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ローストビーフにむせただけで氷の公爵に溺愛されました。〜攻略本に載っていない社畜令嬢ですが、最強の二人に独占されて平穏な隠居生活が崩壊した件〜  作者: 成瀬 一
シナリオが、狂い始める

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第26話 多少は、考えて話せ

 王城の奥深く、謁見の間へと続く重厚な貴族控室。


 王国首脳が集う極めて重要な会合の前の待機時間。ルカ=フォン=エデルハインは、グレアムの同伴者としてその張り詰めた空間に同席していた。


 室内の空気は、ひどく重い。


 居合わせた上位貴族たちが、互いに腹の底を探り合いながら、表面上だけは優雅な笑顔で談笑している。


(社内政治が激しい部署の、役員会議前の空気と完全に同じだ。全員が笑顔で刺し合ってる。胃が痛い)


 ルカが内心で震えていると、隣に立つグレアムが、周囲には聞こえない低い声で短く釘を刺してきた。


「……余計なことを言うな」


「わかっています」


 ルカは力強く頷いた。社畜時代、上層部との会食では「置物になること」に定評があった自分だ。失言

などするはずがない。


 しかし。


 フラグというものは、立てた瞬間に回収されるために存在しているのだ。


   *


 第一のやらかしは、ほんの数分後だった。


 上位貴族の伯爵夫人が、値踏みするような視線を隠しながらルカに話しかけてきた。


「エデルハイン令嬢。……公爵閣下とは、どのようなご縁で?」


 社交辞令的な、ただのジャブ。


 本来なら「ご縁があって光栄です」程度で適当に流すべき場面だ。


 しかし、緊張で思考回路がバグっていたルカの口は、正直すぎる事実をそのまま出力してしまった。


「最初は、パーティーでローストビーフを食べていたらソースで咽せてしまって、それで目立ってしまったのがきっかけで……」


「……え?」


 伯爵夫人が、信じられないものを見る顔をした。


 隣で、グレアムが無言でスッと目を閉じたのが見えた。


 第二のやらかしは、その直後だった。


 別の派閥の貴族が、不敵な笑みを浮かべて探りを入れてきた。


「エデルハイン令嬢から見て、公爵閣下はどのようなお方ですか?」


 本来なら「威厳があり、王国を支える偉大な方です」と、当たり障りのない美辞麗句を並べるべき場面。


 ルカは少し真剣に考えてから、事実のみを口にした。


「焼き菓子を、ご自分で作るような方です」


 ピタリと。


 控室の談笑が、不自然なほど静まり返った。


 冷酷無比な氷の公爵として恐れられているグレアムへの評価として、あまりにも想定外すぎて、誰一人として反応できなかったのだ。


 グレアムが、ルカを見た。


 その氷のような青い瞳が、「今すぐ止まれ」と雄弁に語っていた。


(あっ、言いすぎました!?)


