チャンス2. リア充への道
「四百九十……七ぁっ!」
……どすん。
「四百九十……八ぃっ!」
……どすん。
「…………ん」
翌朝、アルテミスは変な雄叫びと軽い地震によって目を覚ました。
もちろん、変態である翔機と同じ部屋で眠るのに抵抗したが、「確かにお前は美少女だから、そういう気になる可能性はあるが……落ち込んでる女の子に手を出すほど、俺は腐っちゃいねえ」という発言を信じ、ベッドを借りていた。
今の時間までぐっすりだったことを考えると、本当に何もされなかったようだ。
「四百九十……九っ!」
……どすん。
アルテミスにベッドを貸した翔機は、普通に畳の上で寝ていたはずだが……声が聞こえるということは、先に起きたのだろう。そんな風に考えながら、アルテミスが顔を上げると――。
「五百ぅっ!!」
「きゃあっ!?」
翔機がアルテミスの頭に、踵落としをする直前だった!
アルテミスが慌てて後方に跳び下がる。
「な、何考えてんの、あんたっ!」
「おっ。起きたー? おはよー」
目覚めから心臓に悪い攻撃を受けたアルテミスが怒り心頭で叫ぶが、翔機はのんびりと立ち上がり、タオルで汗を拭く。
「なんで朝っぱらから変態に足攻めされなきゃいけないのっ!」
「落ち着け。俺が変な性癖の持ち主みたいじゃないか……。狭い部屋だからちょっと距離が近かったが……俺の前回り受身は正確だからな。テミスの綺麗な顔を傷つけることは絶対にあり得ないって」
「き、綺麗って……。いや、名前を略すなっ! ……え。受身?」
照れたり注意したり疑問に思ったりと、忙しいアルテミス。朝から大変だ。
「おうよ。俺の必殺技は前回り受身なのさ! こう……転んだのに前に進む感じが、実に前向きでいいと思わない?」
「いや、受身に対してそんな感情的になられても……」
どうやら翔機は、寝ている美少女に踵落としをする性癖の持ち主ではなく、単純に朝から受身をする変態だったらしい。……それはそれで、随分とアレなのだが。
「さておき、いい朝だな。うん。今日も綺麗だぞ、アルテミス!」
「き、綺麗……いや! あんた、女の子なら誰にでもそういうこと言う奴でしょ!」
「もちろん! 世界中の女の子は俺の嫁!」
今日一番の、銀色パンチが光った。
「うぐぅ……調子はどうだ、アルテミス……?」
「パンチの調子はすこぶる快調よ。ていうか今さらだけど、手加減しているとはいえ、あたしのパンチを受けて平然と立ち上がるあんたもすごいわよね……」
「いや、お前のパンチはマジで世界を狙えるというか、俺はお前にパンチの調子について尋ねたわけではないというか……昨日から落ち込みモードだったのは回復したのかって意味だったんだが」
「…………」
刺激的な目覚めのせいで忘れていた現実を、アルテミスが思い出す。そしてそのまま、昨日と同じローテンションモードに突入。
「……あー。昨日は時間を置こうと思ったからそのままにしたけど、もう限界。なんなの、そのテンション。あいつ……ガイア、だっけ? あいつがどうかしたわけ?」
「……そうね。いつまでも、話さないままってわけにはいかないわね」
意を決したように、アルテミスが居住まいを正し、畳に正座した。
つられて翔機も正座をして話を聞く体勢に入る。
「結論から言うわ」
「お前、結論から言うの好きだな」
「…………」
「……ごめんなさい」
「望みが叶う、なんて期待させておいて本当に申し訳ないけど……今回の戦争、勝てなくなった」
「…………」
「あいつ……大地の精霊は、あたしなんかとは比べ物にならないくらい大物よ。おそらく、何十年……ううん、下手したら百年以上精霊をやっているのかもしれない。だから、勝てない」
「なんだよ。転職じゃあるまいし、経験してれば経験してるだけ有利なんて、そんな話じゃないんだろう?」
「いいえ、近いわ。この世界と違って、精霊は完全なる年功序列と言っても差し支えないの。長くやっているほど魔力の扱いに長けてくるし、慣れてくる。そして、単純に扱える魔力量も増えるの」
「うむ、なるほど。……わからん」
「……そうね。あなたの好きなゲームで喩えてあげる。ゲームが始まりました。主人公の勇者がいます」
「おう! 『勇者』っていう響きがいいよなっ!」
「その勇者は、最後には確実に魔王を倒します。それくらい、強い勇者です」
「いいね! いいね!」
「そんな勇者が、ゲーム開始直後、最初の故郷の村でラスボスの魔王とエンカウントしました」
「なるほど。……わからん」
「さて、勇者は魔王に勝てるでしょうか?」
「わかんねーけど……たぶん、勝てるんじゃね?」
「どうしてそうなるのよ!?」
「だって勇者だし!」
「…………」
アルテミスは、己の失策を悟った。
中二病でフィクションと現実の境界が曖昧になるほどダメな子の翔機が、そんなたとえ話でまともな回答をするわけがない。
「はぁ~……」
「……ま、お前の言いたいことは大体わかった」
落ち込むアルテミスに声をかけ、ゲームやマンガが乱雑に詰まった宝箱型のトランクを漁る。そして、その中から一本のゲームを取り出した。
「この神ゲーを知ってるか?」
「知るわけないでしょ……あたしが勉強してきたのは、この世界の一般常識だけなんだから……」
「つれないこと言うな。国民的には常識と言われるほど人気のゲームだぞ、『ノケゾリモンスター』。略してノケモン!」
ゲーム内で最後に現れる伝説の鳥モンスターが描かれたパッケージを掲げる翔機。
アルテミスは、それはもう残念な子を見るような目でボーっとしていたが、構わずに続ける。
