第八話 "緑の光"
彼の足が少しだけ土や岩に変化したころ。視界の中に別の光が混ざりはじめた。
「今度は緑色か。風属性かな?」
赤色と黄色の次に混じってきたのは、薄めの緑色。
前世では風や大気を象徴する色だ。
一体何が起きるのかと、恐る恐る緑色の光が混じった中へと入ってみたが、
「……なんも起きないな」
特に何も起きなかった。
もしかして赤色のように、既に適応しているタイプだろうか。
……いや、少し進むと耳鳴りが起き始めた。
ついでに耳に何かが詰まっているような感覚もする。
ただ、本当にこれが緑色の光による効果なのか?
黄色い光に比べてあまりにも楽すぎる。
もしかして黄色い光みたいに、進めば進むほど強くなるタイプだろうか。
その場合は困るが、耳鳴り程度ならば問題は無い。
「……ん?」
その後も歩き続けていると、鼻から何かが垂れてるような感覚がした。
鼻水かと思って手で拭うと、血が付着している。
「鼻血か。珍しい。鼻の骨が砕けた時以来だ」
鼻の骨が砕けて皮膚を突き破ったことで出た血液を鼻血と呼ぶのかは疑問だが。
にしてもどうして急に鼻血が?
理由を考えるが、特に原因が思い当たらない
唯一原因っぽいのは緑色の光だが、鼻血を出す程度の効果なのだろうか?
それとも他の要因で出たのだろうか?
「……まあいいや」
原因を考えてもまだ分からないので思考を打ち切り、足を動かして前へ進む。
どうせ原因が分かったところで対策の方法はない。
ならば原因を考えるよりも、一歩ずつ前に進んで光源へと近づくのが優先だ。
~~~~
「はぁ、はぁ、はぁ」
彼が鼻血を地面に垂れ流しながら進んでいると、身体に異変が生じ始めた。
まず分かりやすいのは痛みだ。
主に肺が痛く、そのせいなのかとても呼吸がしづらい。
他にも間接や手足が痛むが、肺に比べればまだマシな気がする。
次の異変は──これは異変と言っていいのかは分からないが──小さな段差に躓くようになってきた。
本当に小さな段差であり、今までなら簡単に乗り越えれていたような足首ほどの段差だ。
躓いた数は一回や二回ではなく、すでに数十回は躓いている。
ぶつけた足の指が何本か折れたのでとても痛いが、まあそれは異変ではないので置いておこう。
痛いとはいっても歩くのに支障はないくらいだ。
……指の色が紫色になっているが、死にはしないのでいいだろう。
どうせ死んだら元通りになる。
次の異変は非情に息切れがしやすくなったことだ。
今までならばマグマと強酸遊泳で鍛え上げられたスタミナのおかげで、頂点に太陽があるころから沈むくらいまでは歩けていた。
だが今は、その半分未満の時間を歩いているだけで息切れが生じ始める。
そして最後の異変は頭痛と眩暈だ。
頭痛に関してはかなり軽いので今までの異変よりはマシな方だが、眩暈に関してはかなり困る異変だ。
なにせ歩いている最中に突然眩暈が発生して倒れてしまう。
倒れたなら受け身を取ればいいだけで、今まではそうしていたのだが、分かっていても何故か身体が動かず、受け身が取れなくなっていた。
そのせいで頭を強く地面へぶつけたことが何度もあり、ダメな部分に当たって意識が何度か途絶えた。
意識が途絶えて死ねるのならば一度リセットということで別にいいのだが、残念ながらそのまま死ぬよりも気絶の方が多い。
気絶してしまえば長時間、地面に身体を接触させ続けることになり、気絶している間にどんどん身体が変化してしまう。
しかも意識が無い間は変化速度が上がるのか、目覚めた時には既に脳が変化していることもあった。
脳を生きたまま溶かされたり変化させられるのがとても嫌いなので、気絶して地面に接触してしまう眩暈は本当に困った異変である。
「……っ! ……あぶない、また倒れるところだった」
彼が歩いているとまた眩暈がやってきたが、少しふらついて倒れそうになるが、寸でで腕を指し込んで耐えることができた。
気絶さえしなければ変化は遅いので、頭さえぶつけなければ問題はない。
「あー、色んな所が痛いし鼻血は止まらないし眩暈はする。
……意外とヤバイな、これ」
最初の頃に思っていた優しいという評価は覆すべきだろう。
こうも体調不良が続くのならばかなりヤバイ光だ。
