第一章 乳児期
私は昭和37年11月14日水曜日3時15分に誕生した。
それは、2日間母が頑張ってくれた結果の事だ。
母は、その時40歳で初産だった。
令和の今なら、キャリアウーマンも多く、
入院まで働いていたのと、高齢と、初産が重なっての出産は当たり前となるのだろうが、
昭和の当時は難産だった。
母は喜んだ。初の子供であり、年齢的に考えても最後の子供だからだ。
しかし、母の苦労はここから始まった。
まずは母乳での授乳が出来なかった。妊娠中毒症で蛋白尿が出ていたから…
一週間後やっと医者からお許しが出て、彼女は喜んだ。
だが、母は私に授乳しようとしたが、私はそっぽを向いたのだ。
初母乳より、乳首が柔らかい哺乳瓶で楽な方を選んだ私。
その頃から頭が良かった(?!)のか、可愛くなかったのか…
生まれた限りは死ぬまで頑張ろう!と思たか否か、赤ん坊の私には分からかったが、
とにかく、そんな私の人生が始まったのだ。
私は泣かない、大人が考える良い赤ん坊だった。
母曰く“ひやきおうがん”のお陰かもしれない。
母は当時の「職業婦人(今のキャリアウーマン)」だったため、
自宅の2階に私を置いて、1階で洋裁店を営んでいた。
1時間ごとに見回りに来てくれた。
いつも私はにっこりして抱っこを求めたようだ。
はいはいが始まり、サークルは無理と判断した母は、
私を2階の寝室6畳の部屋に閉じ込めた。
初めはそれでも私は大人しかったようだ。
が… つかまり立ちが始まると母は大変な思いをしたらしい。
猫と一緒だったのだが、この猫は私に逆らわない。
ただ私から逃げるだけだった…
ある日猫は箪笥の上に逃げた。私は箪笥の引出しを下から順番に開け、
上って、あわや箪笥が… という時に母はやってきた。
赤ん坊のくせに、泥棒の極秘を何故か(?)知っていたことには自分自身驚く。
その後、母は巡回を強化した。(30分に一回に変更)
私は一人っ子のお陰で、喧嘩をした事が無かった。
私を鍛えようと(?)父はいとこの所へ、私をよく連れて行った。
しかし何故か私は強かった!いとこのおままごとの邪魔を平気でした。
お人形さんごっこで、人形を壊した。
いとこは切れて、邪魔されぬよう私を隣の部屋に閉じ込めた。
だが、まだまだ私は諦めなかった。ガラスの戸襖を割れんばかりに叩いた!!
いとこは諦めたのだが、祖母はのたまいた。「なんて子だろうねぇ」
この日から父方の祖母とのバトルが始まるのだった…
父方の祖母は私にきつかった。
彼女は母に言ったらしい。「嫁が憎けりゃ孫まで憎い!」と…
私にも覚えがある。
叔母の子供であるいとこがしても叱られない行動も、私が叱られた事がたくさん…
叔母は良い人で、祖母に「eちゃんになんできついん?お母ちゃん?!」と聞いてくれた。
いとこ(叔母の子)と分け隔てなく可愛がってくれた叔母は私にとっての第二の母だ。
赤ん坊の頃なんて、自分でも覚えていません。
が、初めての子育てが大変だったであろう母から聞いた話や、少し記憶の片隅にある、父方の祖母の記憶です。