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第五章 小学生後期

mちゃんが引っ越ししてから、私はあきらめずに引っ越しを親に打診していた。

そしてとうとう、私が4年生に進級をする年に引越しをした。


母が糖尿病を患い、身体に良い環境をと考えたのだ。

私たちは、母の実家のある奈良県に引っ越した。

引越しの日、私は有頂天になった。


今までは冷暖房無し、6畳、4畳半、2畳、3畳、店舗の家だった。

だが、その日からの私の部屋は10畳の洋室、6畳の和室の2部屋だった。

それまでの家は、隣がパチンコ店でにぎやかだった。

おまけにネオンがチカチカしていて、夜も明るかった。


引っ越し先は静かだった。暗かった。

私は一人では寝ることが出来なくなった。

小学4年生になって添い寝をしてもらう羽目になったのである…


一軒家の住宅だったので、犬を番犬として飼ってもらえる事になった。

駅から少し離れた所に、犬屋さんがあった。

母は柴犬とか、手入れの楽な安い犬が良かったらしい。

だが、私が一目惚れをした犬は“シェットランドシープドッグ”だった。


お店の人の「賢く番犬には適していますよ。」との言葉を信じて、母は買った。

子犬の時は寂しいらしく、すぐに1匹だと「く~んく~ん」泣く。

可愛がっていた私は、しょっ中自分の部屋に連れ込んだ。

その度に、ウ○チをされて、処理をしなければならない私だった…


新しい学校は交代で、音楽の時間に伴奏や指揮者をした。

ピアノは幼稚園の時にかじっただけなので、私は弾けなかった。

弾けない子は飛ばしてもらえるのだが、性格上許せない。

慌てて、近所のピアノ教室に通いだした。

が、同年代の子はものすごく上手で、同等なのは年下ばかり…


悔しいので、頑張って練習をした。

が、少し伴奏程度が出来るようになると、サボり気味の私と化した。

それでも、3年間で“バッハ”や“モーツァルト”まで弾けるようになった。

英才教育の教室のすごさを、私は身をもって知った。


転校した学校は、授業の後にドリルをさせた。

私はある日満点をとった。偶然得意な所だったのだ。

その時突然一人の女の子が泣き出した。

なんじゃ~??その子曰く「転校生に負けたのが悔しい」

私は勉強が好きでは無いので、その子の気持ちが全く解らず、

「変わった子が居るなぁ」と感じた。

それからも、彼女からのライバル視がしばらく続いた…


5年生の頃から、私は文学(?!)に目覚めた。

休み時間は本ばかり読んでいた。毎日図書館で本を借りて帰った。

あれよあれよという間に、すごい体重になっていった。

しかし、私は気にせず本ばかりの毎日だった。


ある日、男子達が図書室で面白い本があったと言う。

女子みんなで探して読むと…

“性教育”の本だった。私を含めた女子はショックを受けた。

両親がテレビを見ていてよくチャンネルを変える意味が、

ようやく解った私だった…(しばらくは信じられなかったが)


6年生の頃、私はいじめにあった。

いじめっ子が一人いて、彼の言いなりのクラスメートだった。

なぜ、いじめられるのかが私には理解出来なかった。

「近寄るな、腐る!」とか言われて、クラスの仲間に入れて貰えなかった。

とうとう夏のある日、私は学校に行けなくなった。

何度友達が訪ねてくれても私は行かなかった。

だが、担任の先生は来なかった。(彼女もえこひいきの強い先生だった)


4年生の担任だった梅本先生は毎日迎えに来てくれた。

が、私が行くことは無く、とうとう夏休みが来てしまった…

母は心配して、児童相談所に相談した。

児童相談所の佐藤先生がやって来た。先生は児童相談所に遊びに来いという。


学校に行って無くて暇だったので行くことにした。

そこには、私の大好きな箱庭があった。

私は夢中になって作った。だが、心理的内容はやはり最悪だったようだ…


母は心配して、父にも相談所に行く事を薦めた。

が、プライドの高い父は嫌がった。

それどころか、私は父の子では無いと思い出したようだった。

何でもトップだった父は、私のような子は要らなかったのだろう。


夏休みに私はいろいろ悩んだ。

そして、学校が始まろうとする数日前、母の引出しからかみそりを持ち出した。

よくドラマで“ためらい傷”とか言われるが、本当のことである。

私も、何度か軽く切るのだが、思い切った行動には出ることが出来なかった。

ためらい傷が増えるほど、恐くなったのだ。


結局9月から、私は学校に行った。

死ぬことほど恐怖を感じる物は無いと、思ったからだった…

今度は私は負ける事無く学校に通うこととなった。


ある日またもやいじめられた。

と言っても、いじめっ子では無く取り巻きの連中だった。

別にそいつらを、恐くも何とも無かった私は無視をした。

トイレに入った私に、やつらはホースで水をかけた…

そしてとうとう切れた私は、教室の机を倒し、椅子を投げつけた。

それでも気が治まらない私は、吠えて追っかけた!

結局止めれたのは、彼らを止めようとしてくれていたのりちゃんが居たからだ。


のりちゃんは気は弱いが、私をいじめる子ではなかった。

私はクラスの男子は大嫌いだったが、のりちゃんは別だった。


母にこそ言わない私だったが、母は気付いていたようだ。

例の担任に何度も言ったらしい。が、無視だったようだ。

私はこの学校でも、校長先生に気に入られていた。

梅本先生のおかげでもあるのだが…


梅本先生は私を可愛がってくれていた。

そのおかげでもあるが、何とか卒業にこぎつけた。

その次の年には担任の先生は奈良には居なかった。(当たり前!)


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