第12話 かっこよかったです、普通に
氷の公爵の同伴者となって以来、ルカ=フォン=エデルハインは王城に出入りすることが増えていた。
しかし、何度来ても慣れないものがある。
(王城、広すぎる。なんで廊下が全部こんなに同じ顔してるんだ。前世の巨大ショッピングモールの駐車場より難易度高いじゃん。F-2とか目印ちょうだいよ)
図書室から少し外の空気を吸いに出ただけなのに、ルカはまたしても完全に道に迷っていた。
気づけば、見慣れない中庭の奥。
静寂の中で、遠くから鋭い金属音がぶつかり合う音が聞こえてくる。
吸い寄せられるように音の方へ歩いていくと、視界が開け、土埃の舞う広い空間に出た。
──王城の裏手にある、第一騎士団の専用訓練場だった。
ルカは邪魔にならないよう、柵の外側の木陰からこっそりと中を覗き込んだ。
屈強な騎士たちが汗水垂らして訓練に励む中。
ひときわ鋭い動きで、若手騎士たちを次々と圧倒している一人の男がいた。
レオナルト=クロイツ。
社交界で見せる完璧な笑顔も、市場で種を飛ばしている時の困惑した顔も、今日の彼には欠片もなかった。
ただ、真剣な、獲物を狙う鷹のような目で剣を振るっている。
流れるような剣筋。一切の無駄がない身のこなし。
ルカは、息をするのも忘れてその姿に見入っていた。
(あ、なんか……すごく、かっこいい)
純粋な感嘆。
だが、ルカの社畜脳は即座にその感情を翻訳した。
(あれだ。普段温厚なシステムエンジニアの先輩が、サーバーダウンの緊急事態に無言でキーボードを超高速で叩きまくって復旧させた時みたいな、プロの仕事のかっこよさだ)
ルカが勝手に納得して頷いていると、一区切りついたのか、剣を収めたレオナルトが柵の外の視線に気がついた。
「……ルカ様? なぜこんなところに」
「迷子になりました」
「……またですか?」
「またです」
レオナルトが深いため息をつきながら、柵の方へと歩み寄ってくる。
額には汗が滲み、呼吸は少し荒い。
いつもの「完璧な作り笑い」の仮面がない、訓練直後の、ただの素の顔だった。
「さっきの、すごかったですね。剣の動き」
ルカは隠すこともなく、正直な感想を口にした。
「……見ていたんですか」
「はい。なんか、いつもと全然違う顔をしてたので、つい」
ルカは少し言葉を探し、ぱん、と手を打った。
「プロの仕事って感じで、普通にかっこよかったです」
打算も、媚びも、変な気遣いも、一切ない言葉。
ルカはそれ以上何も言わず、「それはそうと、玄関までの道、教えてもらえますか」と首を傾げた。
*
ルカを城の奥まで送り届けながら、レオナルトは自らの内心を必死に整理していた。
市場での帰り道、彼女の無防備な笑顔を見て感じた「すとんと落ちる感覚」。
あれはまだ、言い訳ができた。自分に媚びない珍しい令嬢への、ただの好奇心だと言い聞かせることができた。
でも、今日は違う。
訓練中の自分──仮面も、計算も、権力も何もない、ただ汗にまみれた自分を見て、彼女は「かっこよかった」と言ったのだ。
(あの令嬢は、私の『使える部分』を何一つ見ていない。地位も、権威も、この顔の良さすら関係ない場所で、ただ、私という人間を見ていた)
それが、自分の人生で初めてのことだと、レオナルトははっきりと気がついた。
あの作り笑いの仮面を剥がした、ただの「レオナルト」を真っ直ぐに見て、肯定した。
廊下の分岐点。
「あ、ここからわかります。お忙しいのにありがとうございました、騎士団長殿」
ルカがペコリと社畜仕込みのお辞儀をして、手を振りながら歩いていく。
(ああ、やはり私は──令嬢のことが、好きなんだ)
あの日の感情が、確固たる「恋」という言葉に形容された瞬間だった。
でも、彼はそれを決して声には出さない。出せない。
なぜなら、自覚した直後に、ある男の顔が脳裏を過ったからだ。
図書室で彼女の危機に誰よりも早く駆けつけ、激しい怒りを露わにした軍神。
そして、先日の夜会で、彼女を悪意から守るように連れ去った、あの絶対的な背中。
(……公爵殿は、もうあの令嬢を)
自分が自覚するよりもずっと早く。
あの不器用な男が、彼女を手放すはずがないと、痛いほど理解してしまった。
レオナルトは、ゆっくりと目をよじた。
そして、再び目を開けた時。
彼の顔には、いつもの、誰もがうっとりとする「完璧な騎士団長の笑顔」が貼り付いていた。
(……それでも、もう少しだけ。傍にいさせてくれ)
*
翌日。
社交界の華やかな会場で、レオナルトはいつも通りの完璧な笑顔でルカに近づいた。
「ごきげんよう、ルカ嬢」
「あ、騎士団長殿。昨日はご案内ありがとうございました」
ルカが、何も知らない無防備な笑顔で返す。
「いいえ。どういたしまして」
レオナルトは優しく微笑んだ。
その完璧な笑顔の置くで、彼がどれほどの痛みを抱え、何を諦め、何を望んでいるのかを。ルカは今日も、全く気づいていない。
自覚した恋は、声に出した瞬間に終わりが始まる気がして。
だからレオナルトは、その言葉をずっと、胸の中にだけ深く閉まっておくことにしたのだ。