「……このゲームさ。最初の一作目は、それはもうレベルがものを言うほどのパワーゲームだったんだけど……二作目、三作目と色んなシステムが加わり、一番最近の四作目では、なんとレベル1のモンスターがレベル99のモンスターに対抗できるほどのシステムが加わったんだ!」
「…………」
「……もちろん、それはやり方や戦術の話で、レベル99のモンスターが圧倒的に有利な点は変わりないんだけどね。それでも、レベル1のモンスターもアイテムや戦術で対抗できるんだ。そして、このゲームの最強と言われるモンスター……『ギャレイラ』は、どうやって入手すると思う?」
「……どうやるの?」
翔機の話を聞いて興味の湧いてきたアルテミスが静かに訊く。まるで、最後の希望を探すように。
「進化させるんだよ、モンスターを。その進化前のモンスター……『恋キング』は、びっくりするほど弱いんだ。しかも、冒険中に出てくる詐欺師のおっさんに騙されて、大金と引き替えに入手するんだぜ? そんなモンスターが最強になるだなんて、ゲーム発売後しばらく、誰も気づけなかったほどだ」
「…………」
アルテミスにゲームの話はわからない。興味もない。
それでも、翔機の気持ちは伝わった。
「戦力の差が大きいからって、諦めるのはやめよーぜ。やってみよう。ひょっとしたら、お前も『恋キング』かもしれないじゃないか」
「――……そうね」
昨日のガイアとの邂逅以来、久しぶりにアルテミスが笑った。
「……つーわけで。とりあえず、ちゅーする?」
「はぁっ!?」
……が、笑顔は一瞬だった。
「いやほら、『恋キング』って、恋をすると進化するんだよ。うん、そう。だから、アルテミスも『恋キング』だとしたら……ほら、恋とかした方がいいんじゃないのかなーっと」
「あたし、セクハラ男は死ねばいいと思ってるのっ♪」
笑顔で青筋を立てるという、アルテミス特有のスキルを見せたところで、翔機が降参とばかりに両手を上げた。
「それじゃあ、学校に行くかー」
アルテミスから距離をとる意味でもユニットバスの中へ退避。
髪を濡らして整髪量をべったりつけ、無理矢理にブラシで撫で付ける。……こうでもしないと、頭全体の毛がギザギザと逆立つのだ。
「学校!? バカじゃないの、あんた! 命狙われてるって理解してないの!?」
「だから、行くんだよ。そこそこ常識人っぽい奴だったし、人が多いところで無茶なことはしないだろ。……それに、向こうさんのパートナーも探したいしな」
「パートナー……!!」
「おう。思い至ったか? 無理にあの感じ悪い男を相手にする必要ないんだよ。パートナーの方を狙えばいい。殺すのはやり過ぎだから……できれば話し合いで解決したいよなぁ……」
「そ、そうね! その手があったわねっ! ……でも、ガイアのパートナーがあんたと同じ学校の生徒とは限らないんじゃ……」
「いや、絶対に俺の学校の生徒だね!」
翔機は歯磨きをしつつ、確信を持って断言する。
「だいたい、マンガではそうだ!」
「当てにならない!」
「ゲームでもそういうパターンが多いぞ?」
「説得力増してないからっ!」
しかし、このまま部屋にいてもパートナーが見つかる可能性はほぼゼロなので、しぶしぶ翔機の意見を採用することにした。
制服に着替え、準備を整えると、翔機は最後に宝箱の前に座り込む。
「今日はどれにしよっかなー」
「……なにが?」
「うん? お守りだよ、お守り」
疑問を投げかけるアルテミスを適当にあしらいつつ、翔機は宝箱から一冊の小説を取り出すと、制服の内ポケットに忍ばせた。
「こうやって、カッコいい主人公の作品を持ってると……俺もあいつに近づける気がするからさ……」
窓辺を見つつ、ちょっと恥ずかしそうに鼻を擦って語る翔機に、アルテミスは端的な言葉を返した。
「キモい」
「さすがに、学校までそのまま入るというわけにはいかないぞ?」
「わかってる。まずくなったら不可視にするわ」
通学・通勤ラッシュの時間に私服姿(というか、ドレス)で街を闊歩する美少女・アルテミスは、昨日よりもさらに視線を集めていた。
太陽の光で輝く肌が美しく、瑞々しい唇も高級なガラス細工のように魅力的だ。先程、道の反対側にいたサラリーマンがアルテミスの美貌に見蕩れ、危うく車に轢かれかけた。
嫉妬の視線を浴びるのもいい加減疲れてきたな……、と翔機が思った頃。
「しょ、翔ちゃん! そ、そそそ、その女の人は……!?」
後ろから澄んだ声が、可哀想なくらい動揺した。
「おう。おはよー、神楽」
「……?」
二人が振り返ると、アルテミスとはまた違った、大和撫子然とした美しさの女の子が立っている。
「しょ、翔ちゃん! また女の子引っ掛けたの!? なにかしてほしいことがあったら、わたしがしてあげるって言ったのにぃーっ!」
ちょっと涙ぐみながら抗議する女の子……神楽にアルテミスが戸惑っていると、翔機がぼそっと補足した。
「えーっと……俺の……一応幼なじみで、時当神楽。街外れにある神社の娘で、たまに巫女さんの格好してる」
「へー……『幼なじみ』とか『巫女』とか、それこそゲームの話だと思ってたわ。あんた、ラッキーじゃない」
「脇役の俺に巫女さん幼なじみなんているわけないだろ……? 前に「俺にだって幼なじみがいるんだ! 忘れているだけだ!」って泣き叫びながら街を走り回ったことがあって……その時に、なんやかんやで幼なじみを作ってしまった。それが、神楽」
「幼なじみって、作るものだったのね……」
「以来、俺は幼なじみ持ちになり、主人公に近づけたのだが……どう考えても残念な子なんだよなぁ……神楽。メリットよりもデメリットが多すぎるというか。微妙にヤンデレの素質もありそうだから、邪険にできないところがさらにキツいという……」
