侵食、あるいは失われる記憶
「……おい、聞いたか? あの平民、ルミナス卿の直属に選ばれたらしいぞ」
「ふん、どうせ汚い手を使ったのだろう。身の程を教えてやる必要があるな」
聖騎士団の食堂。
カイルの耳には、周囲の騎士たちからの隠しきれない悪意が届いていた。
そこへ、嫌味な笑みを浮かべた貴族騎士の一人が歩み寄る。
「カイル・ノーネーム。お前に団本部からの特別任務だ。西の外縁にある『静寂の森』の環境調査を行ってこい」
隣でその書面を覗き込んだエトスが、即座に脳内へ警告を出す。
『マスター、この任務は罠です。該当エリアのナノマシン濃度は、通常の魔導師の致死量を200%上回っています。彼らは、あなたを事故死させるつもりです』
「……いいぜ、引き受けるよ」
カイルはあえて挑戦的な笑みを浮かべて書面を受け取った。
断れば、そこから正体を疑われる可能性がある。
しかし、出発の際、馬に跨るカイルの前に現れたのは、ルミナスその人だった。
「……騎士団長。どうしてあんたが」
「部下の初陣だ。その魔法とも呼べぬ歪な術が、高濃度汚染区域でどう機能するか……私の目で見極めてやる」
『静寂の森』は、視界が白く濁るほどナノマシンが充満していた。
「……くっ、空気が重い」
カイルはそう呟く。
エトスが展開する不可視のフィルターで守られているが、それでも空気は重い。
しかし、ルミナスは生身の魔力でその毒を押し返している。
その負担は、カイルの想像を超えていた。
森の奥で、ナノマシンの塊である原生生物が襲い撃ちかかる。
ルミナスが鋭い動作で杖を構えた。
「焼き尽くせ――『紅蓮の……』」
だが、言葉が続かない。
ルミナスの瞳が、一瞬だけ虚空を彷徨った。
「……紅蓮の、なんだ? 私は、何を唱えようとしていた……?」
「叔父さん、危ない!」
カイルが叫び、偽装杖で原生生物の核を貫いた。
エトスの干渉で生物は霧散したが、ルミナスは杖を持ったまま、呆然と立ち尽くしていた。
「……今、何と言った」
ルミナスの冷徹な声が、森の静寂を切り裂く。
「貴様……今、私を何と呼んだ?」
カイルはハッとして口を押さえたが、もう遅かった。
ルミナスの瞳は虚空から光が戻り、激しい疑念と困惑が混じり合っていた。
「お前は一族の出来損ないと蔑まれ、私が奈落へ蹴落とした……カイル、カイルなのか?」
そしてカイルは静かに溜息をつき、耳の裏のデバイスに触れた。
「……エトス、認識阻害を解除しろ。もう隠しきれない」
『了解。ホログラム・カムフラージュをオフにします』
光の粒子が剥がれ落ち、そこには「平民カイル」ではなく、アステリアの血を引くカイル・アステリアの素顔があった。
「……生きてたよ、叔父さん。あんたの言った通り、アビスで自分の無価値さを噛み締めながらな」
ルミナスは目を見開いた。
驚愕、そして微かな『安堵』。
だが、すぐに彼は顔を歪ませた。
「馬鹿な……。魔力ゼロの貴様が、なぜ魔法を使える。なぜ、この死の森で平然としていられるのだ」
「これは魔法じゃない。……エトス、教えてやれ。この『世界』の本当の姿を」
『解説します、ルミナス・アステリア』
エトスのホログラムが姿を現す。
『あなたが「魔法」と呼ぶものは、脳を焼き切る毒に過ぎません。あなたが技の名前を忘れたのは、代償として「過去の記憶」をシステムに支払ったからです。……このままでは、あなたは自分自身が誰であるかすら、忘れることになります』
「……黙れ……。そんな不吉な言葉、信じるものか……!」
ルミナスは叫んだが、その声は震えていた。
彼は知っていたのだ。
最近、自分の大切な記憶が、指の間からこぼれ落ちる砂のように消えていく感覚を。
正体を明かしたカイルと、崩壊を待つルミナス。 二人の間に芽生えたのは、奇妙な協力関係だった。 カイルは、ルミナスの記憶を繋ぎ止めるため、そして世界の毒を浄化するため、第1章の決戦へと向かう。 舞台は、父ゼノスが守護するセレスティアの中枢「管理塔」。 魔法を信じる父と、魔法を否定する息子。今、再会の火が上がる。
次回、再会、あるいは断絶の火




