第五話 "原初の海"
強酸に溶かされる苦しみから解放された彼を待っていたのは、この世界にやってきたころのような即死の連鎖だった。
復活した瞬間に身体へ穴が開いて即死し、瞬時に復活する。
だが、彼にとっては身体を穴だらけにされていた方がマシだっただろう。
空から降ってくる水滴による即死の無限連鎖を抜け出した先にあったのは、地面に溜まっていた強酸性の水たまりだった。
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身体の全てを覆う強酸によって全身を溶かされ、溶けた口蓋と鼻から入り込んだ強酸が、内部からじわじわ溶かしていく。
その痛みは、熱によって溶かされる痛みとは全く違う。
熱によって溶かされる痛みは、ある程度の耐性が付いた後の痛みだった。
そうじゃないと即時消滅していたからだが、そのおかげなのか。今考えれば、痛みの度合いとしてはマシな方だった。
熱で溶かされる痛みより、溶かされなくなった後の呼吸できない苦しみの方が辛かったくらいだ。
だが強酸に溶かされる痛みはこの世界で初めての痛み。
穴だらけになって即死していたのは、あくまで水滴による物理的な死であり、隕石に引き裂かれるのと大差ない。
身体の周りを覆いつくす強酸は、皮膚を溶かし、神経を溶かし、内臓を、骨を、一つ残らずじっくりと溶かしていく。
普通ならば強酸が皮膚に当たった際に引き起こされる火傷によって死ぬはずだが、彼は数千度に耐えて生きることができる。
そのため火傷では死ぬことができない。
ただ、彼が経験するのは内臓を溶かされる経験まで。
肝臓や心臓に到達した強酸が引き起こす多臓器不全か、脳に到達した強酸によって死ぬことができるので、彼にとっては幸いだろう。
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彼は未だに溶かされる痛みになれることはできず、復活するたびに内心で絶叫をあげていた。
絶え間ない苦しみに発狂してしまいたいが、何故か狂うことができない。
そのため、正常な精神のまま、全身を溶かされる痛みを味わうことになってしまった。
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彼のいる場所は強酸でできているとはいえ一応は海。
なので復活するたびに浮いていき、水面へ向かっているはずだが、浮くよりも早くに水位が上がっているようで、一向に水面へ出ることができない。
あとは、彼は復活した瞬間から溶かされ続けているため、復活した瞬間は浮いているが、しばらくすると体積が足りなくなって沈んでいくのだろう。
そもそも彼の肺に入っているのは空気ではなく強酸。
そんな状態で浮上する速度なんてたかが知れており、むしろ沈んでいく速度の方が早い事だろう。
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彼は未だに水面へ浮上することができず、ずっと溶かされる苦しみを味わっていた。
一体彼は前世で何をしたのだろうか?
前世にあった概念である"地獄"ですら、強酸によって全身をじっくりと溶かすようなことはしないだろう。
あるとしても高温の窯で茹でるくらいで、茹でられるのは既に経験済みである。
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彼は幾度もの死を超えた先で、ある程度痛みに慣れてきたようだ。
脳みそを溶かされる痛みには一切慣れていないが、皮膚を溶かされる痛みには慣れ始めた。
そのおかげで脳みそを溶かされるまでの間は、思考を巡らせることができるようになっていた。
(前世じゃ人体を溶かすほどの酸かどうかは分からなかったけど、まさか普通に溶かしてくるとは……)
彼の前世において、この時代に降った雨が強酸なのかどうかは意見が分かれる議論だった。
まさか自分で体験して事実確認をすることになるとは思っていなかったが。
(前世で何かしたかなぁ?
……あれか? アニメとゲームに熱中しすぎていたのか?)