「……あんた、ほんと主人公に遠いわね」
小さな声でお互いに話す二人を見て、神楽がさらにヒートアップする。
「翔ちゃんは、なんでわたし一人じゃ満足してくれないの!? 欲求不満なの!? もしそうなら、わたし、頑張るよ!?」
公衆の面前で、自慢の豊かな胸を抱き上げる神楽。
男なら飛んで喜びそうなシチュエーションだが、その後の独り言がひどい。
「それで、翔ちゃんに責任とってもらって、結婚して……。子供は5人くらいほしいかなー……。あ、大丈夫だよ? 翔ちゃんは、なーんにもしなくていいの。ただお部屋にいてくれたらいいから。お食事もお着替えもおトイレも、ぜーんぶわたしがお世話してあげる。だから、翔ちゃんはただお部屋にいてくれればいいんだよ? そしたら他のバカ女が翔ちゃんに近づいてくるのも予防できるし。……ダメだよね、ほんと。翔ちゃんはわたしと結ばれる運命なのに、どこのアバズレとも知れない泥棒猫が、我が物顔で隣を歩いたりするんだから――」
暗い瞳で笑い始めた神楽を見て、アルテミスが悲鳴を飲み込む。直後、魔力がどうのと散々ごねていたこれまでを無視して、一瞬で姿を消した。
「お前……散々引っ張ったくせに、そんなあっさり消えるのかよ……」
『し、仕方ないじゃないっ! 異常よ、あの子!』
声も先程までとは違い、翔機の頭に直接響くような形で聞こえた。
「翔……ちゃん……。もしかしてその子、悪霊なんじゃないの!?」
「は?」
『え?』
「だって今、霊体になってるし! 宙に浮いてるし! ……そうなのね。翔ちゃんがあまりにも色男だからって、とり憑いたのね!?」
『ちょ、ちょっと! なにこの子! あたしの姿が見えてるわけ!?』
「どうもそうらしいな。散々もったいぶって出したくせに、その場で見破られる不可視ってどうなんだよ……」
「翔ちゃんにとり憑く悪霊は、わたしが除霊します! えいっ! えいっ!」
『ちょ、ちょーーーっとぉ! なんでこの子、精霊に有効なお札とか持ってるわけぇ!?』
「おおう。てっきりコスプレかと思ってたけど……まさか本物の巫女さんだったとは。うーむ。神楽、恐るべし……」
『感心してないで止めてよーーー!! この子、本当に危ない子なんじゃ……きゃぁあああ!』
目には見えないアルテミスの悲鳴が聞こえ、神楽が何かを追いかけるように走り回る。どうやら、本気でアルテミスの除霊をしようとしているらしい。
「今朝も賑やかですねー、サイヤ先輩」
「おっ。遊部じゃないか。おはよー」
二人(?)の騒ぎを傍観している翔機に、さらなる声が掛かった。
高校生にもかかわらず、赤いランドセルを背負った……しかしそれが似合うほどに小柄な女の子・遊部百合が、自覚しているチャームポイントの八重歯をチラつかせながら、隣に並んでいる。
「ああ……今日も神楽先輩は素敵……」
「…………」
『名は体を表す』を全身で証明する遊部は、文字通り百合だ。
そういう意味では、美少女好きの翔機と気が合うのだが……あの神楽までも守備範囲に収めてしまう辺り、レベルは圧倒的に上かもしれない。
「ところでサイヤ先輩。なにやら神楽先輩以外の美少女臭がしますね。某ダムスさんの予言が的中するほどあり得ないことだとは思いますが、ひょっとして彼女とかできました?」
「美少女を嗅覚で察知するだと!?」
「何を驚いているんですか、サイヤ先輩。美少女とは、全身で感じるものなんですよ?」
「…………」
翔機が自分を普通の人間だと思うのは、ひとえに遊部という色んな意味で尖った人間が身近にいるせいかもしれない。
「美少女っていうんなら、遊部だってそうだぞ? お前も、俺の嫁だ!」
「割と嬉しいですけど、百合ちーは美少女とイチャラブすることにしか興味ないですからね~」
ヨダレを垂らす寸前のだらしない顔で神楽を見つめる遊部に、隙はない。ブレない。
「そうだ、遊部。悪いんだが、今日の休憩時間、付き合ってくれないか?」
「ええー。百合ちーの貴重な休み時間は、美少女スキャンに忙しいですのにぃ~」
「……『リア充への道』だ」
キリッと無駄にいい顔でキーワードを告げると、遊部も悪い顔で八重歯を光らせる。
「なーるほど。おーけーですよ~」
ぐっふっふっふ……と二人して悪い笑みを浮かべ続ける翔機と遊部。
『見てないで助けなさいよ、翔機ぃ~~~っ!』
アルテミスの怒声が頭に響いたが、神楽の攻撃を自分に向けないためにも、翔機は耳を……いや、頭を塞いだ。南無ー。
賑やかな登校を済ませ、朝の授業を終えた昼休憩。
『幼なじみ』の肩書きキャラとしては珍しく、神楽が翔機と同じ教室ではなかったことに心底感謝し続けるアルテミスを連れて、翔機は会議室に来ていた。
特殊なリズムで扉をノックをすると、中から舌っ足らずな声で質問がなされた。
「リア充とは?」
「……『リアルが充実している』、の略。主に恋人がいる人間や、友人が多く、人生を謳歌している人間を指す俗称。そんな明るい人生を勝ち取るため、美少女とウハウハすることを目指すのが、『リア充への道』だ」
「ようこそ、サイヤ先輩」
「……なんなの、このやりとり」
淀みなくパスワードを口にする翔機を見て、アルテミスが心底気持ち悪いものを見る目をする。
扉が開かれ、翔機が中に入ったので、アルテミスも入室。すると……アルテミスを見た遊部が、全身から吐血した。
「どぶふぉーーーーーっ!?」
「し、死ぬな遊部ーーー! 傷は浅いぞぉーーー!」
吐血している人間に心臓マッサージという、よくわからない応急処置をする翔機。
そんな応急処置の甲斐あって(?)か、なんとか遊部は一命をとりとめた。
「ちょ、ま……すいません、サイヤ先輩……。なんか、天使の天使すぎる天使な幻覚が見えてしまいまして……」
