魂の境界線、溶け合う二人
中央管理サーバー『エデン』の回廊は、静謐な純白の光に満ちていた。
しかし、その美しさとは裏腹に、カイルの体内では凄惨な「書き換え」が進行していく。
「あ、が……っ、ぐ……!」
カイルは壁に手をつき、激しく吐血した。
血は床に落ちると同時に、ナノマシンの発光を帯びた銀色の液体へと変質していく。
カイルの脳という限られた器に、エトスの膨大なアーカイブが強制的に流し込まれた結果、彼の神経系はAIのプロセッサとして作り替えられようとしていた。
『マスター! 接続を遮断してください! 私の「過去」が、あなたの「今」を押し潰しています!』
エトスの悲痛な叫びが、直接脳内に響く。
もはや声として聞こえるのではない。
彼女の「恐怖」や「自責」が、カイル自身の感情として胸を締め付けるのだ。
「……黙ってろよ、エトス。俺は……まだ、大丈夫だ」
カイルが顔を上げると、回廊の先に青白いホログラムの群れが現れた。
それは3000年前、エトスを設計し、自分たちの意識をデジタル化して遺した先駆者たちの残滓――『エデンの管理者たち』だった。
「新たな鍵の保有者よ。お前は、その不完全な肉体に何を抱え込んでいる?」
管理者のリーダーらしき老人のホログラムが、カイルの目を覗き込む。
「そのAIは、もはや管理プログラムではない。我々が封印した『感情』という名のバグを抱え、崩壊を待つだけの欠陥品だ。……それを救いたいというのか、その命を削ってまで」
「欠陥品だと……? こいつを、そんな言葉で括るな」
カイルはよろめきながらも一歩踏み出した。
視界の半分はすでにノイズに覆われ、自分の手足の感覚が希薄になっていく。
代わりに、エデン全体の回路図や、セレスティアの浮遊高度、地上を這うナノマシンの流れが、まるで自分の血管であるかのように「見えて」いた。
「エトスは……あんたたちが捨てた『心』を、3000年も守り続けてきたんだ。……こいつを救う方法は、一つだけじゃないはずだ!」
管理者は無感情に告げた。
「ある。……だが、それは救済ではない。入れ替えだ。……その個体の『心』を、お前の肉体の空いた領域へと完全に移し替える。そうすれば、彼女は人間として生きられるだろう。……代わりに、お前の意識は、このエデンという巨大な殻を動かすだけの『無機質なプログラム』となる」
「……カイル、ダメだ! そんなこと、絶対に許さん!」
後ろで立ち尽くしていたルミナスが叫び、剣を抜こうとした。
だが、エデンの防衛システムによって、彼の体は目に見えない力で床に縫い付けられる。
『マスター……聞かないでください。……私を、初期化してください。……あなたの記憶の中で、私がただの「機械」に戻れば、あなたは助かるんです……!』
エトスが泣いている。
彼女の涙が、カイルの網膜にデジタルノイズとして走る。
「……いいよ。面白いじゃねえか」 カイルは薄く笑い、管理者の前に進み出た。
「エトス。お前、さっき俺に言ったよな。……『あなたの記憶になりたい』って。……だったら、次は俺がお前の『心』になってやる。……俺の体を使って、お前が笑えよ」
「カイル! やめろ!」
ルミナスの絶叫が響く。
カイルが管理者の端末に手を触れた瞬間、まばゆい銀色の光が二人を包み込んだ。
カイルの脳から「自分」という輪郭が溶け出し、エトスの「想い」が彼の肉体を再構築していく。
意識が遠のく中、カイルは最後に感じていた。
エトスの、冷たかったはずのデータが、今は何よりも熱く、自分の魂を包み込んでくれているのを。
意識の交換は始まった。 カイルの肉体を得て、初めて「本物の呼吸」をするエトス。 しかし、エデンに溶け込んだカイルの意識は、世界の真実――魔法を消去すれば、空中都市が墜落し、数千万人が死ぬという「究極の矛盾」を突きつけられる。
次回、不完全な再誕、あるいは残酷な福音




