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ローストビーフにむせただけで氷の公爵に溺愛されました。〜攻略本に載っていない社畜令嬢ですが、最強の二人に独占されて平穏な隠居生活が崩壊した件〜  作者: 成瀬 一
シナリオが、狂い始める

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第23話 それだけは、本当だ

 グレアムから「第二幕が始まる」と告げられたあの日から数日後。


 王城内の空気は、ルカの肌にも分かるほど明確に変わっていた。


(……なんか、大規模リストラや吸収合併が発表された直後の会社の空気みたい。表向きは通常運転してるのに、全員が次の動きや派閥の力関係を探って、そわそわしてる)


 重臣たちの足早な行き来。ひそやかな立ち話。


 グレアムも連日議会や軍の会議に忙殺されており、ルカと会う時間は極端に減っていた。


 そんなある日の午後。


 ルカは一人、王城の図書室の片隅で本を開いていた。


 誰も来ないはずの静かな空間に、ふと、重い足音が響いた。


 顔を上げると、そこには予想外の人物が立っていた。


 第一王子、ルシアン=エーヴェル。


 いつもなら大勢の側近を引き連れているはずの王太子が、たった一人で、人気のない図書室に現れたのだ。


(やばい、関わりたくない……!)


 ルカは咄嗟に本で顔を隠そうとしたが、遅かった。


 ルシアンは壁際に座るルカを見つけると、ピタリと足を止めた。


 気まずい沈黙が流れる。


 ルカは恐る恐る本を下ろし、彼を見た。


 その目は、以前のような傲慢な敵意でも、モブに向ける侮蔑でもなかった。


 ひどく疲労し、どこか切羽詰まった、焦燥の色が浮かんでいた。


「……エデルハイン令嬢」


「は、はい」


 ルシアンは少し躊躇うように視線を泳がせ、やがて絞り出すように言った。


「公爵と、話せる立場か」


 ルカは固まった。


(あぁ、『他部署の部長を通じて、直接社長に取り次いでほしい』っていう越権行為の案件だ。でもこれ、絶対ろくなことにならないやつだ!)


 ルカの警戒をよそに、ルシアンは一歩近づき、低い声で続けた。


「私は……グレアム公爵に、直接話がしたい。だが、今の状況では公爵への取り次ぎすら、重臣たちに阻まれて難しい。お前なら……」


 言いかけて、ルシアンは酷く自嘲するように笑った。


「……王太子が、一介の令嬢に頼み込むとは。私も、落ちたものだ」


 その言葉に、ルカは本を閉じ、彼をまじまじと見つめた。


 議会前室で「なぜ私の話を聞かない!」と叫んでいた、追い詰められた王太子が、今は目の前でプライドを捨てて頭を下げようとしている。


 ルカの社畜センサーが、彼という人間を冷静に分析し始めた。


(この人……自分が操られていたことに、気づき始めてるんだ。でも、どうすればいいか分からなくて、完全に孤立して、藁にも縋る思いで私に声をかけた。……腹黒い上司に嵌められて不正の責任を負わされそうになってることに気づいたけど、証拠も味方もなくて、外部の人間に助けを求めてきた若手社員なんだ)


 そう考えると、途端に目の前の王太子が、ただの哀れな青年に見えてきた。


「……直接話したいことというのは?」


 ルカが静かに促すと、ルシアンは周囲に誰もいないことを確認し、重い口を開いた。


「あの婚約破棄は……私の、完全な意志ではなかったのだ」


「え?」


「周囲の重臣たちが囁いたのだ。『セシリアは我が強すぎて扱いづらい』『平民出身の聖女であるリリアナを王太子妃にすれば、民心が掴める』と。……私は、その言葉を信じた。それが国のためだと、愚かにも思い込まされていた」


 ルシアンは、苦しげに顔を歪めた。


「だが、今になって分かった。あれは……グレアム公爵の権力を削ぐための罠だったのだ。セシリアはローゼンベルク家を通じて、公爵と政治的に繋がっていた。その縁を公の場で切らせることで、公爵を孤立させ、同時に私の立場をも危うくしようとした」


 ルカは息を呑んだ。


(これ……ゲームのシナリオより、全然複雑でドロドロしてる)


「……私は、道具として使われた。それに気づいた時には、もう手遅れだった」


 悔恨に満ちた声。


 彼は悪役なんかじゃない。ただ、周囲の大人たちよりも賢くなるのが、少しだけ遅すぎただけだ。


「だから、公爵に直接伝えたいのだ。自分が利用されたこと。そして、私を操った『黒幕』が誰なのか、薄々見えてきていることを」


 ルシアンの瞳に、強い光が宿った。


「私は……まだ、王太子だ。父上が倒れた今、どんなに惨めでも、この国を守る義務がある」


 それが、彼に残された最後のプライドであり、足掻きだった。


 ルカは、少しだけ考えた。


 あの日、グレアムに「ついてこられるか」と問われ、「はい」と答えた。


 それはつまり──こういう面倒な盤面でも、目を背けず、逃げないということだ。


「……わかりました。グレアム閣下に、必ずお伝えします。ただ」


 ルカは真っ直ぐにルシアンの目を見た。


「一つだけ、聞いていいですか。……殿下は、リリアナ様のことを、本当に好きなんですか。それとも、それも重臣たちに誘導された感情ですか?」


 痛いところを突かれたように、ルシアンが大きく目を見開いた。


 しばらくの、重い沈黙。


 やがて、彼はふっと憑き物が落ちたように、穏やかに笑った。


「……ああ。それだけは、私の本当の感情だ」


 ルカは、深く頷いた。


(……じゃあ、まだ間に合うかもしれない)


「……それが聞けて、よかったです」


 誰かに押し付けられたシナリオではなく、彼自身の意志があるのなら。まだ、やり直せるはずだ。


 攻略本ではただの傲慢な「悪役」だった王太子は。


 不器用で誠実な顔をして、ただ一人、国と愛する者のために足掻いていた。

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