「うん……たぶんそれ、幻覚じゃないと思うから、今の内に体と心の準備を整えるんだ!」
「だ、大丈夫なの、その子……」
「天使キどばぁーーーーーーーーーーっ!!」
キタ、と叫ぼうとした遊部の歓声が、途中から吐血の断末魔に変わってしまった。
「あ、遊部ぇーーーっ!」
「……ほんと、あんたの周りって変態しかいないのね……」
アルテミスが呆れる中、翔機は必死に座布団やクッションを利用して、遊部の頭を心臓よりも高くする。ちなみに、この応急処置もかなり間違っている。
「あ、ありがとうございます、サイヤ先輩……。とりあえず、抜ける血は全部抜きました……」
「うん……女の子なのに『抜く』とか言う辺り、お前はほんと同志だと思うよ……」
失血多量で若干青くなった顔からは、まだ血(鼻血)が流れている。
ティッシュを丸めて突っ込むことでそれを止めると……遊部は、改めてアルテミスに向き直った。
「……百合ちーと、お風呂に行きませんか?」
「なんでそうなるのよっ!」
「待て遊部! 俺が先だ!」
「あんたとは絶対に入らないからっ!」
「ということは、百合ちーは可能性あるってことですね!?」
「ええっ!? ……あ。でも確か、日本では広いお風呂に、同性で一緒に入る習慣があるって聞くし……」
「……うへ。うへへへへ……」
「や、やっぱりあなたとも遠慮しておくわっ!」
「そ、そんなーーーーーっ!!」
遊部がこの世の終わりみたいな顔をして叫ぶ。両手をほっぺにくっつけて絶望するその叫び姿は、まんま『ムンクの叫び』だ。
「……遊部さんや。アルテミスの美貌を賛辞したい気持ちは、すごくよく分かるのですが……そろそろ本題に入ってもよろしいでせうか……?」
「び、美貌って……」
アルテミスが赤い顔で俯いたが、この場にいる誰も、世界中の人間すらその賛辞をお世辞で口にすることはないと思われる。
遊部もそう思ったので、完全に同意して頷きながら、翔機に応じた。
「……すいません、サイヤ先輩。百合ちーはもう、抜けるものは全部抜いてしまいましたので、『僧侶モード』に突入してしまいました……」
「僧侶モードってなに!?」
「それはもちろん、例の『賢者モード』の女の子版――」
「待て! みなまで言うな! 大体想像できる!」
アルテミスだけは何を言ってるのかわからないような顔で、小首を傾げていた。
「というかですね、サイヤ先輩! これほどの天使なビーナスを連れ回しておいて、戦友の百合ちーに何の説明もないとは、どういうことですかっ!?」
「ああ……確かにそれは悪かったな。簡単に言うと、空から降ってきた美少女を奪った」
「さ、さすがサイヤ先輩! ガチ尊敬しますっ!!」
「翔機もそうだけど……この国の人って、どうして非現実的なことをこうも簡単に信じられるのかしら……」
サンプル数が少なく、その中に翔機と神楽、遊部が含まれたことによって、アルテミスの中の『日本人』という人種へのイメージがどんどん下がっていく。
「百合ちーは、遊部百合と言います。よかったら、お姉さまのお名前をお聞かせ頂いてもよろしいですか?」
「え、うん。いいけど……お姉さま?」
僧侶モードに入ったことで、短時間とはいえ淑女的な人間になった遊部が礼儀正しく自己紹介。……初めからこのテンションなら、アルテミスもお風呂に応じたかもしれない。
「あたしは、アルテミスよ」
「外国の方だったんですね!」
「いや……あ、うん。そうね」
「それなのに日本語がお上手です! あ。そうです! よろしければ、日本のお洋服を着てみませんか? そのドレス姿も素敵ですけど、せっかく日本にいらしたんですし……」
「え! いいの!?」
アルテミスが日本の洋服というワードに食いつく。
日本最大の大手安売りメーカー服しか所有していない翔機は、すっかり置いてけぼりだ。
「この会議室と隣の部屋は百合ちーの私物なのですが、隣の部屋にお洋服やファッション雑誌をたくさん置いているんです。ぜひお好きなものにお着替えください。気に入ったお洋服があればプレゼントしますよ~!」
そんなガールズトーク(?)をしながら、隣の部屋に消える美少女二人。
翔機はしょんぼりしながら、ホワイトボードに『リア充への道……』と落書きしてみる。……虚しい。
「じゃあ、色々試着してみてくださいね~」
そんな声をアルテミスに掛けながら、遊部が戻ってくる。
「おおう。意外だ。てっきり、着替え中のアルテミスにあーんなことや、こーんなことをするものだとばかり思っていたが……」
「フッ……僧侶モード時の百合ちーはパーフェクト淑女なのですよ……」
「そうか。……それはそうと遊部。折角お昼だし、お弁当にしようぜ。ほら、お前のために作ってきたおかずを一品やるよ」
「わー。ありがとうございます、サイヤ先輩。おいしいですね~」
ちなみに、レバニラのニンニク風味だ。
「ふ~。ごちそうさまでした。……さて。それじゃあ着替えでも――覗きましょうか」
「お前が遊部でよかった!」
輝く笑顔でお互いに握手を交わした後、アルテミスの着替え部屋に突撃しようとする遊部を全力で止め、やっとの思いで本題に入る。
「……もはや死ぬほど、女子更衣室が覗きたい」
イイ顔で健全な男子高校生の欲望をぶちまける翔機の言葉を聞き、遊部がなにも言わずに親指を立てた。
……アルテミスの日本人に対する認識は、当分の間訂正されそうにない。
「じゃあ……」
と、遊部がアルテミスの着替えている部屋を親指で差すが、翔機は首を振る。
「わかっていないな、遊部……。俺は、『女子更衣室で着替える女子』を覗きたいんだ!」
「!」
遊部の脳裏に、電流走る!