彼の前世の記憶はほとんど残っていないが、その中でも鮮明に残っているアニメやゲームと過去の地球に関する記憶。
そこから自分が前世では家に引きこもっていたのではないかと推測した。
それを確認する術は一切ないのであくまで想像だが、だからといって、こんな地獄より酷い環境で苦しまなければいけない理由にはならないはずだ。
(あっ、これそろそろ来そう)
前世の事を考えていると、自身の脳みそへ強酸が到達しそうなことに気が付いた。
皮膚を溶かされる痛みには慣れたが、脳みそを溶かされる感覚には未だになれることができない。
徐々に脳みそを溶かされるせいで自身の機能が失っていく感覚。
自分の頭がおかしくなっていく感覚。
そのくせ中々死ぬことができない苦しみ。
自分がどれだけの時間を過ごそうとも、この感覚になれることはないだろう。
「(ア゛ッガッ!? あsdhfjgこうwybs!?!?)」
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痛みに慣れてきた彼は、少しやってみたいことができたので挑戦中だ。
それは、泳いでなんとか陸地に行けないかという挑戦だ。
彼の意識があるのは脳に強酸が到達するか、内臓を溶かされて死ぬまで。
その死ぬまでの間に強酸の海を泳いで陸地を目指し、なんとか上陸しようという試みている。
記憶では、この時代には既に陸と呼ばれる存在があったと記憶している。
といっても確定しているわけではなく、あくまでそう言われているだけの話だが。
それでも陸地があると信じて泳ぎ続けている。
仮に陸へと上がることができれば、強酸によって溶かされて死ぬのではなく、雨の銃弾によって即死することができる。
そうなれば苦しみは和らぎ、安心して雨が止むまで死に続けることができるだろう。
そんなわけでずっと泳いでいるわけだが、中々見つけることができずにただ苦しみが積み重なっていく。
そもそもの問題として、水中で目を開けることができないし音を聞くこともできない。
復活した瞬間には、耳の中へ入り込んだ強酸が鼓膜を溶かし、眼球も同じく溶かされる。
そんな状況で目と音を頼りに探すことなんてできず、どこへ向かっているのかも分からない状態で泳ぎ続けるしかない。
それでも、陸に上がりたいという思いを胸に、泳いでは死に、泳いでは死にを繰り返す。
この苦しみから逃れるために。
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挑戦を始めてから幾度もの死を経験しつつも泳ぎ続けているが、未だに陸を発見することができていない。
本当にあるのか? あったのだとしても見つけることができるのか?
そんな不安を胸に抱きながら、脳を溶かされる苦しみから逃れたい彼は今日も泳ぎ続ける。
苦しまずに死ぬために。
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未だに陸地を見つけることができていないが、少しだけ進歩があった。
それは強酸への耐性だ。
といっても、ほんの少しだけだが。
これまで生命維持に関わる部分を溶かされるまでに大体数秒から数分ほどだったのだが、今は溶かされるまでに数十分は余裕がある。
そのおかげでそこそこの距離を泳げるようになったが、耐える時間が増えたということは苦しむ時間が増えたという事。
まだ耐えられないほうがマシだったかもしれない。
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彼が諦めの感情を抱きつつ泳いでいると、頭に固い何かが当たった感触がした。
その感触はゴツゴツとしていてザラザラとしている。
間違いなく岩石の感触だ。
ついに見つけたのかと喜んで浮上しようとするが、目を閉じている状態だと上下左右が全く分からない。
なので一度、死んで復活した瞬間に目を開けて上下左右を把握しにかかった。
幸い少しだけ耐性がついていたおかげか、一瞬だけ水中が見えたので、眼球を溶かされる痛みに耐えながら上へ浮上していく。
浮上している間も死に続けたるが、ついに水面へと顔を出すことに成功した。
当然、水面に顔を出した瞬間に脳天を雨が貫いて死んだが、次に目を覚ました彼の目に一瞬だけ映ったのは、遠くの方まで広がる大地だった。
ただ、見つけたのはいいが上陸することができない。
水面に顔を出せば瞬時に脳天を貫かれて意識を失う。
当初の予定とは違うが、彼からすれば希望が目の前にある状況。
彼は雨が止むまでひたすら水上で水滴に殺してもらうことにし、死んでは水面へ浮上するのを繰り返すのだった。
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今までずっと人体を貫通する勢いで降り続いた雨は、ついに勢いを失ってきていた。
そのおかげで水面へ出ても即死しなくなった彼は、陸へと這い上がろうとする。
雨の勢いは失ったものの、降ってくる雨が強酸であることは変わらない。
そのため、這い上がっている際に降ってきた雨によって身体が溶かされていくが、今までの経験で慣れてしまったので、痛みを無視して這い上がる。
そして、彼はついに陸地へと身体を上げることができた。
これからしばらく雨は降るだろうが、それも少しの間。
今までと比べれば微々たる時間を耐えればこの地獄も終わりだと、終わりが見えてきた彼は希望を見出す。
あと少しだ。
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雨が、やんだ。