これならまだ黄色い光の方がマシだったかもしれない。
あっちはあっちで生きたまま脳を変化させられたりするが、それ以外は変化した部分が剥がれた時のみ痛いだけだった。
対して緑色の光はずっと体調不良が続くので、まるで強酸の海にいたころのようなじわじわと痛めつけられている気分になる。
まあ強酸とは違って死にはしないのだが。
「……大体この現象が何が原因で引き起こされてるのかは分かってきたけど、やっぱり対策は無さそうだなぁ」
原因を考えても意味がないと思って原因を探ることはしていなかったが、さすがにここまで色んな症状が出れば何が原因なのかは察しがついてくる。
ただ、察しがついたとしても、自分にできることは前に進むことだけ。
待ち受ける苦しみを想像して少し進みたくない気持ちが芽生えるが、ここで魔法を使える可能性を捨てることはできない。
なので彼は、恐る恐る前へと進み始めた。
~~~~
彼が眩暈と節々の痛みに耐えながら進んでいると、ついに身体で生じている異常が深刻なものへと変化した。
「はっ、はっ、はっ、はっ」
その場に倒れ込んでとても短い呼吸を何度も繰り返す。
まるでガチガチに固まった粘性の液体の中で呼吸しているような苦しさ。
一度の呼吸で吸える空気が微々たるもので、何度吸っても足りることがない。
脳みそに空気が足りていないのか、少しボーっとしてしまうことが増えた。
「はっ、ゴホッ、ゴホッ!」
全身の痛みはもはや耐えきれるものではなく、ただでさえ痛い肺は呼吸と咳の度に痛みが増加し、頭は脳を直接ほじくり返されているかのような激痛が襲う。
関節は誰かがねじ切ろうとしているのかと思うほど痛く、一切動かすことができない。
定期的にやってくる吐き気のせいでさらに身体は痛み、あまりの痛さに目からは自然と涙が溢れ、全身に嫌な汗が噴き出る。
さらに彼の瞳孔は一切定まらずに動き続け、明らかな異常を示している。
意識は混濁し続けており、幾度か完全に意識が飛んで昏睡してしまうことすらあった。
このような状態で動くことなどできるはずもなく、その場から一歩も動くことができなくなってしまった。
彼はもはや正常な判断すらできておらず、自分がどのような状態なのか、自分がどこにいるのかすら把握できていなかった。
~~~~
その後、幾度か変化による死を迎え、ほんの少しだけ思考できるように回復した。
黄色い光と地面からの浸食による身体の変化が無ければ、思考が戻るのはもっと後だったことだろう。
なにせ痛みや意識混濁では死ぬことはできず、ただただ痛いだけだからだ。
その点でいえば、黄色い光による変化が残っていたのは幸運だった。
これが無ければ餓死するまで苦しむことになっていた。
(……あー……? ……ぁー……)
彼はほんの少しだけ戻った思考で身体を動かし、激痛が走る中で立ち上がって歩き始める。
その歩みはまるでゾンビのように緩慢で、足取りは不安定にふらふらとしていた。
そのせいでバランスを取れずに倒れてしまい、身体を地面に打ち付けて血まみれになってしまう。
だがこれまた緩慢な動作で起き上がり、血塗れのまま歩を進めていく。
それが良かったのか悪かったのか。
亀の歩みで前へ進み続けていると、黄色い光と同じように、致命的な領域へと辿り着いてしまった。
明らかに空気が変わったと思った瞬間、意識は一瞬にして刈り取られた。
彼はその場に倒れ伏し、意識が無いのにもかかわらず、身体はピクピクと痙攣し始める。
彼は意識が無いながらも呼吸をしようとするが、まるで固体の何かを吸っているのかと思うほど、肺の中へは何も送り込まれない。
そのせいで窒息死することになるが、意識は完全に昏睡しているおかげで苦しみは無く、身体中に走る激痛ですら起きることは無い。
まあ、彼としては昏睡したのは幸運なことだろう。
なにせ意識を持ったまま骨が壊死し、関節が損傷する痛みを味わうことがなかったのだから。
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「……っ!?」
永い間を昏睡し続けていたある時、彼は全身に走る激痛によって目を覚ました。
(ア゛ァ゛ァ゛ァ゛ァ゛ッッ!!! 痛いッ! 痛い痛い痛い痛い痛いッッ!!)