 ルカがハッと気づいた時には、一秒遅かった。


 そして、決定的な第三のやらかし。


 明らかに政敵側の貴族が、ルカの隙を突くように滑り込んできた。


「エデルハイン令嬢は、どのようなお考えで公爵殿下の同伴者を務めておられるのですか? 随分と、公爵殿下から手厚く保護されているようですが」


 ルカが公爵に何を要求し、何を握っているのか。それを探る悪意のある質問。


 ここは曖昧に微笑んでやり過ごす場面だ。


 だが、ルカはまたしても正直に言いかけてしまった。


「正直に言うと、最初は契約で。でも今は……」


 そこで、ルカの社畜センサーが「これ以上は絶対にマズい」と警報を鳴らし、言葉をピタリと止めた。


 止まったのは正解だ。だが──「でも今は」の先が続かなかったことで、逆に周囲の貴族たちの興味が爆発してしまった。


「今は……何なのですか?」


「……すみません、続きは思い出せませんでした」


 ルカが真顔で誤魔化した言葉など、当然、誰一人として信じてはいなかった。


   *


 会合の直前の休憩時間。


 グレアムは、ルカを人気のない廊下の奥へと連れ出した。


「……余計なことを言うなと、言ったはずだ」


 深い、深いため息が落ちた。


「言いすぎました。本当にすみません……!」


 ルカは九十度の角度で頭を下げた。


 だが、彼の声に怒気はなかった。ただ、呆れ果てているだけだ。


「焼き菓子の件は……誰から聞いた」


「えっ、エマさんから……直接……あっ」


 ルカはハッとして口を押さえた。


 グレアムは無言で顔を背け、視線を逸らした。


 彼の耳の先が、信じられないほど赤く染まっている。


(あ、恥ずかしいんだ。隠してたこと、私が言いふらしたからだ!)


「ごめんなさい、あれは言うべきじゃなかったですね……!」


「……問題ない」


 グレアムが、背けた顔のまま、ぼそっと言った。


(『問題ない』って言ってくれた。でも耳はまだ赤い。これは『問題ないけど恥ずかしい(やめてほしかった)』という意味だ。社畜時代に『気にしないで』と言いながら明らかに気にしている上司を何人も見てきたからわかる!)


 ルカが反省していると、グレアムが小さく息を吐いて言った。


「今後は……多少は、考えて話せ」


「全部黙れ」ではなく、「多少は」。

 ルカは少し首を傾げた。


「多少は、というのは……正直に言うこと自体は、続けてもいいということですか?」


「……そういうことになる」


 グレアムが、不器用に答える。


(つまり、お前の正直な本質はそのままでいろ、ということだ。でも『多少は』建前を考えろと。要するに……基本的には今のままでいい、ということだ!)


 ルカの胸の奥が、じんわりと温かくなる。


 しかし。


(いや待って。『多少は考えろ』はビジネス用語で『もう少しうまく立ち回れ(空気を読め)』という意味であって、決して『今のままでいい(全肯定)』という意味ではないはずだ。こんなお花畑な解釈してるから前世でも上司に怒られてたのに……忘れるところだった)


 ルカは気を引き締め直し、「精進します」と真面目な顔で答えた。


 すると、グレアムが小さく「……頼む」とこぼした。


 その声は、いつもの命令でも指示でもなく、本当に切実な響きを持っていて──ルカは少しだけ目を丸くした。


   *


 会合が再開する直前。


 グレアムが、急に声を落としてルカに告げた。


「今日の会合で、ルシアンの件が動く」


「動く、というのは……」


「ルシアンが……あの後、初めて自らの言葉で、重臣たちの前で発言する機会を作った。それが成功すれば、黒幕への反撃の第一歩になる」


 図書室でのあの日の対話が、確実にルシアンを突き動かしたのだ。


「……失敗したら?」


 ルカが尋ねると、グレアムは少し間を置いてから、静かに答えた。


「……その時は、私が出る」


(グレアム閣下が出るというのは、つまり……彼が矢面に立ち、政敵と正面からの全面衝突をするということだ。それは閣下にとっても、大きな危険を伴うはず……)


 ルカは、思わず彼の軍服の袖を掴みそうになり、寸前で手を止めた。


「閣下は……大丈夫ですか」


「何が」


「ルシアン殿下が失敗した時に、閣下が出ることで……閣下自身に何か、不利益があったりしませんか」


 グレアムが、ルカを見た。


 自分の保身ではなく、真っ直ぐに自分を案じるその瞳に、少しだけ驚いたような顔をする。


「……心配か」


「はい」


 ルカは、一瞬の迷いもなく答えた。


 グレアムは、少しだけ目を伏せ、視線を逸らした。


「……問題ない」


 また、「問題ない」。

 でも、今回のその言葉は──先ほど焼き菓子の件で照れていた時とは、少しだけ声の温度が違って聞こえた。ひどく優しく、そして力強い響き。


 ルカは「多少は考えて話す」という新たな課題を胸に抱きながら。


 彼の不器用な「問題ない」を、今日だけは全面的に信じることにした。

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