「いいか、遊部……。お前はそんなでも一応……一応、女子のはずというか、たぶん生物分類学上はギリギリ女性に分類されるであろうと予測されるような気がする有機物だ」
「……なにやら随分とふわふわした言い方ですね」
「そんな有機物のお前なら、女子更衣室の中で着替えたこともあるんだろう。……しかし。しかし、だ。『女子更衣室で着替える女子を覗く』というシチュエーションは、お前だってこう……クるものがあるんじゃないのか?」
「た、確かに……。百合ちーは、すぐ隣で着替えている女の子を見るのも好きですが……『更衣室で着替えている子を覗く』という言葉には、不思議な魔力がありますね……」
「……だろう?」
「うーむ……。これが至高と究極の死闘なのでしょうか……」
遊部が真剣に、ダメなことを思い悩んでいる。
「でも、とりあえず百合ちーは今、お姉さまの着替えを覗きたいです!」
そして、結論はもっとダメだった。
「焦るな、遊部。今ここで欲望に身を任せたら、後のカタルシスが味気なくなるぞ? 我慢した後に手に入れる幸福。……みなまで言わずとも、お前には通じるだろう……」
「が、ガマンした後……」
ハァ……ハァ……と、遊部が艶っぽい……しかし、端から見ると距離をとりたくなるような吐息を漏らし始めた。
翔機もドキドキが止まらない。半分は遊部と同じ理由で。もう半分は「こんなハレンチなことを考えているとアルテミスに知れたら……」という、恐怖で。
「わ、わかりました、サイヤ先輩! それでは、アルテミスお姉さまの着替えは、今回ガマンします! しかし……ぜひ! ぜひとも今度また、このような機会を……!!」
「ああ、わかってる。俺とお前の仲だろう?」
「サイヤ先輩……」
「遊部……」
客観的に見れば、一組の男女が熱い視線で見つめ合っているという、いい雰囲気の場面なのだが……その経緯まで知っていると残念すぎる。
「……今日体育の授業があるクラスは、三年七組だけですね。午後の二時限目です」
「そうか。なら、そこしかチャンスはないな……」
遊部がパラパラと手帳を捲りながら全クラスの授業科目を確認。……この百合少女が色んな分野で情報通なのはいつものことなので、翔機も特にツッコまない。
「というわけで、午後一の授業が終わり次第、集合だ」
「了解です。本日、女子は体育館みたいなので、体育館周辺ですね」
まだ見ぬ桃源郷を思い描き、変態二人が「ふへ……ふへ……」と邪悪な笑みを浮かべていると、隣の部屋に続くドアが開いた。
「どう、かしら……? この服が一番気に入ったんだけど……」
その声に二人が振り返ると、そこには、日本の洋服に身を包んだアルテミスの姿が。
キャミソールの上に着心地の良さそうなカーディガンを羽織り、短いミニスカートを身につけている。ドレスの時もそうだったが、ソックスなどを履かず、素のままで晒された脚が相変わらず魅力的だった。
「もう……ゴールしてもいいよね……」
「遊部ぇぇぇえええええええええ!!!」
もはや吐血することもなく、ただただ静寂に包まれたまま、遊部が倒れる。その顔は、この世のあらゆる贅・快楽を味わい尽くしたかのように幸せそうだった。
「あ、あの……似合って、ない、かしら?」
「この遊部の状態を見ればわかるだろ! その……ちょっと『あざとい』かもしれないけど、すごく似合ってるよ!」
幻想的で現実離れした美貌を持つアルテミスだったので、翔機はてっきり、アルテミスには日本の洋服が似合わないと思っていた。
だが、実際に日本の洋服に身を包んだアルテミスは……そのアンバランスな雰囲気さえも魅力に変え、完全に洋服を着こなしている。思わず翔機が言葉に詰まってしまうほどだった。
「そ、そう? ……あたしも気に入ったから、結構嬉しいわ」
照れたように笑うアルテミスは、また魅力的で……「ごふぅっ!」と、耐え切れなかった遊部が大量の血を噴き出した。
「し、しかし、そんな短いスカート履くんなら、ニーソかタイツでも履けばいいのに……」
「いいの。あたしは、このままの方が好きだから」
正直なところ、「目のやり場に困る……」という翔機都合のアドバイスだったのだが……アルテミスは素の脚を晒したままで、嬉しそうに微笑んだ。
「お、お待たせしました、サイヤ先輩……」
午後一の授業が終わった後。
体育館に続く渡り廊下の入り口で、冷水機の水を飲むふりをしていた翔機は、待っていた遊部の声に振り返った。
「お、おう、遊部……。大丈夫か……?」
「ええ、なんとか……。色々と溜め込むのに時間がかかってしまいましたが、百合ちーの性よ……リビドーは、無限なのですよ……」
「英語にしても意味は変わらないがな……」
ちなみに、無限のリビドーを持つ遊部を瀕死にまで追いやった張本人……アルテミスは、先ほどから校舎のガラス戸に自分の姿を映し、
「……えへへ」
と、はにかみながら、くるくる回っている。
それを見て「うっ……」と鼻を押さえた遊部は、光速で視線を逸らした。
「アルテミスお姉さまの破壊力、マジでパないです……。今後、毎日がエブリデイになりそうな予感がギュンギュンしますが、今日この時、このイベントだけは、なんとか自重せねば……!」
「うん……。お前、もうなんか、ある意味尊敬するよ……」
ついには翔機にまで尊敬されてしまった遊部は、また懐から手帳を出しつつ、二人に待機を促す。
翔機たちの前をパラパラと三年の女生徒が体育館に向かっており、夢の桃源郷が飽和状態になるのはまだ先である、ということだろう。
「ところでさ、遊部さん」
「そんなっ。よそよそしいです、お姉さま! 百合ちーのことは、百合ちーと呼んでください!」
「えっと……じゃあ、百合さん」
「せめて呼び捨てでっ!」
