第七章 高校生期
いやぁ~、こんなに喧嘩っ早い人だったのに、好いてくださるとは奇特な方もいたもんだ。
でもね、 彼も守ってほしい系だった記憶があったので、王子様をこれからも待つのですわ。
入学をして、私は直ぐに水泳部に。
例の遠縁先輩の妹も私の一つ上だったのだが、
これまた水泳部のマネージャーと親友だった。
遠縁の先輩は3歳違いの為、卒業した後だったが、
私は彼にプレゼントを貰った女性と言う事で(?!)、
はたまた、マネージャーの先輩のおかげで、
水泳部に入学して大事にされた… (ありがたや…)
水泳部では、本当に可愛がってもらった。
だが、可愛がり方が… だって、男子先輩の下ネタにまで付き合わされたから…
私はどうやら、女とは思われていなかったらしい。
彼らのおかげで、私はすご~く耳年増と化したのだった…
返せ?!私の純情!!(初めからあったか?)
しばらくして、朝が起きれなくなってきた。
変に思った母が病院に連れて行った。その結果は低血圧だった。
腎臓病の食事療法の為の副作用か?!
とにかく、昼からは元気に学校に行くのだが、朝はとにかく駄目だった。
そのうち、医者からの通達が… 「命が惜しければ、水泳は止めなさい!」
私はかなりのダメージを受けた… またか…
クラブのほとんどの先輩に相談をした。
その頃、怪我で入院していた先輩が居て毎日お見舞いに行った。
先輩には彼女がいたので、迷惑だったろうと思う…
しかし、私には余裕が無かった。マネージャーになってはどうかと言われた。
が、既にマネージャーは3人居た。だが、私が一番辛かったのは、
自分が泳ぎたいのに泳げない事実だった。選手でない自分が悲しかった…
それからしばらく経ったある日、私は水泳部を辞めた…
何かクラブに入りなさいと言われたので、憧れの演劇部に。
子供の頃母はよく、私を宝塚に連れて行った。
当時のスター“鳳蘭”に握手をしてもらった事もあった。
演劇部はまるで宝塚だった。女子しか居ないので、男役の先輩がいたからだ。
普段は女性なのだが、化粧をすると素敵な男性と化した先輩だった。
この演劇部でも、部長が遠縁のaちゃんの親友だったので可愛がってもらえた。
副部長は“化け美ちゃん”と私にあだ名を付けた。
しかし、この演劇部も結局は長続きしなかったのである…
女性の月ものの日は、ひどい貧血だった。
学校に行っても、目の前に星が飛んで保健室へ直行だった。
当時の担任の先生が、車で送ってくれる事はしょっ中だった。
だが、どんどん貧血と低血圧はひどくなり、とうとう起き上がれなくなった。
病院で血圧を測ってもらうと、上が60、下が20になっていた…
低血圧とは、朝が起きられない。なのになぜか真夜中は元気だ。
いつも昼が過ぎてから起きて食事をし、また寝て夕食を取る。
また、真夜中に起きて深夜番組を見て寝る。
そんな生活が数ヶ月続き、気が付くと太っていた…
このままでは健康になれないと思い、スイミングスクールに通いだした。
高校の近くのスクールだったので、ある日友人に会った。
学校に行っていなかったので、太った私を見て友人がびっくりした。
私は冗談で言った「子供が出来て~ん!うっそ~!!」と…
健康になり学校に戻った時、私の妊娠説は全体に広がっていた…
3月のある日、私は校長室に呼ばれた。
進学についての相談だった。
出席日数が足りなかったので、補習授業を受けて進級するかどうかと言う事だ。
1年のうち半分しか出席していない私が、進級してどうする?!
う~ん?!進級しても勉強も解んないだろうし…
いいや、留年しちゃえ!!てな感じで留年決定?!
相当、教師、両親はびっくりしていたと思うが…
私は新たな学年に期待を寄せたのであった。
新学年(まさにそのもの!!)。
誰一人知る人のいない教室に入った私。
みんなの視線が気になったが、気付かないふりをしていた。
一番最初のHRの時間、先生が私を評議員なるものに抜擢した。
理由は、みんなより学校の内容を知っているから…
そんな理由で良いのか?!クラス委員だぞ?!
