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ローストビーフにむせただけで氷の公爵に溺愛されました。〜攻略本に載っていない社畜令嬢ですが、最強の二人に独占されて平穏な隠居生活が崩壊した件〜  作者: 成瀬 一
第三章 それぞれの距離

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第12話 かっこよかったです、普通に

 氷の公爵の同伴者となって以来、ルカ=フォン=エデルハインは王城に出入りすることが増えていた。


 しかし、何度来ても慣れないものがある。


(王城、広すぎる。なんで廊下が全部こんなに同じ顔してるんだ。前世の巨大ショッピングモールの駐車場より難易度高いじゃん。F-2とか目印ちょうだいよ)


 図書室から少し外の空気を吸いに出ただけなのに、ルカはまたしても完全に道に迷っていた。


 気づけば、見慣れない中庭の奥。


 静寂の中で、遠くから鋭い金属音がぶつかり合う音が聞こえてくる。


 吸い寄せられるように音の方へ歩いていくと、視界が開け、土埃の舞う広い空間に出た。


 ──王城の裏手にある、第一騎士団の専用訓練場だった。


 ルカは邪魔にならないよう、柵の外側の木陰からこっそりと中を覗き込んだ。


 屈強な騎士たちが汗水垂らして訓練に励む中。


 ひときわ鋭い動きで、若手騎士たちを次々と圧倒している一人の男がいた。


 レオナルト=クロイツ。


 社交界で見せる完璧な笑顔も、市場で種を飛ばしている時の困惑した顔も、今日の彼には欠片もなかった。


 ただ、真剣な、獲物を狙う鷹のような目で剣を振るっている。


 流れるような剣筋。一切の無駄がない身のこなし。


 ルカは、息をするのも忘れてその姿に見入っていた。


(あ、なんか……すごく、かっこいい)


 純粋な感嘆。


 だが、ルカの社畜脳は即座にその感情を翻訳した。


(あれだ。普段温厚なシステムエンジニアの先輩が、サーバーダウンの緊急事態に無言でキーボードを超高速で叩きまくって復旧させた時みたいな、プロの仕事のかっこよさだ)


 ルカが勝手に納得して頷いていると、一区切りついたのか、剣を収めたレオナルトが柵の外の視線に気がついた。


「……ルカ様? なぜこんなところに」


「迷子になりました」


「……またですか?」


「またです」


 レオナルトが深いため息をつきながら、柵の方へと歩み寄ってくる。


 額には汗が滲み、呼吸は少し荒い。


 いつもの「完璧な作り笑い」の仮面がない、訓練直後の、ただの素の顔だった。


「さっきの、すごかったですね。剣の動き」


 ルカは隠すこともなく、正直な感想を口にした。


「……見ていたんですか」


「はい。なんか、いつもと全然違う顔をしてたので、つい」


 ルカは少し言葉を探し、ぱん、と手を打った。


「プロの仕事って感じで、普通にかっこよかったです」


 打算も、媚びも、変な気遣いも、一切ない言葉。


 ルカはそれ以上何も言わず、「それはそうと、玄関までの道、教えてもらえますか」と首を傾げた。


   *


 ルカを城の奥まで送り届けながら、レオナルトは自らの内心を必死に整理していた。


 市場での帰り道、彼女の無防備な笑顔を見て感じた「すとんと落ちる感覚」。


 あれはまだ、言い訳ができた。自分に媚びない珍しい令嬢への、ただの好奇心だと言い聞かせることができた。


 でも、今日は違う。


 訓練中の自分──仮面も、計算も、権力も何もない、ただ汗にまみれた自分を見て、彼女は「かっこよかった」と言ったのだ。


(あの令嬢は、私の『使える部分』を何一つ見ていない。地位も、権威も、この顔の良さすら関係ない場所で、ただ、私という人間を見ていた)


 それが、自分の人生で初めてのことだと、レオナルトははっきりと気がついた。


 あの作り笑いの仮面を剥がした、ただの「レオナルト」を真っ直ぐに見て、肯定した。


 廊下の分岐点。


「あ、ここからわかります。お忙しいのにありがとうございました、騎士団長殿」


 ルカがペコリと社畜仕込みのお辞儀をして、手を振りながら歩いていく。


(ああ、やはり私は──令嬢のことが、好きなんだ)


 あの日の感情が、確固たる「恋」という言葉に形容された瞬間だった。


 でも、彼はそれを決して声には出さない。出せない。


 なぜなら、自覚した直後に、ある男の顔が脳裏を過ったからだ。


 図書室で彼女の危機に誰よりも早く駆けつけ、激しい怒りを露わにした軍神。


 そして、先日の夜会で、彼女を悪意から守るように連れ去った、あの絶対的な背中。


(……公爵殿は、もうあの令嬢を)


 自分が自覚するよりもずっと早く。


 あの不器用な男が、彼女を手放すはずがないと、痛いほど理解してしまった。


 レオナルトは、ゆっくりと目をよじた。


 そして、再び目を開けた時。


 彼の顔には、いつもの、誰もがうっとりとする「完璧な騎士団長の笑顔」が貼り付いていた。


(……それでも、もう少しだけ。傍にいさせてくれ)


   *


 翌日。


 社交界の華やかな会場で、レオナルトはいつも通りの完璧な笑顔でルカに近づいた。


「ごきげんよう、ルカ嬢」


「あ、騎士団長殿。昨日はご案内ありがとうございました」


 ルカが、何も知らない無防備な笑顔で返す。


「いいえ。どういたしまして」


 レオナルトは優しく微笑んだ。


 その完璧な笑顔の置くで、彼がどれほどの痛みを抱え、何を諦め、何を望んでいるのかを。ルカは今日も、全く気づいていない。


 自覚した恋は、声に出した瞬間に終わりが始まる気がして。


 だからレオナルトは、その言葉をずっと、胸の中にだけ深く閉まっておくことにしたのだ。

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