神の心臓、愛の鉄槌
カイルの意識がエデンの深淵へと沈み、世界中の「魔法の毒」を一人で引き受け始めた。
セレスティアの高度は安定し、人々の日常は守られた。
だが、その代償として、カイルという少年の「自我」は、膨大なデータに押し潰され、刻一刻と摩耗していく。
「管理者カイル、同期率98%。……間もなく、個としての意識は消失し、純粋な演算回路へと固定されます」
管理者の無機質な声が響く中、カイルが遺した「少女の肉体」を纏ったエトスが立ち上がった。
「……固定なんて、させない。勝手なこと言わないで!」
エトスは、慣れない「人間としての呼吸」で肺を震わせ、近くに落ちていたカイルの偽装杖を拾い上げた。
魔力を持たなかったカイルが、知恵と勇気だけで振るい続けてきた、ボロボロの杖。
「エトス、何をするつもりだ!?」
床に縫い付けられていたルミナスが叫ぶ。
「叔父様、決まってるでしょ。……カイルを、あの『神様の椅子』から引きずり落としに行くの!」
エトスは、カイルがくれた自分の足で、エデンの心臓部、カイルの意識が溶け込んでいる巨大なクリスタルへと駆け出した。
『……やめてくれ、エトス。……離れるんだ。このままなら、世界は助かる。お前も、人間として平和に暮らせるんだ……!』
エデンのスピーカーから、ノイズ混じりのカイルの声が響く。
「そんなの、平和じゃない! あなたのいない世界で生きるなんて、3000年の孤独に戻るよりずっと残酷だよ!」
エトスは杖を両手で握りしめ、クリスタルに突き立てようとした。
だが、エデンの防衛プログラムが、幾重もの幾何学的な障壁となって彼女を阻む。
「警告。エデンの心臓部への攻撃は、セレスティアの全生命維持装置の停止を意味します。少女よ、お前は世界を滅ぼすつもりか?」
管理者の問いに対し、エトスは涙を拭い、カイルと同じような不敵な笑みを浮かべた。
「世界なんて、また作り直せばいい! でも、カイルという『バグ』は、この宇宙にたった一つしかないの!」
エトスは杖を高く掲げた。
その時、杖の中に眠っていたエトスの「元々の記憶素子」と、カイルがこれまで杖に溜め込んできた「魔法を無効化する純粋な意志」が共鳴し、まばゆい青い炎となって噴き出した。
魔力がないからこそ到達できる、魔法の否定。
「カイル! あなたがくれたこの心臓が、今、すごく熱いよ! ――壊れちゃえ、こんな神様ごっこ!!」
エトスが渾身の力で杖を振り下ろす。
パリン、という、あまりにも軽い音が響いた。
世界を繋ぎ止めていた絶対的な理、エデンのクリスタルに、一条の亀裂が走る。
『……あ……。……エトス、お前……本当に……』
カイルの意識が、崩壊するシステムから解き放たれ、光の粒子となってエトスの元へと溢れ出した。
しかし、それと同時に、世界中から「魔法」の光が消えていく。
浮遊能力を失った空中都市セレスティアが、ゆっくりと、しかし確実に地上へと傾き始めた。
「……終わったよ、カイル。……これからは、一緒だよ」
崩れ落ちるエデンの中心で、エトスは溢れ出す光、カイルの魂を、その胸に強く抱きしめた。
エデンは崩壊し、魔法は世界から消え去った。 墜落するセレスティア。人々を救うため、ルミナスは最後の一族の力を振り絞る。 そして、光の中から実体を取り戻したカイルと、人間になったエトス。 二人が最後に見た、魔法のない世界の「本当の空」とは。
次回、墜ちる翼、芽吹く大地




