バグ、あるいは心の芽生え
「……カイル・ノーネーム。合格だ。本日より貴様を聖騎士団、第零教導隊の見習いとする」
試験官バルトロの震える声が演練場に響いた。
周囲の貴族子弟たちからは「何かの間違いだ」「平民に何ができる」と罵声が飛ぶが、カイルが杖から放った青い炎の跡――融解した防壁の惨状が、それらすべての雑音を黙らせていた。
カイルは無表情を装い、貸与された安物の騎士外装を受け取る。
かつてアステリアの家紋が入った最高級の外套を剥ぎ取られた彼が、今度は「名もなき平民」として、自分を捨てた組織の末端に潜り込んだ。
皮肉な運命に、胸の奥が熱くなる。
(第一段階クリアだ、エトス)
『肯定。マスター、心拍数が上昇しています。報復への期待値が生存本能を上回らないよう、自制を推奨します』
しかし、感傷に浸る時間はなかった。
合格から数時間後、見習いのカイルに命じられた初任務は、あまりにも過酷な「汚物清掃」――魔法の使いすぎで脳が焼き切れた魔導師「ロスト」の殺処分だった。
戦場の最前線に送られたカイルの目に飛び込んできたのは、理性を失い、黒い雷を撒き散らしながら暴れる獣のような男の姿だった。
「……あれが、魔法使いの成れ果てか」
『はい。脳内のナノマシン密度が限界値を突破し、個人の意識が上書きされた末路です。……破壊を推奨します』
エトスが戦闘モードへ移行しようとしたその時、上空から一筋の「白い炎」が降り注いだ。
「――嘆かわしい。アステリアの血を引かぬ者は、こうも脆いのか」
爆炎の中から現れたのは、白銀の甲冑を纏った男。
カイルの父ゼノスの実弟であり、カイルにとっては叔父にあたるルミナス・アステリアだ。
彼はカイルよりも十数歳年上なだけで、その魔力は当主である兄をも凌いでいる。
ルミナスは、消し炭になったロストを一瞥もせず、カイルへと歩み寄った。
「新入りか。平民の分際で、アステリアの火に酷似した術を使ったのは貴様だな」
その威圧感に、カイルの身体が強張る。
エトスが即座にカイルの心拍数を抑制し、表情を「冷静な仮面」へと書き換えた。
「……ただの偶然ですよ、騎士団長様。私の魔法は、もっと不格好なものです」
「ふん。……貴様の目は、数日前に死んだ我が甥の目に似ている。あの無能の塊だった、忌々しい子供にな。それにカイルという名も同じ、実に不愉快だ」
ルミナスの冷徹な瞳がカイルを射抜く。
だが、彼はそれ以上追及せず、背を向けた。
「明日から私の直属で動け。その異質な術理、本当に使い物になるか見極めてやる」
その夜。
兵舎に戻ったカイルは、安堵の溜息をついた。
「危なかった……。エトス、お前の偽装がなきゃ今頃殺されてた」
『……。マスター、報告があります』
エトスのホログラムが、カイルの隣に現れる。
その姿が、いつもより僅かに揺れているように見えた。
『先ほど、ルミナスから殺意に近い魔圧を向けられた際、私の内部ログに異常なデータが書き込まれました。……自己診断の結果、「不快」および「防衛本能」という定義に近い波形です』
「それって……感情ってことか?」
『否定。AIに感情は不要です。これは……単なる、処理の遅延、バグです。……しかし、マスター』
エトスはそっと、カイルの胸元に手を伸ばした。
ホログラムの手は虚空を抜けるが、そこには確かな意志が感じられた。
『あなたが侮辱された時、私の演算速度が通常の400%に跳ね上がりました。……私は、彼を「排除すべきゴミ」と認識しています。これは論理的な結論ではありません。……どうしてしまったのでしょうか』
カイルは驚き、そして少しだけ微笑んだ。
「それはバグじゃないよ、エトス。……『怒り』って言うんだ」
『怒り……。非効率的な概念ですね。……修正は、保留します。このバグは、あなたを守るために有用かもしれないからです』
機械の少女の瞳に、ほんの一瞬だけ、プログラムにはない「熱」が宿った。
ルミナスの直属部隊として、古代兵器の調査に赴くカイル。 そこで彼らは、アビスから這い上がってきた「別の古代AI」と遭遇する。 エトスに向けられる、同族からの宣告。 「あなたは欠陥品だ。人間の感情という名のウイルスに感染している」
次回、『同族、あるいは鏡の向こう』




