第11話 騎士団長は、庶民の市場が初めてらしい
「同伴者」として社交界に顔を出すようになってから、ルカ=フォン=エデルハインの生活は一変した。
豪華な馬車、銀の食器、そして氷の公爵からの手厚い(?)保護。
しかし、贅沢な暮らしが続けば続くほど、ルカの心にはある渇望が膨らんでいた。
(……ジャンクなものが食べたい。屋台の、あの油ぎった濃い味の肉が食べたい!)
公爵邸の料理は絶品だが、整いすぎているのだ。
たまには誰の目も気にせず、立ち食いで串焼きを頬張りたい。
そんな切実な欲求に突き動かされ、ルカは地味な茶色のフードを深く被ると、こっそりと男爵邸を抜け出し、王都の活気あふれる市場へと向かった。
完璧な隠密行動。そう自負して市場の入り口に立った、わずか三分後のことだった。
「楽しそうですね、ルカ嬢」
聞き慣れた、甘く爽やかな声が耳元で響いた。
ルカが心臓を跳ね上がらせて振り返ると、そこには不敵な笑みを浮かべたレオナルト=クロイツが立っていた。
「き、騎士団長殿……! いつからそこに!」
「最初からですよ」
お約束の回答。
しかし、今日の彼はいつにも増して目立っていた。
銀糸の刺繍が入った見事な騎士団の制服姿は、埃っぽい市場の風景の中で、そこだけスポットライトが当たっているかのように浮きまくっている。周囲の買い物客たちも「あんな高貴な方がなぜこんなところに……」と遠巻きにざわついていた。
(この人、ほんとどこからでも現れるな。もしかして私、発信機でも付けられてる?)
ルカが戦慄していると、レオナルトは事も無げに続けた。
「遠出中の公爵殿から『同伴者が独断でリスクの高い単独行動をしようとしている。直ちに護衛に向かえ』と直通の伝令が届きましてね。非番のところを呼び出されたんですよ」
(閣下……! 『報・連・相』を早速、実務に反映させてる。なんて優秀な上司なんだ!)
ルカはグレアムの律儀なリスク管理能力に感銘を受けたが、今はそれどころではない。
結局、きらきらと輝く騎士団長を引き連れて、庶民の市場を練り歩くというシュールな状況が出来上がってしまった。
*
まずは、香ばしい匂いに誘われて串焼きの屋台へ。
「おじさん、これ二本ちょうだい! 六銅貨ね」
ルカが手際よく小銭を支払うと、レオナルトがそのやり取りを食い入るように見つめていた。
「……安い。その肉二本で、六銅貨なのですか?」
「市場の相場ですよ。騎士団長殿は、市場に来たことは?」
「……記憶にある限りでは、ないですね。食事は常に城の厨房か、選ばれた高級店でしたから」
(この人も閣下と同じで、庶民の世界をこれっぽっちも知らないんだ。なんか、少しだけ似てる)
ルカは少しだけ同情しつつ、次に目についたスモモの屋台で、真っ赤に熟した実を二個買った。
「はい、一個どうぞ。これ、甘酸っぱくて美味しいんですよ」
ルカは歩きながら、スモモをぱくりと齧った。
口の中に広がる果汁を楽しみ、種を舌の上で転がして――。
「ぷっ」
小気味よい音とともに、道端の草むらに向かって種を飛ばした。
その瞬間、レオナルトが愕然とした表情で立ち止まった。完璧な騎士団長の仮面が、初めて「素の困惑」で音を立てて崩れる。
「……ルカ嬢、今、貴女は何を?」
「種飛ばしです。市場ではみんなやってますよ。これ、意外と飛距離を競うのが楽しいんです」
「いや、しかし淑女がそのような……」
「騎士団長殿もどうぞ。コツは唇をすぼめて、一気に息を吐くことです」
ルカが真剣な顔でレクチャーすると、レオナルトは困ったように眉を下げつつ、渋々とスモモを口に運んだ。
咀嚼し、しばらくの間。
意を決したように、彼が勢いよく息を吐いた。
「ぷっ」
ルカの二倍はあろうかという飛距離で、種が綺麗な放物線を描いて飛んでいく。
「おぉっ、上手い! 才能ありますよ、騎士団長殿!」
「……っ!」
自分が何を仕出かしたのかを自覚したのか、レオナルトの顔がみるみるうちに耳まで真っ赤に染まった。
王国の女性たちを虜にする完璧なペルソナが、スモモの種一個で見事に粉砕された瞬間だった。
「……貴女は、本当に……」
レオナルトは顔を覆って俯いたが、その隙間からこぼれる声は、いつもの作り物ではない、本物の苦笑だった。
*
市場の帰り道。
ルカは両手に安物の雑貨や食べ歩きの残りを抱え、満足げに鼻歌を歌いながら歩いていた。
レオナルトは、その無防備な横顔を少し後ろから静かに見守っていた。
市場を歩いている間、彼はその類まれなる美貌で数多の女性客に振り返られていたが、ルカだけは一度もそれを気に留めなかった。
「……貴女は、私の顔を見て何も思わないんですか?」
ふと、レオナルトが問いかけた。
「え? 顔ですか? そりゃあ、もの凄くお綺麗だなとは思いますよ。でも、それより今はさっきのスモモの甘さの方が重要というか」
「……ルカ殿は、全く甘くありませんね。スモモと真逆だ」
レオナルトはため息をついた。
だが、その瞳には柔らかな光が宿っていた。
社交界でも、公爵邸でも、ルカは常にどこか緊張し、空気を読もうと背伸びしていた。
けれどここでは、彼女はただの少女のように笑い、食べ、人生を楽しんでいる。
(……ああ、そうか)
レオナルトは自分の中で、何かがすとんと落ちるのを感じた。
「また来たいですね、市場。次はもっと美味しい串焼きの店を探しておきます」
ルカが振り返って無邪気に笑う。
レオナルトは、いつもの騎士団長としての微笑みではなく、ただの青年としての、不器用で優しい顔で答えた。
「ええ……。では、次も私がお供しましょう」
そう自然に口にしてしまった自分に、彼自身が一番驚いていた。
夕暮れ時の帰り道。
スモモの種を飛ばして笑うルカの、あの飾らない横顔が。
どうしてか、彼の頭から、いつまでも離れなかった。