この環境で意識を失わないようにはなったが、痛みへの耐性はまだ無かったようだ。
彼の身体はまず意識を回復させることを優先したということだろう。
まずは痛みの方を消してから起こしてほしかった。
(ッッ!! 痛い! 痛いッ! けどっ、強酸よりはっ! マシっ!)
確かに全身の内部から外部まであらゆるところが痛むが、強酸に溶かされていた時の痛みよりはマシだ。
マシといっても99点と100点くらいの違いなので、痛みの程度で言えばほとんど変わらないのだが。
(呼吸はできる……! 肺は痛いけど!)
大きく「はーっ」と息を吸うと、未だに粘性の液体の中で呼吸しているような感覚だが、壁を吸っているような感覚は無く、呼吸自体は可能になっていた。
呼吸するたびに肺が痛むが、全身が痛すぎるのであんまり変わらない。
そもそも肺だってずっと痛んでいるので、その痛みがほんの少しだけ増加する程度の差である。
彼は痛みに耐えながら自分の状態を確認し終えると、次に自分の身体は動かせるのかどうかの確認をし始めた。
まずは指を動かそうとするが、よく見れば自身の意思とは関係なく身体がピクピクと痙攣している。
(痙ッ攣? ……感覚ッ的にッ、筋肉、かッ)
恐らく筋肉が痙攣しているのだろう。
筋肉を攣った時のような感覚がするので、間違いないはず。
ただ、普通に攣った時とは違って対策方法はないので、一旦スルーして動かせるかどうかを確認してみる。
(一応……動かせるッけど……ッ!)
一応は自分の意志で指の先を少しだけ動かすことができた。
ただ少ししか動かせず、これでは立ち上がって歩くことは不可能だろう。
(……ッ、もう、少しッ、耐えよう……ッ)
~~~~
幾度目かの夜。彼の身体は未だに痛むものの、ついに自身の力で立ち上がることができた。
「長かった……。
トップ3に入るくらい辛い経験だった……」
彼にとって一番つらい経験ナンバーワンは、生きたまま脳を溶かされることだが、それに匹敵するくらいには辛い経験だった。
強酸や熱気ならしっかり最後まで殺してくれるのに、今回は生かさず殺さずの状態でずっと痛めつけられていたせいだ。
「土や岩に変化してよかった……!
あれのおかげで死ねてリセットできたし……」
まさか変化することへの感謝をすることになるとは。
少し前までは最悪だったのに、しっかりと最後まで殺してくれることがあんなにありがたいとは。
黄色い光は未だに一日もあれば身体を変化させてくれていたので、これが無ければ餓死するまで待つことになっていた。
そうなれば恐らく2~3日は激痛に耐え続ける羽目になっていたことだろう。
今回の緑色の光は、二度と味わいたくないランキングトップ3にランクインだ。
「あ”ー、先に進むのが怖い……」
最初の頃はワクワク感が勝っていたが、さすがに今回の激痛によって進むのが怖くなってきた。
一度来た道を戻ってゆっくりと寝るべきか。
「でもなぁ、どうせいつか苦しむならこのまま行って苦しんだほうが……。
それに、魔法を使えればこういうのにも対処できるようになるだろうし……」
彼が想定している魔法を使えるのであれば、今までに受けた変化の全てに対応できるだろう。
ただ、これが魔法じゃない可能性があって、仮に魔法だとしても使えない可能性があるのが怖いが。
「黄色い光の変化は多分、あれと同じ魔法を使えれば相殺して大丈夫になるはず。
そんで緑色の光は多分気圧が原因だし、自分の周囲の空気を操れれば対処できる」
赤い光に関しては分からないが、恐らくは熱や炎に関するだろう。
そうなれば、自分の周囲の熱を下げれれば対処できる。
仮に赤の魔法で熱を下げることはできなくても、この先にあるであろう水属性的な魔法でなんとかなるだろう。
前世において火と水は、お互いを打ち消す相互関係にあることが多かったし。
いや、この世界はゲームじゃなくて現実だけども。
「はぁ……行くかぁ。
今度は水だからそこまで痛くなることはないはず。
……頼むぞ、本当に」
水は水でも強酸はやめてくれよと心の中で全力で祈りながら、彼は次の光が見えるまで歩いていく。
どうせ強酸なんだろうなぁと思いながら。




