第1話 ローストビーフと、破滅の足音
破滅の足音は、最高に美味しい匂いとともにやってくる。
ルカ=フォン=エデルハインがそれに気づいたのは、王城のシャンデリアが眩しく輝く、卒業記念パーティーの最中だった。
「セシリア! 貴様のような悪逆非道な女は、未来の王妃にふさわしくない! ただいまをもって、婚約を破棄する!」
会場のど真ん中で繰り広げられる、王太子殿下の高らかな宣言。
静まり返る会場。
青ざめる悪役令嬢セシリア=フォン=ローゼンベルク。
王太子の背中に隠れて、震えるように身を寄せる光の聖女リリアナ=フローレンス。
ルカは壁際の目立たない柱の影から、その完璧なイベント(スチル)の発生を眺めていた。
(うわぁ、リリアナちゃん可愛い。あんな風に守られたい人生だった……よし、お肉食べよ)
前世で全てのエンディングを回収するまでプレイした乙女ゲーム、「緋色の誓約」。
その最大の山場である婚約破棄イベントが、今まさに目の前で実写化されている。
すごい。
本当に「貴様」って言うんだ。
ルカはそんな呑気な感想を抱きながら、手に持った銀のフォークを動かした。
男爵家の三女であるルカには、前世のゲーム知識があった。
けれど、自分がどのキャラクターに転生したのかを探るため、攻略本やWikiの記憶をどれだけ引っ張り出しても、答えは出なかった。
ルカ=フォン=エデルハイン。
そんな名前の令嬢は、モブとしてすらシナリオに存在しなかったのだ。
だからルカは決意した。
シナリオの強制力がないなら、好都合だ。
目立たず。関わらず。美味しいご飯を食べて、平穏に生き延びる。
その信条に従い、ルカは今パーティーの隅っこで、ひたすらビュッフェの料理を堪能していた。
特に、この特製ローストビーフ。
信じられないくらい柔らかくて、赤いワインのソースが絶品だった。前世の安月給OL時代には絶対に食べられなかった味だ。
(はぁぁ……お肉最高。他人の修羅場を見ながら食べる高級肉、罪悪感あるけどたまんない……!)
口の中いっぱいに広がる肉汁に、ルカは至福の笑みを浮かべた。
「あの階段から突き落としたのも、お前の仕業だな!」
王太子の怒声が響く。
ヒロインが「ひっ」と短い悲鳴を上げる。
観衆の貴族たちは、息を呑んで成り行きを見守っている。
完璧な静寂。
完璧な緊張感。
その、張り詰めた空気の中だった。
「──んふっ、ぶふぉっ!?」
奇妙な破裂音が、会場の隅から響き渡った。
ルカだった。
ローストビーフのあまりの美味しさに気を取られ、ソースを一滴、気管に吸い込んでしまったのだ。
「げほっ! ごほっ、ごほっ!」
息ができない。
肺が痙攣し、涙がボロボロとこぼれる。
止まらない。
静寂に包まれた会場に、ルカの盛大な咳払いだけが、これでもかと反響した。
かちり、と。
全員の視線が、一斉に壁際のルカへと向いた音がした。
「なっ……! 誰だ、そこでふざけているのは!」
雰囲気を台無しにされた王太子が、顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけている。
悪役令嬢も、ヒロインも、高位貴族たちも、全員が「誰だあいつ」という顔でルカを見ていた。
終わった。
ルカは咳き込みながら、絶望した。
目立たないように生きてきた。
シナリオに関わらないよう、ずっと息を潜めてきたのに。
「引っ立てい! 神聖な場で無礼を働くその女を、前に出せ!」
近衛兵たちが、ガチャガチャと鎧を鳴らしてルカに近づいてくる。
口元にソースをつけ、フォークを握りしめたままのルカは、涙目でプルプルと首を横に振った。
違うんです。
私、ただのモブなんです。
お肉が美味しかっただけなんです。
けれど、弁解の言葉を口にする前に、近衛兵の手がルカの腕を掴もうとした。
──その時だった。
「……ふっ」
低く、地を這うような笑い声が、ルカのすぐ隣から落ちた。
近衛兵たちの動きが、ピタリと止まる。
いや、会場全体の空気が、一瞬にして凍りついたようだった。
「殿下。その令嬢から手を離していただけるだろうか」
壁際の暗がりから、一人の男が一歩、前へ出た。
漆黒の髪。氷のように冷たく、美しい青の瞳。
立っているだけで周囲の温度が下がるような、圧倒的な威圧感。
王国最強の軍事力を持つ、「氷の公爵」グレアム=ヴァルトシュタイン。
絶対に笑わないはずの彼が、なぜか肩を震わせ、口元を隠すように笑いを堪えていた。
「こ、公爵……? なぜ、そなたがそのような下級貴族を……」
王太子が、怯んだように声を上ずらせる。
「なぜ、と問われるなら」
グレアムは、冷ややかな視線で王太子を一瞥したあと、ルカを見下ろした。
そして、信じられないことを口にした。
「彼女は、私の同伴者だからな」
は?
ルカは、盛大に瞬きをした。
(嘘だよね!? 私、今この瞬間まであなたと一言も喋ったことないですよね!)
ルカの心の中の叫びなど知る由もなく、周囲の貴族たちは「あの氷の公爵が、令嬢をエスコートしているだと!?」とざわめき始めた。
さらに、事態はそれだけでは終わらなかった。
「抜け駆けはずるいですね、公爵殿」
今度は、ルカの反対側の壁から、甘く、それでいて毒を孕んだ声が響いた。
きらきらと輝く金髪に、優しげな翠の瞳。
王国の令嬢たちの憧れの的である第一騎士団長、レオナルト=クロイツ。
彼は、呆然とするルカの手からそっとフォークを抜き取ると、極上の作り笑いを浮かべた。
「申し訳ありません、殿下。この可愛らしい令嬢は、私が見つけた小鳥でして。公爵殿にお譲りするわけにはいかないのですよ」
レオナルトはそう言って、ルカの腰にすっと手を回した。
右に、氷の公爵。
左に、腹黒騎士団長。
ゲームの超重要キャラクターである二人に挟まれ、ルカは完全にフリーズした。
この状況、どう考えてもおかしい。
私は攻略本に載っていないモブだ。
王太子たちの修羅場にも一切関係ない。
ただ、お肉を食べて咽せただけなのだ。
なのに、なぜ王国のツートップが、私を挟んでバチバチと火花を散らしているのか。
(……あ、わかった)
ルカは、すんと冷静になった。
前世の社会人経験が、一つの答えを導き出した。
(私、この人たちに「権力闘争のダミー」にされてるんだ!)
どちらの派閥が力を持っているかを示すための、都合の良いコマ。
こんな高位貴族に挟まれて、平穏な生活など遅れるはずがない。
ちょっと咽せただけなのに、私のモブ生活、終了である。
「あの……私、帰っていいですか」
本気で嫌そうな顔をしてそう呟いたルカの言葉は、恐ろしい男たちの執着の火に、さらなる油を注いだだけだった。
笑えて、時々じんとするお話になっています。よければ最後までお付き合いください。
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