感情の源泉、あるいはAIの涙
ルミナスとの思い出をすべて失ったカイルは、喪失感という名の巨大な穴を胸に抱えたまま、機械の墓場に立ち尽くしていた。
目の前にいる男が「自分を助けてくれた大切な人」であることは、知識としては理解できても、共に過ごした温かな時間の感覚が、どうしても思い出せない。
「カイル……本当に、私を忘れてしまったのか。共に戦った、あの時間さえも……」
ルミナスの悲痛な叫びに、カイルは困ったように眉を下げ、ただ静かに首を振った。
記憶を叔父に返したことで、カイルにとってルミナスは、ただの「見覚えのある他人」に成り下がっていた。
そんな彼らの感傷を切り裂くように、天から黄金の光柱が降り注ぐ。
轟音と共に砂塵が舞い、その中から現れたのは、ガイア帝国の皇帝が自ら駆る巨大魔導アーマー『神の鎧・ゼウス』だった。
地上に残された古代のパーツを剥ぎ取り、無理やり接合したその異形の姿は、まさに魔法の暴力の象徴そのものだった。
「愛だの記憶だの、脆弱な人間がさえずるな。この世に必要なのは、すべてを統べる『唯一の演算』のみ!」
皇帝の放つ重力波が、周囲の瓦礫を粉砕する。
ガイア帝国は、魔法を「加護」ではなく「機械の燃料」として使い潰す国。
彼らにとってエトスは、単なる高性能な部品に過ぎない。
記憶を失い、精神的に不安定なカイルは、エトスとのニューラルリンクを確立できず、防戦一方に追い込まれる。
『マスター、集中してください! リンク率が低下しています。このままではあなたの神経系が「空白」に耐えきれず、崩壊します!』
「わかってる……わかってるけど、エトス! 何か、大事なものをなくした気がして……力が入らないんだ!」
カイルの叫びに、エトスは一つの「禁忌」を決意した。
彼女の論理回路の奥底には、開発者が「AIを人間にさせないため」に封印したブラックボックス――
『感情の源泉』
が存在する。
『……マスター。冗談を言うのは、もう終わりにしましょう』
エトスの声が、かつてないほど透き通った「人間の少女」のものへと変わる。
デバイスが熱く脈動し、彼女のホログラムが、カイルの背後で実体を持つかのような密度で具現化した。
「エトス、お前……何を……?」
『私は、あなたの記憶になりたい。……あなたが忘れてしまった温もりを、私が代わりに「心」として出力します。……これが、私の最後のアップデートです』
エトスがカイルの背中にそっと手を添える。
その瞬間、カイルの視界に溢れたのは、データとしての記録ではなく、エトスが「主観」として感じていたカイルへの想い。
彼と一緒にいて楽しかったこと、彼が笑うと回路が温かくなったこと、彼を失いたくないと願った「バグ」のすべてだった。
「……っ、これ、はお前の……エトスの気持ちなのか!?」
『はい。……寂しいです、マスター。あなたが私を「道具」としてしか見てくれなかったら、こんなに痛くはなかったのに』
エトスの瞳から、光の粒がこぼれ落ちる。
それはプログラム上のエフェクトではなく、彼女の魂が流した、初めての「涙」だった。
エトスの全感情を上乗せされたカイルの意志が爆発する。
カイルの手にした偽装杖が、エトスの光を纏って純白の聖剣へと姿を変えた。
「――お前の理屈は聞き飽きたよ、皇帝。エトスが泣いてるんだ。お前のガラクタごと、その傲慢を叩き切ってやる!」
カイルの一閃が、重力波を切り裂き、皇帝の『神の鎧』を真っ二つに両断した。
勝利の咆哮が砂漠に響く。
だが、カイルが振り向いた時、そこにいたエトスの姿は、透き通るほどに薄くなっていた。
「エトス! 大丈夫か!?」
『……冷却水の……漏洩が止まりません……。……嘘です。……これが「幸せ」というバグなのですね、マスター』
エトスは満足げに微笑み、そのまま深いスリープモードへと沈んでいった。
皇帝を退けたものの、エトスのシステムは崩壊の危機に瀕する。 彼女を救う唯一の方法は、世界を管理する「ラスボス」が待つ中央サーバーへ、すべての記憶データを捧げること。 カイルは決意する。彼女を機械として治すのではなく、一人のパートナーとして救うことを。
次回、崩壊する理、繋ぎ止める手