「……百合」
「はいっ!」
遊部が心底嬉しそうな、蕩けそうな笑顔を浮かべる。
……が、視線は微妙にアルテミスからずれていた。おそらく、無限のリビドーが枯渇する可能性を危惧しているのだろう。
「気になってたんだけど、なんで翔機を『サイヤ』って呼ぶの?」
「あれ? 知らないんですか、お姉さま? 基本的に、神楽先輩以外はサイヤ先輩のことを『サイヤ』とか『サイヤク』とか呼んでますよ?」
「そうなの?」
「フッ……バレちまったか……」
ドヤ顔で鼻を擦る翔機に、アルテミスは嫌な予感しかしなかったが……振ってしまった以上、最後まで責任を持つことにした。
「サイヤって……どういう意味?」
「サイヤもサイヤクも、『災厄』から来ているんですよ? 今年の四月頃……つまり、百合ちーが入学したての頃ですね。二年生の、色んな意味で伝説を持つ……ある意味、超有名人な先輩が「俺は……〝災厄の魔眼〟だったのか……!?」と大騒ぎした事件がありまして。以来、サイヤ先輩は入学したての一年生すら認識する残念な人となり、サイヤやサイヤクというあだ名で呼ばれるようになったのです」
予想していた方向性で予想以上にひどいエピソードを聞かされ、アルテミスがげんなりした。
「クッ……呪われた左目が疼くぜ……!」
左手で自分の目を覆い、なにかに耐えるように体を振るわせる翔機。
可愛い洋服を着てご機嫌だったアルテミスが、自らのパートナーの残念さを思い出して一気にテンションを下げる。
「あ。そろそろですよ、サイヤ先輩」
遊部の声に震えを止め、周囲を見渡してみると……確かに、体育館に入っていく女生徒はいなくなっている。おそらく今頃は、翔機達の目指す桃源郷が飽和状態となり、そこで多くの天使が羽衣を休めているに違いない。
「――よし。行くぞ……!」
キリッとした表情で翔機が言い放つと、
「そういえば、翔機たちは何しにここへ来たの?」
アルテミスが素朴な疑問を投げかける。
「…………」
翔機の脳が、かつてないほどの速度で回りだす。
なんだかんだでアルテミスをここまで連れてきてしまったが、どう考えても女子更衣室を覗くのを協力してくれるとは思えないし、見逃してくれるとも思えない。
「あー……アルテミス。ちょっと、校内を散歩でもしてきたらどうだ?」
「え? いいわよ。翔機と一緒に散策したし、別に見たいところも……」
「……服!」
「……え?」
「そう! 家庭科室には、先日の実習で二年生が作った『自分が一番可愛いと思う洋服』がたくさん展示されているんだ! それを見てくるのはどうかな、って思ってね!」
「可愛い洋服……。え、えっと! 暇だし、ちょっとだけ見てこようかしら、なんて――」
「おう、それがいいぞ! 家庭科室は、ここから一番離れている校舎の最上階で、一番西の教室だ。気をつけてな!」
「う、うん。じゃあ、暇だし、ちょっと行ってくるわね。……ひ、暇だし!」
暇だと連呼する割には、うきうきした様子で、足早に駆けて行った。
「ふう……危ないところだった……」
「……サイヤ先輩。二年生って洋服作る実習があるんですか?」
「ねーよ」
お姉さまを騙すのはあまり感心できません……と、ぶつぶつ言う遊部を引っ張りながら、翔機は桃源郷を目指す。
「わかっているさ……。ここまでの流れで、「おいおい。リア充になるのが目的だったんじゃないのか?」とツッコみたい奴がわんさかいるんだろう? だが、安心しろ! リア充にもなる! だけど、リア充になったその先に備える意味でも、色んなイベントの体験は決して無駄にはならない!」
「……誰に解説しているんですか?」
「それに高校生の時、本当に女子更衣室という名の桃源郷に辿り着いた猛者が何人いる? きっとみんな、夢見続け、それが叶わないまま卒業したんだろう? 俺はそんな人生は嫌だ! 少数の勝ち組――桃源郷に臨む、『主人公』になってみせるっ!」
「ある意味カッコいいです」
「主人公に、俺はなる!」
「ツッコミが遅れましたが、やはりサイヤ先輩が百合ちーを尊敬するというか、自分より残念と格付けするのには納得できませんね……」
そんなやりとりを繰り返しながら、ついに二人は桃源郷に辿り着いた。
だが、ここで当然の問題が発生する。
「……ところで、遊部隊員。覗くのはいいとして、どこから覗くんだ?」
「……サイヤ隊長。この手のイベントは二次元の場合、壁に穴が空いていたり、中の女子が気にしない小さな窓があったりするものであります」
「……なるほど」
というわけで、二人して偉大なる教科書通り、壁の穴や小窓を探してみる。
……探してみる。
…………探してみる。
「「見つからん!!」」
ある意味当然だった。そんな便利な覗きスポットがあれば、情報通の遊部がその手帳に記録していないわけがない。
「「ちくしょう! これだからリアルは!!」」
この学校……いや、この国を代表できるほど残念な変態二人組が、声を合わせて怒鳴った。……現実に。
「どうする、遊部隊員! あまり手間取っていると、怒髪点を衝いたアルテミスが戻ってきて、もうなんか、いろんなところが銀色に輝く気がするんだがっ!」
「お、おお、落ち着いてください、サイヤ先輩! とりあえず、最終的には忘れ物を取りに来た『てい』で、正面から「失礼しま~す」って入れば大丈夫ですよっ!」
「おお! なんというナイスアイデア――じゃねぇよっ! それできるの、微妙に女子な遊部だけだからっ!」
「微妙ってなんですか、微妙って! 百合ちーは完全なる美少女ですよっ!」
「自分で美少女って言いやがった!」
テンパった翔機につられて、遊部まで動揺する。
まずい……このままでは、三年生のおねーさま方が、お着替えを終了されてしまう!
