第14話 別のお前のためじゃない、は万国共通らしい
『今日は執務がない。来い』
そんな、軍の出頭命令のように簡潔すぎる手紙が一通届き、ルカ=フォン=エデルハインは公爵邸に呼び出されていた。
(『来い』って……休日なのになんで呼ばれるんだ。まさか、またスパルタ作法授業の続き? 今度こそ社畜のお辞儀を直されるの!?)
戦々恐々としながら公爵邸に到着したルカだったが、出迎えてくれた使用人たちの様子がいつもと違った。
執事のクラウスも、メイドのエマも、どこかそわそわとしていて、その表情は「今日の閣下はいつもと違います」と雄弁に語っている。
「エデルハイン様、本日はこちらへ」
クラウスに案内されたのは、いつもの重厚な執務室ではなく、屋敷の奥まった場所にある私的な書斎だった。
ノックをして中に入ると、グレアムが一人、柔らかそうな一人掛けのソファに深く腰を下ろして本を読んでいた。
いつもの威圧感のある軍服姿ではなく、上質な生地のシャツのボタンを少し開けた、少しくつろいだ格好だ。前髪も少し下りていて、普段の氷のような冷たさが幾分か和らいで見える。
「……遅かったな」
「すみません、馬車の渋滞に巻き込まれまして」
ルカは向かいのソファに座りながら、彼が読んでいる分厚い本のタイトルを盗み見た。
『王国北部における小麦の収穫量と気候変動の相関関係について』
(農業書だ。しかし専門書レベルのガチのやつだ)
ルカは目をぱちくりさせた。
ふと見ると、ローテーブルの上にはこれが読み終わったらしい別の本が数冊積まれている。
『近代における国際貿易の変遷と関税制度の比較研究』
(経済書だ。しかも鈍器みたいに分厚い)
『辺境における牧畜業の現状と課題』
(全部、地味!! 娯楽の欠片もない! けど……まあ閣下らしいと言えば閣下らしいか)
ルカが積まれた本をまじまじと見つめていると、視線に気づいたグレアムが本から顔を上げた。
「……何か問題があるか」
「いえ、全然。なんか……意外でした」
「何を読むと思っていたんだ」
「あの、閣下のことですから、戦術書とか、王国の歴史書とか、そういう勇ましいものを読まれているのかと」
ルカが正直に答えると、グレアムは「ふむ」と小さく鼻を鳴らした。
「戦術書も歴史書も読む。だが、兵を養い、領民を食わせるには領地経営の方がよほど実用的だ」
(この人、根っこのところがめちゃくちゃ真面目だ)
ルカの脳内に、前世で「休日は何してるんですか?」と聞いた時に「日経新聞を読んだり、資格の勉強をしている」と答えた、バカがつくほど真面目な営業部長の顔がフラッシュバックした。
(というかこれ、完全に仕事人間の休日の過ごし方じゃん。前世の上司と全く一緒だ。なんか親近感湧くなぁ)
ルカが妙な感心を覚えていると、グレアムが本を閉じ、真っ直ぐに彼女を見た。
「お前の領地は、どうなっている」
「え? エデルハイン男爵領ですか?」
「ああ。辺境の小さな領地だと聞いているが」
ルカは少し考えてから、自国の現状を口にした
「小さいですけど、農業は盛んなんです。特に特産品のスモモは少し美味しくて。でも、水路が古くて行き届いていないので、年によって収穫量が安定しないのが課題ですね」
前世の社畜時代に培った「現状報告と課題抽出」のスキルがこんなところで役に立った、
グレアムは腕を組み、ルカの報告を真剣な表情で聞いている。
そこから、二人で男爵領の課題解決について、ああでもない、こうでもないという地味極まりない話し合いが始まった。
十八歳の令嬢と、王国最強の軍神が、休日の昼下がりに「古い水路の効率的な改修工事」について熱く語り合っている。どう考えても異様な光景だが、二人は全く気にしていなかった。
「……水路の改修なら、王国の土木技術者を紹介できる。費用は私が持つ」
「えっ、いいんですか!?」
グレアムの唐突な提案に、ルカは目を丸くした。
領地への投資は「同伴者契約」の条件にも入っていたが、技術者の派遣までしてくれるとは聞いていない。
「……同伴者の実家が貧しいのは、私の体面に関わるからな」
グレアムはふいっと視線を逸らし、無愛想に言い放った。
(照れ隠しだ!! この言い方、前世で残業を手伝ってくれた先輩の『別にお前のためじゃないけど』と全く同じだ!!)
ルカの社畜フィルターが、瞬時に彼の真意を看破した。
だが、ここで指摘するのは野暮というものだ。ルカは嬉しそうに目を細め、「ありがとうございます、閣下」と素直に頭を下げた。
グレアムは「……ああ」とだけ短く答え、ローテーブルの下から一冊の分厚い本を取り出し、ルカに差し出した。
「これを読んでおけ。領地経営の基本が書いてある」
ルカが受け取り、タイトルを見る。
『農村部における持続可能な水資源管理』
(ガチの専門書だ。これ絶対、読むのに一週間くらいかかる……でもなんか嬉しいな)
前世で、尊敬する上司からお勧めのビジネス書を貸してもらった時と同じ高揚感。ルカは「はい! 熟読します!」と力強く頷いた。
*
帰り際。
馬車の用意を待つ間、クラウスがこっそりとルカに近づいてきた。
「エデルハイン様。閣下が私的な書斎にお客様をお通ししたのは……私がこのお屋敷に仕えて以来、初めてのことでございます」
「またそれですか!?」
クラウスの目元が少し潤んでいる。
その後ろから、エマも興奮気味に身を乗り出してきた。
「しかも閣下、いつもよりずっと長くお話しされていらっしゃいました! 休日にあんなに言葉数が多い閣下を見たのも、私、初めてで……!」
「え、そうなんですか?」
ルカが首を傾げると、クラウスがハンカチで目頭を押さえながら深く頷いた。
「閣下は、変わられました。本当に、エデルハイン様のおかげでございます」
(え? 私、水路の話しかしてないけど……?)
ルカには、自分がその原因であるという自覚が全くなかった。
むしろ、休日にまで専門書を読んで実務の話をする仕事人間二人が、意気投合しただけだと思っている。
馬車に乗り込み、屋敷を後にする。
──農村部における水資源管理の専門書を小脇に大事に抱えながら、ルカは「これ読み終わったら、閣下と感想戦しよう」などと、呑気なことを考えていた。