先生としては、委員になれば学校が続くと思ったのであろう。
責任ある学校生活が始まった。
しかし、やはりプレッシャーで学校を休みだした私。
だが、休んで一週間たったある日突然行く気になった。
開き直ったのだ。どうせ留年してるし、もう何も恐くないぞ!!って。
それからは、みんなとおしゃべりが出来るようになった。
最初みんなから「おとなしいお嬢さんって感じだったのに…」と言われた。
“…”とは何だ?!じゃあおとなしく無いのか?!私は。
それからは“おもしろい変な子”と言われるようになった。
別の学校に進学した友人と、朝電車で会った。
彼女は今のバイトを辞めたいと言う。そして私にやらないかと聞いた。
両親はバイトを反対していたが、聞いてみることにした。
“夕刊配達”という職業のせいか、あっさりとOKをもらえた。
それからは、地図を見ながら悪戦苦闘の日々が続いた。
雨の日も風の日も、とにかく休めなかった。
それが良かったのか、私は体重が減って健康になった。
梅雨時のバイトは、カッパをきてもずぶ濡れになる。
中でこもって汗がでるからだ。
ある日、バイト先の予備校生の男の子がウィンドブレーカーを貸してくれた。
その後、彼とよく話をするようになった。
勉強を教えてもらったり、バイトの後一緒に帰ったりした。
話し込むとつい遅くなり、母に心配をかけ、叱られもした。
だが、男女交際などした事無い私は、
自分が交際をしているとは気付いていなかった。
自分が交際中だと知ってから、しばらくして突然彼が嫌になった。
人間“好き好きコール”をされすぎると、嫌になるものだ。
だが、どう説明して良いか解らず彼を避けた。
夕刊配達後、靴屋のバイトを始めた。とにかく話をしたくも無かったのだ。
髪型を変え、バイトに励み、友人と遊びほうけた。
そして、夏が終わった後、私はバイトを両方辞めたのだった。
夏のある日私はお腹が痛くなった。
あまりの痛みに私は、自分がベットから落ちたのも気付かないほどだった。
私が落ちた音で、母が飛んで来た。
救急車を呼ぶと言うが、嫌だった私は、タクシーを呼んでもらった。
夜間診療の先生は、「十二指腸潰瘍です」と言った。
ビキニの水着を買ったばかりの私は、「手術は嫌です!」と先生に訴えた。
「この薬でちらす事が出来なければ、手術ですよ!」
生まれて初めて”ビキニ”なるものを購入していたので、
この夏は、意地で治した私だった…
私はその後、テレビの世界に憧れた。
俳優の“寺尾 聡”が好きになったのだ。
夜の番組はもちろんの事、再放送の昼の番組に間に合うように早く帰った。
と言っても、最後の15分しか見れないのだが…
HRが終わると、掃除当番を代わってもらい、ダッシュ!!。
駅まで歩くと10分のところ、2分半と言う記録を作った私だった。
二度目の1年生が終わる日、評議委員会があった。
毎日テレビを見るため、早く帰った私は出た事が無かった。
男子の委員のM君は言った。「最後くらい出て下さいね。」
その一言を言うと、彼は帰った。振り返る事も無く…
2年生になって、また5月病になった。
今回は結構ひどく、寝てばかりだった。
が、我が家の近くに幼稚園と小学校があり、騒がしく昼間は寝られない…
切れて何もかもが嫌になった私は、風邪薬を一瓶飲んだ。
夜中に私はひどく苦しんだ。体中が燃えるように熱く、息をするのも苦しい。
苦しさはかなりの時間続いた。
朝になって、しびれた手を動かせる事に感謝したのは言うまでも無い。
夏前より、文化祭の準備が始まった。
文化祭は9月23日(祝)に毎年ある。
おおまかな事を取り決め、後は文化祭前に煮詰めるだけだ。
わがクラスは"たこ焼き屋"だ。文化祭委員の子と話し合う。
私は、材料の買い出しと当日の焼き係りだ。
当日私はたこ焼きを、焼いて焼いて焼きまくった…
後で気付いたのだが、売切れるまでほとんど私が焼いたのだった…
文化祭後は、収支決算書を学校に提出する。
買い出し係りになった私はレシートを集めた。
店が黒字になると、学校に黒字分没収されるからだ。
何を買ったかを明記して、学校に提出しなくてはならない。
たとえ、数千円の黒字でも学校にやるのは惜しい。
学級費の足しにしたいと、私は考えた。
私は頑張って、レシートを偽造(?)した。(もう時効だ…)
夏休みに偶然街で、中学校時代の友人に会った。
彼は郵便配達のバイトをしていた。
バイクに乗せてくれると言うので、会うことに。
彼の腰に手を回すのは恥ずかしかったが、バイクの為と頑張った。
信号待ちの度に手を離していたら、危うく発進の時に落ちそうになった。
「こわ~!!」って、思ってしっかり手を回した私だった…
その後、よく彼から連絡をもらった。
私はバイクに満足したので、やんわり断った。
私の誕生日に彼はやってきた。プレゼントを持って…
断ったが、私の為に買ったと言われ受けとってしまった。
でも、その頃好きな人(S君)がいたんだよね~。
委員で一緒だったM君(その後は親友だ!)に相談したら、
「あいつ(好きな彼)に相談するといいよ。」って…
で、相談をした。「返すべきでしょう。」とあしらわれた私だった…
もちろん、返した私だった。