「――……」
そこまで切羽詰って、翔機は逆に落ち着いた。
アルテミスに捨てられかけた時もそうだったが、今田翔機という少年は、自分の手に負えないほどの問題を抱えると、開き直って冷静になるという性質を持つ。
そして、遊部の僧侶モードもかくや、というほど紳士的な眼差しで、遊部に提案する。
「見えたぞ、脱出口――!!」
翔機は遊部の手を引っ張り、女子更衣室の扉の前まで移動した。
三年の女生徒はまだ出てこない。どうやら、ギリギリ間に合ったようだ。
「遊部! 俺を殴れ!」
「!?」
急に自分を殴れという、意味不明な提案をした翔機に、遊部が動揺する。
「サイヤ先輩、ひょっとしてMに目覚め――」
「違うッ!」
「っ!」
冗談を挟もうとした遊部を、翔機は真剣な瞳で怒鳴った。
時間がない。もう、これが最後の手段だ――。
「いいか、遊部。俺の言う通りにすれば、必ず桃源郷に辿り着ける。ただし、チャンスは一度だけだ。俺が合図したら、俺を思いっきり殴れ」
「サイヤ先輩……」
「遊部……俺を信じろ」
お互いに命を預けるほどの覚悟を秘め、頷き合い……その時を待つ。
そして……。
――ガチャ。
一番に着替え終わったのであろう三年生の女子が、更衣室の扉を開けた。
「今だ! チャンス――!!」
「――っ!」
正直、遊部には翔機の考えが分からなかった。
しかし、翔機の作戦を確認している時間はないし、ひょっとしたら演技に見えることを危惧して、あえて教えてくれないかもしれない。
ただ、遊部は信じた。
四月の終わり。
どうにかスカートの中を覗けないかと廊下で行き倒れていた遊部は、同じく廊下で寝そべっていた〝災厄の魔眼〟に出会い、一生この人について行こう、と決意したのだ。
だから遊部は何も聞かず、ただ翔機が言ったように、全力で翔機を殴り飛ばした。
「うわー、遊部、ちょ、やめ、あーーー」
想像を絶するほどの大根役者だった。
そもそも、それなりに身長のある翔機を小学生と見紛うくらい背の低い遊部が殴ったのだから、その場所は腹部だ。
にもかかわらず、翔機は顔の左を抑え、ふらふらと殴られた『てい』を装って、僅かに開いたドアの隙間にその身を滑り込ませるように倒れた。そして、
「(今だ、チャンス!)」
全力で開眼し、この世の果てに確かに存在すると言われた桃源郷の風景を、脳内に永久保存する……つもりだった。
「…………」
目を開けると、そこには体操服に着替えた女生徒がいた。
体操服に着替えた女生徒しか、いなかった。
「…………」
「…………」
時が停止した。
「……ああ、しかし」
その決壊を待たず、翔機が言葉を漏らす。
「下から見上げる体操服というのも、なかなか……」
「「「いやぁぁあああああっっっ!!!」」」
「ぼおいずびいあんびしゃすっ!?」
「「「変態よっ! 変態ーーーっ!!」」」
更衣室にいた女生徒が、全員の力を総動員して翔機をボコボコにする。
「ああ……サイヤ先輩がゴミのようです……」
「あ、遊部っ! た、助、たすけて――」
「……なんなの、あなた。ひょっとして、あの変態の知り合い?」
「いえ、百合ちーはただの通りすがりです。あんな人と知り合いにするのはやめてください」
「遊部ぇぇえええ! 貴様ぁぁぁああああああああああ!!」
翔機が怨嗟の涙を流すも、遊部は「てへペロ☆」と舌を出すばかりだった。
「うぅ……ちくしょう……。ひどい目にあった……」
「大丈夫ですか? サイヤ先輩……」
体育の授業が始まったので、そこでお仕置きは終了したが……体育館横のゴミ捨て場『いらないゴミ』に捨てられてしまうほど、翔機はボロボロになっていた。
「ぐぅぅ……遊部、裏切ったなぁー……」
「いえ、百合ちーとしてはサイヤ先輩の無謀な作戦に呆れ返って、なにもできなかったと言いますか、いくらなんでもあれは大根役者すぎだろ、と言いますか……」
「ちくしょう……。うぅ……よっこらせ、っと……」
「……ほんと、サイヤ先輩って丈夫ですよね~」
人数にして二十人前後の人間に殴られ、蹴られた翔機が、『いらないゴミ』として人生を生きたのは10分ほどだった。
「ああ……鍛えているし、小さい頃から殴られるのには慣れているからね……」
「へー。なにか格闘技でもされているんですか?」
「しょーおーきー?」
遊部の質問に被せて、声だけで美少女だと分かるほど綺麗な声が聞こえた。
……ていうか、アルテミスだった。
