番嫌いなものだ。

 美少女が大好きな彼は、なによりも、美少女が悲しむのが辛い。

「……だからね。もう、終わり。協力してくれてありがとう。あんたのこと、ずっと忘れないわ」

 アルテミスが、翔機の首元に手を伸ばす。

 銀のペンダントを……リンクを、解除する気なのだろう。

 その手を、翔機が優しく握った。

「……俺は、自ら望んでお前のパートナーになったんだ。巻き込まれ系主人公じゃねえ。自分で望んでこの舞台に立った以上、命を落とす危険も当然、覚悟している」

「……ごめんなさい。あたし、あんたに隠し事してた」

 顔を俯かせたまま、アルテミスの懺悔は続く。

「……あたしね。……一番弱いの。精霊になって、一ヶ月くらいだと思う。だからきっと、ガイアが相手じゃなくても、他の精霊でも……誰にも勝てなかったと思う。……本当は、最初からわかってた。勝ち目がない戦いだと知っていて、それでも戦うことにしたの」

 後悔しているのか、その綺麗な瞳には涙が浮かんでいる。

「たとえ可能性がゼロに近くても……やってみなくちゃわかんないって、思った。がんばって、みたかったの。……でも、あたしは考えてなかった。あたしのパートナーになってくれた人間が……死ぬかもしれないなんて、本気で考えたことはなかった。だから……本当に、ごめんなさい」

「…………」

 はっきり言って、翔機にはそんなこと、どうでもよかった。

 アルテミスがどんな風に考え、何に後悔と罪の意識を感じていたとしても……翔機としては、これまでの人生で最大のチャンスだったのだ。

 だから、アルテミスには感謝こそしても、非難するつもりなど全くないのだが……それを言ってアルテミスが納得しそうにないことは、雰囲気で感じた。

 なので、代わりにこう言う。

「……隠し事はお互い様だ。俺もお前に隠し事してた。……行こうぜ。今度は俺の番だ」

「ちょ、ちょっと! 大丈夫なの!?」

 ベッドから起き上がった翔機を見て、アルテミスが慌てるが……翔機は手で制した。

 クローゼットから上に羽織る服を引っ張り出し、外に出る。

 目指すは――病院だ。



 病室。

 ネームプレートには『今田叶』と書いてあった。

「お兄ちゃん! いらっしゃい!」

 ノックをして翔機が顔を見せると、叶がこの世で一番の幸せを手に入れたかのように、満面の笑みを浮かべて歓迎した。

「……おう」

 抱きしめると腹部の傷に響くという以上に、単純に叶に怪我の心配をかけたくなく、翔機はいつものやりとりを自粛する。

「…………むー」

 翔機に抱きしめてもらえなかったのが淋しいのか、叶はちょっと残念そうな顔でむくれた。

「……ほら、アルテミス。こっち来い」

「え? あ、うん」

 翔機が怪我をしたことに責任を感じていたアルテミスは、病室の入り口辺りで立ち止まっていた。……叶に怪我のことを聞かれるのが恐かったのかもしれない。

 翔機に促され、アルテミスが叶のベッドに近寄る。

 その姿を視界に収めた叶は、こう言った。


「ふわー……綺麗な人だねー……。お兄ちゃんの彼女さん?」


「……え? また繰り返しネタ?」

 アルテミスが戸惑うが、今回は例の抱きしめる前フリがなかった。

 そんなアルテミスを他所に、翔機は当たり前のように続ける。

「そうだよー。まぁ、『将来の』ってのがつくけどな。……だが、安心しろ! おにーちゃんはハーレム主義者であるからして、叶のこともちゃんとお嫁さんにしてやるからな!」

