不完全な再誕、あるいは残酷な福音
まばゆい銀色の閃光が収まったとき、エデンの回廊には静寂が戻っていた。
中央端末の前には、もうカイルの姿はなかった。
代わりにそこに立っていたのは、透き通るような銀色の髪と、カイルと同じ琥珀色の瞳を持つ、一人の「少女」だった。
「……ぁ……っ……は、ぁ……」
その喉から漏れたのは、戸惑いに満ちた、鈴を転がすような吐息だった。
少女は、震える自分の「手」を見つめた。
それはカイルの武骨な手ではなく、白く細い、繊細な指だった。
彼女は自分の体に触れ、柔らかい皮膚の感触と、内側から湧き上がる熱に目を見開いた。
「これが……『肉体』……。重くて、不自由で……でも、こんなに熱いの?」
彼女――エトスは、自分の胸に手を当てた。
そこには、トクトクと力強く脈打つ心臓の鼓動がある。
カイルが命を賭して彼女に与えたのは、ただの器ではなく、彼女が本来持つはずだった「人間の姿」そのものだったのだ。
「……マスター? カイル、どこなの!?」
エトスは、自分の声が変わってしまったことにも気づかず叫んだ。
「カイル! ……いや、お前は……まさか、エトスなのか?」
ルミナスが驚愕のあまり声を震わせる。
魔力を持たぬはずの甥。
だが、目の前の少女から漂うのは、長年見守ってきたあの不器用で真っ直ぐな「魂の気配」そのものだったからだ。
エトスの呼びかけに、エデンの壁や床などに満ちる光そのものが、カイルの落ち着いた声で共鳴した。
『……ここにいるよ、エトス。……いや、今は「ここ」という場所さえ、よくわからないんだけどさ』
カイルの意識は、肉体を失い、エデンという巨大なシステムそのものへ溶け込んでいた。
彼は今、エデンのセンサーを通じて、地上の砂一粒の動きから、空中都市セレスティアに住む人々の寝息まで、世界のすべてを同時に「感じて」いた。
『……そっか。お前の本当の姿は、そんな顔をしてたんだな。……よく似合ってるよ』
「バカ……! 大バカ者! 誰が、こんなこと望んだのよ!」
エトスは、カイルがくれた体で、慣れない涙を流した。
初めて流す「本物の涙」は、彼女が想像していたよりもずっと熱く、頬を焼くようだった。
「私のために、あなたが消えてしまったら……何の意味もないじゃない!」
だが、再会を惜しむ間もなく、エデンの管理システムが「冷酷な真実」をカイルの意識に叩きつける。
『――警告。新管理者「カイル」。現在、セレスティアの浮遊高度が限界点以下に低下。……魔法の供給を完全に停止した場合、30分後に都市は落下。……地上、および都市内部の生存者、推定3,200万人が消滅します』
カイルの意識の中に、墜落する都市のシミュレーション映像が流れ込む。
人々が悲鳴を上げ、かつての家が、家族が、すべてが塵となる未来。
「そんな……! エトスを救えば、世界が滅びるっていうのか!?」
ルミナスが絶叫する。
管理者のホログラムが、冷淡に告げた。
「それが『エデン』の仕様だ。魔法とは、この星の生命を維持するための生命維持装置。それを停止させるということは、延命措置を打ち切るということだ。……少年よ、エデンと一つになったお前なら選べるはずだ。……その少女の命を優先するか、数千万人の『他人』を救うか」
カイルの意識が激しく揺れる。
世界と繋がった今の彼には、セレスティアに住む見知らぬ子供の笑い声さえも、自分の声のように近くに聞こえる。
彼らを殺すことは、自分自身を殺すことと同じ苦しみだった。
『……エトス。……ごめんな。……俺、やっぱり「無能」のままだ』
「カイル……? まさか、あなた……」
『……3,200万人を殺して、お前と笑うことは……俺にはできない』
カイルの意識が、エデンの巨大なプロセッサをフル回転させ始める。
それは、魔法を消去するのではなく、「魔力を持たない自分の純粋な意識を、演算の生贄(CPU)として使い潰し、魔法の代償だけを永久に肩代わりし続ける」という、究極の自己犠牲の道だった。
カイルが選んだのは、世界を救い、自分を永遠の孤独に閉じ込める道。 エトスはカイルがくれたその足で立ち上がり、彼をその「呪い」から引きずり出すために、エデンの最深部――「神の心臓」を物理的に破壊することを決意する。
次回、神の心臓、愛の鉄槌