「家庭科室に可愛い洋服なんかなかったっていうか、不可視の状態で魔力使って頑張って移動したあたしはなんだったのっていうか、通りすがりの通行人から噂話を聞いたところによると、女の子が着替えている所を覗こうとした変態がいたらしいんだけどー?」
世界中の男を魅了してしまいそうな笑顔。……に、青筋が浮かんでいる。
そんな笑顔を向けられた世界一幸せな男・翔機も、にっこりと微笑み、最愛の人に愛を告白するように、万感の思いを込めて叫んだ。
「さあ来い! お前の愛を受け止めてやる!」
……世界が銀色に輝いた。
放課後。
「お兄ちゃん! いらっしゃ――お顔、どうしたの? 痛い? 大丈夫?」
「気にするな、カナ! 最近はこういうメイクが流行ってるんだ!」
心配そうな叶に、翔機は満面の笑顔を浮かべてみせる。……殴られた跡のせいで、その笑顔は歪になってしまったが。
今日も今日とて刺激的な一日を過ごした翔機は、日課である妹のお見舞いにやって来ていた。もちろん、アルテミスも一緒である。
「……自業自得なんだから、あたしは謝らないわよっ!」
ふんっ、と横を向くアルテミス。
今回は意外と翔機の顔に傷が残ってしまい、それが気になるのかチラチラと横目を向けている。
「てことで、やりなおし。……おお~。会いたかったぞ、愛しの妹よ~」
「わたしもだよ~。お兄ちゃん」
ベッドの上で体を起こした叶と抱擁を交わす。それをアルテミスが、どん引きの顔で見ていた。
「あんた、毎回妹に抱きついてるの……?」
「な、なんだその外道を見るような目は! 親が見舞いに来ない以上、兄である俺がしっかり抱きしめて、『愛してる』って伝えてやらないとダメだろ!?」
「……にしても、兄妹でベタベタするのはねぇ~……」
「いいか? アスミン。『愛してない』ってのは口に出さなくても伝わるが、『愛してる』っていうのは、ちゃんと口に出して、行動で示さないと相手には伝わらないんだぞ?」
「一見深そうで、実に浅い名言が出たわねー……」
名前を変に略したことに対する注意は、いい加減うんざりしてきたらしい。
「ふわー……綺麗な人だねー……。お兄ちゃんの彼女さん?」
「いや、妹さんもループネタ仕込まなくていいから!」
アルテミスがツッコむと、叶が「ふみゅー?」と首を傾げる。
「いや、繰り返しネタってそんな重要じゃないから……。ところで、妹さんはなんで入院してるの?」
「ああ、盲腸だよ」
「えへっ。盲腸なんです~」
「……うん。なんで照れたのかは分からないけれど、命に関わる病気じゃなくてよかったわ。盲腸ならすぐに退院できるんでしょ?」
人間の病気に詳しくないのか、自信なさそうにアルテミスが尋ねる。
「んー。まぁそこまで長期間じゃないにせよ、ちょっとの間は入院しないとダメだな~」
「早く元気になって、学校に行きたいの。それで、た~くさんお友達作って、いっぱい遊ぶ~」
「ああ。可愛くて優しいカナなら、おにーちゃんと同じくらい、たくさんの友達ができるさ!」
「友達、ねえ……」
アルテミスの脳裏に、ヤンデレの巫女と百合趣味の小学生(見た目)が浮かんだ。
「悪いけど、カナ。今日はちょっと用事があるから、もう帰らないといけないんだ」
「ええー。もっとお兄ちゃんとお話ししたいよー」
「ごめんなー。また明日も来るからさ! ほら、いつものお土産だ」
「わーい。今日はどんなのー?」
制服の内ポケットから、二冊のマンガを取り出す。
「こっちは、いちごパンツを履いた女の子に恋した主人公がモテモテに頑張るお話で、こっちが色々とトラブるお話だ!」
「今日のお土産も楽しそう! ありがとう、お兄ちゃん!」
「ああ……こうしてまた、妹さんが汚れた英才教育を受けていくのね……」
「人聞きの悪いこというなよ、スミタ。叶はちゃんと、可愛くて優しい俺の嫁に育ってるだろう?」
「さすがに、男っぽい名前は看過できないわっ!」
「ばるさみこすっ!?」
「もー。お兄ちゃんってば」
アルテミスの銀色パンチが刺さり、叶が赤くなったほっぺを両手で押さえながら照れる。
そのまま、マンガを読み出した叶に別れを告げ、二人は病室を後にした。
面会時間終了間際のため、不気味なほど静まり返った廊下を歩く。
電器はきちんと点灯していたが、『夜の病院』というのは、それだけで独特の雰囲気があった。
「…………」
そんな場所に最愛の妹を残していく事実に、ちょっとだけ翔機は傷ついた。
「帰るの? それとも食料の買出しでもする?」
遊部にもらったお気に入りの私服姿で伸びをし、気安く今後の予定を聞いたアルテミスに……翔機は、はち切れそうなほどの真剣みを加えて、返事をする。
「――今晩0時。『戦争』だ」