「わーい。ありがとう、お兄ちゃん」

 抱きしめられない代わりに翔機が頭を撫でてやると、叶がくすぐったそうに笑って喜んだ。

「……今日はお医者さんからお話があるみたいだから、ちょっと行ってくるな」

「えー。そうなのー? じゃあ、わたしが早く退院できるようにお願いしてきてね!」

「ああ、任せとけ。可愛いカナが、早く学校に行けるように頼んでくるからな!」

 もう一度、愛情を伝えるように頭を撫で……翔機とアルテミスは病室から出る。

 そのまま、無言で歩き続けて……二人は病院の屋上まで移動した。

 屋上へ続く扉に鍵はかかっておらず、誰でも自由に出入りできるようになっている。

本日は晴天にもかかわらず、屋上に人はいなかった。

 屋上の真ん中辺りまで静かに歩いた後……翔機が、なにかを諦めるようにポツリと呟いた。


「……叶はさ、もう三年間も入院してるんだよ」


 そこに存在する矛盾。

それを理解できないアルテミスは、黙ったまま、次の言葉を待つ。

「……普通、盲腸っていう病気はそんなに長い間入院したりしない。叶自身も知らないけど……叶は、盲腸じゃないんだ。別の病気……記憶系の障害を抱えている」

「…………」

 そこまで聞いて、ようやくアルテミスは納得した。

 やたらと同じような言葉を繰り返したり、時々話が噛み合っていないように感じたのも、全てはその障害のためだったのだ。

「……俺と叶の親はさ。本当に、ひどい人間で。今はもう自殺しちまったけど……親父は、毎日家庭内暴力を振るうような人間だったよ。大体は俺が対象だったけど……たまに叶が巻き込まれることもあった。母親は見て見ぬふり。親父が自殺した後、母親は不倫相手と再婚した。……俺たちを捨てて」


 翔機がボロアパートで貧乏暮らしをしていたこと。

 アルテミスの銀色パンチや、覗きで女生徒に殴られても、耐性があったこと。

 誰よりも主人公を……物語のような『奇跡』を望んでいたこと。


 これまでアルテミスが疑問に思っていた数々の出来事は、今、ようやく繋がった。

「親父の暴力の巻き添えを食らったからか、それとも母親に捨てられたのがショックだったのか……叶は、記憶があやふやになっちまった。もう三年間、まともに記憶がされない。本当は13歳なのに、今でも自分が10歳だと思ってる。それどころか、これまでの十年分の記憶すら、失いかねないらしい。今は、病院のあらゆる治療でギリギリ記憶を保っているらしいが……それも、いつ限界が来るか、わからない」

「――――」

 アルテミスは絶句した。

 誰が翔機にそんな事情があると想像できただろう。

 いつもヘラヘラと笑い、フィクションと現実をごっちゃにして、毎日を楽しそうに過ごしていた翔機。

 その実、彼は、一般的な高校生が背負いきれないほどの荷物を背負い、必死に現実と戦いながら生きてきたのだ。

「……じゃあ、あんたの望みは」

 問いかけるアルテミスの声が震える。

 答えなんて、わかっている。わかりきっている。

 てっきり、本当にハーレムを目指しているのだと思っていた。フィクションの世界を夢見る中二病には、お似合いの望みだと思った。

 白状すれば、アルテミスは内心、馬鹿にしていたのだ。

 自分は過酷な条件の中で前に進むことを選び、負け戦だとわかっていても必死に運命に抗うと決めた。そんな自分と比べて……パートナーは、なんとつまらないことを望んでいるのだろう、と。

 だが違った。

 つまらない、なんて、とんでもない。

 翔機は、自分よりも遥かに重い決断をしていたのだ。

 自分よりも、遥かに覚悟をしていたのだ。

 ことあるごとに「死のリスクは考えている」と言っていた。あれは、嘘でも冗談でもなかった。

 ただ、自分の望みのために。

 自分の命よりも大切な、願いのために。

 その願いが――




「叶を、守ること」



「…………」

 アルテミスは唇を噛んだ。

 己の非礼を詫び、土下座して翔機に謝罪したかった。

 しかし、そんなことをしても、何にもならない。

「……勝ちましょう」

 だから、そう言った。

 翔機の命の心配など、する必要がなくなってしまった。

 翔機にとっては自分の命よりも、望みの方が尊いのだ。

「あんたにはきっと、英雄になる資格がある」

「……主人公じゃなくてか?」

「主人公は、戦わなくてもなれるわ。でも、英雄には戦わないとなれないでしょう? あんたには主人公よりも、英雄の方が似合ってるわ」

「……そっか」

 翔機は笑いながら手を差し出す。

 アルテミスも微笑みながらその手を握った。


〝最弱の精霊〟と〝最強の中二病〟が、真の意味でタッグを組んだ瞬間だった。




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