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ローストビーフにむせただけで氷の公爵に溺愛されました。〜攻略本に載っていない社畜令嬢ですが、最強の二人に独占されて平穏な隠居生活が崩壊した件〜  作者: 成瀬 一
第一章 名もなきモブ令嬢、巻き込まれる

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第4話 騎士団長は、なぜか今日も私の隣にいる

 私がヴァルトシュタイン公爵の「同伴者」として社交界に現れたという噂は、王都中に広まるのに三日もかからなかったらしい。


 王都の外れにある、緑豊かな伯爵家のガーデンパーティー。


 グレアムと並んで会場のアーチをくぐった瞬間、全参加者の視線がこちらへ突き刺さった。


(もうこの時点で注目されてるじゃん。私のモブ生活は……?)


 ルカは引き攣りそうになる頬を必死に保ちながら、内心で頭を抱えた。


 とはいえ、前世で社畜OLをやっていた身からすれば、「突然、社長の直属プロジェクトに引き抜かれた(※ただし業務内容は不明)」ようなものだ。


 社内異動だと思えば、まあ耐えられないこともない。お給料(領地への投資)も出ているのだから、プロのモブとしてここはきっちり仕事をこなすだけだ。


 グレアムが「少し挨拶回りをしてくる。ここを動くな」と言い残し、貴族たちの輪の中へ向かっていく。


 ぽつんと一人残されたルカは、壁際──もとい、生垣のそばの安全地帯を確保し、美味しそうなフルーツタルトに手を伸ばそうとした。


「おや、一人ですか。公爵殿の同伴者でもあろう方が」


 甘い声が落ちた。


 ルカがびくっと肩を揺らして横を向くと、そこには極上の笑顔を浮かべた第一騎士団長、レオナルト=クロイツが立っていた。


「き、騎士団長殿……どこからそこに」


「最初からですよ」


(忍者か何かなの?)


 ルカは内心で盛大にツッコんだ。


 実はここ数日、ルカが王城の図書室で本を読んでいる時も、中庭で鳩を眺めている時も、なぜか彼が「いつの間にか隣にいる」という現象が多発していたのだ。


 嫌がらせではない。さりげなく紅茶を淹れてくれたり、日差しを遮ってくれたりするのだが、その「完璧に計算された親切」が、小市民のルカニはじわじわと怖かった。


「ルカ嬢。貴女は本当に面白いですね」


 レオナルトは、ルカの手から空になったグラスを自然な動作で受け取りながら言った。


「社交界の令嬢は皆、私に媚びるか、本性を察して怖がるか、どちらかです。しかし、貴女だけは……」


「どちらでもないですね、確かに」


 ルカは素直に頷いた。


「なぜですか?」


 面白がるような、それでいて少しだけ探るような翠の瞳。


 ルカは、少しだけ考えてから正直の答えた。


「騎士団長殿が何を考えているのか、私には全然わからないので」


「……はい?」


「怖がるにも媚びるにも、相手のことをちゃんと理解してからじゃないと、失礼な気がして。だから今は、ただ『隣にいるなあ』と思ってます」


 ルカの打算の一切ない言葉に。


 いつも余裕たっぷりのレオナルトが、初めて言葉に詰まった。


 ──この令嬢は、鈍感で怖がらないのではない。自分の仮面の奥を、理解しようとしているのだ。


 そんなことを言われたのは、彼の人生で初めてだった。


 完璧な騎士のペルソナが、ほんの少しだけ音を立てて揺らいだ瞬間。


「……ッ」


 レオナルトが何かを言いかけた、その瞬間だった。


 すっ、と。


 ルカとレオナルトの間に、巨大な影が割り込んだ。


「あ、閣下。おかえりなさいませ」


 ルカが見上げると、そこには無言で立つグレアムがいた。


 彼は一言も喋らず、ただ物理的に二人の間に立ち塞がり、氷のような目線だけでレオナルトを牽制している。


「おや、公爵殿。ご挨拶は終わりましたか?」


 レオナルトが、すぐにいつもの完璧な笑顔を取り戻して応戦する。


 しかし、グレアムは無言のままだ。


(なんか空気が怖い。私、何かした?)


 ルカは二人の間に流れる「権力者同士の無言の圧力」というものを、全く理解できていなかった。前世でも空気を読むのが苦手で上司に怒られていたし、今世でも無理なのだろう。


 そんなヒリヒリした空気の中、数人の着飾った令嬢たちが、意を決したようにグレアムに近づいてきた。


「あ、あの……ヴァルトシュタイン公爵閣下。本日は素晴らしいお天気で……」


 勇気を振り絞って話しかけた令嬢に対し、グレアムは一瞥もくれずに冷たく言い放った。


「用件がないなら話しかけるな。邪魔だ」


 ひっ、と令嬢たちが小さく悲鳴を上げ、涙目で逃げていく。


 相変わらずの容赦のなさだ。氷の公爵の面目躍如である。


 しかし、ルカは思わず小声で口を挟んでいた。


「……閣下。あの方々、傷ついてますよ」


「関係ない」


「そうですね。でも、もう少し柔らかく断ることもできると思います。怖がらせなくていい相手まで怖がらせるのは……もったいないと思うので」


 無駄なヘイトを買うのは、社会生活においてリスクでしかない。


 そんな前世の経験から出た、ただの呟きだった。


 だが、その言葉に、グレアムがぴたりと動きを止めた。


 静かにルカを見下ろす。その瞳には、怒りではなく、何か別の熱が宿っていた。


 少し離れた場所から、レオナルトが目を細めて二人を見つめている。


 ──なるほど。公爵があの令嬢に執着する理由が、少しだけ分かった気がした。


 あの不器用な軍神の孤独な世界に、土足で、しかも無自覚に踏み込んでいけるのは、この空気が読めないモブ令嬢だけなのだ。


   *


 ガーデンパーティーがお開きになり、ルカは帰りの馬車へ向かっていた。


「……今日の言葉、覚えておく」


 別れ際、馬車の扉を閉める直前に、グレアムが短くそう言った。


(何の言葉? もったいない、のくだり? 怒ってる? 褒めてる? どっち!?)


 ルカには全く分からなかった。


 馬車がゆっくりと動き出す。小窓から後ろを振り返ると、グレアムとレオナルトが並んで立ち、何かを言葉少なに交わしているのが見えた。


 そして。


 二人の恐ろしい男たちの視線が、同時に、私の乗った馬車へと真っ直ぐに向けられた。


(ひっ……!)


 なんだか、とても嫌な予感がした。


 背筋がゾワリと粟立つような、逃げ場のない感覚。


 ……逃げたい。


 でも、もう手遅れな気がする。


 モブ令嬢の平穏な生活は、音を立てて崩れ始めていた。

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