第24話 私も、動くべきですか
「……そうか」
執務室のデスク越しに報告を聞いたグレアムは、表情一つ変えずにただ短くそう応じた。
ルシアン王太子が図書室に現れ、自らが利用されていたことを悔やみ、グレアムとの対話を望んでいること。
ルカは事細かに説明するのを避け、要点だけを端的に伝えた。
(短い。けど、『そうか』で終わる上司の反応は、実は一番情報量が多いんだよな……)
ルカの社畜センサーが、瞬時に彼の真意を推測する。
この場合、ルシアンが罠にかけられていたことなど、グレアムはとっくの昔に知っていたか、あるいは想定内だったかのどちらかだ。
「よく伝えた」
グレアムはそれだけを言い、再び書類に視線を落とした。
ルカは少しだけ躊躇ってから、口を開いた。
「ルシアン殿下は……どうなりますか?」
「……」
グレアムは羽ペンを走らせる手を止め、少し間を置いてから、冷ややかに答えた。
「……使えるかもしれない」
(使えるかもしれない……『あいつ、まだ戦力として計算できるな』っていうこと?)
突き放すような冷たい言葉。しかし、ルカの耳には全く違って聞こえた。
本当に不要なら「放っておけ」で終わる。あえて「使える」と言ったのは、条件次第ではルシアンを見捨てない、彼なりの不器用な情けなのだ。
(さすが閣下。厳しいけど、見込みのある部下は簡単には切り捨てないタイプの理想の上司だ)
ルカは一人で納得し、深くお辞儀をして執務室を後にした。
*
王城の長い廊下を一人で歩いていると。
「あの、エデルハイン令嬢!」
後ろから、鈴を転がすような澄んだ声で呼び止められた。
振り返ると、小柄な少女がドレスの裾を少しだけ持ち上げて、小走りでこちらに向かってくる。
淡い金色の髪がふわりと揺れ、大きな翠の瞳がルカを真っ直ぐに捉えている。
ゲームで見た「光の聖女」、そのままの外見。
リリアナ・フローレンスだった。
(ヒロインだ。本物のヒロインが走って追いかけてきた。なんで!?)
ルカが内心でパニックになっていると、リリアナは息を切らしながらルカの前で立ち止まった。
「よかった、追いつけました。……あの、少しだけ、お話しできますか」
可憐な笑顔。でも──その翠の瞳の奥には、何か重いものを抱え込み、思い詰めたような光があった。
(あ、これ知ってる。職場で『上司には絶対に言えない悩みを、ちょっと頼れそうな同僚にこっそり相談しに来た時の顔』だ)
ルカは一つ息を吐き、「わかりました」と頷いた。
*
人目を避けるため、二人は人気のない中庭の東屋へと移動した。
「……ルシアン様が、苦しんでいます」
向かい合って座るなり、リリアナは絞り出すように口を開いた。
「知っています」
「えっ……」
ルカが即答すると、リリアナは少し驚いたように目を見開いた。
「エデルハイン令嬢も、気づいていたんですね。……私、どうすればいいのか、わからなくて」
そこから、リリアナによる「攻略本に載っていない行動」が始まった。
本来のゲームのシナリオなら、ここでヒロインは王子様に寄り添って涙を流し、ただ守られ、最後には彼の愛によって幸せになるはずだった。
だが、目の前にいるリリアナは違った。
「私は聖女として王城に保護されていますが……正直に言うと、貴族の政治のことは全然わからないんです。ルシアン様が今、何と戦っているのかも、誰が本当の敵なのかも。でも──」
リリアナは、ルカを真っ直ぐに見据えた。
「ルシアン様が一人で戦って、深く傷ついていることは分かります。そして、私のせいで状況が悪化したことも」
「それは、リリアナ様のせいではありません」
「いいえ」
ルカが宥めようとした言葉を、リリアナは強く首を振って否定した。
「あの婚約破棄は、私への好意から起きたことです。だとしたら、私には責任があります。政治は分からなくても、それくらいは分かります」
ルカは、リリアナを見つめた。
(この人……ゲームのヒロインらしくない。『守られるヒロイン』なら、ここで泣いて『私がもっと強ければ』と悲劇に浸って終わりの場面だ。でも、この人は泣いていない。『自分に何ができるか』を、必死に探してる)
リリアナが、縋るような目でルカを見た。
「だから、エデルハイン令嬢に聞きたかったんです。あなたはいつも公爵閣下の傍にいる。私よりずっと、この城の暗闇が見えているはずです。……私は、何をすればルシアン様の力になれますか」
ルカは、少しだけ沈黙した。
(これは……『自分ではどうしようもないから、上司への報告ルートを教えてほしい』という甘えの案件じゃない。『自分が何をすべきか、一緒に考えてほしい』という、本気の相談だ。前者なら適当に流せる。でも後者は──)
ルカは小さく息を吐き、正直に答えることにした。
「……私も、全部は分かりません。でも、一つだけ言えることがあります」
「なんですか」
「リリアナ様が『守られるだけ』でいる限り、ルシアン様はあなたを守るために、これからも無理をし続けます。それが、今の状況をさらに悪化させているかもしれない」
リリアナが、ハッと息を呑んだ。
「……つまり、私も動くべきだと?」
「動けるかどうかは、リリアナ様が決めることです。でも──動こうとしている人間を、私は止められません」
それは、数日前にルカ自身が『逃げない』と決めた時に辿り着いた、一つの答えでもあった。
*
リリアナは少しの間考えてから、小さく、しかし力強く頷いた。
「……ありがとうございます。正直に言ってくれて」
「いえ、お役に立てたかどうか……」
「一つだけ聞いていいですか」
リリアナが、ふっと笑った。
今度は、さっきまでの思い詰めた顔ではなく、年相応の少しだけ軽い、明るい笑顔だった。
「エデルハイン令嬢は……どうして、そんなに冷静なんですか?」
「へ?」
ルカが間抜けな声を出した。
「私だったら、こんな得体の知れない政治の暗闘の中なんて、怖くて真っ先に逃げ出しています。どうして平然としていられるんですか?」
ルカは少し考えてから、ぽりぽりと頬を掻いて正直に答えた。
「……私も、一度本気で逃げようとしたんですけど。なんか、やめてしまったんです。……冷たい人の温かさが、忘れられなくって。バカみたいですよね、まぁ私、ポンコツなので!」
リリアナが目を丸くして──それから、堪えきれないように声を立てて笑った。
光の聖女と、攻略本に載っていない名もなき令嬢。
二人の「ゲームのシナリオ外」の存在が、王都の片隅で、静かに手を結ぼうとしていた。




